オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

腹巻

 

腹巻をするようになった。と以前も書いた。

 

お腹を温める効果については、色々あるようだ。

風邪を引いた時お腹を温めると良いとか、そんなことを聞いたことがある。

 

最近気づいたが、自分は冷え性らしい。

夏でも足やお腹が冷たくなっている。

腹巻をしたら、冷え性に対応できるんではないかと思った。

そこで腹巻を購入した。

そして下着の上に腹巻を着用するようになった。

 

でもねえ。

腹巻が体にいいことは頭では理解できるが、夏場は暑いんですよ。

汗をかいたり、肌にくっついて腹巻が巻き上がったり。

 

第一、腹巻をしているとトイレ時にややこしい。

どれが腹巻でどれが下着か確認せず、上げ下げしてから「うっ腹巻じゃん!」と気づくこともある(ガサツなだけですが…)。

 

そんなこんなで、夏場は腹巻から遠ざかっていた。

しかしお腹にさわって気づく。

ああ、また冷えているなあ…と。

 

湿気の多い夏の日本で腹巻。

どうも現実的じゃないが、どうしたら夏場にお腹を冷やさずに済むんだろう?

 

職場で20代女子と話したら、彼女も腹巻愛好家だった。

今のファッションの流行はきつく締めあげるものではなく、ゆったりしたカジュアルなデザインが多い。

その流れなのか、下着も「無理しない、締め付けない」という傾向になっているようだ。

ゆったりしたデザインの服だと、体の線が出にくいのがいいですよね。

 

体の線を強調しないデザインの服のおかげで?彼女は腹巻を一日中着用出来ているのだという。

時代は変わったものだなあ。

 

女性には冷え性が多い。

女性同僚たちも、色々工夫しているらしいことが分かった。

というわけで、世の中の全女性同様、私も「快適な腹巻着用方法」をずっと模索していた。

 

この状況に活路が開けた。

某安価衣料チェーン店で発見したのだ、便利アイテムを。

それは下着と腹巻が一体化した商品で、「腹巻付きパンツ」という商品名である。

パンツの上部が長くなっていて、見かけはガードルに似ていなくもない。

 

補正下着であるガードルだって、お腹をカバーする。

じゃあガードルだって温める効果があるんじゃないか?と多くの人が考えるだろう。

 

でも、パンツの上にガードルなんて夏場は暑くて仕方ない。

だいたい、あんなきつい下着にわがままボディが入るはずがない。

それにあれは「体型を補正」、つまりお腹をひっこめて見せる代物。

お腹を温めることが主眼の商品ではない(という言い訳)。

 

そこで、前出の「腹巻付きパンツ」だ。

最初は半信半疑だった。

「買ってもガードルみたいに暑苦しかったら、二度とはかないよ」と思っていた。

なので、1枚しか買わなかった。

 

これは優れモノだ。

ちゃんと温かいし、基本的にはパンツなので締め付けることもない。

今まではパンツの上に別途腹巻を着用、つまり2枚必要だった。

しかしこれからは「腹巻付きパンツ」1枚で事足りるようになった。

 

トイレ時が楽になっただけではない。

今まで下着と腹巻と2枚着用していた時は、ズボンやスカートの腰回りがもこもこすることがあった。

それが「腹巻付きパンツ」を着用すればスッキリ!

 

そして話は変わる。

皆さんは覚えているだろうか、私が「睡眠オタク」であることを。

人間の生命維持に必要な3つの行為といえば、運動・食事・睡眠。

この「睡眠」に私は命をかけているのである。(って大げさだが…)。

 

揚げ物は週2回くらいがいいとか、運動は最低でも週2回すべしとか、いろいろな健康法がある。

しかし、睡眠は毎日やらなければならない。

毎日眠って体を修復し、疲れをいやすからこそ、翌日元気に活動できるのである。

3つの行為のうち、私にとって最も重要なのは睡眠なのである。

 

が、しかし。

私は毎晩「眠らなくちゃ眠らなくちゃ」と呪文のように考え、結果として眠れないことが多い(←やり過ぎなんだよ)。

だから「眠れないときにどうするか」という対応策も、新聞・雑誌・ネット記事からたくさんメモってある。

 

例えば、考えすぎて眠れなくなったら。

「STOP」と書かれた標識を思い浮かべ、考えをめぐらせるのをやめる、とか。

眠りにつく前の行動をパターン化して、脳に「今から眠るぞ」と思わせる、とか。

(パジャマに着替える、歯を磨く、スマホから離れる、静かな音楽を聴く、寝室を暗くする等)

頭皮をほぐして頭をリラックスさせる、とか。

 

様々な「入眠法」が世の中にあふれていて、そのどれをも試してきた。

しかし、そのどれもが私にとってはさほど効果が無かったのである。

 

困ったぞ。

現代人は考えすぎと言うが、私は典型的な「考えすぎ人間」だ。

「こうすれば眠りにつきやすい」というあれこれをやるのだが、どうしても簡単に入眠できないのだ。

 

今まで入眠を楽にする効果があったのは、「肉体的に疲れること」だった。

登山したとか、引っ越しで重い荷物を運んだとか、長距離を歩いたとか、筋トレとか。

肉体を酷使した時だけ就寝即入眠する。

当たり前と言えば当たり前なんだが、やっぱり肉体疲労はいいですよ。

食事もおいしいし、布団に入ってコテンと眠れる。

(私の場合は、24時間365日食事がおいしいんですけどね…)。

 

脱線したが、そういうわけでなかなか寝付けない自分。

しかし、発見したのだ(←これが本日の記事でもっともお伝えしたかったこと)。

なんと、「お腹を温めると眠れる」ということに。

 

どういうことか説明したい。

布団に入り、「眠らなくては」と悶々と考える。

そして「あ~眠れなくなったよ」というのが常のパターン。

 

しかし、ここでベッドを降り、タンスから腹巻を取り出して着用。

そして就寝すると、あら不思議。

こてっと眠れてしまうのである(私だけ?)。

 

理由はよく分かりません。

腹巻をしたら安眠出来た、という研究結果もきいたことが無い。

しかし私の場合は、「お腹を温める」と確実に眠りにつきやすくなる。

 

個人差があると思うので、腹巻作戦は「誰もが入眠できる百発百中の入眠法」ではないかもしれない。

しかし、あれこれ試してダメだった私でさえ、腹巻で入眠しやすくなったのである。

やはり何らかの医学的根拠があるんではないかと思っている。

 

入浴するのも、安眠に効果があるとか聞く。(シャワーでは不十分です)

お風呂は肉体のリラックス効果と体を温める効果と二重に効果があって良いそうです。

なので、ベストな正解はたぶん、「入浴→腹巻を着用し、体を温めて就寝」なんだろうと思う。

 

冬の寒い日に、靴下を着用すると足の冷えがおさまり、眠りにつきやすくなる。

腹巻入眠法はあれと同じ原理なんだろうか?

健康飲料のCMに、「腸と脳は関係がある」とか言っている。

もしや、腸を温めると脳がリラックスするんだろうか?

