オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

 

ブログ記事執筆をサボりまくっていて、お恥ずかしい限りだ。

 

日々、記事を書いては消し、書いては「保留」ファイルに入れている。

なので、記事をまったく書いていないわけではない(という言い訳)。

書いた後に読み返しても、今一つピンとこないのでお蔵入りになっているのだ。

 

そんなことをやっていたら、永遠にブログへアップできないのは分かっている。

だから、頑張って一つ仕上げることにする。

 

ところで、来週から急に暑くなるみたいですね。

梅雨はもう終わるのでしょうか?

 

6月は衣替えの季節だ。

私は暑がりで、5月から半袖を着て出勤する。

 

「今からそんなじゃ、暑い夏はどうするんですか?」

 

なんて同僚によく聞かれる。

決まってるじゃないですか、暑い夏はノースリーブですよ!

 

インドネシア赴任前に、(太って)着られなくなった服をスッキリ大量処分した。

そしてインドネシアでは大量に夏服を購入(一年中夏服を販売しているもんで…)。

汗っかきなので、じゃぶじゃぶ洗濯出来る服がたくさんあると助かるのだ。

 

なので冬服はあまり持っていないが、夏服はまあまあ持っている。

また増えちゃったよ、服が…。

 

服って「何枚あれば十分生活できるのだろうか。」

私は最近、図書館で「フランス人は服を10着しか持たない」とかいう本(シリーズになっている)を立ち読みして、ふと考えた。

 

その本によれば、「これさえあれば十分生活できる」夏服のラインナップはこうだ。

 

・ブラウス3枚

・白デニム1本

・ライトデニム1本

・サマードレス4枚

・スカートまたはパンツ1枚

 

これに、Tシャツ、タンクトップ、薄手セーター、カーディガン、ジャケットなどが何枚かあれば着まわせるのだという。

サンダルやバッグ等は除いて、の話だけどね。

(立ち読みだけじゃなく、ちゃんとメモったのだ)

 

恐ろしく少ないですね。

ホンマにフランス人はこれだけで生活してるのだろうか…。

 

このリストと比べると、私は夏服を持ち過ぎている。

反省。

しかし、私は「フランス人」よりももっとすごい人に会ったことがある。

 

就職したばかりの時。

Aさんという先輩社員が、私の教育係となった。

 

Aさんはアイドル並みの可愛らしい顔立ちをしていた。

しかし、すごい人だった。

何がすごいって、服を2枚しか持っていなかったのである。

 

誤解を招かないように詳しく説明する。

 

Aさんは赤いスカートを1枚持っていた。

そのスカートに合わせるトップスとして、Tシャツ2枚(しかもなぜかレモンイエローとショッキングブルー)を持っていた。

 

そして、そのTシャツ2枚を日替わりで着ていた。

つまり、おとといはレモンイエローのTシャツ、昨日はショッキングブルーのTシャツ。

そして今日はまたレモンイエローのTシャツ、というわけだ。

どうでもいいが、Aさんと会うと毎日目がチカチカした。

 

読者の方のツッコミは分かる。

厳密に言うと2枚ではなく、スカート1枚、Tシャツ2枚の合計3枚ですね。

いや、ポイントはそこじゃない。

 

私がAさんの元で仕事を覚え始めた際、先輩社員たちがいつもAさんをからかっていた。

 

「Aさん、服くらい買いなよ~」

「なんで2枚しか持っていないの?」

 

(え?やっぱり2枚しか持っていないの?)

驚く私に、先輩社員たちが言った。

 

「ねえ聞いて聞いて。この人、Tシャツ2枚しか持ってないんだよ~すごいよね!」

 

やっぱりそうなのか。

Aさんも笑うが、「ファッションに興味が無い」のだという。

すごい…。

 

だって、月~金までシャツが日替わりで「黄色→青→黄色→青→黄色」ですよ。(スカートは赤一択だ、信号機か?)

いくら「オフィスカジュアル」と言えど、Aさんがそれ以外の服を着て出社したのを見たことが無い。

 

Aさんは新婚ほやほやで旦那様と共働きだった。

それを知ってますます謎が深まった。

 

なぜだ。

ダブルインカムなのに、なぜ「Tシャツ2枚」なんだ?

(それに、2枚の服で一体今までの人生、どうやって生活してきたんだ…)

 

Aさんの旦那さんにも会った。

旦那さんも、「妻は服を2枚しか持っていないので、結婚してビックリした」と言っていた。

「服2枚」はネタじゃなく、本当だったのだ。

 

「服を買いなよ、って言っても買わないから、僕から服をプレゼントしたこともあるんですよ」

 

旦那さんは弁解がましく言っていた。

しかし、Aさんが「プレゼントされた」服を着てくることは無かった。

(しかしプレゼントされた服があるなら、服を3枚以上は持っているということになる)

 

買ってもらった服がお気に召さなかったのかというと、そうではない。

Aさんいわく、「服に時間をかけたくない」「服に興味が無い」ということだった。

その後Aさんは転職したが、最後の出社日も「赤スカート、ショッキングブルーのTシャツ」だった。

 

Aさんの言うことも分かる。

服をたくさん持っていると、選ぶのに困りますよね。

環境云々というより、「面倒くさい」ってことなんでしょうね。

 

別の同僚は、「会社用の服は黒一択」にしていた。

理由は、「朝起きて、コーデを考えるのが面倒だから」なのだという。

米国某社のCEOがそれをやる前にやっていたのだから、人類皆似たようなことを考えるんだな。

 

そして月日は流れ去り。

私にも部下が出来た。

そのうちの一人、Bさんがツワモノだった。(また女子だが…)。

 

Bさんは、「私はパンツ2枚しか持ってないんですよ」が自慢だった。

(それを自慢されてもねえ)。

 

Bさん方式は、もしかすると実践している人も多いのではないだろうか。

2枚しか持っていないので、雨が降るとパンツは乾かないまま部屋干しになっている。

そこで、室内に干していた生乾きのパンツをまたはいてくるのだという。

 

パリッと乾いていないのが、ちょっと嫌ですよね…。

 

3枚目を買えばいいのに、と私も言ってみた。

しかしBさんは、「パンツなんて2枚で用事が足ります」と言っていた。

 

ま、言いたいことは分かる。

シャツとかスカートに比べれば、パンツまで見る人は少ないでしょうけどね。

いやしかし、パンツ1枚なんてそんな高額なものじゃないでしょうに。

 

そんなわけで、「フランス人」ほど服を少なくする自信はないが、少ない服で実際に生活している人を見たことはある。

なので、私だって頑張れば、そのうちもっと減らすことが出来るだろうと思っている。

 

環境省が「グリーンライフポイント」なるものをスタートするという。

これは、「衣食住及び循環・移動の5分野で環境にやさしい行動をした人にポイントをあげる」というものだそうだ。

 

フードロスについては、私は努力している。

スーパーでは商品棚の手前から取っているし、賞味期限が迫っていて値下がりしている商品は必ずチェックする。

すぐ使う食品なら、賞味期限が迫っている物で十分だ。

大体、海外の店と違い、日本なんて腐ったものを販売していないんだから大丈夫に決まっている。

 

しかしなあ。

なんか違う気がする。

 

本来は、無駄削減なんてポイントがもらえなくてもやるべきだ。

ポイントをあげるというニンジンをぶら下げないと、我々日本人は地球にやさしい生活が出来ないのかな、というがっかり感は否めない。

 

食品以外は、あまり努力していません(スミマセン)。

前述の通り、汗っかきなので夏服は沢山持っている。

 

北欧の人たちは、そんなにじゃんじゃん服を買わない、と聞いた。

税金が高いので、新しい服をバカスカ買う余裕がないからなのだそうだ。

ファッション大国と思われがちなフランスでさえ、「フランス人は~」なんて本を読むと、そんなにたくさん服を持っている人ばかりではないらしいじゃないの。

ふーん、日本人だけが流行に敏感で、シーズンごとに服を買ってるんですかね?

