オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

「一人で生きる」が当たり前になる社会

 

ずいぶんと長いタイトルの本。

内容の想像がついたのだが、気になって読んでしまった。

 

「独身研究家」荒川和久氏、「脳科学者」中野信子氏。

お二人の対談形式の本(ディスカバートェンティワン、2020年)である。

 

内容にふれる前に、こんなデータを見てほしい。

日本の家族構成の変化である。

 

A. 単身者世帯(離婚、死別も含む)

B.    子なし、夫婦のみ世帯

C.    夫婦+子ども世帯

 

何十年か前は、Cが「日本の標準世帯」ということになっていた。

2023年現在、これらの世帯構成が人口に占める割合は、A:4割、B:3割、C:3割だ。

この割合は2040年には、A:4割、B:4割、C:2割になるそうだ。

 

つまり、C:夫婦+子どもという、CMに出てくるような家族は日本人のわずか20%!!

人口比では、最も少数派となる。

これからは、15歳以上の半数が「単身世帯」になるんだとか。

 

欧米も日本も、いわゆる先進国では人口が減少しているのは知っている。

離婚、別居を含む「単身世帯」が多いのも知っていたけど、15歳以上人口の「半分」?!

想像以上のスピードで進む「単身世帯」の数だなあ…。

 

まあ、想像に難くない。

寿命が短かった時代は、子どもが成人したタイミングで親の大半は亡くなっていた。

医療の進歩で人生が長くなった分、一人で生活する時間も長くなるんだろうなあ。

めでたいのかめでたくないのか…。

 

ここで私の意識を軌道修正したい。

「一人で過ごす」というと、ネガティブに聞こえるかもしれない。

しかし人間は一人で過ごすことが必要だし、一人時間を求める人も増えている。(←ここが本書)

 

人口減社会かつ、一人で生活する人の増加。

ここで「出産費用を支援するより、結婚する人を増やした方がいい」とか、違うテーマにそれるのはやめよう。

確かに、人口が減ると社会機能を維持できなくなる。

が、そもそも「社会はいつも経済発展すべし」という前提が果たして正しいのか?

という疑問もある。

経済中心に社会を回す時代は終わった、ってことなんだろう。

 

本書に戻ろう。

まずは、「一人でいること」のとらえ方である。

 

日本と欧米は、「一人」のとらえ方が違うらしい。

何年か前は日本でも「ぼっち飯」の人はかわいそうだとか、そういう雰囲気があった。

しかし、コロナで人との接触感染が問題となり、「ぼっち」は日常の風景になった。

うちの職場でも、「お昼休憩は感染対策のため、孤食にしてください」と言われている。

変われば変わるものだ。

 

著者・荒川氏はBBCで、ラーメン店「一蘭」や一人カラオケなどの話をしたそうだ。

英国では「孤独は悪」というイメージがあり、「食事は皆で」という風潮がある。

放送を見た英国人の反響が気になるところだ。

すると放送後、英国人視聴者から「うらやましい」「自分も一人で食べたい」という反響があったとか。

イギリスでも、「一人になりたい」と思う人は一定数いるわけだ。

 

これに対して中野氏は、「皆で食べるのはストレスですからね」。

うーん、確かに…一人だと気が楽、ってのはあるかもなあ。

 

つまり、「一人でいること」は脳科学的には悪ではなく、むしろ良いことだ。

「一人でいること」には、「選択的孤独」と「排除による孤独」の2種類がある。

いじめである後者はアカンのだが、自ら選んで一人になる自由は必要ですよね。

ストレスを癒すためにたまに一人になる時間まで「悪」とみなしてはいかん。

 

これに類似しているが、「同調圧力アメリカの方が高い」って。

言われると、そうかも…。

欧米だと、パーティーは夫婦で行かなきゃならんとか、暗黙のルールがある。

そういう社会に住んでいると、なかなか「一人飯」なんて出来ないよね。

 

案外、日本の「お一人様」市場拡大って良いことなのかもしれん。

今、結婚しているとしても、自分が相手と同じ日に死ぬわけじゃないからね。

誰だっていつかは「お一人様」になるのだ。

 

それに、一人になることを選んでいるのは単身者だけではない。

既婚者でも、「一人で映画へ行きたい」「一人でライブへ行きたい」という人が多い。

私も、「美術館はゆっくり一人で見たいなあ」と思うタイプだ。

 

本書の共著者・中野氏は、夫が家にいると気を遣うので?、たまには一人が良いとおっしゃっていた。

激しく同意。

誰かと一緒の時間も大事だが、一人時間も大切だよ、くらいでいいんではないかね。

 

単身者+既婚者だが一人時間が欲しい方向けの「ソロ活市場」が発達している日本。

私の個人的経験のみで書いて申し訳ないが、海外では見たことが無い。

「お一人様」ターゲットに、あの手この手で消費意欲をかき立てる商品(旅行、イベント、食事等)が花盛り。

たぶん、そのうち欧米や中韓も日本に追随するようになるだろうなあ。

 

なんか、脱線ばかりですみません。

何でもそうなんだろうけど、他人の目を気にしなければ、人生は数倍楽しくなる。

 

うちの親世代は「一人でレストランへ入れない」という。

私は全然平気だ。

いくら好きな人でも24時間一緒にいたら飽きるし、ストレスになる(すいません)。

一人でご飯を食べるとぼーっと出来るし、自分のペースで食べられるしね。

 

なので、私のおススメは「(たまに)一人で生きる」だ。

ずっと一人で生きるのも疲れるし、何もかも一人で背負う必要もない(キャパの問題もあるし、精神的にも)。

コロナの良い側面は、「ぼっち」が悪いことではない、と社会に知らしめたことなんじゃないかな。

私も一人時間が必要なタイプなんで、「一人でいること」を容認する社会になってきたのはうれしいぞ。

 