 

ところで、私の理想はバカボンのパパが着用している腹巻だ。

あんな昭和っぽいアイテム、もはやどこにも販売していない。(巣鴨なら売っているかも?)

あれを着用したら、スカートやスーツを着ることは不可能だろうなあ。

 

いずれにせよ、体を温めて悪いことはなさそうだ。

気のせいか、腹巻を着用していると便通もいいような気がする。

 

あと、これは完全に気のせいと思うが、お腹をさすって温めるとリラックス効果があるように思う。

ふわ~っと気持ちがゆったりしてくるのだ。

お腹を温めることがどう脳に関係してくるのか分かりませんが、私は試験前にお腹をさすったりしています。

 

というわけで。

今までは下着(パンツ)+腹巻、だったが、今では頼れる「腹巻付きパンツ」だ。

買ったら意外にも良かったので、もう一枚買いたい。

 

腹巻付きパンツの健康効果も、もっと世の中に評価されていいと思う。

今後、医療分野がさらに発展し、腹巻や靴下みたいな「ファッション×健康」分野の商品が増えてくることを期待。

風邪を予防し快眠と便通を促進し、リラックス効果もあるなんて。

腹巻のヤツ、いい仕事してるじゃないですかね。

 

 

カルピスを作った男

 

カルピスと言えば、日本人なら誰もが一度は飲んだことがある国民的飲料だ。

 

そもそも乳酸菌飲料は日本の伝統的な飲み物ではない。

私は常々、「カルピスのルーツは何だろう」と不思議に思ってきた。

お茶なら中国、紅茶なら英国から日本へ入ってきたのだろうけどねえ…。

 

そしたら、この本である。

「カルピスを作った男 三島海雲」(山川徹著、小学館)。

案の定、カルピスのルーツは騎馬民族乳飲料だった。

 

まあ、ちょっと考えれば想像がつく。

日本の近隣国で牛乳(あるいはヤギや羊など獣の乳)を飲む民族と言えば、モンゴル人くらいしかいない。

やっぱりなあ…。

 

そんな感じで読み始めた本だ。

「カルピスを作った男」、その方は三島海雲(かいうん、とお読みするそうです)。

 

本名である。

大阪にある、浄土真宗の貧しいお寺の長男に生まれたそうである。

確かに僧侶っぽいお名前である。

 

カルピスの包装は水玉模様だった(昔の話ですが)。

もともとは青地に白の水玉で、天の川をデザインしたものだったそうです。

なぜなら、カルピスが発売された日は1919年7月7日。

 

うーむ。

モンゴルといい、七夕といい、天の川といい、ロマンチックですねえ。

カルピスってそういうヤツだったのか。

 

ところで、モンゴルモンゴルというが、本書ではモンゴル国を意味しているわけではない。

中国の一部となっている内モンゴルが、実際のカルピス発祥地なのだそうだ。

 

この地域の歴史や地理に疎いので、地図を広げて見た。

確かにモンゴル国の南には、中国領内に「内モンゴル高原」が広がっている。

カルピス創始者三島海雲は、この山岳地域を青春時代に「体に刻み込むように」旅し、晩年はそこを故郷のように語ったという。

 

三島は、子どもの頃吃音(どもり)に悩まされていた。

問題の多い父親、献身的な母親のもとで育つ。

体が虚弱で、母親は「体に良い」とされるありとあらゆることをやってくれた。

 

子どものころから英語が好きで習っていたが、成人すると中国大陸で日本語教師として働くことになる。

その当時は、大陸で一旗揚げようとする日本の若者が多かった。

三島青年は長い時間を中国で過ごし、ビジネスに参画するようになる。

そして内モンゴルに家畜や馬の買い付けにやって来て、鮑氏(パオ氏と読むそうです)宅に世話になる。

 

そこでご馳走になったのが乳製品だった。

初めて見る飲み物だが滋養強壮に良いと聞き、三島は実際に飲んでみる(もともと虚弱体質だしね)。

すると、「便通が良く」なり、「不眠症が治っ」たり、健康になったのである。

 

そこは海抜1,000メートルを超える高地で薬草も多く、家畜たちは滋養あふれる草を食べて育つ。

(だから良い馬も産出するわけですね)。

三島海雲はバター、ヨーグルト等、遊牧民が様々な乳製品を作るのを見て驚く。

そして、実際に自分が食べたら健康になったので、それら乳製品は体にいいのだと理解する。

 

三島は遊牧民の生活を観察し、彼らが乳をカメに蓄え、乳酸菌を自然に発酵させるのを知った。

そして、遊牧民から乳製品の作り方を教わるのだ。

 

その後、歴史は急速に変化していく。

外モンゴルが独立しモンゴル国となり、三島の手がけた綿羊事業もうまく行かなくなった。

日本に残してきた母も妻も亡くなった。

大陸は清朝から中華民国へと支配者が変わっていった。

三島は日本へ帰国することを決意する。

 

1914年、日本初の乳酸菌ヨーグルトが発売された。

「先を越された」と三島は思うが、内モンゴルの本場の味の方がよっぽどおいしいと気づく。

そこで「醍醐味」という名前の製品を作ってみる(このネーミング、さすがお坊さんですね)。

 

しかし一斗の牛乳から一升しか作れず、おまけに乳酸菌が生きているから貯蔵できない。

(昔は冷蔵庫というものが無かったので、仕方ない)

商品化向けではなかったのだ。

 

この商品のヒットには布石があった。

明治時代には「健康」に対する関心が高まり、乳酸菌が腸内に働きかけるのではと考える学者もいた。

なので、「醍醐味」が滋養強壮、健康にいい、というウリになったらしい。

 

「醍醐味」がうまく量産できないので、キャラメル等別の商品を作った三島。

他の乳製品を作ろうと試行錯誤中に、偶然カルピスが誕生した。

カルピスの試飲をお願いした人たちは、与謝野晶子夫妻、岡本太郎など多岐にわたったそうだ。

 

そして、世界で初めてビタミンB1を発見した東大教授の鈴木梅太郎が「カルシウムは体に良い」と言う。

んじゃあ、カルシウムを入れるか!

 

というわけで、カルシウムの「カル」仏教用語のサルピルマンダ(牛乳を精製する過程の5段階のことだそうです)の「ピル」をくっつけて、「カルピル」。

しかしこれが何となく、言いにくい。

「カルピス」にしてみると言いやすいので、「カルピス」にした。

ここでも仏教用語か~い!!

