オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ブラジル

 

以前の同僚の一人に、日系ブラジル人の女性がいた。

とかくブラジルは治安の悪いイメージが先行し、おまけに日本から遠いこともあり、なかなか行こうと思わない。

しかし、その日系ブラジル人の牧野さん(仮名)の話は大変興味深かった。

 

「中学生や高校生になると、みんな色気づくよね?(この表現、いかがなものかと思うが…笑)

〇〇君がカッコいいとか、そういう話になるじゃない?

ブラジルは多民族だから、同級生もみんな人種が違っていたよ。

でも、肌の色が違ってもみんなブラジル人だから、いろんな人と付き合ったりふられたり、楽しい学生生活だったなあ!」

 

牧野さんいわく、同級生は黒人だったり白人だったりアジア系だったり、色々な人種が入り混じっていたという。

昔はブラジルでも日系人に対する偏見や、特定の人種に対する差別があった。

しかし、自分が子ども時代を過ごした地域では、そして彼女くらいの若い世代は、特定の人種に対する偏見が薄いのか、そういう人種差別は少なかったという。

 

牧野さんも、あこがれの人や実際に付き合った人は日系人ではない。

「人種は、結局どうでもいいのかな。ブラジルって適当だから。」

 

私も、中学時代の世界地理の授業でブラジルの移民文化について学んだ際、ブラジルでは混血(こういう言い方も適切なのか分かりませんが)が非常に進んでいるので、親子で肌の色や目の色が違うのも普通、と聞いていた。

アメリカも移民の国とされるが、ブラジルほど人種が混じり合っているようには見えない。

 

日系メキシコ人の友人が、メキシコで自分の現地の友達を紹介してくれた時も、同じだった。

彼女の友人たちはドイツ系、スウェーデン系、日系と多人種だった。

なので、牧野さんの話は誇張ではないと思った。

 

ある日、仕事の帰りに牧野さんがこぼした。

「いや、今日ほど『ブラジルって適当なんだな』と思ったことはなかった。恥ずかしい」

ん?どうしたの?

そう思って尋ねると、彼女はブラジルのサッカー選手の名前を挙げた。

 

「私はサッカーにそんなに詳しくないから知らなかったけど、サッカー選手の登録名って、名字なの?」

そりゃ、名字でしょう。

田中とか鈴木とか、名字以外に何を登録するんだ?

新聞にだって、「田中、逆転弾!」みたいに、名字で選手の名前が書かれてるでしょ。

 

「そうらしいね。いや~普通の国はそうなんだ。勉強になった」

牧野さんは日本に来て日が浅いので、日本語はペラペラだが外国人のような感覚を持っている。

何が普通なのか?

 

牧野さんによれば、ブラジルのサッカー選手名は下の名前なのだという。

「ホントはさ、田中ヨシオなら田中選手なわけでしょ?でも、ブラジル選手って下の名前で出ているわけよ。ヨシオちゃんとかマサシ君みたいなさ」

 

さらに厳密に言うと、ブラジルサッカー選手名はヨシオやマサシではない。

ヨシオじゃなくてヨッシーとか、マサシじゃなくてマー君とか、普段自分が呼ばれている愛称で呼ばれているのだそうだ。

 

日本でも、イチローとか下の名前で登録している野球選手はいるが、それが普通というわけではない。

ましてやイッチとか(?よく分かりませんが)、愛称で登録する選手となると、そんなに多くないだろう。

牧野さんは嘆いた。

「あーあ、欧米とか日本とか、ちゃんとしている国は名字を使うんだね。やっぱりブラジルは適当なんだ」

 

それはブラジルが寛容だからなのか、それとも愛称優先の文化なのかな?

いずれにしても、他の国と違うとは面白いじゃないの。

この時、私は単純にそう思った。

 

その後、しばらくして私はブラジルからの留学生と知り合う機会があった。

一人は18歳で、もう一人は26歳。

二人は親せき同士(26歳の方が、18歳の学生の叔父)だった。

 

18歳の学生の方は、お母さんが日系人で名字は栗原・ダ・シルバ(仮名)といった。

「へえ、お母さんが日系人なんだ。」

確かに、栗原君は目も髪も黒く、日本人らしい顔立ちをしている。

 

「レイモンドは僕の叔父さんなんだ。」

と栗原君は、26歳の学生を指して言った。

26歳のレイモンド君は、ヨーロッパ人の顔立ちをしていて、髪の毛も金髪がかった茶色。

外見だけ見ると、まったく違う家族のように見える。

 

レイモンド君の名字は、シルバだった。

私はふと、不思議に思った。

「ダ、って何か意味があるの?」

 

レイモンド君も栗原君も、不思議そうに私を見た。

「だって、栗原君は栗原・ダ・シルバで、レイモンド君はレイモンド・シルバでしょ。ダが抜けてるよね。同じ家族なのに、少し名字が違うんだね。」

すると、レイモンド君は目を丸くした。

「そういえばそうだ!なんでだろ?」

 

それを聞いた私もびっくりした。

今まで家族でいて、今ごろ気づいたのか?

 

レイモンド君は、栗原君と自分の身分証を見比べながら、私の指摘が本当であることを再確認した。

「本当だね。僕と彼は名字が違うぞ。同じ家族なんだけどな。」

栗原君の書類を彼に返しながら、レイモンド君は不思議そうに言った。

 

「でも、どうせ役所が間違えたんでしょう。ま、いいよ、ブラジルでは良くあることだよ。」

レイモンド君は、最終的には笑いながらそう言った。

「役所が名前を間違えて身分証明書を発行することなんてあるの?」

と私が尋ねると、ブラジル人学生二人は顔を見合わせた。

「よくあるでしょ。ブラジルは適当だから。」

 

いやいや、栗原君が18年間「ダ・シルバ」という名字で、レイモンド君が26年間「シルバ」を名乗っていて、

誰も違うことに気づかない(市役所すらも)方が、すごくないか?

しかも、栗原君もレイモンド君も、名字が微妙に違うことをあまり気にしていない様子。

ううむ、良く分からん。

 

役所が発行した書類が間違っていても、本人が気づかない、または気にしないなら、どうしようもない。

それに、役所が発行した書類が間違っていたら、パスポート申請とか問題にならないのだろうか?