人間の悩みは、9割が人間関係の悩み、とか聞く。

適当に周囲の人と距離を取り、ほどほどに仲良くするくらいでいいんじゃないですかね。

 

それを考える時、アメリカの工場でバイトした時の同僚男性をいつも思い出す。

若いのに山奥に一人ぼっちで生活している、世捨て人みたいな人だった。

 

一年に一、二度、ハローワークの紹介で工場に働きに来る、と言っていた。

(それもいやいやハロワにやらされている感ありあり 笑)

話すとすぐに分かるのだが、ものすごーく繊細な方だった。

社会で人から傷つけられるよりも、一人で生活する方を選ぶ、という感じだった。

 

アメリカは意外に、人間関係に傷つきやすい繊細な人が多い。

(前述の通り、「同調圧力が強い」「カップル行動」を強要されるからだと推察)

日本みたいに一蘭とかに行ける社会だったら、ああいう繊細な人は山奥一人暮らしを選択しなかっただろう。

「選択肢の多さ」が、社会のガス抜きとか逃げ場として重要なんでしょうね。

 

というわけで、本書を読んだ感想+自分の考えは。

「ぼっち」容認社会は、多くの繊細な方を救うんではないかと思っている。

お一人様市場とか多様な選択肢のある日本では、一人でいたい人や繊細な人が居心地よく感じるかもですね。

一人だろうが所帯持ちだろうが、人目を気にせず自分らしく楽しく生活できる社会。

を日本は目指してほしいですよね。

 

 

 

隣の芝生

 

ドイツのベルンハルト君の甥っ子が、日本へ遊びに来ることになった。

我が家に泊まっていってもいいよ、と申し出てみたが、彼の行き先は北海道。

なんだ…(肩すかし)。

 

まあ、北海道は良い選択だ。

東京は、パリやロンドンといった他の大都市とさほど変わらないしね。

それより北海道の方が楽しそうだ。

食べ物はおいしいし、自然は雄大だし。

日本人の自分だって、北海道を旅行したいもん。

 

「で、君はいつになったらドイツへ来るんだ?」

とベルンハルト君。

いつって言われてもねえ。

 

職場の同僚によれば、

「燃料高騰で飛行機代も高くなったし、ホテルも高額になった。

ヨーロッパは貧乏旅行出来る場所じゃなくなってきたよね」

とのこと。

 

最近海外旅行をしていない私は、

「へえ、そうなんだ」

と思うしかない。

 

円安もあったし、日本人の給料は30年間下がりっぱなし。

海外旅行はまた高嶺の花になってきた、ということらしい。

外国人観光客からみると日本の物価は安いので、日本旅行は安上がりとか聞くしね。

 

そのことをベルンハルト君へ言った。

すると、ヤツはこんなことを言い出し始めた。

 

「んなわけないじゃん。

日本に比べたら、ヨーロッパなんて何でも安いぞ!

だってリンゴが1キロ当たり…」

 

出た出た。

「ドイツより日本の方が上」論が。

それこそ、「んなわけない」と私は思うぜよ。

 

ベルンハルト君によれば、ドイツの小売価格は現在こんな感じだそうである。

 

リンゴは1キロあたり2.5ユーロ。(約350円)

250グラムのバターは3ユーロ。(約421円)

1キロのパンは3ユーロ。(約421円)

1リットルの牛乳は1.5ユーロ。(約210円)

どうだ、ドイツの方が安いだろう?(どや顔)

 

現在、1ユーロは140.42円なんだとか。

それで計算すると、ドイツでは牛乳が1リットル210円となる。

 

スイスやフランスなど酪農がさかんな国と日本を比較するのはどうかと思うが…。

ドイツの乳製品事情が分からんので、「ドイツは酪農大国だから安いんだよ」とは言い切れん。

 

しかし、ベルンハルト君にも一理ある。

牛乳1リットル210円なら、ドイツの方が安価である。

 

でもねえ。

日本は給料が上がらんのだよ!

給料が上がって、牛乳の価格が210円なら天国じゃねえか。

隣の芝生は青い。

 

巷でこんなことをよく聞く。

日本は世界第3位の「経済大国」の座から転落し、ドイツに抜かれる。

ってことを。

つまり、1位:アメリカ、2位:中国、3位:ドイツ、4位:日本、になるそうである。

 

この「世界4位」とか「経済大国」ってのは、企業の利潤だけで見た話。

日本の庶民は給料が上がらないので、国民の生活レベルは世界23位と何かで読んだ。

ほらね。

ドイツの方がまだマシじゃん。(←“ドイツの方が日本より上”説)

 

誰かも言っていた。

ドイツは休暇も取りやすいし、病院や学校なども充実している。

移住したら最高の国なのだそうだが、いかんせん大きな壁がある。

それは「ドイツ語」なんだそうである。

 

うーん、分かる気もする…。

ドイツ語がなければ(習得が簡単な言語なら)、日本人の多くはドイツへ移住するだろう。

ということらしい。

 

私はドイツ北部しか旅行したことが無いし、ドイツ語も理解できない。

なので、「移住に最高な国」というのは、よく分からない。

でも、ベルンハルト君の生活ぶりを聞くと、「生活しやすい国」だとは分かる。

 

そんなことを考えていたら、ベルンハルト君が話題を変えてきた。

 

「だってさあ、君はハンブルグには行ったじゃん。

どうしてドイツ南部に来ないんだよお」

 

私がハンブルグ在住の別の友人・マルちゃん宅を訪問したことを、彼は覚えていた。

そして、「どうしていつも北部ばっかり行くんだよ」

と恨み節になった。

 

すいませんねえ…だってドイツ北部の方が旅行しやすいんだよ。

ドイツ北部なら、他の国から電車で気軽に行けるんだよ。

私だって、行けたらミュンヘンとか南部も行きたいよ。

でも、ウクライナ戦争の影響で「燃油サーチャージ」とか高いんだってさ、今!