 

そして、前述したように1919年7月7日。

カルピスが販売された。

そのあとの売れ行きは説明不要。

 

2007年のカルピス社の調査では、なんと日本人の99.7%が「カルピスを一度は飲んだことがある」と答えたのだそう。

その後、メーカー各社は似たような飲料開発にしのぎを削り、ヤクルト等の飲料が発売されていった。

というわけです。

 

ところで一つ脱線させてほしい。

 

カルピス社のシンボルマークは、カルピスを飲む黒人を模したイメージだった。

これは、欧州の困窮した画家を救うため、ドイツ、フランス、イタリアの画家に向けた「カルピスポスターコンクール」と銘打ち、三島が企画し公募したんだそう。

優勝作品に賞金が与えられるだけでなく、落選した作品も展覧会で公開、競売にかけて売り上げを作者に送るという仕組みだった。

 

そして、1位の作品はポスター、2位の作品は雑誌広告、3位は新聞広告と用途が決まっていたという。

カルピスを飲む黒人のイメージは3位だった。

 

当時の新聞は白黒印刷。

カラー作品だとベタになってつぶれてしまうが、3位の作品は白黒印刷でも映えるものだった。

新聞広告は多くの人が目にするので3位の作品は幅広く認知され、カルピス社のロゴマークとして採用された。

 

と言う経緯があったのだそうだ。

しかし近年になって「黒人のイメージは人種差別に当たる」と言われるようになり、このロゴマークは撤回された。

 

そこで(個人的な意見だが)言わせていただきたい。

この採用経緯を見る限り、三島に人種差別意識があったとは思えない。

このマークが黒人の方に不快感を与えるなら撤回しなくてはいけないが、私はいまだに納得していない。

 

「差別」とは、特定の人の身体的特徴をあざ笑ったり、その人が不愉快になるような揶揄をしたりすることなんじゃないかと私は思う。

(例えば目を吊り上げてアジア人をからかうとかね)。

カルピスマークは黒人の方を貶めるような印象を(私は)受けないんだが、いかがだろうか。

 

ガーナでもコートジボアールでも、広告に美しい黒人美女が使われているのは普通だった。

以前も記事に書いたが、アフリカで販売されているLUX石けんの包装紙には、微笑む黒人美女が描かれていた。

カルピスのマークが差別なら、アフリカ諸国で見かける広告も差別に当たることになっちゃうよ。

 

脱線しすぎた。

 

その後、カルピス社は様々な企業に吸収され傘下に入り、という紆余曲折を繰り返した。

三島海雲は経営者向きではなく金勘定に疎く、味の数値化も勘や経験、メモ書きに頼っていた。

 

もともとお寺出身の三島は、「佛教聖典」を愛読し、華厳経を日々読んでいた。

「一人の人間は、その人自身の力で存在しているのではない。他のものとの結びつきを離れては存在しえない」

と言っていた。

だからこそ、企業の社会貢献に力を入れていたのだという。

 

そういう人は、やはり金もうけには向いてないですよね…。

効率化、機械化、利益第一主義が進む世の中には時代遅れになってきていたのだ。

会社は公共の物と信じる三島は世襲を拒否。

息子に会社を継がせずに、1974年にこの世を去る(頑固ジイさんだな…笑)。

 

読了して思うこと。

一人の男がモンゴルを旅し、乳酸菌飲料に魅せられ、それを改良し商品化して一生を終える。

長い長い夢を見せられたような読後感がありました。

 

そして、今現在もカルピスという商品は販売されている。

 

余談になるが、カルピス発祥の地・内モンゴルの方のコメント。

彼は1996年にカルピス社の方が内モンゴルにやってくるまで、カルピスという飲料を知らなかったという。

戦後の日中関係が良くなかった影響で、カルピスを知る人は現地にはほとんどいないのだそう。

 

しかし、もしカルピスが内モンゴルで製造、販売されたらどうだっただろうか。

 

「カルピスはモンゴル人に愛されたでしょうね。」

 

うーん、それも不思議な感じがする。

三島が生きていたら内モンゴル人がカルピスを飲むのを見て喜ぶだろう。

内モンゴルに憧れ、現地の人と親しく交わり、自分がおいしいと思った現地の食品を日本に紹介する。

 

いい人生じゃないですか。

あ~うらやましい人生だな。

一つの商品の誕生に、一人の男のモンゴル愛が結実しているなんて。

うーむ、やっぱりロマンチックだなあ…。

 

 

趣味

 

ものすごくどうでもいい話で恐縮です。

(興味の無い方は読み飛ばしてください)。

 

私には趣味がない。

「これに熱中してます!」と情熱を傾けられる対象がないのだ。

 

好きなものはある。

興味関心があって、それをやってると楽しいぞというものはある(それを趣味と言うのかな?)。

でも、「これは趣味です」と胸を張って言えるほど、深みにはまっているわけでもない。

 

例えば絵画鑑賞。

 

絵は好きだが、だからと言って「毎週末は美術館めぐり」ってほどでもない。

展覧会があったら行く、画集を買って家で楽しむ、という程度。

どの程度まで深く入れ込んだら「趣味」と呼べるのか?

という線引きがイマイチ分からん。

 

私の周囲は趣味に入れ込んでいる人が多い。

歴史好きの友人は休暇が取れるとすぐに地方へ行き、お城をめぐっている。

国道写真撮影にハマっている別の友人は、全国を制覇したとか自慢げに写真を見せてくれる。

乗り鉄の別の友人は、聞いたことのない路線の写真を待ち受けにして悦に入っている。

 

趣味は〇〇なんですよね~と自己紹介で言える人がうらやましい。

趣味の集まりに所属している人は、もっとうらやましい。

 

どんな趣味でもいい。

同じ趣味を共にする友人がいる人が、ものすごくうらやましいのだ。

 

なぜ、こんなことが今になって気になるのかというと。

 

働く年齢(15歳~65歳)の多くの人々は、朝起きて出勤し、夜に帰宅する。

土日は朝寝坊し、たまっていた洗濯物を洗濯したり、家の中を掃除したり、食料品を買い出しに行ったりする。

そしてまた月曜日の朝となる。

 

そういう生活を終え一定の年齢になると、生活費は毎月政府からもらうことになる(つまり年金です)。

じゃあ、「毎日が日曜日」という生活になったら楽しいのだろうか?

 

そりゃ楽しいだろうな…。

と最近までは私も思っていた。

 

うちの親の友人知人は、70代~80代くらいのご老人たちだ。

中には孫がいて家事に子守に忙しい、と言う方もいる。

しかし、中には「毎日やることがなく、退屈で死にそう」な人も大勢いるらしい。

 

そういう「ヒマで死にそう」な方々に限って「趣味が特にない」らしい。

 

その年齢になると、働いている人はほとんどいない。

その上、その年代の男性は家事を妻任せにしている人が多い。

料理もしない、掃除もしない、洗濯もしない、買い物にも行かない。

日がな一日、寝ているかテレビを見るかくらいしかやることがないんだそうだ(うらやましいぞ)。

 

医学の発達で、いいのか悪いのか人間は死ななくなった。

そして打ち込める趣味もない。

「あーあ、今日もやることがない」となる…らしい。

 

「やることなくてヒマなので、早くあっちの世界へ行きたい」と言っている人もいるそうだ。

ぜいたくな話ですけど。

 

こんな話を親から聞かされると、趣味もないし、友人も少ない私は非常に恐怖を感じる(笑)。

退職したら、楽しいどころか孤独に陥りそうだ…。

 

無趣味が悪いと思ったことはない。

会社勤めだと自由な時間もあまり取れないし、だったら最初から無趣味でいい。

と思っていた。

 

しかし、「ヒマで死にたい」というお年寄りの話を聞くと、自分もそうなりそうでヤバい。

何とかして趣味を作らねば!(←今さら?)