色々な疑問がわいてくる。

 

消化不良の私は、レイモンド君の説明に納得していないように見えたらしい。

(「ブラジルは適当だから」では説明になってないと思うが…)

栗原君は、仕方ないよと言いたげに肩をすくめた。

レイモンド君は「そっか、僕たち名字が違うのか~」と多少衝撃を受けた様子だったが、ややあって気を取り直した。

「ま、いいよ。名字が違うなんて大したことない。名字が違っていても、僕たちは家族だから。」

 

最終的にはそこなんだろうな。

とても仲良しの栗原君とレイモンド君を見ていると、そこに落ち着くんだろうと予想がついた。

 

これだけ違う人種が混じり合って家族になっていれば、名字で混乱することもあるのかもしれない。

市役所だってこんなに移民が多ければ、全世界の名字をいちいち厳密に確認している余裕がないんだろう。

今までレイモンド君が26年間、栗原君が18年間、何事もなく生活できていることから、名字の間違い?はブラジルで生活するにはさほど大きな問題ではないことが伺える。

 

牧野さんが言っていた『ブラジルは適当だから』も、相手を受け入れるという寛容さを発揮できる社会である、と思えば、良い意味での適当なのかもしれない。

だから家族についている名字はあまり重要ではなく、個人についた愛称の方が優先されるんだろうな。

 

それで社会が問題なく回ってるなら、そして本人たちも「ま、いいや」と思えるなら、そのくらい適当でもいいのかも。

 

おじいさんのセキセイインコ

 

今日は海外と全く関係のないテーマで、一つ記事を書いてみる。

 

子どもの頃、我が家ではたくさんペットを飼っていた。

犬や猫といった大物?は飼っていなかったが、文鳥、ジュウシマツ、メダカ、金魚、ハムスターなど小動物は常に家にいた。

理由は、父が鳥好き、魚好きだったからだ。

 

ある日、父はセキセイインコのつがいをペットショップで買ってきた。

巣箱をケージに入れると、セキセイインコは卵をたくさん産んだ。

そして、たくさんのひながかえった。

 

こんなにたくさん我が家では飼えないので、近所の人にインコのひなを分けることにした。

なぜか、お母さんインコが欲しいとかお父さんインコが欲しいという人もいた。

父は気前よくインコたちを里子に出していった。

そして、「うちには一羽いればいいだろう」ということで、一羽のオスのひなを残し、後は全部手放した。

 

庭の広い家に引っ越した我が家は、器用な父が庭に鳥小屋を作った。

我が家のオスのインコは、その庭籠に入れられた。

 

父がまた別の鳥を買ってきてそのケージに入れたり、水の取り換えの時に鳥が逃げ出したり、また新たな鳥を買ってきたりと、庭籠に入っているメンバーはたまに変わった。

しかし、その青いセキセイインコのオスはずっとそこにいて、長い間我が家でひっそりと暮らしていた。

 

「そろそろ、あのオスのインコもお嫁さんを探してあげたいね。一人じゃ寂しいよね。」

父はよく、母や私たちにそんなことを言っていた。

しかし、父も忙しいのか、セキセイインコのお嫁さんを買ってくるのをついつい忘れがちだった。

インコは、一羽で静かに年を取っていった。

 

ある日、我が家を訪ねてきた人がいた。

その方は、最近この町に引っ越してきたばかりだと言った。

我が家の近所に住んでいる知り合いを訪ねてきたのだが、途中で道に迷ってしまい、たまたま我が家に立ち寄り、道を尋ねた。

 

応対した母は丁寧に道順を教えてあげた。

その女性は、お礼を言って我が家を後にした。

 

何日かして、またその女性が我が家を訪ねてきた。

「先日はありがとうございました。おかげさまで、知り合いの家に到着できました。」

と言って、菓子折りを持ってきてくださった。

 

対応した母が話をしていると、その女性は、「実は折り入ってお願いがあります」

と神妙な顔で話し始めた。

庭の鳥小屋にいるセキセイインコを譲ってくれないか。

そういう話だった。

 

私たちは驚いた。

若くもない?おじさん(おじいさん?)のセキセイインコを、欲しいというのはどういうことか。

ペットなら、普通の人は子猫とか子犬とか、鳥ならひなとか若鳥を欲しがるはず。

動物だって子どもの方がかわいいに決まっている。

なぜ、よりによっておじいさんのセキセイインコを欲しがるのか、誰でも不思議に思うだろう。

 

「実は、私の叔母夫婦が、セキセイインコを飼っています。」

その女性は話し始めた。

彼女の叔母さんご夫婦は、一羽のセキセイインコを長年飼っているという。

ひなのうちから飼い始めたのだが、ついついお婿さんを迎えるのを忘れてしまった。

「いつか、お婿さんを見つけてあげるね」

と思っていたが、忙しさに紛れてオスのセキセイインコを探さないまま、年数だけが過ぎた。

 

今になって叔母さんご夫婦は、飼っているセキセイインコの寂しさを不憫に思うようになった。

人間がオスのインコを買ってきてあげなければ、籠の中のインコは自力で相手を探せるわけもない。

何とかしようと慌ててペットショップを訪ね歩いた。

 

しかし、どの店でも販売されているセキセイインコはすべてひなか、若鳥。

まさかひな鳥を与えるわけにもいかない。

「年を取ったセキセイインコのオスは売っていないんでしょうか?」

とペットショップに尋ねたが、当然ながら年寄りのインコなど買う人がいるわけがないから、扱っていない。

困った。

 

「そうしたらこの前、たまたまお宅に伺った際に、庭のケージにおじいさんインコがいるのを見ました。叔母夫婦にその話をしたら、『何とかして譲ってもらえないか』という話になりまして。」

 

母は、父と相談するから待ってほしいと答え、その晩帰宅した父にその話をした。

「おじいさんで、本当に大丈夫なのか?」

とその点は気になるようだが、父は基本的にはインコの婿入りに大賛成。

同年代のメスの独身?インコがいるなんて、そんな都合の良い話など、なかなかない。

父も、自分がお嫁さん探しをサボっていたがために、セキセイインコが長年一人ぼっちで生活せざるを得なかったことを、申し訳なく思っているようだった。

 

しかし、父もその女性も、女性の叔母さん夫婦も、一点懸念があった。

それは、インコは気が強い、ということ。

せっかくお見合いをしてもインコ同士で大喧嘩、ということも想定された。

なので、

「先方の嫁さん候補とうまく行かない場合は、実家(つまり我が家)におじいさんインコを戻す」

ということになった。

人間も、インコのお見合いにあたり、いろいろ気を遣うのです…。

 

私としては、長年我が家にいたセキセイインコなので婿に出すのはとても寂しかった。

インコのお見合いが失敗し、『どうか我が家に戻ってきてほしい』と内心願った。

彼の幸せを考えたら、先方と気が合い、楽しく二人で一緒にいられるのがいいんでしょうけど。

 

そして、我が家のおじいさんインコはケージに入れられて連れて行かれ、お見合いに臨んだ。

 

数日後、またあの女性が我が家を訪れた。

「どうでしたか?うちのインコはお嫁さん候補に気に入られたでしょうか?」

母が尋ねると、その女性は顔をほころばせた。

叔母さん夫婦とおっかなびっくり、二羽を引き合わせてみたという。

 

「最初に二羽を同じケージに入れてしまうと、大喧嘩になった時に大変なので、まずはお嫁さんのケージと、彼のケージを同じ部屋に置いてみたんです。

そうしたらお互いに呼び合うんですよ。

だから、今度はケージを隣り合わせにしてみたんです。

そうしたら、ケージ越しに二人でくっついて、ずっとおしゃべりしているんです。」

 

驚いたことに、最初から二人(二羽)は気が合ったようで、ケージ越しでも楽しそうだったらしい。

それを見て、叔母さんがお嫁さん候補のケージに我が家のインコをおそるおそる入れてみたところ、二人で止まり木に並んでずっと一緒にくっついているとのこと。

一日中、二羽で楽しくおしゃべりをしているので、あまりに可愛らしく、引き離せなくなったという。

 