 

「北欧は税金が高いので服を買わない」というが、「かわいそう」な感じではない。

食品は、毎日食べるようなものは税率が低くなっているらしいし。

教育と医療が無償というのはよく聞く。

おまけに年を取って働けなくなったら、政府が老人ホームをあっせんしてくれるらしいし。

 

食と住がどうにかなるなら、服なぞそんなにたくさん持っていなくても問題ない。

Tシャツ2枚、パンツ2枚で生活できるなら(そして本人が気にしないなら)、それでいいのかも。

「フランス人は~」の本だって、「夏服」は「ブラウス3枚、スカートまたはパンツ1枚」じゃないか。(まあ、スカートだけじゃなくワンピとかもあるけどさ)。

 

一体どうやったら地球にやさしい生活になるのやら。

異常気象とか豪雨災害を見ると何とかしなきゃと思うんだが、パンツ2枚で済ませられるほど吹っ切れない自分もいる。

 

 

 

頑張り過ぎずに、気楽に

 

先日、本を買った。

「頑張り過ぎずに、気楽に。」(キム・スヒョン著、ワニブックス)という本だ。

 

書店に行くと平棚に置いてある、自己啓発本とか「頑張ってね」「頑張らないでね」類の本。

たいてい、立ち読みはするが買わない。

 

これも流行の「頑張らなくていいよ」系の本だと思い、気軽に手に取った。

買うつもりもなかった。

 

棚には、同じ著者のほかの本も並んでいた。

もちろんそっちも立ち読みした。

(同じ著者の「私は私のままで生きることにした」の方が有名かと思います。)

 

立ち読みの結果。

「頑張り過ぎずに、気楽に」は、「家に帰ってゆっくり読みたい」と思えた。

買うか買わないか逡巡した挙句、買った。

 

私は、「ほしいな」と思ってもすぐに買わないようにしている。

「ほしいな」と思ってすぐに買うのは、衝動買いってやつですよね?

もう「衝動買い」から卒業したつもり?だ。

 

しかしその本を立ち読みした時、書かれていることがなぜか心に響いたわけである。

う~買うのやめようかな。

でも、やっぱり家でゆっくり読みたいぞ。

(なーんだ、結局衝動買いじゃんか)。

 

思うにこの手の本は、その時の自分の心の琴線にふれたかどうか、で購買意欲が出てくるようだ。

こういう本を読みたいと思ったこと自体、「毎日頑張り過ぎたくない」と思っているんだろうなあ~。

 

で、本の感想を書きたい。

著者は韓国人。

韓国も日本と同じで、同調圧力の強い社会と聞く。

だから以心伝心が当たり前とか、上司からのパワハラとか、著者の抱く人間関係の悩みに我々日本人も共感を覚えるんだろうと思った。

 

本の中で、「あ~そうだね!」と思う点はたくさんあった。

でも、それは読者個人個人の悩みとか考えにもよると思うので、そこは割愛。

 

何が良いって、この本の構成が良かった。

と私は思いましたよ。

 

「他人にふりまわされないように」「気楽に自分らしく」「我慢せず」「ピリピリせず」というように、ステップを踏んでいく。

それは自分を守ること、自分を愛することを学ぶ過程だ。

 

そして、最後の章では「愛を学ぶということ」。

うん、わかるわかる。

人生の難しさとは、究極的には「他人を愛する」難しさだ。

 

人生では、自分を大事にすることがまず大事。

自分を愛することが出来るようになったら、他人を愛することも出来るだろう。

自分の友達、親、兄弟、子ども、妻、夫、社会の人々、すべてが愛の対象だ。

 

つまり。

この本の読み始めは、「うん、生きるって大変」と思いながら読む。

自分にも当てはまることも多いしね(そうじゃない人は、こういう本は不要です)。

そして、だんだん「そうだよね、大変だけど気を取り直して少しずつ進みたいね」と思う。

最後に「他人を愛すること」の大切さへ読者を導いていく。

というのが、この本の構成です。

 

自分を愛することだって難しいんだから、他人を愛することなんてもっと大変だよね~。

と読後に思いました。

でも、「無理感」はない。

それは著者が「人間関係を完璧にすることは出来ない、ということを認めている」ことが伝わるから。

無理しなくていいんです。

 

そうなんですよ。

人間関係というものは難しいが、それでも人生は続く。

今も対人関係に悩む「普通の人」である著者が、一生懸命考えて作った本であることが良く分かる。

私は彼女に個人的に好感を持ちました。

違う国にいても、同じようなことを考えるものなんですね。

 

ところで。

この「頑張り過ぎずに、気楽に」を読んで、一つ思い出したことがある。

それは最近何かで読んだ、「清く正しく美しく」を求めない、ってことである。

 

今までの私の人生にも、いろんな人が登場してきた。

いい年齢のおじさんなのに定職についてないとか、昇進を断った人とか、学業成績優秀なのに専業主婦になった人とか。

そういう人に会うたびに、若かりし頃の私は「なんでそうなっちゃったんだ」と心の中でネガティブにとらえていた。

 

しかし、人生を続けていると分かるようになる。

「清く正しく美しく」生きていて人生に黒歴史無し!汚点無し!なんて人は、そうそういないのである。

生きていれば、病気、出産、介護、借金、いろいろある。

履歴書にブランクだって発生する。

常に自分の思い通りに物事が運ぶことなんて、ありえないのだ。

 

その人の責任ではないのに、その人にばかり逆風が吹くこともある。

これだけ努力しているのに、環境のせいで報われないこともある。

その人の苦境は、その人が好き好んでそこに陥ったわけではない。

 

人間に「清く正しく美しく」を求めすぎるのは無理がある。

「正論」がもっとも適切なわけじゃない。(でも、私も正論を振りかざしがちだ。反省!)。

 

「頑張り過ぎずに、気楽に」にもあった。

「さまよっていた日々ほど熾烈なものは無い」のだ。

回り道してきた、ということは、その人は人生の荒波を乗り越えサバイブしてきた、ということだ。

 