 

というわけで、みなさん。

会社生活を離れたら大事なのは「趣味と友人」を持っていること、らしいですよ。

 

以前、ソニー創立者盛田昭夫氏の著書を読んだことがある。

その中にこんなエピソードがあった。

 

イギリスにソニーの子会社(または支店)を設立した盛田氏。

ある優秀なイギリス人を引き抜き(または昇進かな?すいません詳細を覚えておらず…)しようと好条件を出したのだが、断られた、とかいう話だった。

 

「こんなにいい条件を出しているのに、どうして?」

と不思議に思った盛田氏。

彼はそのイギリス人男性、Aさんの家に招かれる。

 

盛田氏はAさん宅へ行って言葉を失った。

Aさん宅に、すばらしいバラの庭園があったのだという。

 

Aさんの趣味はガーデニング、特にバラづくりだったらしい。

何年もかけ、様々な品種のバラ栽培に成功していたAさん。

ソニーが提示した好条件の仕事を断ったのは、自分が長い間丹精込めて育てたバラ庭園を転勤で手放したくないから、ということだった。

 

ううむ。

私なら好条件・好待遇なら、ぜひとも転職(または昇進)のチャンスを受けるけどな~。

 

しかし、盛田氏はその素晴らしいバラ園を見て理解したのだという。

人生には仕事よりも大事にしたいものがあるのだ、ということを。

 

うーん、それは美談だけどね。

と、若かりし頃の私は思った。

しかし、今なら「仕事より人生(もしくは趣味)の方が大切」というAさんの気持ちも分からんではない。

 

だって、退職したら会社とは縁が切れる。(いい会社であってもね)

しかし、バラ園とは死ぬまでお付き合いが出来るわけだ。

もはや趣味は人生の伴走者といっても過言ではないぞ。

 

でも、私はAさんと違い、夢中になって何かに打ち込むタイプではない。

じゃあ、「人生でやりたいこと100」でもメモっておくか。

そしたら、それを少しずつやって行けばいいんだし。

 

そう思いたち、「やりたいこと100」を76個くらいまで書いたのだが、そのノートが見当たらない。

整理整頓している間に、どうやらそのノートまで捨ててしまったようだ(←元気いっぱいのアホです)。

 

私みたいに、「趣味がない」「時間を忘れて打ち込める対象がない」という方は、退職したらどうしてるんでしょうか?

「無趣味で友達もおらず孤独で、早くあっちの世界に行きたいんだが」という生活に甘んじているんでしょうか?

 

というわけで、最近、退職してからの生活が恐ろしくてたまりません(まだとうぶん先の話だが…)。

エリザベス女王が亡くなる2日前まで仕事をしていた、と言うのを聞いてうらやましくて仕方ない。

 

趣味を見つけるか、死ぬまで仕事をさせてくれる会社を探すか。(すごい二択だな)

FIREに程遠い今の私の生活は、案外自分に合っているのかもしれないな、と思って自分をなぐさめております。

 

 

 

 

クロアチア料理

 

先日、友人とクロアチア料理のお店へ行った。

そのお店は、「日本で唯一」のクロアチア料理店だそうだ。

行ったことのある方もいらっしゃると思う。

 

帰国後から気になっていた。

日本ではどの県のどの町へ行っても、似たようなお店を見かけるようになりましたね。

服でも靴でも飲食店でも100均でも、同じ顔ぶれのお店たち。

そういうよく見るお店は、「国民に選ばれしお店たち」なんだとは理解できる。

 

私が現在住んでいる小さい町には、100均が3社ある。

Mうどん、Y牛、SやG、CやDといった各種ファミレス、ホームセンター、回転寿司も数店舗ある。

服店も靴店もあるし、わざわざ東京へ行かずともだいたい用事が足りる。

 

この店ぞろえが平均的日本人の生活に必要不可欠、いや必要最低限のお店なんだろう。

AとBとCの店があるから生活には困らないでしょ。

そんな風に言われている感じもする。

 

 

しかし、そんな中で。

「たまにはチェーン店じゃないお店で食べたい」

と思った。

 

だってこういう町に暮らしていると、外食と言えばほぼチェーン店になってしまうわけですよ。

個人店を発掘したいが、家族と出かけると100%チェーン店になる。

なので、最近は個人経営の店を探して、一人で食べに行っている。

そんな状況なのだ。

 

そして、出来れば和食ではなく、普段食べないジャンルの料理が食べたい。

最近そう思うようになってきたのだ。(ただ単に海外に行きたくなっただけ?)

 

ハンバーガーとかパスタならうちの近所にもチェーン店があるので、わざわざ他の町へ行く必要はない。

もっと違う料理、例えばメキシコ料理とかミャンマー料理とかモロッコ料理とかが食べたいのである。

そして、そういうお店は田舎には無い。

 

こうなったら、東京に行った時にそういうお店へ行くしかない。

おら東京さ行ぐだ。

タイミングよく、都内に住む友人から「たまには会おうよ」と連絡をもらった。

The Time is NOW!なのだ。

 

私が行きたい店でいいよ、と寛大にも言われたので、早速調べたのだ、「和食以外」「チェーン店以外」を。

そして発見した。

クロアチア料理のお店を。

 

で、京橋にあるドブロという店名のお店へ行った。

行く前に、クロアチア料理について調べて行った。

 

皆さんもご存じのように、クロアチアアドリア海に面した、旧ユーゴスラビアの一国。

北部はハンガリースロベニア

南はボスニア・ヘルツェゴヴィナに接している。

 

赤白の市松模様が印象的な国旗ですよね。

日本との関係でいえば、日本はサッカーW杯(でしたっけ?)でクロアチアに負けましたよね…。

 

別の友人がクロアチアにアパートを持っているのだが「風景が素晴らしい」と言っていた。

なので、私は同国に「アドリア海の見える素敵なリゾート」的印象を持っている。

行ったことが無いのだが、「魔女の宅急便」的な町を想像中。

 

で、料理だ。

クロアチアでもアドリア海沿岸地方は、タコとかイカ、魚などシーフード料理が有名らしい。

対岸がイタリアなので、パスタとかイタリア料理の影響を受けているそうだ。

ハンガリーに近い地方は当然、グラーシュ等ハンガリー料理に似た名物がある。

 

オーストリアに近い地域は、シュニッツエル(カツレツ)など、オーストリア料理の影響がみられる。

トルコに近い方面は、トルコやギリシャ料理に似た料理がおいしいらしい。

ものすごく雑にまとめてしまうと、何でもおいしそうなのである。

 

で、京橋の「ドブロ」前で待っていたら友人が現れた。

外に出ていたメニューを見ながらわいわいと話をしていたら、さすが東京。

私たちの後ろに、またたく間にお客さんたちの列が出来た。

ってことは、日本人の口に合う料理なんでしょうね。

 

奥のテーブル席に着き、メニューを見るとA、B、C…と何種類かランチがあった。

ロールキャベツもおいしそうだし、エビも誘惑される(さすがシーフードの国)。

悩んだ挙句、「クロアチア人も大好き」という文句に誘惑されて、ひき肉料理にした。

友人は「牛肉の煮込み」にする。

 

コーヒー、ルイボスティー、オレンジジュースが無料サービスになっていたのでいただく。

気づくとお店は昼食のお客さんで一杯に。

人気店らしい。

 

メインディッシュとパンが運ばれてきた。

おおっ、これがクロアチア料理か!おいしそう。

(料理を食べるのに夢中で、写真撮影を忘れてしまいました!お許しを…)

 

見ると、マンガに出てくるような巨大なお肉の塊がお皿に盛られ、友人の前に…。

これが一人前?大丈夫?と思ったが、食べる気満々の友人。

私もパンでグレービーソース(肉汁)の味見をさせてもらったが、うまし!