「じゃあ、おじいさんでも役に立ったわけですか。」

母が尋ねると、役に立つどころか、とても仲が良くて微笑ましいという。

こうして、我が家のおじいさんインコはめでたく他家へ婿入りを果たした。

出戻る必要もなさそうだ。

 

帰宅してその話を聞いた父も、我が家のインコが無事先方に気に入られたことが分かると、

「彼はずっと寂しかったんだろうな」とホッとしている様子だった。

私たち家族としては、寂しいような気もするし、セキセイインコの幸せを願う気持ちもあるし、複雑な気持ちを味わった。

 

多分、様々な偶然が重なったのもあるだろう。

彼がものすごく気が強かったり、あるいはお嫁さん候補のセキセイインコが彼を気に入らなかったりしたら、お見合いは失敗し、彼の独身生活は続いていたかもしれない。

彼も、人生の最後の方?でまさか独身生活から解放されるとは思っていなかっただろう。

本当はもっと早くお嫁さんを探してあげればよかったのだが、意外なきっかけで幸運に恵まれた。

人生とは分からないものだ。

 

 

 

 

主専攻を2つ

 

アメリカの大学のことをもう少し書いてみる。

 

日本でも良く知られているように、アメリカでは大学入学時には専攻を決めていなくてもよい。

興味があるものを勉強しているうちに、違うことを勉強したくなる場合もありますよね。

入学時に専攻が決まっていない人は、とりあえずLiberal Arts専攻、みたいなことにしておく。

 

アメリカの大学は2学期制、3学期制など、大学によって異なるのだが、2学期制を採用している大学が多い。

秋学期と春学期、といった具合だ。

2学期制の大学の場合、2年生の2学期、遅くても3年生の1学期までに自分の専攻を決めなくてはならない。

 

前述の通り、入学時には専攻を決めていなくてもよい。

少し勉強してみて、自分にその専攻が合うか合わないかを考えてみるわけです。

 

興味が絞り切れない場合は、「専攻を2つ持つ」とか、「主専攻を1つ、副専攻を1つ」なんてのもOKだ。

意外にも、「主専攻1つ、副専攻1つ」とか「主専攻1つ、副専攻2つ」という学生は多い。

 

ある日、私はある授業で知り合った、気は優しくて力持ち、みたいな男子学生と話した。

彼は何と、主専攻が2つ、副専攻が2つあるという。合計4つ!!

 

「ええっ?なんでそんなにたくさんあるの?」

 

と驚いて尋ねると、2年生の2学期までA学部とB学部で授業の履修を続けたが、急に気が変わり、C学部とD学部へ専攻を変えたという。

しかし、すでにA学部とB学部でかなりの必修及び選択科目を履修済み。

もったいないので、A、B、C、Dすべて生かすこととし、主専攻2つ、副専攻2つになったという…。

(これはやってはいけないパターンですね。こんなに履修していると4年では卒業できないかもしれん)

 

この、専攻を最終決定するのに時間がかかり過ぎた学生の例から見ても分かる通り、専攻を2つ持つには、当然ながら両方の学部の必修科目や選択科目を履修しなければならないのです。

これは、勉強も大変だし時間もかかる。

かなり大変です。

 

なので、学位を2つ取るなら、必修科目や選択科目が重複する学部を2つ選ぶのが正解。

例えば、政治学歴史学とか、経済学とビジネスとか、同じまたは似たようなジャンルの学部を選べば楽なわけです。

 

でも、こんな大変なことをやらなくても、「主専攻1つ」あれば卒業できるんです。

だからよほど興味が分散していない限り、専攻を2つなんてこと、やらなくてもいいのだ。

勉強が得意じゃない人は、楽をしましょう。

 

 

私の専攻の一つは(私も2つあったのです!)、国際関係学部だった。

入学時はなかなか同じ学部の学生が見つからず、

「一体誰が私と同じ学部なんだろう?」と思っていた。

よく授業で見かける学生に思い切って

「すみません、お宅、何学部ですか?」と聞いていたこともあった。

 

それなのに、なぜか「国際関係学部」専攻者はなかなか見つからなかった。

周りの親しい学生に「私は国際関係学部なんだよ~」と宣伝していたが、誰一人として「僕も」と名乗り出る学生はいなかった。

なぜだ…。

外交オンチのアメリカ人は、やっぱり「国際関係」には興味ないのかしら?とずっと思っていた。

 

ルームメイトは英文学専攻だったり看護学専攻だったり。

仲良くなる子は経済学、数学、幼児教育…と違う専攻ばかり。

うおお~誰が国際関係学専攻なんだ!

 

大学1、2年時には、「この学生と私の履修授業、結構かぶるなあ」という学生もいた。

そこで尋ねると「歴史学専攻」だったりして、ああ近いんだけど惜しい、という思いをいつも味わっていた。

4年時に私が履修した授業は、さすがに国際関係学専攻じゃなければ履修しないクラスが大半を占め、そこで「もしやこの子は?」と判明するケースもあった。

 

その中で、色白で賢そうなジェシー君という男子学生がいた。

彼は私より一学年下の3年生だったが、私が4年時に履修した授業で彼を見かけることが多々あった。

これだけ履修クラスが重複したので、私はひそかにあたりを付けていた。

ジェシーは国際関係学部専攻に違いない。」

 

ある時から、ジェシーは学食で、私が親しくしていたグループに合流して食事をするようになった。

私の仲良しグループは留学生たちと、留学生大好きアメリカ人学生で構成されていた。

日本もそうなのか分からないが、留学生に勇気を出して声をかけるアメリカ人学生はなかなかいない。

 

留学生はえてして孤立しがちだ。英語も間違ったりするしね。

そういう中で、留学生に気軽に話しかけてくれるアメリカ人学生の存在は、本当にありがたかった。

留学生と積極的に交わるジェシーは、もはや疑いなく?国際関係学専攻のはずだ。

 

ある日、グループに混じって楽しそうにご飯を食べるジェシーを学食で見かけた。

頃合いを見計らって、私は彼に聞いてみた。

「ねえねえ、よく同じクラスになるけど、もしかして国際関係学専攻?」

 

ジェシー君は賢そうな顔を微笑ませた。

「うん。ダブルメジャーだけどね。」

(つまり、主専攻が2つある、ということです)

 

私は続けた。

「へえ、すごいね。国際関係学部と、もう一つは何?」

私は、ジェシーのもう一つの専攻は経済学か、歴史、政治、その辺だろうと思っていた。

すると、ジェシーはにこやかに答えた。

「うん、医学部。」

 

おおっと。

意外な専攻が出てきて、私はびっくりした。

ジェシーは涼しい顔で続けた。

「医者になろうと思ってるんだけど、国際関係学もどうしても捨てがたくてね。僕、海外にとっても興味があるんだ。〇〇教授の東アジア史、取った?あれは面白かったよ」

 

なーるほど…。

私は色白のジェシーの顔を眺めた。

この子は(雰囲気で)絶対理系だと思っていたが、最近になって私が履修する授業に良く出没している。

なので、てっきり「そうか、もしや彼は国際関係学部か?」と思い込んでいた。

理系と文系をまたぐって方法もあるわけだ。

 

しかし…。

医学部は、日本でもそうだが、アメリカでも勉強がとっても大変な学部の一つだ。

それと両立できてるわけか。

うーむ。やはり私と頭の出来が違うんだなあ。

 