 

それに尽きる。

この何年かで世界が変わった理由は、コロナと戦争だ。

コロナは気を付けるしかないとしても、ウクライナ戦争だよ、問題は。

 

日本は石油やガソリン価格が上昇しても、使用が制限されるまでには至っていない。

ドイツでは違うようだ。

先月、ハンブルグのマルちゃんが言っていた。

 

「最近、スーパーとか銀行では暖房をつけてないのよ!

真冬だってのに、寒くてしょうがない。

でも、これもウクライナ人のことを思えば我慢できる。

だって彼らはたきぎを燃やして、暖を取ったり食事を作ったりしているんだからさ。

我々ドイツ人が文句を言っちゃいけないんだと思うよ。」

 

…そうか。

ドイツ、すごいなあ。

と、私はドイツ人の我慢強さ?に感銘を受けたのである。

 

ドイツも他国から燃料を輸入しているから、燃料価格が高騰しているのは日本と同じだ。

だから燃料代節約のため、銀行も暖房を控えているわけだ。

ウクライナ人との連帯のため」コートを着こんで寒さを我慢し、ATMでお金をおろすドイツ人。

日本だったら、「寒いから暖房しろ」とクレームが殺到するに違いない。

 

もちろん、日本とは環境が違う。

ドイツはウクライナとは地理的に近い。

だから情報もたくさん入るだろうし、難民も多く受け入れているんだろう。

それにしても、だ。

 

私の知る限り、日本ではスーパーも銀行も暖房はついている。

となると、やはり日本の方が経済的に余裕があるのだろうか。

よく分からん…。

 

話は戻る。

ベルンハルト君を納得させるため、週末はスーパーで物価チェックを改めてやってみるつもり。

そして、彼の甥っ子だが、来月から来日する予定なんだそう。

3月の北海道は寒そうだが、ドイツだって寒いだろうし、大丈夫だろう。

 

彼の目に写った日本を、ぜひベルンハルト君に伝えてほしい。

「日本はそんなに天国でもない」と分かるんじゃないかと思う。

まあ、彼に言わせたら「ドイツだってそんなに天国じゃない」ってことなんだろうな。

何度も言うが、「隣の芝生は」ってことですよね。

 

 

 

じゃない方

 

先日、美容院へ行った。

最近発掘したお店だ。

前回そこで髪を切ってもらったら、職場の同僚に好評だった。

 

「よく似合ってる!」

「いい髪形になったね。」

「スッキリしたじゃん!」

 

様々なおほめの言葉をもらったが、私も内心(あの店、案外良かったなあ)と思っていた。

最近は髪質が変わってきたし、もともと髪の生え方が厄介なのだ。

美容師泣かせの頭であることを、頭の持ち主の私はよーく知っている。

 

が、その店の美容師さんは、(私は気づかなかったが)凄腕?だったのだろう。

面倒くさい私の頭&髪をうまくカットしてくれたのである。

どうせこの店もダメだろう…と期待していなかっただけに、仕上がりの良さに私は大満足したのだった。

 

というわけで。

二匹目のどじょう…ではないが、またその美容院へ行くことにしたのだ。

誰だって、似合う髪型にしてもらいたいですよね?

 

その美容院を再訪すると、男性の美容師さん2名がカット中だった。

忙しいんだな、このお店。

 

「いらっしゃいませ~!」

 

私が入ると、店内に元気な声が響き渡った。

メンバーズカードを取り出し、受付を済ませる。

今日も、前回と同じ髪型にしてもらおう。

 

ほどなくして、私は呼ばれた。

小太りの若い男性美容師さんが、ニコニコしながら私を待っていた。

 

「今日はどんな風にしましょうか?」

 

えーっと。

私は記憶をたぐり寄せた。

前回はこの人だったっけ?

覚えていないなあ…。

 

「同じ髪型のまま、1.5センチくらい切ってください。」

 

思い出せないので、とりあえず伸びた分だけ切ってもらおう。

確か前回も、髪を切りながら美容師さんと話し、髪型が決まっていった記憶がある。

 

「耳にかけますか?」

「えりあし、もう少し切りましょうか?」

 

てな感じに。

 

小太りの美容師さんが、チョキチョキと軽快に私の髪を切り始めた。

うーん…前回はこの人だったっけ?

違うような気もする…。

何とか思い出そうとして、鏡に映る彼の顔をちらちら見てしまう。

 

常に「美容院に期待していない」ので、カットしてくれた美容師さんのことを覚えていないのだ。

あ~前回の腕のいい美容師さんのこと、覚えておけばよかった。

 

私の隣で髪を切ってもらっていたお客さんが、先ほど終わったようだった。

お客さんは満足げに、担当美容師と話をしている。

 

その人を担当していたのは、背が高く足の長い、スラッとした男性美容師さん。

帽子をかぶっておしゃれである。

美容師ですと自己紹介されたら、誰でも納得しそうなイケメンである。

 

それにひきかえ私の担当美容師さんは、愛想はいいがコロっとしている。

おいしそうなコロッケとか、ゆげの立つ肉まんを想起させる。

いやいや、人間、外見じゃないんだよ。

 

とは思うものの、鏡に映る自分ではなく、どうもその美容師さんに目が行ってしまう。

前回切ってくれた人、この人だったっけ??