そうやって相手の苦労が想像できるようになれば、「愛すること」に一歩近づけるのかも。

他人に対する寛大さを身につけるには、人生は多くの勉強の機会に満ちています。

 

人生の悩みはほとんどが人間関係の悩み。

でも、自分を愛すること、他人を愛することが出来れば、この社会はちょっと住みやすくなる(はず)。

 

そして人生には苦労がつきものだが、乗り越えてきた人はその分、成長しているわけだ。

そういう人を評価する社会になってほしいなと思う。

たぶん「頑張り過ぎずに、気楽に」の著者も、そういうことを言いたかったのだと思う。

(ものすごくアバウトなまとめだが…)。

 

私には伝わりましたよ。

「人生は大変だけど、一緒に少しずつ進みましょう」という著者のメッセージが。

 

いろいろ励まされたので、この本は手元に置いてちょいちょい読み返そうと思います。

私も誰かを励ますことのできる人になりたいものです。

 

 

快眠のヒント

 

またまた睡眠にまつわる記事を一つ。

 

先日、やっと3回目のワクチンを接種した。

最寄り病院へ接種予約を入れるのが、えらく大変だった。

 

ネットで予約空き状況を確認でき、予約を入れられるのは前回、前々回と同じ。

しかし今回は、予約受付開始日にはすでに最寄り病院には空きが無かった。

え…?

 

最寄り病院でなければ、空きは無くもない。

もちろん、他の病院で接種しても問題はない。

でも、空きがある他の病院はどこも我が家からめちゃくちゃ遠い。

 

仕方なく、キャンセル待ちとなった。

いつか誰かがキャンセルするだろう。

そう思っていたが、今回に限って?なかなかキャンセルが出ない。

ちょいちょいサイトをチェックしていたが、ついに自宅から遠い病院の予約枠までもが埋まりだした。

 

あーあ、今回はあきらめるしかない。

そのうち、また大規模接種会場なんかが出来るかもしれないし…。

 

あきらめかけたころ、最も我が家に近い病院(つまり一番予約したかった病院)でキャンセルが出た。

すかさずそこへ予約を入れた!

そして、ようやく接種にこぎつけた。

やれやれ。

 

『3回目の接種の後は、体がツライらしいよ』

と周囲の人たちが騒いでいた。

「そんなこともあるのか~でも私は大丈夫」なんて思っていたら、大丈夫ではなかった。

 

接種日の夜は接種箇所のみならず、あちこち関節が痛くなって眠れず。

翌日も腕が上がらないし、頭痛やら腰痛やら全身痛。

侮ってはいけなかったんですね。

 

そんな感じで、接種日から2,3日は全然眠れなかった。

「快眠オタク」の自分が、である。

全身痛くて眠れず、うとうとしたかと思うとまた痛くなって現実に戻される。

そんな感じで睡眠が細切れになってしまい、しばらくげっそりしていた。

 

なぜ「快眠」が趣味なのか(いや、『趣味』ではないな…)。

それは、私にとって人間の3大生命維持活動(食事、運動、睡眠)の中で睡眠が一番「体力回復感」を感じられるからだ。

 

ぐっすり眠った後に起床すると、エネルギーがみなぎっている気がする(気のせい?)。

いや、みなぎっていないとしても睡眠は重要。

 

聞くところによると、入眠後最初の4時間をかけ、その日一日で傷ついた体や脳を修復。

そして次の4時間で体のメンテナンスをする、らしい。

となると、8時間くらい寝ないといけないのは必然だ。

 

いや、私は食事の方が重要よ、という人もいるだろう。

食事だってもちろん大事。

でも私はお腹いっぱい食べることより、ぐっすり眠った方が元気になる気がする。

睡眠とは、電車の技術者さんたちが夜どおし車体やレールの修復をしているようなものだ。

メンテせずに翌朝電車を走らせたら、事故になる。

 

そんなわけで、私には大事な「睡眠」。

このブログでも、今までさんざん「どうやったら快眠できるか」の記事を書いてきた。

 

小学生の時は、「どうやったら快眠できるか」なんて考えたこともなかった。

布団に入ると即、眠りに落ちていた。

でも、社会人になってからは布団に入ってから考えごとをして、眠れなくなることがある。

出張の飛行機の中でも眠れないしねえ。

 

で、だ。

「どうやったらスムーズに眠りに就けるか」

が私の関心事になった。

過去の記事を読んでいる方はご存じだが、私もあれこれ試行錯誤している。

 

今回、再びワクチン接種をした。

そのせいで?久々に「体が痛くて眠れない」なんて羽目に陥った。

ワクチン接種から日が経ち、布団に入ってすぐ眠りに就けるようになった時のうれしさといったら!

やはりすぐに眠れるのって、うれしいものだ。

 

最近何かで読み、自分でやってみたら効果があった快眠方法をご紹介したい。

それは、「首や肩、背中の力を抜く」ということだ。

 

これは快眠マニアならやってほしい。

私も、「肩の力は分かるけど、背中の力ってどうやって抜くの?」と思った。

やり方はいまだに分からず、あれこれやって「背中の力を抜いた」気になっている。

しかし、「力を抜いた気になってるだけ」でも眠りにつきやすくなる(と思います)。

 

そして、最近もう一つ快眠方法を発見した。

これは大発見と言っても過言ではない(?)。

自分的には大発見だと思っているので、こうしてブログでご披露する。

(大したライフハックじゃないかもしれないが…)。

 

それは「友達としゃべる」ことである。

 

「友達としゃべる」ことが、一体どうやって快眠につながるわけ?

と思う人もいるだろう。

しかし、私の場合は効果アリアリなんである。

 

コロナでなければ、今頃私たちは普通に友達と会ったり会食したりしていただろう。

こういう社会状況になってしまってから、気軽に友人と会えなくなった。

 

私もそうだ。

私の日本人の友人も海外の友人たちも、「この2年くらい、まともに友人と会ってない」という人が多い。

ですよね…。

会っていいのかな?と相手に気を遣っちゃったりしますよね。

 

しかしだ。

「友達と会ってしゃべる」というのは、ある種のストレス発散。

これは精神的に良い。

 

私はミニミニ日記をつけている。

と言っても、面倒くさがりなので一日3行くらい。

左のページにはその日の予定や事実を書く。(こんなことをやった、こんなことがあった等)

右のページに「その日うれしかったこと」「感謝したいこと」など、自分の感情を書いている。

 

そこである法則に気づいた。

 

日記を見ると、「昨日は考え事でなかなか寝付けず」とか「昨夜は大爆睡」なんて記述がある。

そこで快眠オタクとしては、「どうしてこの日はよく眠れたのか?」ということに着目したわけです。

そこで引き出された結果。

「友達とどうでもいい話を長々とした日は、例外なくぐっすり眠れている」。

 

よく考えたら、自然なことかもしれない。

友達に愚痴って気分がスッキリした日。

そりゃ気持ち的に整理されるんだから、頭を空っぽにして眠れる。

 

もちろん、反論する人もいるだろう。

「友達とダラダラおしゃべりすること」は、たいてい昼間とか午後に発生する。

それが夜の眠りにつながるの?