この時から、私はジェシーとよく話をするようになった。

おとなしそうなので全然話したことがなかったが、話してみると彼の「海外好き」は筋金入りだった。

(むしろどうして医学部?と思ったが、ジェシーの答えは『とりあえず医者になっておけば仕事はあるでしょ』だった。)

 

確かに、あれもこれも勉強したいのに専攻が一つだけ、って、勉強のできる学生にはつまらないだろうな。

普通は、分野が全く違う学部2つは履修が大変だから選ばないですけどね。

ジェシーくらい頭が良ければ大丈夫だろう。

 

そういう意味で、アメリカの大学システムは良く出来ている。

大学を中退した後、復学するのも簡単だし、何歳になっても簡単に入学できる(しかし卒業は大変だ)。

 

こういう柔軟なところが、アメリカの面白いところなんじゃないかと思う。

ジェシーも今頃は、アメリカの外交問題を患者さんとおしゃべりするようなお医者さんになっているかも。

好きなことであれば、大変でも頑張れる、ってことなんでしょうね。

 

トゥアレグ族とボロロ族

 

ニジェールの首都ニアメに行った時のこと。

ニジェールサハラ砂漠の南西に位置するため、遊牧民など様々な民族が存在する。

 

「ボロロ族って知ってる?」

ニジェール在住の友人に聞かれ、知らなかった私。

彼がわざわざアレンジしてくれたので、ニアメでボロロ族の男性の民族衣装やダンスを見ることができた。

ただダンスを見るだけなら普通の観光客と変わらないが、ポイントは彼らの着替えから見られたこと。

 

男性の着替えを見て何が面白いんだ、と思う人もいるかもしれない。

しかし、この民族は美男子コンテストを開催する民族。

女性に選んでもらうため、若い男性は美しく着飾り化粧をし、歌や踊りをするのである。

 

彼らの伝統的な化粧方法は、現代日本人が想像するのと少々違う。

頬を黄色く塗ったり、マスカラで目を強調したり、顔に模様を描いたり。

私たちは友人のおかげで、彼らの化粧からじっくり見せてもらうことができた。

 

化粧を顔に施し、飾りのついた伝統衣装や帽子をまとい、支度が出来ると、十人ばかりいただろうか、彼らの伝統的な歌を歌い、ダンスを踊ってくれた。

この民族は女性も美人コンテストをするのかというと、女性版はない。

美しく見せるのは男性だけなのだ。

 

さすが美を競う民族だけあり、化粧をした若い男性たちはカメラ目線でこちらを見たり、衣装をまとってモデルよろしくポーズしたり、美しく見せるに余念がない。

アフリカには色々な民族がいるんだなあ、とその時は思った。

 

ニジェールで最も有名な民族は、トゥアレグ族だろう。

彼らはサハラ砂漠遊牧民で、青いターバン、青い衣装をまとっている。

背の高い彼らが風に青い衣装をなびかせて砂漠を歩くのは、とても印象的だ。

遊牧民と書いたが、彼らの伝統的な生業は、「他民族を襲って家畜や家財道具を強奪すること」だ。

 

トゥアレグ族サハラ砂漠を渡り歩き、ほかの民族を襲って生計を立ててきた。

その過程でアフリカの黒人とも混ざり、黒トゥアレグと呼ばれる人たちもいる。

普通、イスラム教徒は女性がベールをかぶったり肌を覆ったりするが、トゥアレグ族は逆だ。

女性は肌を露出してもいいが、男性はきっちりと肌を隠す服装をしている。

 

ある日、私はニアメ市内を歩いていた。

テントのようなお店があり、見てみると手作りのアクセサリーを販売していた。

私が覗き込むと、奥からボロロ族の男性が出てきた。

「遠慮しないで入りなよ!どうぞどうぞ!」

と手招きされた。

 

テントに入ったら買わなくてはいけないのだろうか?

と思い、躊躇していると、「買わなくてもいいから入れ」という。

ま、多分入ったら一つくらいは買わされるんだろうな…と思いながら、テント内に入った。

 

すると、ボロロ族はやはりイスラム教徒。

「靴をはいたままでも構わないが、靴を脱いだらリラックスできるよ。靴を脱いだら?」

となった。

靴を脱いでしまったら、すぐに店を後に出来ないじゃないか…と思ったが、郷に入りては郷に従え。

勧められる通り靴を脱いでお邪魔することにした。

 

テントの中に入ると、たくさんのアクセサリーが並んでいた。

値段を聞くと、やはりニジェールは安い。

それを顔に出さないように、ふーんという表情で商品を眺めていると、案の定お茶が出た。

 

ニジェールイスラム教徒が非常に多く、彼らはお酒を飲まない。

代わりにミントティーを飲む。

紅茶にミントと砂糖を入れ、小さな炭起こしの上に水色や青い小さなティーポットを乗せて、お茶を沸かす。

それをガラスの小さなコップに入れて出してくれる。

ニジェールに行くと、いつでもどこでもミントティーを出される。砂漠に座っていても、だ。

日本で熱い緑茶が出てくるようなものだ。

 

若いお兄さんは私にお茶を淹れ、アクセサリーの値段を説明し、別の商品を奥から出して来てくれた。

私も靴を脱いでしまったので、ゆっくりくつろぐしかない。

床にあぐらをかいたお兄さんは、私にも床に座るよう手で示した。

「外国人はせかせかショッピングをするから駄目だ。お茶を飲んでゆっくりしないと」

お茶を飲んでゆっくりしたら、たくさん買わされるんじゃないの?

 

立っていた私はお兄さんに促され、お茶を飲むために床に座った。

すると正座した私を見て、お兄さんがきゃあと悲鳴を上げた。

「日本人はどうしてそういうラクダ座りをするんだ!あぐらをかけばいいんだよ。」

足を折る座り方はラクダしかしない、というわけだ。

いや、日本にはラクダはいないので、これが正式な座り方なんですけど。

むしろ、私はあぐらをかけないんだが。

 

体育座りをすると、お兄さんは妙な顔をして見ていたが、まあ、ラクダ座り(正座)よりはいい、とあきらめたようだった。

私はお茶をすすり、お兄さんが見せてくれる商品をあれこれ眺めた。

自分もお茶を飲みながら、お兄さんはリラックスしていた。

客より先にリラックスするわけか…ま、いいけど。

 

いくつかの商品を気に入ったので、買うことにした。

日本円にすると全部で300円くらいだ。

お兄さんは私が数点買ったので、上機嫌になった。

君はニアメに住んでるのか?など、よもやま話になった。

 

お兄さんはボロロ族だが、化粧をしないと普通の若い男性だ。

自分の生活について雑談を始めたが、しばらくして急に話題が変わった。

トゥアレグ族を知ってるか?」

 

サハラ砂漠と言えばトゥアレグ族だ。

知っているよ、と答える。

たいていの日本人は、トゥアレグの名前は聞いたことがあるだろう。

 

すると、お兄さんは忌々し気な顔になった。

「そうか、知ってるのか。あいつら、ひどいんだよ!僕たちボロロ族を砂漠で襲ったりするんだよ!」

そして、トゥアレグ族の悪口を言い始めた。

私はあっけにとられた。

 

お兄さんのトゥアレグ族に対する悪口はしばらく続いた。

内容は、

「あいつらほど怖いやつらはいない」だの、

「全財産巻き上げようとする」だの、

そんな話だった。

へえ、やっぱりトゥアレグ族ってそういう民族なんだ。

 

なんと返事していいか分からなかったので、適当に言ってみた。

「じゃあ、僕たちを襲わないでって言えばいいじゃん?」

すると、お兄さんは首を振った。

「そんなこと、言えるわけないじゃん。やつら、怖いんだよ」

 

砂漠で出会った民族を襲って財産を奪う、なんて伝統的なことをいまだにやっているのか。

それにも驚いたし、ボロロ族が抵抗できず、おめおめと家畜や財産を巻き上げられてしまうのにも驚いた。

美しさを競うぐらいだから、やっぱり軟弱な民族なんだろうか?と気になる。(偏見?)