 

内陸の国だと脂っこくこってりしているのかな、と思ったが、そうでもなかった。

味付けも濃すぎず、食べやすかった。

次回行くことがあったら今度はシーフードにも挑戦したい。

 

開店前に撮影したお店の写真を貼っておきます。

国旗が印象的なエントランスです



 

ところでどうでもいいんだが、東京ってある意味クレイジーな場所ですよね。

地図で見ると、都営浅草線宝町駅東京メトロ銀座線の京橋駅ってパラレルに並んでいる。

 

でもさ。

その2つの駅は200mくらいしか離れてない。

そんな狭いところに駅が2つも必要か?

うちの方なんか、駅から家まで歩いて1.6キロなんて普通だっちゅうのに。

 

こまこました地下鉄に引き換え、JR東京駅のバカでかいこと。

私は今回遅まきながら知ったが、東京駅構内に総武線快速の乗り場があるらしい。

 

京葉線ホームへたどり着くのにどえらい距離を歩かされるので、毎度閉口している。

この度、「総武線快速ホーム」という標識を発見し、目の前が開けた気がした。

こっちの方が近いかも!

と一抹の期待を胸に総武線快速ホームを探した。

 

しかし、そんなに甘くなかった。

総武線快速ホーム」まで、詐欺のごとく長距離を歩かされたぞ…。

大手町駅こちら」って標識を見た時も、じゃあ近いのかと思って歩いたが全然近くない。

とかく東京駅は広すぎる。

 

というわけで、東京へ行くときはスニーカー必須である。

エスカレーターを昇り、階段を駆け下り、駅構内を長々歩かなければならないからだ。

 

それにいつも思うが、人が多すぎる。

スマホを見ながらフラフラ歩いている人をよけねばならぬ。

一人よけてもまたすぐ後ろに人。

コロナでもソーシャルディスタンスを考えなくていい田舎、楽ですわ…。

 

都内に住んでいた時はあまり気にもならなかったが、今は気疲れ、人疲れする。

東京から帰宅すると、疲労で寝込んでしまうくらいだ。

あーあ、私も田舎暮らしが長くなったってことですかね。

 

というわけで、東京へ行くと地方には無いレストランの味が楽しめるのはいい。

しかし、かなり歩かされるし、人が多すぎて常に疲れる。

 

必要最低限のお店がある町に住むくらいで、ちょうどいいのかもしれない。

大都会はたまに行くから楽しいのかも、ですね。

また何か気になる料理があったら行ってみたいですけどね。

 

 

 

ルワンダ中央銀行総裁日記

 

かなり前にこの本を買い、読み始めた。

服部正也著、中公新書

 

残り9分の1くらいになり、読み終えないまま本棚に眠っていた。

このたび、この本のレビューを書くにあたり、読了しましたよ。

途上国の経済や途上国で働くことに興味のある方にお勧めしたい。

 

この本を要約すると、こんな感じだ。

 

1965年。著者・服部正也氏は、職場である日本銀行からルワンダへ出向する羽目になる。服部氏はルワンダ中央銀行総裁として、超赤字だったルワンダ経済を立て直し、国民の窮乏生活を向上させた。

 

出向する「羽目になる」とは穏やかではないが、氏の当時の気持ちを推量したつもり。

聞いたこともない場所へ社命で出向するなんて、誰だって躊躇しますよね。

それがアフリカだった日にゃあ…。

 

そもそも出向の話が非公式にあった時は、服部氏も気にしなかったそうだ。

ルワンダ?どこ?と調べるが、1960年代当時は東アフリカの情報が全くない。

すると、仕事で出会ったルワンダ人が粗末な服を着ていた。

そこで、もしや「大変貧乏な国」へ行かされるのでは?と遅まきながら気づいた。

 

こんな顛末から話が始まる。

 

空港へ見送りに来た家族も不安そうだ(だって、著者自身だって不安なんですからね)。

9歳の息子も袖を引っ張って「アフリカなんか行かないでよ」と言う。

俺だって行きたくないんだよ!(と思ったかどうかは分かりませんが…)。

と、最初は単身赴任でルワンダへ乗り込むのである。

 

着任時、家は出来ておらず、仮の宿舎は床にセメントを塗っただけ、椅子は枠に網を張っただけ。

自分(一応、中央銀行総裁だい!)付の運転手は、裸足で服はボロボロ。

赴任日の朝食は前任者の残飯…もう、笑ってしまうしかない。

 

途中から奥様と息子さんが、キガリルワンダ首都)の服部氏宅に合流した。

奥様はキガリの服部氏宅に到着したとたん、へなへなと地べたに座り込んだそう(理由は説明不要)。

しかし、ルワンダ唯一の日本人家族。

一致団結して生活が始まったのである。

 

まあ、今と状況が違いますよね。

私なんか、ルワンダに出向出来る!と分かったら小躍りして、さっさとスーツケースに服を詰めるぞ。

しかし、60年代はアフリカ諸国も独立したばかりだし、まだ不安定であった。

しかも、内戦前のルワンダはベルギーの植民地だったので、公用語がフランス語だった。

 

この本の内容の多くは、いかにしてあれをやり、これを開始し、あれをやめ、これを立て直したか、という話にページが割かれている。

 

途上国の経済が発展しない理由はルワンダも同じ。

自分の利益を追求してばかりいるルワンダ人官僚、特権をふりかざして甘い汁を吸う外国人商人たち、経済のイロハも分かっていない銀行員。

大統領は全面的に自分を信頼してくれ、心強い味方であり、著者の良き相談相手である。

 

そして経済の現状。

ルワンダ農民は地道に堅実に農業をしているのだが、驚くほど貧しい。

特産品のコーヒーを輸出したいが、内陸国であるがゆえに流通が難しい。

海(つまり港)があれば、一発でルワンダ産コーヒーを海外へ輸出できるんだが…。

 

味方や悪人?、濡れ手で粟狙いのヤツなど濃いキャラが入り混じる。

何とかしてルワンダ経済を立て直し、貧しい人たちの生活を向上させたい。

氏の奮闘ぶりに、ついついこちらも感情移入してしまう。

 

そんな本である。

仕事は日銀マン冥利に尽きるが、経済ってつまるところお金。

人間(特に悪徳商人)とは切っても切れない。

 

以前、ルワンダ勤務の人に話を聞いたところ、「英語で仕事をしている」ということだった。

ベルギーの植民地だったルワンダは、もともと公用語がフランス語だった。

しかし1994年に、人類史上最悪と称されるルワンダ大虐殺が発生。

 

難民キャンプへ避難した人たちは、国連や各国NGOから英語を学んだ。

そして、内戦終結後には公用語を英語に変えたのである。

新生・ルワンダの誕生である。

 

以前、ルワンダのポール・カガメ大統領(当時)のスピーチを聞いたことがある。

当時はまだ本書を読んでいなかったので、服部氏の奮闘ぶりを知らなかった。

 

カガメ大統領の話はこんな内容だった。

 

ルワンダは資源が無い。

しかし、ルワンダ同様に資源が無いのに発展した日本を心からリスペクトしている。

なぜ日本は発展したのか?