そういう指摘もあるでしょう。

でも、私の場合は因果関係があるようなのだ。

 

そう考えると人間の行為は一日中つながっていて、「〇時から××をする」とはっきり区切れないのかも。

寝る前に突然「パジャマに着替えて入眠の儀式」なんてやっても、眠れないときは眠れない。

一日の最後の活動である睡眠は、その前に自分が行った日中の行動に影響されるんだと思います。

「今日はよく歩いて疲れたから早く寝たい」とかね。

 

というわけで、私が実際にやって効果のあった快眠のヒントとして、以下2点をおススメしたい。

 

1.「寝る際に肩や背中の力を抜くこと」。

2.「友達とどうでもいい話をしゃべりまくること」。

 

肩や首、背中の力を抜く、というのは「こわばっている上半身(肉体)をリラックスさせる」くらいの意味だと思います。

2については効果が科学的に立証されたわけじゃないし、大した発見ではないかも(すいません、さっき「大発見」なんてぶち上げちゃいました 笑)。

でも、これも「精神をリラックスさせる」くらいに思っていただければ。

 

もしこんなパンデミックが発生せず、人に気軽に会えるという社会生活が今も続いていたら。

「友達としゃべる」なんて他愛もないことは、快眠につながらなかったかも。

そう考えると、「友達とどうでもいい話をダラダラしゃべ」る行為は、精神安定剤みたいなものですね。

 

もっと言うと、パンデミックが無かったらワクチン接種する必要もなかった。

そしたら全身痛で眠れない、なんてことも無かった。

 

ちなみに、友人と会う際はマスク着用。

ご飯を食べ終わったら、またすぐにマスク着用。

こんな日がしばらく続くんでしょうね。

でも、うがい手洗い、マスク等、自分や他人を守る最低限のルールを守って最大限に楽しく過ごしたいですね。

 

 

タツ

 

また猫の話題で恐縮である。

(この記事は4月の記事「猫好き」の続編です。動物に興味の無い方は読み飛ばしていただいても問題ありません)

 

1年ぶりに我が家に帰ってきた野良猫「チビ」を手なずけようとして、てこずっている。

理由は、チビがなかなか我が家に姿を見せないからだ。

 

「帰ってきた」といっても、チビがずっと我が家にいるわけではない。

野良なので、ちらっと顔を出すだけである。

何日も姿を見せないのだから、慣らしようがない。

 

実はチビを飼おうと決意する前に、もう一匹気になる野良猫がいた。

全身真っ白の毛におおわれ、水色の目をしたガタイのいいおっちゃん猫だった。

梅宮辰夫のごとく貫禄があったので、我が家では「タツ」と呼ばれていた。

 

タツはおとなしく、賢い猫だった。

オスだが、どうやらこの地域のボスではないようだった。

(前回の記事にも書いたが、なぜか我が家周辺はメス猫が仕切っていたのだ)

 

そのボス猫(おばちゃんだ)とも、タツはうまくやっていた。

タツが他人と争っていたのを見たことが無い。

我が家に来ると「にゃお」、帰るときは「にゃご」(ほぼ同じだが…)とあいさつを忘れなかった。

私が話しかけると両手をそろえて座り、人間の言葉が分かるのか静かに聞いていた。

 

最初は「礼儀正しい?猫だなあ」と感心していた。

しかし、タツの様子を見て気づいた。

彼は元飼い猫だったのだろう。

 

これはタツの境遇に関する、私の勝手な推測。

お年寄りが自宅でタツを飼っていたが、施設に入ることになった。

ホームではペットを飼うことが出来ず、親は泣く泣く息子夫婦にタツを預けた。

息子夫婦は猫に興味がなく、親の家財道具と一緒にタツを捨てた。

 

「猫好きの誰か優しい人が猫を拾ってくれるかもしれないからねえ」

 

タツは(そのうち)(もしかすると)(うまく行けば)(ひょっとすると)誰かに拾ってもらえるかもよ?

なんて、タツの努力では100%叶いそうにもない、人間側の勝手な願いをタツに押し付けて。

 

タツが自力で新しい飼い主を見つけられるわけもない。

ま、想像力の無い人が動物を捨てるのでしょうけど。

 

こんなストーリーが成り立ちそうなくらい、うちの周辺はペットを捨てる輩が多いんですよ。

チビもその被害者の一人なんだが。

 

「飼えなくなったので、猫を欲しい方に差し上げます」

って、張り紙とかネット広告とか出してくれればいいのにさ。(怒)

 

我が家に姿を見せるようになった時には、すでに中年~熟年猫だったタツ

チビが縁側で日向ぼっこしていても邪魔することはなく、静かに遠くで座っていたタツ

野良猫なので白い毛もうす汚れていたが、私はタツなら飼いたいな、と思った。

 

タツを飼いたいなあ」と家族に言うと、家族の反応はいま一つだった。

理由は「年寄りだから」「汚いから」ということだった。

 

汚いのは洗えばいいんだし、生きてれば誰だって年を取るんだよ!

見ばえが良くてもアホだったらどうしようもないじゃないか!(心の中の反論)

 

ルッキズムって、ペットの選択には露骨に現れるもんなんですね。

私は、譲渡会なんかで隅っこで売れ残っているブサイク猫でも、喜んで連れて帰りたい。

いや、売れ残る子ほど飼ってあげたい。

面白い性格とか、賢い子ならいいじゃないの。

と思うんだが、皆さんはどうでしょう。

 

我が家のご近所さんのKさん(猫好き)宅にも、よくタツが来ていたらしい。

タツはいい猫ですよねえ」

と言ったのだが、Kさんから帰ってきた一言。

タツは落ち着きすぎていて、可愛げがないからねえ…。」

 

中年なら「落ち着いている」のは当然。

なのに、おじさんにまで「かわいさ」を求めるんかい!(←心の叫び)

 

人間に置き換えればわかる。

人間の50代のおじさんに「かわいさ」を求めるだろうか?

猫となると、なぜか何歳になっても「かわいさ」が求められるわけだ…。

 

私は人間の中年オヤジには異常に手厳しい?が、猫には甘々だ。(すいません)

タツは十分しつけられた猫なんだから、それだけで良いと思うんですよ。

タツには人生を重ねた猫ならではの人間味がある(猫なのか人間なのか、もはや何を言っているのか分からん)。

 

あーあ、自分が一人暮らしだったら速攻、タツを飼ってたんだが。

家族と住んでいるため、了解を得ておかないと後で協力してもらえなくなる。

 

タツは、そう頻繁に姿を見せない猫だった。

そして、手なずける前に姿を消した。

年齢も年齢なので、もう二度と彼に会うことはないのではないかと思っている。

私はタツの、たぶん生涯最後の安住の地を提供してあげたかっただけなんだが。

 

20代の頃。

とある宿泊業務研修を受講した。

親しくなった同僚たちと、ある週末に飲み会をすることになった。

 

すると、A君の姿が見えない。

「あれ、A君は来ないの?」

尋ねる私に、B子が答えた。

「今日は可愛がっていた飼い犬の命日だから、一人で過ごしたいんだって。」

 

犬の命日?