こういう人たちが一つの国で共存しているなんて、それも不思議だ。

 

いや、共存しているわけでなく、他の民族が我慢しているだけなんだろう。

それに、トゥアレグ族はサハラのあちこちへ出没するので、どの国に所属しているのか分からないし。

 

強さを誇るトゥアレグ族から見れば、抵抗できないボロロ族はいいカモなんだろうなあ。

私も美男子は嫌いではないが、美男子が必ずしも民族を守れるわけではないんだな、と何だか複雑な気持ちがした。

 

皮肉屋の韓国人の友人がよく言うが、

「韓国ドラマを見過ぎてる日本人は、韓国の男は全員イケメンと思っているけど、そんなわけない。むしろ不細工の方が多いし、不細工な男だって兵役にとられるんだよ。」

 

はいはい。民族を守ってくれるなら不細工でも結構。

でも、若い男性が一生懸命自分の見栄えを良くしようと頑張っている姿は、可愛らしく見えなくもない。

 

そう言えば、この記事を書くために改めて調べたら、ボロロ族はトゥアレグ族の支系らしい。

ってことは、この2つの民族は、もともとは同じ民族なのか?

双方とも、またえらく違った方向に発展していったものですね。

クリスマスの訪問者

 

またまたアメリカの話で申し訳ない。

クリスマスについて、一つの思い出を書く。

 

大学生の頃、学生寮に住んでいたことは前述した。

ある12月の寒い週末、私は学生寮で期末試験のため勉強をしていた。

 

部屋にいると、コンコン、と誰かが私の部屋のドアをノックする音が聞こえた。

私は机に向かったまま、「Come in!」と声をかけた。

 

しかし、誰も入ってこない。

あれ?気のせいかな。

確かにノックの音が聞こえたんだけど。

 

気を取り直してまた机に向かった。

すると、コンコンコン、とまた小さなノックの音が聞こえた。

「Come on in!」

私は椅子に座ったまま、後ろをクルリと振り返ってドアに声をかけた。

しかし、誰も入ってこない。

 

一体誰だろう?

たいていの学生なら、「どうぞ!」と言われたらすぐにドアを開けて入ってくるものだ。

私は椅子から立ち上がり、歩いて行ってドアを開けた。

 

ドアを開けると、そこには小さな少年が立っていた。

みると、彼の隣にはさらに小さな妹が立っていた。

 

学生寮にこんな小さな子どもがいるのか?

多分、年の離れた大学生のお姉ちゃんの部屋を訪ねてきて、部屋を間違ってしまったんだろう。

私は優しい気持ちになって、しゃがんで少年の顔を見た。

 

「どうしたの?誰かの部屋を探してるの?」

私が尋ねると、少年は首を振った。

そして、左手に持ったブリキのバケツを見せた。

「クリスマスのお菓子を売ってるの。」

 

見ると、彼の左手に持ったバケツ型のブリキ缶の中から、トナカイの顔のお菓子がたくさん顔を出していた。

彼は左手にブリキのバケツを持ち、右手に妹の手を引いていた。

 

「このお菓子、どうしたの?」

不思議に思って、私は尋ねた。

よく、アメリカではちょっとしたイベントやチャリティ、あるいは高校生のアルバイトで、クッキーやピンクレモネード(ピンク色に着色したレモネード)を販売することがある。

そういう場面を見かけると、私は(お金がないながらも)快くお金を出すようにしていた。

値段はさほど大きくはないし(たいていが25セントとか50セント、高くても1ドルとかだ)、高校生が働いて金銭を稼ぐ大変さを学ぶ意味もある。

チャリティなら、なおさらお金を出すようにしていた。

 

少年は、お母さんがそのトナカイ顔のお菓子を作ってくれたのだと説明した。

私は、ブリキのバケツからトナカイを一本、抜き出してみた。

 

アメリカのクリスマスアイテムの一つに、ステッキ型のアメがある。(Candy caneと呼ばれているアレです)

そのアメの上の曲がった部分にモールを結び付け、角のように上に曲げ、前から見るとトナカイの顔に見えるよう、手芸用の目玉が二つ、横にくっついていた。

なかなか良く出来ていて、ユニークな顔をしたトナカイたちがたくさんバケツに入っていた。

一つ25セントだという。

 

「うわ、かわいいね!トナカイじゃん!」

キャンディを見た私が喜ぶと、少年も顔をほころばせた。

妹もがっちりお兄ちゃんの手を握っている。

 

それにしても、高校生のアルバイトにしては若すぎるよね…。

私は改めて、この小さな訪問者たちを見た。

年齢を聞くと、少年は4歳、妹は2歳だという。

子どものネグレクトに大変厳しいアメリカで、まさか彼らだけでここまで行商に来るわけがない。

 

私は彼らの年齢を聞いて少々不安になり、お母さんとはぐれたなら私が探してあげた方がいいのでは?と思った。

「お母さんはどこ?」

と尋ねると、下の駐車場で待っているのだという。

 

ますます不思議に思い、

「どうして今日、この学生寮に来たの?」

と聞いてみた。

すると、少年はこんな話をしはじめた。

 

クリスマスが間近になり、僕はお母さんに何かプレゼントを買ってあげようと思い立った。

お母さんはいつも僕たちのために、一生懸命働いているからだ。

(彼のお母さんは、シングルマザーなのかもしれないですね)

 

僕はお母さんにプレゼントを買うために、お母さんにお願いした。

「お母さん、1ドルちょうだい。」

すると、お母さんは何のためにお金が必要なのか、と僕に聞いた。

僕は「お母さんに、クリスマスプレゼントを買うためだよ」と答えた。

 

お母さんは僕にこう言った。

「お金を稼ぐことは、本当に大変なことなのよ。誰かに『お金ちょうだい』と言えば、もらえるものではないのよ。」

そして、お母さんはこう僕に提案した。

 

「お母さんが、クリスマスのお菓子を作ってあげる。それを自分で売ってみなさい。売り上げがあれば、あなたはプレゼントを買えるでしょ?売れなければ、あなたの稼ぎはないわけだから、プレゼントは買えないのよ。」

 

お母さんはステッキ型のキャンディを買い、手芸品店でトナカイの角や目玉になるアイテムをそろえた。

そして、お母さんはキャンディで丹念に一つずつ、トナカイの顔を手作りした。

 