ううむ…自信ないなあ。

 

カットが終わったお客さんが、支払いを終えて店を出た。

しばらくして、その背の高いイケメン美容師さんも店を出て行った。

お昼近くだったので昼食を買いに行ったのか、あるいは一服か。

 

しばらくすると、彼と入れ違いになるようにして新しいお客さんが来店した。

 

「いらっしゃいませ~!!」

 

私の髪を切っている小太りの美容師さんは、私の耳元で大声を張り上げた。

だよね、美容院とか居酒屋って、店員が一斉に声を張り上げる業種だよね。

私は黙って髪を切られながら、新しいお客さんの様子をうかがった。

 

新規のお客さんは、若い男性だった。

最近は理髪店ではなく、美容院へ行く人が多いんだろうな。

まあ、どうでもいいけど。

 

「ご予約ですか?お名前を書いてお待ちください!」

 

アシスタントらしき店員が、新規客からカードを受け取る。

小さいお店なので、カットできる人が2人しかいない。

私のカットが終わるまで、このお兄さんは待たされるわけだ。

 

新規客は、きょろきょろと店内を見渡した。

私は髪をカットされながら、新しいお客さんの様子が気になった。

何を探しているんだろう?

 

私の担当美容師は、それを見て愛想よく声を張り上げた。

「おかけになってお待ちくださいね!」

 

すると。

その若い男性客は、私の担当美容師に容赦なく尋ねた。

 

「あのー。

帽子をかぶった背の高い美容師さん、今日はいないんですかね?」

 

私の髪をカット中の小太りの美容師さんは、それを聞いて一瞬言葉を失った。

「…。」

 

それを聞いて全てを悟った私は、彼の顔を見ることが出来なかった。

さっきまで、(この人だったっけ?)とちらちら彼の顔を見ていたのだが。

あのお客さん、この人をご指名じゃないわけだ…。

 

「ご指名ですね?

では、お名前の横にBって書いといてください。」

 

小太りの美容師さんの声が遠く聞こえた。

若い男性客は、その指示に従ってBと書き入れたようだった。

 

なるほど、この店はそういうシステムだったのか。

美容師を指名する場合は、A(小太り)、B(背の高い方)と書くわけだ。

 

私は最後の仕上げをしてもらいながら、すべてを反芻して考えていた。

よく分かった。

前回、私の髪を上手にカットしてくれた腕のいい美容師さんは、背の高いイケメンBさんだったのだ。

今になって、すべてを思い出した。

 

カットがすべて終了した。

私は小太りの美容師さん、つまりAさんを再び見た。

Aさんは、終始ニコニコと愛想よく笑顔を作っている。

 

「お疲れ様でした!」

 

指名されなくても笑顔を忘れないAさん。

私は、彼の肩を叩きたくなった。

 

頑張れ、Aさん。(心の声)

ほかほかのシュウマイとか小籠包とか想像して、失礼しました。

 

しかし、現実は厳しい。

マンガでも小説でも、たいてい主人公は背の高いハンサムと相場が決まっている。

美容界においてさえも、背の高いイケメンの方が美容師としての技術も高いってか。

神様、イケメンに味方しすぎじゃん…。

 

でも、私は笑顔のかわいいAさんを全力で応援しますよ!!

 

しかし…。

つらいですな。

指名されるのが自分「じゃない方」って。

 

でも、私も「そっか、Bさんの方がカットが上手なわけだ…」と気づいて、心が揺れております。

やっぱりカットが上手な美容師さんにやってもらいたいからなあ。

次回、あの店に行くときの心理的ハードルが上がりました。

 

 

 

天才画の女

 

またまた松本清張です。

さすがミステリーの巨匠。

読み始めたら、一気に読めてしまった。

 

読み終わっていちいち感心する。

読者を一気に小説世界へ引き込む筆力が違います。

 

昔の作家さんだから文体が古いだろう、感情移入しづらいだろう…と思いがち。

いやいや。

昔に書かれた作品であっても、年月を感じさせないところが素晴らしい。

 

簡単なあらすじを説明する。

 

新人女流画家・降田良子の絵に、著名なコレクターがほれ込む。

それを見て、一攫千金狙いの画商やら美術評論家がこぞって良子の作品を絶賛。

良子は「天才画家」と祭り上げられる。

 

しかし、謎がある。

良子は、一体どうやって絵を学んだのか?

 

良子の絵を売り出しているK画廊の支配人・中久保にとっても謎だ。

中久保は、良子のアパートへ行ってみたり生活を調査したりと、彼女の絵の秘密を探ろうとする。

 

実家がお金持ちなので、良子は売れない新人画家のくせにアトリエなぞ借りる経済的余裕がある。

しかし、良子はアトリエの中を見せてはくれない。

鶴の恩返しのごとく、アトリエの中でどうやって絵を描いているかを絶対に誰にも見せないのだ。

 

良子の絵が売れるようになると、良子に絵を教えたという自称「良子の師匠」の老人も登場する。

が、良子は老師匠と絵のタッチも違うし、まともに絵を学んだこともないようだった。

 

じゃあ、一体どうやって良子は絵を学んだのだ?