私はB子の顔を見た。

周囲の人たちは驚いた様子はない。

 

私は二重の意味で衝撃を受けた。

 

衝撃の一つは、「飼い犬の命日だから(飲み会に行かず)一人で過ごす」という選択をするA君。

そんな優しいハートの持ち主だったとは!(見抜けよ)

 

二つめは、そういうA君を見ても驚かない同僚たち。

「犬の命日くらい、別にいいじゃないの」とか、

「付き合い悪いな」

なんていうヤツがどこにもいなかった。

危うく、自分がそんな失礼なことを言っちゃうヤツになりかねなかった。

 

犬猫を飼ったことのなかった当時は理解できなかった。

でも、今はA君の気持ちが分かる。

 

私は以前、ぽん太(オス)という猫を飼っていた。

その業務研修が終了したあとのことだ。

 

ぽん太が亡くなったのは十年くらい前だ。

「ご長寿猫は18年生きる場合もある」

とネットで読んだので楽しみにしていたが、短命だった。

 

亡くなった時は悲しく、目が壊れたと思ったくらい泣いた。

「こんなに悲しいなら、もう二度とペットを飼わないぞ!」と心に誓った。

 

ぽん太の写真はいまだにブロマイドのように何枚も持っている。

遺影?には、毎朝新鮮なお水を上げ、お灯明とお線香も毎朝上げている。

海外勤務の際もぽん太の写真を持参し、朝晩「行ってくるよ」「ただいま」と声をかけている。

私のやってることは、まるっきりA君じゃねえか!!

 

そんなぽん太が、まだ私の心の中にはいるわけだ。

だからこそ、

「もう猫は飼わない」

と深く深く誓ったわけです。

 

そんな天国のぽん太から「あの家に行ってこい」という指令を受けたのか、チビがやってきた。

と言っても、毎日来るわけではない。

毎日来てくれたらエサを餌に?手なずけるんだが…。(あれ?あの誓いは?)

 

最近ネットで知ったのだが、鳥の言葉を研究している「動物言語学」の鈴木教授という方がいる。

シジュウカラの親鳥も、鳴き声でヒナとコミュニケーションしているのだという。

巣箱をモニタリングすると、親鳥はこんなことをヒナに伝えているらしい。

 

「ヘビが来た!全員、巣から脱出!」(ヘビは巣の中に入り込むので、ヒナは巣から逃げるのがベスト)

「猫だ、(猫の手の届かない)巣のすみっこへ行け!」(猫の手は巣穴の真ん中までしか入らない)

「お母さんですよ(安心して出てきなさい)」

などなど。

実に豊かなコミュニケーションを取っているのだ。

 

まあ、ちょっと考えれば理解できなくもない。

「そりゃそうだよね、親鳥が危険をヒナに知らせなければ、どうやってヒナは身を守れるの?」

 

しかし、この方のすごいところはそれ、つまり親鳥がヒナに指示している言葉を解明し、語順のルールまで理解したところだ。

もはや、人間の世界と鳥の世界を行き来しているようなものだ。

たとえは違うが、日本人が英語を習得したようなもんだ。

鳥に限らず、どの種の動物も多かれ少なかれ、ある種の”言語“を使ってコミュニケーションしているんだろう。

 

猫もにゃあにゃあ言っているように聞こえるが、よく聞いていると状況によってトーンが違う。

ってことは、猫同士なら通じる言語があるはず。

 

多くの猫飼いさんは同意してくださると思うが、注意深く猫を観察していると分かることもある。

私も最近は「トイレ行きたい」くらいなら、猫の言いたいこと?が分かるようになった(それだけかよ)。

たぶんベテランの「猫飼い」「ネコズキー」氏たちは、私以上に猫語が分かるんだろう。

 

脱線に脱線を繰り返して申し訳ない。

しかし、いまだにチビは我が家の猫になっていない。

 

野良猫を家猫にするのは、長い道のりだということがよく分かった。

野良を保護して飼い猫にしている方々には頭が下がる。

そういう方々は猫の外見とか年齢問わず、可愛がってくださっているんだと思う。

そういう方に飼われた猫は、幸せである。

 

 

ゼレンスキー大統領

 

ジャカルタウクライナ大使による講演をYouTubeで視聴した。

という記事を先日書いた。

その講演の主催者はインドネシアの団体。(だから在インドネシア大使なわけだ)。

講演は英語だったので視聴したのだが、なかなか興味深かった。

 

その主催者から、また連絡があった。

今度はゼレンスキー大統領の講演だという。(キーウからオンラインでの講演となる)

参加無料、英語通訳付きなので申し込んだ。

 

それにしても、ゼレンスキー大統領。

精力的に海外へ発信しているのだなあ。

ウクライナの現状を他国に理解してもらいたいんだろう。

国家元首としては当然だ。

 

おまけに、東南アジア諸国はロシアに対する経済制裁に加担せず、「中立」の立場を取っている。

ウクライナとしては、アジア諸国は傍観者を決め込まずに積極的に自国を支持してほしいところですよね。

 

というわけで。

ゼレンスキー大統領がインドネシアに何を語るか、気になったので視聴を申し込んだ。

 

YouTubeの画面に出てきた司会者(インドネシアの大学教授)。

最初は音声が途切れたり司会者がインドネシア語でしゃべっていたりして、ちょいと不安だった。

 

ゼレンスキー大統領が登場してからは、司会者が英語を話し始めたので安心した。

ちなみに大統領はウクライナ語で講演し、同時通訳(英語)が入るという形式だった。

 

大統領が語った内容は、特に新しいことではなかった。

新聞やネットで報道を読んでいる人なら、報道が事実であることが分かると思う。

(しかし、大統領自らが語るとまた現実味が増すように思いますね)

 

ロシアによる侵攻で、ウクライナ経済が壊滅的になったことから講演は始まった。

工場や製鉄所など、産業インフラにミサイルが撃ち込まれた。

畑に地雷が埋設され、農業に支障が出るようになった。

 

港が占拠され、列車の駅が破壊されたので、穀物を収穫しても輸出するすべがなくなった。

ウクライナの小麦はサイロに山積みになったままだ。

すでに同国経済は50億ドルの赤字となっている。

そんな話が続いた。

 

視聴者のインドネシア人学生からは、『経済の話よりも戦争の話を聞きたい』なんて声も上がった。

でもさあ、国の指導者なら「経済をどうやって立て直そう」てのが、第一に考えることだと思いますよ。

経済=国民の生活ですから。

別の見方をすれば、大統領は「戦後復興」をすでに思い描いている、ともいえる。

 

インドネシアウクライナG20に招待した。

インドネシアのジョコ大統領に感謝している、とゼレンスキー大統領は言っていた)

前出のエネルギー危機と食料安全保障は、G20の議題にもなるだろう。

 