今日は、お母さんが車で大学まで僕たちを送ってくれた。

「ここは大学の女子寮だから、学生のお姉さんたちが買ってくれるかもしれない。自分の力で頑張って売ってみなさい。」

と言われ、送り出された。

今、お母さんは僕たちを下の駐車場で待っている。

僕と妹はお姉さんたちの部屋を回って、トナカイのお菓子を売っているところなんだ。

今日は週末で、お姉さんたちは部屋にいないみたいなんだけど。

 

なるほど。

少年の話を聞き終わって、私はようやく彼らがなぜここにいるか理解した。

お母さんとしては、お金を稼ぐ大変さを自分の息子に教えるため、キャンディや手芸用品を買ったり、トナカイの顔を作ったり、息子を車でここまで送ったり、こんなに時間も手間もかかることをやったわけだ。

『お金ちょうだい』と言われ、面倒くさいな~と1ドル札をぺらっと渡してしまうのと訳が違う。

『お金を稼ぐ大変さ』を息子に教えるのは、なかなか大変なことなのだ。

 

なるほど(状況が分かると、さらに感慨深い)。

私は目の前の少年と、彼の妹を改めて見た。

時間をかけて息子と娘に大事なことを教えてくれる、いいお母さんじゃないの。

 

しかし、4歳でしょ。

…って、年齢は関係ないのかな。

 

私も日々アルバイトで疲労困憊しているので、お金の大切さは身に染みているつもりだが、しかしそれでもアメリカ人は徹底しているなあ…。

周りのアメリカ人の学生が、徹底して『親からお金をもらわない』学生生活をしているのを普段目にしているが、そのルーツはこの年齢までさかのぼるわけだ。

 

私は少年の話を聞き終え、トナカイのお菓子を買った。

そして、

「今日は土曜日だから、ほかのお姉さんたちもいるかもしれないよ?頑張って部屋を回ってごらん。」

と言って、彼ら二人を部屋から送り出した。

 

学生寮の内部といえど、彼らは4歳と2歳。

隣の部屋をノックするも、不在。

次の部屋も不在。

私は心配になり、小さな子ども二人の姿をしばらく廊下で見守った。

すると、少年がノックした次の次の次の部屋から、大きな声が聞こえた。

「Come in!」

 

ずっと見ていると、やはり私と同じように女子学生が部屋から出てきた。

少年と妹を見て、そしてやはり同じように事情を聞き、トナカイのお菓子を手に取った。

「わー、かわいい!!トナカイじゃん!!」

やっぱり、女子はかわいいものが好きなんですね。

ちょっとホッとしました。

 

その女子学生が、通りがかった他の学生を呼び止め、数人の女子学生が少年と妹を取り囲んだ。

突然現れたかわいい訪問者に、女子学生たちは質問を浴びせかけ、トナカイのお菓子を手に取った。

「一つ25セント?買う買う!」

「お姉さんが爆買いしてあげるよ!」

「いいお母さんだから大事にしなさい!」

「お母さんによろしくね!」

 

その様子を見て、私はなんだか自分の息子のように安心し、自分の部屋に戻った。

 

群がっている学生たちも、同じようにお金を稼ぐ厳しさを幼少時から親にたたき込まれているのだが、それを今味わっている少年をサポートしてあげたい、という気持ちが半分くらい混じっているのが私にも分かる。

アメリカ人のお金に対するシビアさはこうやって醸成されるのかなと思うと同時に、働いてお金を得ることを子どもに教えようとするお母さんに拍手を送りたい。

 

現実的な話をすると、キャンディや手芸用品を買った金額の方が、少年の売り上げより高いだろう。

でも、自分の力でお金を稼いだということが彼の自信につながるし、たとえ売り上げが1ドルしかなかったとしても、息子が働いて得たお金で買ってくれたプレゼントなら、お母さんはさぞかし嬉しいでしょうね。

 

 

 

ユーモアの力

 

アメリカの話が連続しているが、今日は別のテーマで記事を書く。

 

ユーモアは人間関係の潤滑油だ、と言われる。

確かに、切羽詰まった状況で冗談を言えると場の雰囲気を変えることが出来るし、誰かの気持ちを救うことも出来る。

人を笑わせることが出来るのは素晴らしい才能だ。

 

私がアメリカの大学生だった時、通っていた大学の裏で事故が発生した。

爆発事故だったのだが、幸いにして学内のけが人はなかった。

 

ある2月の寒い朝

前夜遅くまで(というか、その日の明け方まで)私は経済学の試験勉強をしていた。

就寝し大爆睡。いつもバイトでくたくたになっていた。

 

突然、暗闇で目が覚めた。

私は子どものころから、地震の発生する2秒前くらいに目が覚める性質だ。

その時もなぜ目覚めたのか分からず、布団をひっかぶって再度寝なおそうとした。

 

すると、一瞬部屋がぐにゃりとゆがんだ。

へ?地震

時計を見ると、まだ朝の4時台だ。

 

見間違いかと思いながら布団から首を出していると、再度部屋がぐにゃっとなり、元に戻った。

アメリカにも地震があるのか…)

慌てて飛び起き、カーテンを開けると、空がオレンジ色にピカピカ光るのが見えた。

まさか、アメリカ政府はついに核弾頭を発射した?

わけないよね…。(考えすぎ)

 

しかし、2月の暗くどんよりした灰色の空が、再度オレンジ色にピカピカ光ったのを見て、私は悟った。

何か月か前、アメリカ人の友人たちとドライブに行ったとき、ある州の荒野にミサイルが並べてあったことを思い出した。

あれは仮想敵国へ向けて設置してあるのだと聞いた。

あれだよ…。

 

私は考えた。

どういう魂胆か知らんが、たった今アメリカは某国へ向けてミサイルを発射した。

ミサイルが先方に命中し、激怒した先方がアメリカへ向けて迎撃ミサイルを撃つまで、もう少し眠れるはずだ。

じゃあ、もう少し寝よう。

 

当時の大統領の顔が浮かんだが、いかんせん睡魔には勝てない。

布団にもぐると、部屋の外、つまり学生寮の廊下から話し声が聞こえた。

今の地震で、どうやらほかの学生たちが起き出したらしい。

私は「地震ごときでアメリカ人は目が覚めるのか」と思ったが、偵察のために起きることにした。

 

部屋のドアを開けると、廊下は真っ暗だった。

何人かの女子学生(私は女子寮に住んでいた)が、廊下に出て話をしていた。

情報収集のため、私も部屋から出て皆に合流した。

 

しばらく廊下にいて他の学生としゃべっていると、どんどん学生たちが部屋から出てくるのが分かった。

そうしていると、フロアの奥から寮監さんがやってきた。

彼女は50代くらいの女性だったが、普段のテキパキしたスーツ姿と異なり、セクシーなネグリジェ姿だった。

 

「停電してるのよ。みんな、全員いるかどうか確認して。トイレも流せないからね。」

寮監さんは、RA(Resident Assistant)の学生にそう指示すると、停電の発生した原因を確認すべく階下へ降りて行った。

パニックになっている学生もいたし、泣いている学生もいた。

RAが暗闇の中で人数を数え、まだ部屋から出てきていない学生を呼びに行った。

 