謎は深まる一方だ。

 

ところが、途中から様相は異なってくる。

K画廊のライバル、S画廊の支配人・小池が良子の絵の秘密を探る探偵となるのだ。

小池もいろいろと、良子の絵について疑問があるからなのだが。

 

小池は、良子の実家を訪ねて福島県へ行く。

良子の家は素封家で、老舗の和菓子店だった。

そんなにお金持ちだったら、娘を東京で一人暮らしさせ、アトリエを借りられるくらい送金できるよね。

くらいのお金持ちである。

 

実は、この小説は小池が探偵役として表舞台に出てくるまでが、予想外に長い。

良子を売り出しているK画廊の中久保が謎解きをするのかと、てっきり読者は思ってしまうのだ。

しかし、主人公が中久保→小池に移るのがスムーズ(だから説明の前半が長かったのだ)。

違和感はない。

 

小池は太っているが、働き者である。

そろそろ独立して、自分の画廊を持ちたいと思っている。

しかし、今の勤め先・S画廊の社長・大江は病身で、たぶん長くない。

大江は中学生の息子が成人するまで、小池に支配人として勤めてもらいたいわけだ。

そんな小池自身を取り巻く微妙な人間関係も、ちゃんと描写されている。

 

小池は良子の家の秘密を知り、良子の絵の元になる下絵を描いている人物も突き止める。

問題は、福島県でその人物が描いた絵を、どうやって東京の良子が見るか、という点だ。

このトリックも小池は解き明かす。

そして、トリックの種明かしに肉薄した小池に危機が迫る。

 

小池はだまされてタクシーに乗せられ、青梅の片田舎にある小さな小屋へ連れていかれる。

夜間に睡眠薬入りのコーラを勧められ、小屋の裏手からは妙な物音が…。

小池、危機一髪。

 

機転を利かせて難を逃れた小池。

「(雇用主である)大江が自分を殺そうとしていた」

と、大江の顧問弁護士に相談。

 

うわっ、上司に裏切られたわけかい。

てか、良子の秘密を大江も知りたいんじゃないのかい?

と読んでいる方はビックリ。

 

しかし、さらにビックリなのは、顧問弁護士から「何の証拠もないから訴えられない」と一蹴されるトコ。

殺されていないのだから犯罪とは言えない、と言われてしまうのだ。

生きて逃げてきたのにねえ。

かわいそうな小池ちゃん…(笑)。

 

最後は大団円?となる。

小池は独立し、大江はその一年後に死去。

良子の絵は売れなくなる。

良子が手本にしていた絵を描く人物が亡くなったので、新しい絵が描けなくなったのだ。

 

それだけではない。

良子は絵の師匠(自称)の爺さんの甥と恋に陥り、頼りない甥の世話を焼くようになる。

で、良子はアーティストとしてのキレがなくなった、というわけ(それも微妙だが)。

そして、小池の勤め先・S画廊のライバルだったK画廊は没落。

(大団円とは言えない?)。

 

まあ、私としては、目をそむけたくなるような恐ろしい描写が無い小説で良かったわん。

小池が青梅の小屋に連れていかれたときは、心臓バクバクでしたけどね。

そのクライマックスへ持っていく松本清張の筆力、改めてすごいわ。

 

そこが、作家の力なんでしょうね。

奥付を見たら、なんと1979年にこの小説が発行されている。

何十年も前の小説なのに、今も面白く読めます。

やっぱり、松本清張にハマってしまいましたよ。

 

また次も松本清張本を借りようともくろんでいる。

こんな感じで読みやすいと、長編も取っつきやすいかもなあ。

 

そして、小説に出てくる地方の描写もいいですよ。

良子の出身地は福島県のある町、ということで、小説では架空の町を描いているのだが。

モデルがあるにせよ、この小説の人物がいかにも住んでいそうな雰囲気をかもし出している。

 

実力のない画家が評論家に「有望な新人画家」と祭り上げられる場面は、現代社会の風刺も効いている。

今も昔も変わらないのかもですね。

同時進行で東野圭吾も読んでいるのですが、やはり作家は多少の批判精神を持つべきですね。

 

ところで、東野圭吾は「名探偵の掟」を読んでいます。

電車の中で読みながら、思わず声を出して笑ってしまった(恥)。

 

東野さんは今よく読まれている作家さんと思うので、特に記事では紹介しません。

私的には、松本清張をぜひ推したいですね。

(私も「清張にハマっている」という人から聞いて、ハマったわけなんですけどね)

松本清張作品はまたドラマ化されるかもしれないので、そちらも楽しみにしておきます。

 

 

習い事

 

俳句教室に入った。

深い意味は無い。

「すぐに役立つわけではない」習い事を始めよう、と思ったからである。

 

私は、ヒマさえあれば勉強するのが好きだ(こう書くと誤解されそうだが)。

今までは、英語とかフランス語とか何かの資格試験とか、仕事に役立ちそうなことばかり勉強してきた。

 

が。

「すぐに役立たないこと」を久々にやってみたくなった。

こういう気持ちになるってことは、人間は「役立つこと」だけでは精神がもたないってことだな。

 

以前はドラム教室へ行っていた。

なんと、6年間も。

通っている6年もの間、まったくドラムは上達しなかった(練習してなかったからだが…)。

 

でもね、楽しくなければ6年も続かないですよ。

ドラムを叩いている間は無心になれるし、1曲叩けると爽快でしたよ!

 

なので、今回も習い事は楽器がいいかな?

と思った。

我が家にはピアノがあるし、チェロなんかも楽しそうだ。

が、チェロ教室が自宅近くに無かったので断念。

ピアノは習いたいなあ~といまだに思っている。

 

そして、俳句。

なぜ俳句かというと、それが自分の都合の良い時間に受講でき、かつ授業料が安価だったからである。

 

日本画

習いたかったが、平日しか授業が無い。

占い。

これもなぜか平日しか開講していない。

香道

そもそも習える教室が近隣に見当たらない。

 

こんな感じで、ネットで自宅近隣の「習い事」「●●教室」を探していったのだ。

 

「時間の都合がいいレッスンがある!」

と思ったらフランス語教室だったり英会話教室だったり。

「いやいや、今回は『すぐにお金につながらないこと』をやるのだ」

と思い直し、サーチする幅を広げて俳句教室につきあたった、というわけ。

 

そして、先日。

俳句教室へ申し込みに行った。

 

そもそも、俳句教室ってちょっと敷居が高そう。

私みたいな、「ど素人」でも入ることが出来る教室が良い。

そして、まずは俳句の鑑賞法を教えてもらえるといいのだが。

そんな希望があった。

 

俳句教室に行き、受講希望だと伝える。

すると、受付の女性は大歓迎オーラを出しながら言った。

 

「午前の授業は超初心者向けですよ!俳句のイロハから教えてもらえます!