で、肝心の「停戦もしくは終戦」について。

最近、色々な人が「戦争の落としどころ」についてあれこれ(無責任な)提案をしているようだ。

 

たとえば、

クリミア半島をロシアに差し出せば、許してもらえるんじゃないか」

「ドンバス地方をロシアに割譲したら?」

ウクライナ領土を分割してロシアに与えるという約束をすれば、ロシアは戦争をやめてくれるんじゃないの?」

とか、そんな具合だ。

 

私がウクライナ人だったら、そんな提案は絶対に受け入れられない。

なんで領土を差し出さにゃならんのだ。

 

ゼレンスキー氏は大統領になって3年の間、ロシアと平和裏に交渉しようと思ってきたという。

彼の懸念はこうだ。

「もしかすると、ロシアはウクライナが独立国家と思っていないのではないか?」

 

うーむ、ありえますね。

三者から見ても、何だかそんな感じがする。

「もともとソ連の構成国だったし、どうせ俺(ロシア)の言うことを聞くだろう」と思ってたのかもしれん。

 

ウクライナは独立主権国家なので、自分自身のことは自分自身で決めることが出来るはずだ。

EUに加盟したいとか、NATOに加盟したいとか。

ロシアが決めることではなく、ウクライナ国民自身が決めることなのだ。

 

って大統領は言ってました。

(大統領の言ってることは正論だが、それが気に食わない人もいるから困るんですけどね…)

 

私も、今年は勉強になった。

暴力で他国を従わせようとする人が(21世紀になってもまだ)いることを学んだのだ。今年。

今まで様々な戦争があったが、「第三次世界大戦」勃発が危惧されるほどの戦争は今年が初めてですよね。

 

2022年は、国際関係学を学ぶ人たちにとってエポックメーキング的な年になっただろう。

今年を境に、世界はまた東西冷戦に突入した。

というか、潜在的対立が顕在化した、だけなのかな~。

 

今年の何がすごいって、世界の動きとその速さですよ。

200年も中立を維持してきたスウェーデンまで、NATOに追い込むとはねえ…。

いろいろすごすぎる。(←語彙が貧困ですみません)

だんだん、頭が追い付かなくなってきた。

 

だってロシア、ウクライナだけじゃなく、フィンランドスウェーデン、トルコ、イスラエル、インド…登場人物が多すぎるのよ。

しかも複雑な人間関係(国家関係)相関図。(図を書かないと理解できん)

余りに多くのことが同時進行で、もはや整理できなくなってきた、キャパの小さい私の頭。

 

この戦争で、あまり知らなかったモルドバの歴史なんかも勉強した。

前から関心のあったチェチェンとかのあたりについても、付け焼刃だが歴史本を読んでおこうかな、と思っている。

 

それにしても、テレビに出演する専門家たちの頼もしいこと。

ウクライナ研究なんて今まで日の目を見なかった?オタク分野かもしれんが、研究者がいて良かった。

政治家も、博士号取得者をじゃんじゃん活用してほしいものだ。

やはりオタクは人類を救う。

 

今は情勢が流動的だが、戦争が終わったら「あの戦争とは何だったのか」を関係者には検証してほしい。

そして、「今後、世界はどこへ向かっていくのか」「どうすれば平和を実現できるか」を考えるべきだ。

もともと、国際関係学のスタートは第一次世界大戦の反省だったわけだし。

 

「我々は、自分の国で平和に暮らしたいだけなのだ。」

 

そう言っていたゼレンスキー大統領。

それが出来るよう、私も陰ながら応援したいと思っています、大統領。

――

 

余談だが、フィンランドのマリン首相が来日時に言っていた。

 

「日本は大変ですね。中国、ロシア、北朝鮮に囲まれて。」

 

そ、そうですかい…。

まさかフィンランドに言われるなんて思わなかった。

ロシアの隣国でフィンランドはかわいそうだな、と思っていたが、日本も安心できる状況ではない。

国ガチャに勝ったような気がしていた?が、そうでもないかな。

(私は個人的には「あの国が××」とラベリングするのは好きじゃないけど)

 

イラク戦争とかベルリンの壁崩壊とか同時多発テロとか、世界はいろいろ変わってきた。

それでも、2022年は今年生きている誰の記憶にも残る年になるだろうな。

早くゼレンスキー大統領がゆっくり休める日が来ることを願っている。

 

本日(5月28日)の新聞。オンライン講演には、79カ国から視聴者が参加したらしい…

 

コメ

 

諸事情により、小麦の価格が高騰している。

「コメを食べてほしい」と農水大臣も言っておる。

確かに、小麦粉価格、上がりましたねえ。

 

「コメを食べよう」

私も常々そう思ってきました。ホントですよ。

 

いや、私だって小麦粉には毎日お世話になっている。

うどん、パスタ、パン、お菓子等々。

しかし、コメについては「もっとおいしい料理法を知りたい」とずっと思ってきた。

我が家では、コメは「炊飯器で炊く」くらいしかやってないからだ。

 

コメが健康にいいのは知っている。

アレルギーの原因の一つであるグルテンは、小麦粉に多く含まれているとか聞く。

海外の友人たちも、「娘が小麦粉がダメで」なんてよく言っているし。

じゃあコメを食べたらいいんだが、どうやったらおいしく食べられるんだろう。

とずっと思ってきた。

 

日本はコメ文化だが、私は昔、小麦に憧れていた。

学生時代にアメリカで見た、地平線まで続く小麦畑。

すごいなあ~と思ったことを覚えている。

小麦畑にはロマン?がある。

 

しかし、社会人になって旅行したインドで見た水田(もちろんコメだ)。

青々とした稲が風にそよいでいた。

「アジアはコメ文化なんだなあ」と思った記憶がある。

高温多湿のアジアに、稲作が適しているんでしょうね。

 

この度の小麦騒動。

2月24日から始まったウクライナ戦争も影響している。

それで、ちょいと調べてみた。

 

ウクライナは小麦生産量世界シェアの3割を占めているそうだ。

そりゃ、そんな穀物生産国で戦争が始まったら困るよなあ。

 

おまけに戦争開始のタイミングが悪い。

同国では大麦の作付けが3月から、トウモロコシ、大豆、ひまわりについては4月から作付けが始まるんだそうだ。

 

ってことは、ウクライナ農家の視点から見ると。

2月下旬から戦争を開始されたら、食料生産が出来ないじゃないか!

もしや食料生産に影響を与えそうな時期をわざわざ選んだのか?

と勘ぐってしまう。

 

3月11日の時点で、ゼレンスキー大統領は「ロシアに占領された地域であっても、小麦の作付けを行うよう」指示を出している。

畑に爆弾が無いかどうか、いちいち兵士に確認を頼んでから農作業をしている農家さんたちが気の毒だ。

おまけに、小麦を収穫しても輸出するのがねえ。

 

で、コメだ。

 

「コメを食え」という農相の言い分も分かる。

私だってそう思うよ。

米粉とかコメ加工品がもっと一般的だったら、コメ消費量も増えると思うんだけどね。

 

じゃあ、どうしてコメ加工品が少ないのか?