そうしている間に、なぜか男子学生が2人やってきた。

彼らは男子寮に住んでいる学生たちだった。

「爆発事故が起きたから、みんなで避難するよ。いいかい、15分で着替えて、貴重品を持ってここに集合して。僕たちが誘導するから安心して。」

 

私の階に来た2人組のうち、一人は私の友人の学生だった。

男子寮は爆発現場から最も遠かったのだが、事故の大きさに驚いた男子学生たちが、手分けして女子寮の様子を見に来たらしい。

誘導に来た友人は、のび太君みたいな人懐こい男子だったが、この時ばかりは(当然ながら)頼もしく見えた。

 

我々は各自の部屋に戻り、避難する支度を15分で整えた。

私は部屋に戻ってジーンズをはき、厚手のジャケットを羽織り、パスポートと財布をカバンに入れ、布団を抱えた。

この時の外気温、マイナス40度。

 

いったん、女子寮の向かいにある建物の教室に集合したが、消防士がやってきて、「まだ爆発が続いていて、二次災害のおそれがある」と言う。

学生たちは三々五々、スクールバスや軍隊の車両などに乗り(すでに救急車や軍隊が出動していたのだ)、市民センターなどの公共施設へ避難した。

スクールバスを運転していたのが別の友人(学生)だったので、思わず「アメリカってすごいな」と感心してしまった。

非常時には手分けして、自分のできることをやるわけだ。

 

私は、陸軍の兵器格納庫に収容された。

格納庫といっても、体育館並みの大きさだ。

そこには、爆発現場近くに住む近隣住民も大勢避難していた。

陸軍からドーナツとコーヒーが配られ、私は布団にくるまって冷たい床に転がった。

 

だだっ広い兵器庫の中に、数本の架設電話が引かれた。(さすが軍隊、やることが早いですね)

実家が近くで帰省できる学生は、家族に迎えに来てもらって帰った。

私は当然、日本へ帰るわけにはいかず、市内に住むアメリカ人の友人に電話し、家に泊まらせてもらうことになった。

 

その友人宅でテレビを見たり、ほかの友人と電話で話したりして分かったことだが、爆発事故は予想外に大きく、女子寮のほとんどの部屋のガラス窓は爆風で吹き飛ばされていた。

後日、キャンパスに戻って荷物を整理したときに確認したが、窓ガラスが吹き飛ばされなかった部屋はわずか2部屋。

そのうちの一つが私の部屋だった。

他の学生は、寝ていたら、爆風で割れたガラスが自分の上に降り注いだという。

だからみんな、恐怖で泣いていたのです。

 

その日の夜。

緊急連絡網?で、「〇〇にある教会で、今晩6時から大学の説明がある。来られたら来るように」と聞いた。

そこで友人たちとその説明会に参加すべく、教会へ行った。

 

事故から約1日近く経って、知っている友人たちに会うのが嬉しかったが、誰しもが「大学はいつから始まるのだろう」と口々に話していた。

その日の昼のテレビのニュースで、大学の裏で発生した大規模な爆発事故が報道された。

学生寮だけでなく、図書館や体育館もガラスが割れ、爆発で吹き飛んだ貨物列車の塊がキャンパス内に降り注いだ。

めちゃくちゃになった無残な大学が映し出されて、不安になるのは当然だ。

私も、本当は今日が経済学の中間試験だったので、それがどうなるんだろうかと気になっていた。

 

集会には多くの大学関係者が出席した。

壇上に上がったのは、学部長と学生課担当の若い神父さんだった。

私の大学はキリスト教系の大学だったので、学務を担当している神父さんが何名もいたのだ。

 

はげあがった学部長から、今回の爆発事故の概要と、大学がしばらく休学になることの説明があった。

その後、質疑応答の時間になった。

 

学生から学部長と学生課に対し、質問が相次いだ。

質問の尽きない学生に対し、大学も学生を満足させる答えを必ず与えられるわけではない。

学生の質問にネガティブな言葉が混じるようになり、その集会の雰囲気はだんだん険悪になっていった。

 

すると、私の近くにいた同級生の女子学生が挙手をした。

学部長と神父さんは彼女を指名した。

「はい、じゃ、次は君。」

エレン(その学生)は、立ち上がって大きな声で質問をした。

「すみません、教えてほしいんですけど…私はあの女子寮に住んでいました。いつになったら女子寮に入れるでしょうか?生活必需品を取りに行きたいんですけど。例えば、パンツとか?」

 

パンツ、のくだりで、どっと笑い声が上がった。

険悪だった雰囲気が、一瞬和らいだ。

 

質問を受けた若い神父さんは、真っ赤になった。

「ぱ、ぱ、パンツ、ですか…せ、生活必需品、の?」

(注:神父さんは女性と結婚できず、一生独身を義務付けられる人生です)

 

若い女性からパンツの話をされ、あたふたする若い神父さん。(今どき、そんな男性もいるんですね)

耳まで真っ赤になった神父さんを、珍しいものでも見るように、隣に立った学部長が眺めていた。

 

神父さんは、もごもごと何かを言おうとしているが、顔が赤くなっているのを皆に見られ、ますます緊張してしまった。

それを見て、学部長は助け船を出した。

「皆さん!神に人生をささげた聖職者にとっては、パンツなぞは生活必需品ではないのです…」

 

するとますます会場が沸いた。

「パンツは生活必需品だ!」

「聖職者にとっても必需品だよ!」

どうでもいいヤジが相次いだ。

その場の雰囲気が一気に和やかになった。

 

私はこの時のアメリカ人の強さに、なぜか心を打たれた。

大きな災害が起きて避難生活を強いられ、みんながいらいらと神経が高ぶっている時に、面白いことを言える(そして、それに対して面白く返事が出来る)のは、アメリカ人の国民性なんだろうか?

日本でこんなことを言ったら、「真面目に質問しているのに不謹慎だ」「ふざけている」と怒られてしまうだろう。

 

しかし、このパンツ発言、そして「聖職者にとってパンツは必需品ではない」発言のあと、参加者(学生と保護者、関係者)の雰囲気が一気に良くなり、大学と協力してこの難局を乗り切ろう、という雰囲気になった。

ユーモアのパワーを見た気がした。

 

海外で災害に遭い避難生活をするというのは、しなくて済むならしない方が良い体験だ。

でも、こういう体験をしたおかげで、アメリカ人の強さを垣間見る機会となった。

日本では、幸いにも避難生活を経験したことがないのだが、非常時のユーモアは、(上手にタイミングよく言えれば)人の心を和らげることが出来るんじゃないかと思っている。

ルカ君のこと

 

初めてアメリカへ行ったとき、当然ながら多くのカルチャーショックがあった。

大学生の時に親しかった、ルカ君のことを書いてみたい。

 

アメリカの大学の新学期は秋から始まる。

英語に自信のなかった私は少し早めに渡米して、コロラド州の小さな大学でサマークラスを履修した。

アメリカの大学は編入や転学、単位のトランスファーが大変容易だ。

私が行った大学にも、全米から多くの学生がサマークラスを履修するために集まっていた。

 

ルカ君とどういうきっかけで知り合ったのか、今となっては覚えていない。

同じクラスだった記憶もない。

いつの間にか顔見知りになり、仲良くなった。

 