午後の授業もありますよ。」

 

私としては、午後の方が都合が良い。

でも午後のレッスンは中級者向けになっている。

うう…どうしよう。

 

私は、受付女性の名札に「T橋」と書いてあるのを見ながら尋ねた。

「俳句経験者じゃないんですが…。」

 

するとT橋さんは笑顔になった。

「では、お試しで初級クラスに参加してみて、それから考えたらいかがですか?」

 

そうしようかな。

経験者じゃないなら、初級から入るしかないよね。

 

さらに気になることがある。

それは、受講者のレベルだ。

ホンマに「初級」?

 

アメリカの大学で「初級スペイン語」を履修したことがある。

しかし、同級生たちは「お母さんがペルー人」とか「高校でスペイン語を履修」とか、そんな人たちばかり。

「初級者」の私は初級の授業についていけなくなった、という経験がある。

 

「大丈夫ですよ!受講者は皆さん初心者ばかりですから!」

 

盛大にT橋さんが言う。

あ、そうなんだ。

ちょっとホッとする。

しかし、T橋さんが重ねて言った言葉に、私はちょっと気おくれを覚えた。

 

「受講者は、ほとんどが60代、70代ですよ!」

 

うわっ!!!

マジかい?

そんな高齢者にまじって、私は大丈夫だろうか??

 

ま、そりゃ俳句なんて渋い趣味、やっている同年代はいないと思うが…。

私、浮きまくり、じゃないですか?

 

そう私が言うと、T橋さんは苦笑した。

「大丈夫ですよ。先生も面白いし…」

 

うーん。

もし60、70代からいじめられるような雰囲気だったら?速攻やめればいいか…。

 

私が躊躇していると、T橋さんは大丈夫大丈夫、と続けた。

拝見した限りでは、T橋さんはたぶん60代。

私の不安は分からんだろうなあ…。

 

それにしても、受講者の年齢が高すぎる。

最近は、若者には短歌が人気あるらしいしね。

俳句は難しすぎるんだよ。

 

まあ、ぐずぐずしても仕方ない。

「受講者が増えそうだ」と、期待に胸をふくらませるT橋さんを喜ばせるように、私は俳句教室に申し込むことにした。

まずはお試しだ。

 

すると。

T橋さんは、私の名前を受講者名簿に記入しながら言った。

 

「じゃあ、先生に次回のお題を聞いてご連絡差し上げますね。」

 

へっ?

次回のお題?

 

私は何となく「最初は俳句の基本や鑑賞法を勉強するのだ」と思い込んでいた。

そうなのだ。

俳句教室では、自分で俳句を作らにゃいかんのだ。

当然だが、その場で作句するのではない(そんな高度な技が出来るなら初心者じゃないよね)。

宿題よろしく自宅で作り、それを教室へ持参するわけだ。

 

そうだよね…。

いや、待てよ。

他人の前で自作の俳句披露なんて、こっぱずかしくてできません。

こっちは素人ですよ、素人。

 

そう思っている私をよそに、T橋さんはニコニコしながら俳句の先生に電話をかけ始めた。

 

「先生!いつもお世話になっております。

新しい生徒さんが次回からお試し参加されるんですけどね。

…」

 

(私の内心の声)

「うわーうわー恥ずかしい~最初から俳句を作れるわけないじゃん」

 

T橋さんはにこやかに話を進めている。

「あ、そうですか!では、歳時記は持っていなければ不要なわけで?

はい、わかりました!

次回のお題は「●●」ですね?」

 

そして、俳句講師と話し終わり、受話器を置くとにこやかに私を見た。

 

「次回のお題は●●ですって。

でも、見学の方は俳句を作ってこなくてもいいですよ。

もしできれば、4句作ってきてほしいんですけどね。」

 

4句ねえ。

出来るわけがない。

一応、「そーですか」とニコニコしながら話を聞く。

 

T橋さんは続ける。

 

「では、×日に来ていただいたら、教室へご案内しますね。

出来れば4句作って来ていただけるといいんですが、無理ならいいんですよ!

他の方は4句作ってくるんですけどね!

ですから、出来れば、でいいので、次回来る時までに4句」

 

…分かりました。

4句ですね。

 

T橋さんは、「出来なかったらやらなくてもいい」と言い続けているのだが、「4句作らねばならない」ことは、しっかり私の頭に刷り込まれた。

さすがT橋さんである。(←もう屈服した)

こういう人が職場にいたら、面倒な上司たちをニコニコしながら仕切ってくれるだろうなあ。

 

というわけで。

今、私の頭を悩ませているのは4句作ること、である。

 

どうやって作句するのか、そもそも分からない。

なので、今のところはノートを広げ、お題を書き、そこから連想されるイメージをただ書いているだけ。

あ~自己表現活動とは簡単ではない、ってのがうすうす分かってきたぞ。

 

誰かに助けを求めたい。

週末に図書館へ行き、作句指南本を借りてこようと思っている。

授業はまだ何週間か先なのだが、受講者は誰もが私のように生みの苦しみを味わっているんだろうな。

 