それが気になる。

そんな話を友人とした後に、これも調べてみた。

 

すると分かったこと。

小麦もコメも、食用にするには外側の固い殻を取り除く必要がある。

小麦の食用部分はやわらかいので、殻を取り除く際に割れてしまう。

なので、小麦は殻ごと粉砕し、ふるいにかけて殻を取り除き、粉として食するという方法が向いているのだという。

つまり小麦を食べようと思うと、粉にせざるを得ないわけだ。

 

反対にコメの食用部分は固いので、殻を精米して取り除いても、その間に壊れることはない。

なので、粒で食べることが出来るのだそうだ。

知らなかった。

 

でもさあ。

私の知りたいことはそれだけじゃない。

ベトナムビーフンとかフォーとか春巻きとか、コメを粉にして食べているじゃないの。

それだよそれ。

「コメは固いので粒で食べる」とか言うけど、砕いて粉にして食べている国もあるんだよ。

 

というわけで、コメ料理を調べた(←結局知りたいのはそこだ)。

他の国は、どうやってコメを食べているのか。

 

イタリアのリゾット(私は最近よく作ってます)。

トルコのピラフ(アフガニスタンウズベキスタンなどあの辺はピラフ文化らしい)。

ジャマイカの豆ごはん(キューバとかあの辺も似たような料理がある)。

カナダのスパイシーロール(日本の巻きずしだが…)。

 

アフリカのコメ料理は、私には大変なじみがある“ぶっかけご飯”が多い。

コメを炊いて、おかずのシチューをかける方式。

あるいはセネガルのチェブジェンみたいな炊き込みご飯方式。

 

こうやってみるとアジア以外の国は、

 

1.炊き込みご飯(ピラフもここに入る)、

2.ぶっかけご飯(コメを別に炊き、おかずをかける)、

3.おかゆまたは煮込み系、

4.それ以外(コメをミルクで炊くお菓子等)、

 

という料理方法が多いようだ。

つまり、基本的には「コメを粒で食べる」正統派だ。

 

どの国の料理もおいしそうなんだが。

私が知りたいのは「コメを粒で食べる以外の料理法」だ。

 

ベトナムならコメを麺にしたり、ライスペーパーにしたりしてコメを消費するじゃないか!

「どうやってコメをおいしく消費するか」の楽しいアイデアは、アジアにあるんじゃないかと期待。

そこで「アジアのコメ料理」をネット検索してみた。

 

コメ大国といえば、ミャンマーだ。

日本人の3倍はコメを消費しているという。

ライスヌードルはもちろん、コメから作った上新粉お好み焼きも作るそうで。

 

米粉お好み焼き。

ほらね。

つまり粉になれば、粒で食べるよりも料理法が広がるわけだ。

 

タイのパッタイ。(麺はコメ粉100%!)

スリランカには、米粉ココナツミルクで溶き、薄く延ばして焼いて食べる朝食があるんだそうだ(おいしそう!)。

 

 

私がいたインドネシアでは、有名な料理はナシゴレン(つまりチャーハン)だ。

しかし、ロントン(コメをついて作った餅をちまきにしたもの)とか、ブブール(おかゆ)、ビーフンなんかもある。

コメを加工して食べるのは得意なのだ。

 

ちなみにインドネシア人のコメ消費量は世界第3位だ。

日本人が一年間に消費するコメの量は54キロだそうだが、インドネシア人は140キロ。

 

まだ行ったことのないラオスも調べてみた。

ラオスはもち米が主食なんだそう。

「カオ・○○」という料理がたくさんあるのだが、「カオ」とは「コメ」という意味らしい。

ってことは、コメ料理がたくさんあるんでしょうね。

 

そして我らが日本だ。

コメのせんべい、あられ、餅、酒、米酢、味噌、ぬか漬け。

コメ大国、といっても言い過ぎではない。

 

同様に、コメ大国・ベトナム

前出の「フォー」「ライスペーパー」以外にも、おこわがおいしいようだ。

そういやあ、昔台湾の人からいただいたお手製の「台湾おこわ」がめっちゃ美味しかった。

 

話は脱線するが、ベトナムライスペーパー

なんと、ベトナム戦争の時に発明されたそうです。

 

お米を煮炊きすると煙が上がって、敵に居場所を悟られてしまう。

なので、ライスペーパーで野菜等具材を巻くだけにすれば、火を使わずに食事が出来る。

うーん、すごい発明ですね。

 

これも全く余談ですが、ベトナムの屋台で食べられるのが「ライスペーパーのピザ」だそう。

作り方も簡単。

 

1.フライパンにライスペーパーを敷き、熱する。

2.ライスペーパーにマヨネーズを塗り広げる。

3.具材(干しエビ、ネギ、ウインナー、ひき肉、チーズなど何でも)をのせる。

4.溶き卵を回しかけ、全体になじませるように広げる。

5.スイートチリソースをかけ、半分に折りたたむ。

 

以上。

溶き卵とマヨネーズで、ライスペーパーがしっとりするみたいです。

 

脱線しまくりましたが、「コメをどうやっておいしく食べるか」の私の旅も終了。

どうでもいいが、昔、コメ騒動が日本にもあった(大正時代(1918年)のことじゃないですよ)。

1993年のことだ。

平成ですよ。

 

フィリピンのピナツボ山が大噴火し、火山灰が地球を覆ったとかで、記録的冷害になった。

コメが取れなくなり、日本はタイ等海外からコメを輸入した。

 

しかしですよ。

「日本人の口に合わない」とか言って、タイ米が大量にごみに捨てられるというケースも発生したのだ。

私は「食べ物を(しかも買ったヤツ)を捨てるなんて!」と大ショックを受けた。

タイ人は、そのコメを食べているのにねえ…。

お金を払って輸入したコメを捨てるなんて、日本人はどんだけ金持ちなんだよ。

 

でも、今回の騒動は小麦不足というだけだ。

コメは不作なわけじゃないので、コメのおいしい食べ方を工夫すればいいだけだ。

なので、世界のおいしそうなコメ料理を検索してみたのだ。

作ってみたい料理がたくさんあるので、これから「もどき」を作ってみようと思っている。

 

前回のコメ騒動から約30年。

他国で何かが起きると、食料不足が日本へも必ず波及する。

 

日本も「コメ食え」とか言ってるだけじゃなくて、そろそろ食料自給率を上げることに真剣に取り組んだ方がよさそうなんだけどなあ。

私は個人的にワインづくりに興味がある。

なので、土地を借りてブドウ作りをやってみたいのだ。(食べ物じゃないけど)

退職後の夢に取ってあるが、ホントは体力のあるうちに始めた方がいいのかもね。

 

 

 

敗者

 

先日、ドイツ人の友人と久しぶりに話した。

本ブログによく登場するマルちゃんではなく、「ストリートに出ろ」の方である。

とりあえずテオ君としておく。

 

その友人テオは、「僕はニュースをよくチェックしている」のだという。

日本政府が近々、「ボーダーコントロールを緩和する」予定だというのも知っていた。

国境管理、つまり入国制限を緩和ということである。

 

コロナ対策として、日本政府は国際的な人の往来を今まで制限していた。

「特段の事情」がある人のみ、新規入国を許可していたのだ(外務省HPによれば)。

その一日当たりの入国可能人数を6月から増やす予定だということを知っている、というのである。

ま、G7で日本の総理が発表したので、その報道をテオは読んだのかもしれん。

 

とはいえ、よく知ってるなあ。

私なんか、ドイツ政府が何をやってるかまではチェックしていないなあ。

G7の中でそれだけ厳しい入国制限を課しているのは日本だけなので、目立っていたのかも。

 

テオは言う。

 

「日本政府もついに分かったんじゃない?ウイルスはコントロールできないってことが」

 

いやいや。

私はそう思わないよ。

ある程度はコントロールできるでしょ。

 

日本が入国制限していたからこそ、欧米のように何万人という感染者が出なかったんじゃないの?