ルカ君は高校を卒業し、今秋からカンザス州の大学へ入学する予定だった。

高校卒業して大学へ入るとなると19歳かと思いきや、彼は当時17歳くらいだった記憶がある。

大学に入学後に18歳を迎えるとか、そんな感じだった。

つまり、同級生だが私より年下だった。

 

彼はいわゆる気のいいヤツだった。

英語が得意でない日本人留学生(私だ)の英語も辛抱強く聞いてくれて、間違いを笑ったりすることもなかった。

とても人懐こく、あっという間に日本人留学生やアメリカ人学生たちと仲良くなった。

私はアメリカで、初めて友達らしい友達を得た気がした。

 

最初は楽しい話をいつもしていたが、だんだん親しくなると、彼はまじめな話もするようになった。

カンザス州の大学へ進学するのに、どうしてコロラド州の大学でサマークラスを取ってるの?」

とルカに聞いたことがある。

彼は少し恥ずかしそうな表情をしたが、思い切った様子で私にこう言った。

「実は、お母さんの再婚先がこの町なんだ。」

 

「どういうこと?」

と尋ねると、ルカのご両親は離婚しているという。

お母さんが再婚し、この町に暮らしていると風の便りに聞いた。

この町にいればお母さんに会えるかも、と思い、サマークラスだけこの町の大学で取ることにしたのだという。

 

ルカにはお父さんが2人、お母さんが3人いた。

つまり、両親が離婚と再婚を繰り返した結果、そうなったのだ。

現在、カンザス州で一緒に暮らしているお父さんとお母さんは、どちらも自分と血のつながりがない。

両親が離婚と再婚を繰り返した結果、あっちの親に引き取られ、今度はこっちに引き取られ、気づくとどちらも生みの親ではない、という「両親」達と一緒に暮らしていた。

 

私はうなった。

17歳にして、お母さん3人か。

するってえと、6、7年に一度は親が離婚するわけだ。

アメリカでは2人に1人が離婚するっていうけど、ホントなんだ…。

今まで自分の周囲に「親が離婚した」という友人がいなかったので、アメリカの現実に頭をハンマーで殴られたようなカルチャーショックを受けた。

 

この時、ようやくルカの人懐こさの正体が分かったように感じた。

こうやって誰とも仲良くやっていかないと、自分の居場所がなくなってしまうのだろう。

 

ルカは留学生が好きだった。

東洋人と見ると気おくれして、遠巻きに見るような白人学生が多い中、ルカは積極的にアジアからの留学生に話しかけていた。

 

ルカは、「アジアの留学生は優しいから好きだ」と常に言っていた。

「そんなことないよ。アメリカ人だって優しいじゃないの?」

と言うと、彼は首を振った。

アメリカ人は自分中心でわがままだ。アジアの人たちは穏やかで相手への配慮がある。僕はアジアの文化を尊敬しているんだ」

と言う。

 

サマークラスが終わり、ルカはカンザス州へ帰っていった。

別れ際に、「お母さんと会えた?」

と尋ねると、急に表情を曇らせた。

「どうしても会いたくて訪ねて行ったけど、『もう二度と来ないで』と言われた。だから、僕はこの町に来ることはもうないと思う。」

 

それからしばらく彼と連絡を取り合っていたが、「アジア好き」を公言していた通り、ルカはブルネイ人の女子留学生と学生結婚した。

奥様はやっぱり?大家族出身らしい。

ルカが今も幸せに暮らしていることを願っている。

 

もう一人、大学4年の時に親しかったショーン君という子がいる。

彼は、カリフォルニア州出身だった。

おとなしくて引っ込み思案な性格だったが、彼もなぜかアジア人留学生が好きだった。

 

彼は不思議な子だった。

さすがに私も大学4年ともなれば、英語でのコミュニケーションに支障があることはないのだが、文化的に相いれないものをアメリカ人に感じることはよくあった。

しかし、ルカやショーンはアメリカ人でありながら、考え方や人への接し方がなんとなくアジア人ぽかった。

 

私が一人で学食でご飯を食べていると、ショーン君がトレイを持ってきて私の隣や前に座る。

二人でおしゃべりしながら食べていると、周りにどんどんアメリカ人学生や留学生が座る、といった具合だった。

留学生が好きなアメリカ人は、留学生の英語がさほど上手でなくても辛抱強く聞いてくれる。

そういうアメリカ人学生がいると、留学生は心底ホッとできるのだ。

 

ショーン君がどうやって私と親しくなったか、それも実は覚えていない。

彼と私は、一度も同じクラスを履修したことがなかった。

(つまり、専攻が全然異なっていたわけです)

彼はいつの間にか私やほかの留学生、韓国、ネパール、フランス、ガーナなどから来た学生たちと親しくなっていた。

 

ショーンはカリフォルニア州出身なので、多国籍の移民に慣れているのだろうと私は勝手に想像していた。

しかし、ショーンが留学生を好きな理由は、すぐに分かった。

彼は、高校時代の大親友が台湾人だったのだ。

 

「パロアルト(ショーンの出身地)を、よく二人で歩き回ったんだ。二人で冗談を飛ばしながら、その辺で買ったお菓子を食べながらさ。」

ある日、ショーンはどうして自分はアジアからの留学生が好きなのかを説明してくれた。

その台湾人の大親友が本当にいいやつだったおかげで、ショーンの孤独にずっと付き合ってくれたおかげで、彼は両親が離婚した寂しさを紛らわすことができた。

 

そういえば、ルカも両親が離婚しただけでなく、新しいお父さんに暴力を振るわれて大変だった、という話をよくしていた。

お父さんの暴力から逃げておばあちゃんちへ行ったり、お父さんの暴力の怖さを紛らわすため、コカイン等様々なドラッグへ逃げ込んだりしたという。

そういう寂しさの中で、アジアからの留学生は(ルカ曰く)「伝統的な家族の良さや、愛情深く両親に育てられたが故の優しさ」を持っているように感じたのだという。

 

アメリカで暮らしていると、「自分が生まれたときの両親がいまだに一緒に暮らしている」という人には、めったに会うことがない。

それくらい、離婚が一般的だということなんだろう。

 

「両親は結婚以来、一度も離婚していない」とか、

「自分の今の両親は、どちらも自分の生物学的親(つまり離婚していないから)」

というアメリカ人に会うと、あまりに珍しすぎて、(このご両親、何か問題があるのだろうか)と逆に変な心配をしてしまう。

でも、ルカやショーンの例を見ても分かるように、たとえ一度の離婚であっても子どもにとっては苦痛以外の何物でもない。

 

昨今、アメリカではアジア人に対する憎悪犯罪が増加しているようだが、自分と違う外見、自分と違う文化の人と親しくなるのは、確かに結構ハードルが高い。

若いころに親しくなった相手のことは好感を持って記憶するようになる、としたら、若いころにいろいろな国籍の人と仲良くなることが、どれほどその人の人生に影響を及ぼすか、容易に想像がつく。

 

最近は「アジア人を攻撃するな」と反人種差別デモに参加する若いアメリカ人も増えている。

それを聞くと悪いことばかりでもないと思うし、ショーンやルカのように、自分たちと異なる文化を持つ人に敬意を持ったり、親しみを感じたりアメリカ人は、着実に増えているんだろうと思う。