とにかく、自分の力で作品を作ってみるしかない。

自分自身で作句しなかったら、何のための俳句教室だ?ってことですよね。

 

まだ先ですが、教室へ行ったら感想をまた記事にしてみますね。

頑張るぞ。

 

 

バランス

 

どーでもいい話をさせてください。

(世間的には「どうでもいい」話題。

でも自分的に納得がいかないとき、こういう出だしが多いなあ)

 

先日、ファミレスチェーン店・某庵へ行った。

 

お昼時で、カツ丼が食べたい気分だった。

空腹だったので、がっつりお腹にたまるものが食べたかったのだ。

しかし、私の近くに座った女性がすきやき定食を食べているのにもそそられた。

さんざん迷った挙句、初志貫徹した。

カツ丼一丁をポチる。

 

読者の皆さんはご存じの通り、私はさほど外食するタイプではない。

外食チェーン店のルールがあまり分かってない、ってのは認めよう。

しかし、ですよ。

 

あたたかいお茶を取りに行き、席でゆっくりすすっていたら、カツ丼が来た。

やれうれしや。

待ちに待ったカツ丼だい。

 

メガネをかけたパートのおばちゃんらしき店員さんが、にこやかに卓の上に置いてくれた。

おばちゃんが去り、私は一人になった。

 

「いただきま~す」

 

小声で言うと、私はトレイの上を見渡した。

まずは、お味噌汁をいただく。

グルタミン酸とかアミノ酸が体内に入ると、何だか落ち着くのは日本人のDNAなんだろうか。

 

そして、待望のカツ丼様である。

カツの下にあるご飯を少し食べようとして、ふと気づいた。

 

「ん?なんだこりゃ」

 

見間違いかと思った。

いやいや、そうじゃない。

白いご飯が無い。

むむ?

 

二度見する。

そうなのである。

カツの下には白ご飯の姿はなく、どっぷりとつゆだくになっていた。

 

「なんじゃこりゃ?」

 

私は戸惑った。

いったいどうしたことでしょう。(←サザエさんの声優さん口調)

 

私はしばし考えをめぐらせた。

なぜ、白いご飯がどっぷりとつゆに埋まっている?

なぜだなぜだなぜだ…。

 

そして、ようやく思い出したのである。

カツ丼を注文する際に、「ご飯少なめ」にしたことを。

 

読者の皆さんとカツ丼とのお付き合いは、どんな感じだろうか。

私は昼食にカツ丼をどっかりと食べると、お腹いっぱいになる。

午後いっぱいは胃に食物が入らなくなる。

腹八分どころか12分目くらいになってしまうのだ。

 

そんな時にコーヒーなんぞを飲んだ日にゃあ、満腹+コーヒーでお腹がガボガボになってしまう。

それを避けるために、(カツ丼は食べたいが)全体的に量を減らしたいわけだ。

そこでの「ご飯少なめ」である。

 

そうか、そういえばそうだった。

覚えてますよ。

「ご飯少なめ」を注文したのは、確かに覚えている。

しかし、つゆだくを注文した覚えはない。

 

カツ丼といえば、白ご飯の上に卵とじのカツが乗っているものだ(私の勝手なカツ丼のイメージだが…)。

が、これは違う。

白いはずのご飯が、全部つゆに浸かっている。

つゆ味の湖にご飯が浸かりきってしまい、白い大陸はカツの下を掘削しても見当たらず…。

 

なんでだよ~。

白ご飯を期待してたのに。

私は放心状態で丼を眺めた(言い過ぎだが、箸が止まったのは事実)。

 

そして気づいた。

「ご飯少なめ」を注文したから、お店はご飯を少なめにどんぶりに入れた。

でも、ご飯の上に乗せるトンカツとつゆは、量が減っていない。

減らしたご飯に通常量のつゆをかけたため、「つゆだく」になってしまった。

たぶんこんなことだろう、単純に。

 

くっそ~~~!!

 

「つゆだく」が好きな方はいい。

しかし、私は違う。

カツ丼でも牛丼でも、具の下に多少の白ご飯を期待したいタイプだ。

まるっきりご飯の白い部分がないなんて、聞いてないぞ!

これでは、スープの中に浸かったご飯(ってそこまでつゆだくではないが、ほぼそんな感じ)じゃん。

 

くっそ~(2回目の遠吠え)!!

 

「ご飯を少なめにしたから、つゆも減らしてほしい」

って言えばよかったんでしょうか?

いや、しかし、タッチパネルではそんな注文は不可能だ。

どーすればよかったんだ?

 

完食後、そして帰宅後も。

白いご飯が無かったことが、どうしても腹立たしい(まあ、一般的には大したことないのだが…)。

なので、同僚や友人にこの一件を吹聴してまわった。

 

「どう思う?ご飯がつゆに浸かり過ぎだったんだけど?」

「ご飯を減らしたんだから、味のバランスを考えてつゆも減らすべきだよね?」

 

この話を聞いた周囲の人たちの反応。

 

「ファミレスなんて、マニュアル通りにやってるだけだよ。」

「そんな細かい調整なんて、やるわけないじゃん!」

 

まあ、言われてみればそうだ。

あのメガネのおばちゃん店員だって、私の注文通りにご飯を減らしただけ。

全体的なバランスなんて考えてないだろう。

(てか、彼女がカツ丼を作ったわけじゃないだろうし)

 

しかし。

私はそんなにつゆだくファンではないのだ。

そこに、今回の問題点がある。

 

いや、逆に「つゆだく」好きな人は、ご飯の量を減らせばいいわけだ。

(ご飯の量を減らしたくない人も多いでしょうけどね)。

 