それは、日本人がよく勉強し、よく働いたからである。

ルワンダも日本を見習いたい。

 

そして、カガメ大統領は勉学を奨励し、同時に(なぜか)毎朝家の周りを掃除することをルワンダ国民に呼びかけたのである。

 

ルワンダ勤務の日本人たちは、「ルワンダ人は朝によく掃除をしてますよ」と感心していた。

やはり人心が荒廃すると町も汚れる、ということなんだろうか。

大統領自身が率先して掃除をしているのだから、頭が下がる。

それほどルワンダ人は真面目なのである。

 

話を本に戻そう。

この本を貫いているのは、著者のルワンダに対する深い愛情である。

 

ルワンダ在住外国人たちの、「ルワンダ人は怠け者」「どうせルワンダは貧しいまま」という批判を一蹴。

著者は農村をめぐり、ルワンダの抱える様々な問題を目の当たりにする。

そしてルワンダの強みをどう生かせば経済力が付くのか、を考える。

 

世界銀行は「アフリカは農業を主軸とした経済政策」にすべし、と言う。

しかしながらアジアの経済発展は輸出指向経済によるものだ、としてアフリカにも同じように工業主導経済を勧奨した。

 

著者は、アフリカはアジアと異なり、国内市場が未成熟、インフラも不十分と知っていた。

そのため、まずはルワンダ人商人の育成、交通や輸送網の整備、倉庫建設などから始めた。

この、「ルワンダならではの経済政策」の布石を打つことから始めたのが、のちの経済発展につながったのだろう。

 

最後になるが、服部氏がこの本を執筆しようと思った理由はこんなことだったという。

 

アフリカ諸国に対する日本人の関心は、もっぱら資源とか市場とか、利益に関することばかり。

アフリカに住む人々のことは関心が無い。

しかし貿易も平和も、究極には人と人との問題だ。

この、人との関係を無視して進められる国際関係とは脆弱なものである。

 

ホント、そう思う。

お金お金お金…というが、お金を使ったりそこから利益を得たりするのは「人」ですよね。

そこに住む人々(と彼らの生活)を考えずに、市場開拓とか利益追求とかは出来ない。

ルワンダに限らず日本でもどこでも、だ。

 

つまり、発展途上国の発展を阻むものは甘い汁を吸って利益を獲得したがる「人」であるが、同時に発展の最大要素も「人」なのである。

というのが著者の主張だ。

まあ、そうなるとカースト制度とか貧富の差なんかも、経済発展を阻害する要因ってことになるな…。

 

服部氏が一番我慢できなかったこと。

それは、欧米人や国際機関による、途上国に対する偏見と蔑視だったのだそう。

 

アフリカに住む外国人は、理解できなくなるとすぐに「これがアフリカだから」と片付けたがる。

アフリカ=自分たちと違う、と言い続けていたら、永遠に何も解決しないのだ、と氏は言う。

端的な一般化は理性的な対話の可能性を否定し、問題解決には何ら資するところはない。

 

うーむ。

この点も私は激しく同意する。

 

ところで、その後のルワンダ

 

なんと、なんと、2000年以降、毎年7%を超える経済成長率だそうだ(日本は2%くらい。2021年)。

掃除のせいか?「アフリカのシンガポール」と異名を取るほど清潔な街並みとなった。

コーヒーと紅茶を輸出し、ITと観光に力を入れている。

四国くらいの大きさのルワンダだが、今や「アフリカの奇跡」とも呼ばれているそうだ。

 

服部氏ご自身は1999年に世を去った。

今のルワンダの発展ぶりを見たら、ご自分の仕事に誇りを持つに違いない。

 

貧困や戦争を乗り越え、資源の無さも内陸国のハンデも勤勉で克服してきたルワンダの人々。

私もルワンダへ行ったら(いつ行けるか分かりませんが…)、おいしいルワンダ産コーヒーを飲みながら、服部氏やルワンダの人々が築いた「アフリカの奇跡」を見てみたいと思っている。

 

 

分かりやすい文章を書くには

 

過去の記事にも書いた、私の文章修行のあれこれ。

読みやすい文章を書くのは本当に難しい。

 

社内で日々目にする広報記事の下書き、報告書の数々。

それらの文書の「添削」が、私の仕事として回ってくることがある。

 

でもねえ。

結構難しいんですよ、添削って。

自分の書く文章ならズバズバ、いやズタズタ赤ペンを入れることが出来る。

でも、他人様の書いたものはねえ。

 

「添削お願いします」と、頼む方はにこやかに書類を渡してくる。

私が直すの?

と思うが、「元日本語教師でしょ」なんて訳の分からない理由でいつも押し切られる。

 

(いや、日本語教師って外国人に日本語を教える立場なんすよ。

日本語教師は音声学とか言語学とか、そういう勉強をしてきた人たちであって。

添削するのは、校正とかそういう仕事の人じゃないと出来ないでしょ。

日本人に日本語を教えるのは、むしろ国語教師の仕事じゃないのかね。)

 

そう思いながら、分からないなりに他人様の文章を直す羽目になる。

もちろん、「第三者が読んで分かるかどうか」という観点でしか直せない。

プロの校正者じゃないんだし。

 

いつかは「校正」の勉強をやってみたいなあ。

そんな思いを10年以上持ち続けている。

 

今だってそうだ。

ブログを書いていて、「あ~分かりにくいよね、この書き方じゃ!」と毎回思う。

ブログを書くこと自体が、私の文章修行になっている。

 

だから、ネット記事などで「分かりやすい文章を書くには」なんてタイトルを見ると、即チェック。

最近ネットで見た「分かりやすい文章を書くには」は、ヒントが箇条書きになっていた。

数えたら、なんと32個も項目があった!