しかし、彼の言う通り、ちょっとやり過ぎ感はある。

 

まあ、テオの言いたいことも分からんではない。

ドイツみたいに北部以外はどこも他国と陸続きだったら、そりゃ入国制限は意味ないよ。

歩いてドイツへ入国できちゃうからさ。

島国日本だからこそ、入国制限は威力を発揮するわけでさ。

 

でも、同じ島国のイギリスは入国にかかる全制限をとっくに撤廃しているなあ。

陰性証明書も不要だった気がする。

よくそこまでふっきれたものだ。

入国制限するメリットよりデメリットが上回る、という判断だったんでしょうね。

 

日本では、私も友人も、ワクチン接種の予約を取るのにえらい苦労した。

という話をテオにした。

ヤツによれば、ドイツは「ワクチン接種予約なんて超超超超簡単!誰でもすぐ」なんだそうである。

 

うーむ。

テオの得意げな顔が腹立たしい(←そっちかい)。

日本は一応「世界第3位の経済大国」なのだが、どういうわけかいちいちドイツに負けている…。

(いや、私個人がテオに負けたわけじゃない、とは分かっている。ただの対抗意識?)

 

で、最近人と会うと必ず話題に上るテーマの一つ、「ウクライナ」の話になった。

 

グローバル化のおかげで?どの国の友人たちと話しても、だいたい似たような話題になる。

うちのご近所さんとやっているただの井戸端会議と変わらない。

ま、世界のどの人とも似たような価値観を共有することになった、ってのはいいことなのかも。

 

ドイツでもウクライナ難民を大量に受け入れているらしい。

(ドイツでも、と書いたが、欧州諸国の受け入れている難民の数は日本の比ではないが…)

 

しかし、ドイツに来たウクライナ難民たちの多くがウクライナへ戻っていくのだという。

誰だって、自分の国が一番住みやすいに決まっている。

一家全員で来たのならまだしも、家族の半分がウクライナに残っていればますます戻りたいだろう。

 

日本もウクライナ難民を受け入れているが、日本語は難しいし、難民に対する偏見がある。

多くの難民がすぐに日本を引き上げるだろうなあ。

 

テオは旅好きだ。

日本へ来た時も、シベリア鉄道を使って欧州から極東まで来たのだ。(飛行機なら楽なのに)

さすがドイツは長期休暇が取れるからこその、なせるわざだ。

そんな彼なので、「日本政府が観光客を受け入れるかどうか」は気になるんだろう。

 

テオは、ロシアにもウクライナへも旅行したことがあるという。

なんだか、地球上のたいていの場所へ行ってるんじゃないかと思う。

 

「マジで、ロシア人とウクライナ人は似てるんだよ。なんでお互いに戦争するか分からないくらい。」

 

へえ、やっぱりそうなんだ。

見た目も同じだしねえ。

 

こんなことを言うと、誤解されるかもしれない。

しかし、私はウクライナの戦争を見ていると、心苦しく思うことがある。

それは、ウクライナ、ロシア、どちらも殺される人には家族がいる、ということだ。

 

もちろん、勝手に侵略したロシアに非がある。

でも、ロシアにだって戦争に反対する人はいる。

 

ウクライナ側が欧米から支援された兵器を使用してロシアの軍艦を沈めたとか戦車を爆破したとか聞くと、そこにいたロシア兵だって死ぬんだよな、と頭の片隅で思う。

でも、ロシアが余計な侵略をしなければ、徴兵されたロシアの若者が死ななくて済んだのだ。

 

説明もなく前線に送られ、殺されるロシアの若者は確かに気の毒だ。

しかし、多くのウクライナ国民がロシア軍に殺された事実はどう説明する?

 

う~どうすればいいんだ。

最近、報道を聞くと感じるジレンマだ。

 

テオ曰く。

 

「今回のウクライナ戦争で、勝者はウクライナか、ロシアか。

それは誰にも分らない。でも、敗者はいる。

この戦争での敗者は『事実』だ。」

 

そうかもしれん。

ロシア側、あるいはウクライナ側。

どちらが何をしてどういうことを行ったか、今のところ誰にも分からないし、知らされていない。

戦争犯罪が行われている可能性もある。

「相手が悪いんだ」と追い詰められれば、歯止めのきかない行動をしてしまうこともあるだろう。

 

当事者だけではない。

ネットでフェイクニュースが流れたり、国営放送ででっち上げの報道をしたりと、何が事実なのか第三者の私たちもよく状況が見えなくなっている。

一刻も早く戦争を終結させて事実をはっきりさせない限り、隠ぺいされた事実だけが拡大していくだろう。

 

インターネットが普及して、欧州での戦争がリアルタイムで分かるようになった。

情報社会になり、うその情報が拡散して事実が見えなくなった、というのは皮肉なものだ。

 

と、そんな話になった。

ワクチンの件は意見が違うが、戦争についてはテオも私と似たような意見らしい。

やはりネットで情報を読むだけではなく、生身の人間と話すのがいいのかもしれない。

 

ところで。

コロナでテオも「2年くらい、友達と対面で話してない」という。

だよね…。

 

私もオンラインでは人と会うけど、対面で会う機会は激減した。

ネット社会とか何とか言うけど、やはり人と直接会って話すのは大事だよ。

 

テオじゃないが、「早く移動制限が緩和されるといいな」と思っている。

自由に旅行出来て人と話すことが出来る、ってのは平和の証拠なんだな。

 

おととし位にテオが「ミュンヘンへおいで」と言ってくれた。

だが、こういう社会情勢なので、いまだに行っていない。

テオと直接会って話したいことは山ほどある。(井戸端会議レベルだが…)

テオと奥様(旅好きらしい)が日本に来たら、3人で日本そばを食べに行くのもいいなあ。(自分がそばを食べたいだけ 笑)

 

誰かのフィルターを通した画像や文字ではなく、自分自身の目で、耳で事実を確かめることが本当は一番いいんだろうなあ。

事実を敗者にしないためにも。

と思っている。