いずれにせよ、ファミレスで料理全体の味のバランスを要求してはいけないんだろう。

普通は私の同僚や友人のように、「ファミレスだから仕方ない」って納得するわけだ。

一人で大騒ぎしたが、周囲の冷静な態度に「そっか」と急速に冷めた。

 

考えれば当然だ。

「ご飯少なめ」以外のオプションを、ファミレスでこまごま付けるわけにはいかない。

「つゆ少なめ」「漬物増量」「玉ねぎ多め」…。

いい加減にしろよ。

 

いや、話がずれたぞ。

ご飯を減らしたら、カツ丼のつゆも減らしてほしい。

味のバランスをとるために。

というのが、この記事の趣旨だったはずなんだが…。

 

まあ、今回の件から学習した。

「ご飯少なめ」にすると、つゆだくになってしまう危険性があるってことを。

「カツ丼(小)」って選択肢があったら、カツとご飯がバランスよかったのかもね。

 

とはいえ、最終的にお腹いっぱいになったので、まあどうでもいいんだよね。

「安くおいしくお腹いっぱいになる」目的は達成したわけだから。

(ね、結局どうでもいい話でした)。

 

 

介護

 

読者の皆様、お元気でしょうか。

しばらく記事をアップしておらず、スミマセヌ…。

決してブログのことを忘れたわけではありません。

 

先日、私の身の回りの人が倒れ(家族ではないんですが)、救急車で運ばれた。

病院へ連れていかれたが、コロナで入院できず。

診察が終わったらすぐに病院から戻された。

 

で、その人は骨にひびが入って歩けなくなった。

急ぎ私が大人用おむつとか買いに行ったりして、バタバタしていたのだ。

 

今まで介護用品に縁がなかったもので、知らなかった。

高額なんですねえ、介護用品って!!

 

我が家の祖父母は長らく入院していたり、ポックリだったり。

なので介護をした経験は、うちの誰にも無かった。

まあ、自分の両親もこれから介護が必要になるだろうし、そのうち自分も。

 

とはいえ、分からないことが多すぎる。

親を介護中、あるいは親を看取ったという年上の友人たちに連絡をしまくった。

 

そして分かった。

彼らも周囲に介護経験のある友人たちがいて、彼らから情報収集をしていることを。

まあ、そうですよね。

介護のことについて最初から詳しい人なんて、いませんよね~。

 

「高齢者は若者の言うことを聞かない」ということも、様々な友人たちから耳にしたことだ。

これもよく分かる。

私の両親も、子どもたち(私たち)の言うことを一切聞こうとしない。

そんなもんだ。

 

友人Aは、両親の介護申請に2年もかかったという。

申請から認定まで時間を要する、という理由もある。

しかし、そこまで時間がかかった最大の理由は、「親の説得」だったそう。

 

親御さんが、

「自分はまだ元気だ」

「介護なんて必要ない」

と頑張っていて、介護申請自体にこぎつけるのに時間がかかったらしい。

は~先が思いやられる。

 

というわけで。

救急車で運ばれたのが私の親でなくて良かった、と一瞬思った。

しかし、介護を必要とするのが自分の身内じゃない、というのはかなり厄介だ。

こっちの言うことには一切耳を貸さない一方、「○○をしろ」と要求は立て続けだい。

ホント、気が重い。

 

両親のどちらをもすでに見送った、という高校時代の同級生がいる。

仕事を続けながら、自宅で介護したらしい。

地獄だったと今も語っている。

 

(って、これは相当早いケースですよね。

たいていの友人たち(私も含め)は、「これから親の介護どうしよう」という世代だ)。

 

親の介護をした(あるいはしている)友人たちは、誰しも口を揃えて言う。

 

1.行政にSOSを出すこと

2.一人でしょいこまないこと

3.利用できるサービス(介護保険とかね)は全て利用すること

 

うんうん、ホントに今回はそう思った。

特に1は大事。

「最近は行政も高齢者のトラブルが起きないよう、目配りしているケースがある」

らしい。

とはいえ、どの家庭に高齢者がいて困っている、なんてことを細かく把握しているわけではない。

自分から「困ってます」と役場にアプローチしなければいけないのだ。

 

親の介護がまだ始まっていない人も、3の介護保険申請は早めに考え始めた方がいいようだ。

親が倒れてから申請しても、認定されるまでは時間がかかる。

そして、介護にはおそろしく高額のお金がかかり、介護者の生活を経済的にも圧迫する…。

 

そして、もっとも大切だ(と私が思う)のは、2である。

介護中あるいは介護予備軍の読者の方がいらっしゃったら、ここでお伝えしたい。

「(行政とか介護サービスとか)自分以外の力にある程度ゆだねること」。

でないと、介護している方が先に倒れてしまいます。

 

さらに持つべきものは、「介護経験のある友」ですよ!!

 

役所への申請や各種サービス、ケアマネさん、介護施設、リハビリセンター。

誰しも詳しいことは分からないですよね。

 

介護に関する制度や情報を教えてくれるだけでなく、親の操縦法とかストレス発散。

そういった自分の体験談を共有してくれる友人。

そして自分の愚痴を聞いてくれる友人。

そういう人がいることが、難局を乗り切れる(あるいは少しでも気分が楽になる)大きな力になると思う。

今回私はめげそうになったが、体験談を友人たちから聞いてだいぶ気持ちが楽になった。

 

介護をしている読者の皆さん。

思い詰めすぎず、煮詰まり過ぎず。

ストレスを発散し、行政や他人の力を最大限活用できるよう、逃げ場を作りましょうね。

 

しかしさあ。

まださほど時間が経っていないのに、もう私は逃げ出したくなってるよ…。