 

こんな感じで「分かりやすい文章の書き方」を日々集め、虎の巻、いやコレクションになっている。

だからと言って文章の書き方が上達しているわけでもないのだが。

 

このブログの読者の方は、私がアメリカの大学を卒業したことを覚えていらっしゃるかと思う。

大学4年生の時、「卒論ゼミ」があった。

ここで私の卒論担当のS教授は、こう宣言した。

 

「君たちは将来、大学院へ進学したり、あるいは本を執筆したりするかもしれない。

そういう時に備え、このゼミでは卒論の内容もさることながら、「文章の書き方」「論文の構成や付属物」について学んでもらいたい。」

 

つまり、ただ単に単位を取るだけの卒論じゃ困る、というわけだ。

Bibliographyとか脚注といった論文の付属品をどうやって付けるか、はもちろんのこと。

分かりやすい、誤解を招かない文章をどうやって書くかを学んでほしい。

そういうことらしかった。

 

日本の公立高校を卒業して渡米した私は、アメリカの大学に入学して最初の最初のリサーチペーパーで、ポカをやらかした。

Bibliographyの作り方を知らなかったのだ。

 

日本の高校ではリサーチペーパーなんて書いたことが無かった。

物事を調べ、短い論文形式で文章をまとめる、なんて作業を、大学に入るまでやったことがなかったのだ。

 

当時は、お手軽に調べられるインターネットが無かった。

そして、書き方を教えてくれる日本人留学生の数は今よりはるかに少なかった。

ライティングの教科書を読み、アメリカ人から教えてもらうしかなかった。

 

仕方ないと言えば仕方ないのかもしれん。

しかし、教授に赤ペンをたくさん入れられたペーパーが返されたときは、顔から火が出そうだった。

こうやって次々に恥をかきながら?学んでいったのである(笑)。

今はネットでサクッと調べられるし、楽になった。

 

卒論ゼミでは、教授が用意した「ダメな文章例」をたくさん読んだ。

そのあと、学生は各自のテーマで「卒論の下書き」を書く。

 

自分の書いた卒論の下書きは、ゼミの人数分コピーを取って皆に配布。

翌週までに全員がそれを読み、その論文の良い点悪い点を批評し合う。

そして、それを踏まえて最後の仕上げをし、それぞれ学生たちは教授に卒論を提出する。

そんな流れになっていた。

 

最初に「ダメな文章例」をたくさん読んだのだが、これが「明らかにダメ」な文章で分かりやすかった。

ゼミ生たちはその文章を読み、「なぜ分かりにくい文章なのか」「どうすればいいのか」を話し合った。

 

(これ以降は、英語に興味が無い方は飛ばしてお読みください)

 

例えば。

 

「~がたくさんある」と言うために、thousands of thousands of thousands of…と書いている人がいた。

A thousandなら「1,000」だが、thousands ofは「数千もの」「たくさんの」という意味になる。

 

でも、thousands ofと一度だけ書けば十分。

「たくさんある」と言いたいのは分かるが、「数千もの数千もの数千もの」ってねえ。

宇宙じゃないんだからさ。

 

こんなのもあった。

The joy of ballooning has exploded.

バルーン、つまり気球(で遊覧飛行する)楽しみが爆発した。

 

まあ、言いたいことも分からんではない。

気球での遊覧飛行が爆発的に流行した、という意味なのだろうが、主語が「気球」で動詞が「爆発する」ってねえ。

気球が爆発したみたいで紛らわしく、読んでつい笑ってしまう。

 

こんな感じで、読者を惑わせる「分かりにくい文章」の例をたくさん読んだわけだ。

 

この卒論ゼミでは、他の学生の卒論(下書き)を読むことが出来た。

外国人である私はもちろん執筆が大変だったが、アメリカ人学生の卒論もこんな感じで、トンチンカンな文章がたくさんあって笑えた。

分かりやすい文章を書くのにはアメリカ人も苦労しているらしい。

 

大学を卒業して相当時間が経った。

いまだに文章を書くのに苦しんでいる私。

 

ところで、分かりやすい文章を書くためのヒントとは、英語圏ではどうなんだろう。

ネットで調べたら、出てくるわ出てくるわ。

 

さすがにどれもポイントが6~7項目に絞ってある。

たくさん項目があると読者は飽きてしまう、ってことなんだろう。

32項目に耐える日本人がすごいのか、日本語が難しいってことなのか。

 

以下はアリゾナ大学(米)のサイトから引用した「how to write concisely」だ。

 

(1)無駄を省く

(2)明確な単語を使用する

(3)受身形を避ける

(4)一文をシンプルに短く

(5)There is, There are, It isで文章を始めない

(6)無駄な名詞を省く

(7)That, of, upなどを避ける

 

日本人が驚くのはもしかすると(7)ではないだろうか。

(7)の例として、こんなのが挙げられていた。

 

〇I said I was tired.

×I said that I was tired.

 

thatを入れろ!と受験英語では習ったような気がしないでもない。

しかしアリゾナ大学に言わせると、このthatは「無駄」なんだそうだ。

ふーん。

 

言語オタク、文章オタクの私は、こんな他国のサイトを見ても結構楽しめる。

しかし、これが楽しいのは文章を書くのが好きな人だけらしい。

会社で「添削頼むよ」と気軽に私に頼むおじさんたちは、自分の文章を改善することにはあまり興味が無いらしい。

 

添削が面倒くさいので、一計を案じた。

「これ読んで、参考にしてください」と言って私のコレクションを渡すことにした。

読んでくれれば、私の手間が省けるしね。

 

しかし、彼らは読むのが面倒くさいようだ。

またしばらくすると「添削を頼む」となる。

仕方なく、校正者でもない素人の私が添削をすることになる。

 

ご本人が書きたいこととずれてしまうのも良くない。

なので、私が直すのは明らかな漢字の間違いや、無駄な文章を削ること、混在する漢数字とアラビア数字の統一、といった程度だ。

 

別の英語圏のサイトに書いてあった。

「情け容赦なくズバズバと添削・削除すべし!」と。

自分の文章はズバズバ添削出来るけど、人の文章はそういうわけにもいかない。

 

一度、「好きに直していいから」と言われて、うのみにしてしまった私。

ズケズケと直された悲惨な報告書を見たときの、おじさん社員の情けない顔。

あれを見て、「好きに直してはいけないのだ」と肝に銘じるようになった。

私が好きに直した文章は私好みの文章というだけで、正しいかどうかは分からないもんね。

 

というわけで、「校正」の勉強をするチャンスを虎視眈々と狙っている。

校正者なら「○○の理由で直した」という正当な理由付けが出来るはずですしね。

 

こんな調子で、私の文章修行はまだまだ続くんだろう、と思う。

 

 

採用基準

 

友人の一人Pさんが、雇止めに遭うことになった。

契約更新されず、今秋で業務が終了するという。

 

やっと見つけた仕事なので、自宅からものすごく遠方だが頑張って通う。

自分がやりたい仕事だったので、多少の不便は我慢しなくちゃね。

そんな話を2年前に聞いたばかりだった。

 

よく聞く話ではあるが、身近にそういう事実が発生すると認識を新たにする。

「雇止め」ってよく聞くけど、ホントよくある話なんだな…。

 

Pさんも、これからまた就職活動をすることになるだろう。

10代、20代の若者ならすぐに採用してもらえるが、年齢を重ねるに従い、採用される確率が低下していくのも事実。

でも、すぐに採用されなかったとしても落ち込まないでほしい。

 

私も、不合格にされた経験がたくさん沢山タクサン、数えきれないくらいある。

 

「あんたの年齢じゃあねえ」(お前もいつかは年を取るんだよ)

「海外にいたなんてどうせ生意気なんでしょ」(私を知りもしないで判断するな)

「女のくせに英語が話せるなんて嫌ですね」(私は大して話せないけど、留学経験者はたいてい言われていた)

 

面接で理不尽な質問やパワハラ、セクハラ、モラハラめいたこともよく言われた。

それらの企業名は明かさないが、まあ男性面接官たちにはひどいことを言われ続けた。

バカバカしいので腹が立ったが、録音しておけばよかった(笑)。

 

不合格、不採用が何十社も続くと、自分を全否定されたように感じる。

「世界のどこにも居場所が無い」「自分はダメ人間」と悩む。

自分がいくら頑張っても、人事担当者の胸一つで採用されないのだ。

 

でも、採用されなかったと言って、自分に非があるように思い込んでほしくない。

もちろん、求人内容と応募者の職歴が合わないとか、そういう理由で不合格になることはある。

 

しかし、選考者に見る目が無いというパターンも大いにあります!

私の知る限り、そういう方がむしろ多い気がする。

 

もう時効と思うので告白すると、以前こんなことがあった。

 

私の職場でのこと。

すでに契約社員などで就業している人のうち、1名を正社員にするという機会があった。

どういう理由かはわからないが、上の人たちがそう決めたらしかった。

 

2名の契約社員がいた。

そのうちの1人を正社員にすることになった。

 

30代のA子さんは、自分から希望して正社員に名乗りを上げた。

そしてもう一人、50代のB氏は、上司たちが「彼を正社員にしてはどうか」と推薦したのだという。

 

たまたまだが、私はA子さんとB氏の両方と一緒に仕事をしたことがあった。

だから、上司が「あの二人、どうなの?」と私の意見を聞いてきたのだ。

 

A子さんは堅実な仕事ぶりで、一緒に仕事をしていて気持ちのいい人だった。

本人が正社員になりたいなら、いいんじゃないだろうか。

優秀だし、本人もやる気があるし。

 

B氏は、仕事をしたいという気持ちは薄かったようだ。

共働きの奥様が高収入とかで、子どももいないのでむしろ僕は専業主夫になり妻を支えたい。

そんな希望を持っていた。

 

だから、なぜB氏の名前が出てくるのだ?と私は不思議に思った。

 

「A子さんは優秀ですし、本人も正社員になってバリバリ働きたいみたいですよ。

彼女なら、良い社員になると思います。」

 

そう私の意見を言うと、上司は妙な表情になった。

そしてこんなことを言った。

 

「でもねえ、Bさんって男性だからねえ。

やっぱり正社員にならないと、世間的にアレでしょ?」

 

アレ?

アレって何ですか?

 

「Bさんは、専業主夫になって奥様を支えたいと言ってましたから。

むしろ退職を視野に入れていると思います。」

 

上司の思惑をよそに私がそう言うと、上司は考え込む顔になった。

 

「A子さんはまだ若いから、うちじゃなくてもいくらでも転職できるでしょ。

Bさんはあの年齢じゃ、誰も雇ってくれないでしょ。

かわいそうだから、Bさんを正社員にしようと思ってるんだよね。

男性だし、正社員じゃないと世間体がねえ」

 

は?なんでB氏を正社員にしたいのだ?かわいそう?

上司たちの論理がさっぱり解せぬ私。

B氏は『正社員になりたい』なんて一言も言ってない。

正社員になりたいのはA子さんだ。

 

よく考えると上司の発言は、まるっきり昭和の考え方だ。

(昭和が悪いというわけではないが…)

 

契約社員だと世間体が悪いので、男性は正社員として働くべき(そして女性は夫を支える存在)。

そんなのはB氏の生活スタイルではない。

Bさんご夫婦には彼らの生活があり、「昭和の理想」を会社が押し付けるのもどうかと思うが…。

 

そして面接の結果。

正社員を希望していたA子さんは不合格となり、専業主夫願望のB氏が合格。

上司たちの考えを反映した結果なのだが、二人を知る私としては納得がいかなかった。

 

私としては、仕事の確実なA子さんが合格してくれればいいのにと願っていた。

B氏は「早く退職して妻の支えになりたい」と言っていたのに。

意に反して正社員になるための面接を受けさせられ、こんな結果に面食らっているのではないだろうか。

 

A子さんは正社員になれなかったので、会社を去った。

正社員になったB氏は「本当は正社員になりたくなかったんですが」と私にこぼしていたが、半年くらいして退職した。

 

結局、会社としてはどちらとも逃す羽目になったのである。

A子さん、B氏のどちらも不幸になる結果になってしまったのだ。

 

こんな経験が、実は私にはいくつもある。

私自身も人事の選考や面接に加わったことが何度かあるが、えらい方たちの考えはどうも違うようだ。

「会社が理想とするジェンダー(あるいは年齢)モデル」は、もはや時代遅れと思わざるを得ない。

 

50代男性なら正社員で管理職になるのが当たりまえ。

30代女性なら契約社員で下っぱでいい。

 

そんなの誰が決めたんですかね。

しかも、21世紀の今もそれかい…。

 

というわけで(慰めになっているか心もとないが)、不採用だったからと言って落ち込まないでほしい。

面接とか人事や選考が本当に正しいかというと、そうではない気がする。

むしろ、あまりあてにならないと思う。

選考者の偏った考え方で合否が決定されるように思える。

 

この逆のポジティブパターンがあれば思い出したいのだが、全然思いつかない(笑)。

自分が会社を経営していたら、こんなアホな採用基準は廃止したいと常々思う。

 

だいたいねえ。

これだけ「人口減」「人手不足」と騒がれているのに、スキルやコツを身に着けた人を「雇止め」にする。

社長は一人で何億円も給料をもらっていたりするが、そんなに何億円も価値のある仕事がたった一人で出来るはずがない(勝手な決めつけ)。

 

一人の人間のできることはたかが知れている。

みんなでやるからこそ大きな仕事が出来るのだ、ということを忘れている裸の王様が多いこと。

 

「人手不足」のため、日本人を雇わずにベトナムとか海外の若者を安い価格で仕入れてくる。

働きたい日本人はたくさんいるのになあ。

ちゃんと給料を払えない会社は、日本人であれベトナム人であれ、労働者を雇ってはいけないんだよ。

 

こんな話も聞く。

「◎歳でないと」「この仕事は男性(女性)でないと」という断り方もある。

「キャリア形成のため25歳以下限定求人」とかね。

26歳でもいいじゃねえか。

 

26歳でも50歳でも男でも女でも。

やる気がある人なら採用しろや、選んでる余裕なんて無いんだから、と私なんかは思う。

100歳過ぎても仕事をしている人がニュースに取り上げられるが、自営の人ばかりでがっかりする。

 

こういう昭和的会社のビジネスモデルが一体いつまで続くんだろう…と暗澹たる思いになる。

 

どっかの30代の男性が言っていたが、日本社会に「在庫一掃セール」が無い限り、永遠にこの妙な採用基準や日本人を不幸にする労働システムは続くんだろう、と。

そして、企業にとって都合のいい法律ばかりが導入され、働く人の人生や家族はおきざりにされるのだ。

 

あーあ。

そんな会社に魅力があるわけないから、若い人が離れるんだよ…ってのを、安全地帯にいる方々は分からんのだろうな。

Pさんが次は良い会社に巡り合えることを心から祈る。