オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ジャカランダ

 

毎年10月ごろになると、南アフリカではジャカランダの花が咲く。

ブラジルとか南半球では一般的な花だと聞いた。

 

南アフリカ人がよく言うのは、

ジャカランダの花は、日本人にとっての桜のようなものだ。」

 

春になると、桜は日本全国で咲く。

ジャカランダは、秋になると南アフリカ全国で一斉に咲く。

南アフリカの春を彩る存在なのだ。

(「秋になると…春を彩る」って、秋なのか春なのか、分かりにくい表現ですね)

 

南半球の春は、北半球と季節が逆だ。

9月後半から10月くらいになると、南半球の春。

南半球に春が来た、と感じさせる花なのです。

 

ジャカランダの花は薄い紫色。

こんな感じ。

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ジャカランダの花

 

うす紫の花が町のあちこちで咲き始めると、春だなあと感じます。

ジャカランダの花におおわれた町は、夕暮れになるとかすみがかかったようになります。

 

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町中に咲くジャカランダの花

 

毎度毎度、南アフリカについて記事を書くとき、たびたび治安の悪さをあげつらって申し訳ない。

しかし、海外勤務や海外旅行でいろいろな国へ行きましたが、「この国に家を買って永住してもいいかも」と私が思った唯一の国は、南アフリカなんですよ。

それくらい、南アフリカ大自然に恵まれた美しい国です。

 

もちろん、他の国も魅力的です。

人が親切で犯罪が少ない?というと、やはりインドネシアに軍配が上がるかも。

アジアは、日本人にとっては住みやすいですよね。

食べ物がおいしい国は結構あります。

どの国も捨てがたい。

 

南アフリカの良さは、生活レベルが高くて自然が美しいことでしょうか。

ヨハネスブルクから香港またはシンガポールまで出れば、日本までそんなに遠くないのも魅力。

「アフリカは遠い」というイメージを覆す近さ?だと思います。

英語が通じるのもありがたい。

 

南アフリカ人の同僚たちは、

「犯罪なんか、どの国だってあるよ」

と言いますが、いやいや。

お宅の国の犯罪率、なかなかどうして群を抜いていますよ…。

 

でも、治安の悪さを補ってあまりある魅力が、南アフリカにはあるんだと思います。

南アフリカ観光局の回し者みたいですが、コロナが収まった後の旅行を検討するなら、ぜひアフリカ大陸はいかがでしょうか?

特に10月は、美しいジャカランダの花を見ることができます。

 

今週末は三連休の方も多いと思います

皆さんの秋の週末が、素晴らしいものでありますように。

 

 

 

キンモクセイ

 

キンモクセイの良い香りが、どこからか漂ってくる季節になりましたね。

私は最近まで知らなかったのですが、キンモクセイの花を使った中国レシピがあるようです。

 

キンモクセイの花を砂糖と酒につけこんだもの。

杏仁豆腐のソースや白玉など、デザートに使うそうです。

それを最近知って、早速ネットで検索。

今の季節しか作れない…と思い、すぐに作ることにしました。

 

その、桂花醤(けいかじゃん)は、キンモクセイを砂糖と酒で漬け込んだもの。

(注:お酒を使わなくても、砂糖だけで大丈夫そうですが)

ネットで調べると、作り方はこんな感じでした。

 

1.砂糖と水を小鍋に入れ、砂糖が溶けたら火からおろし、粗熱を取る。

2.そのシロップに、洗った(あるいはお湯でゆがいた)キンモクセイの花を漬ける。

 

というのが、基本のレシピでした。

 

よりおいしくするためのアレンジ。

キンモクセイの花を湯がくときに、レモン汁をお湯に垂らし、その後冷水でしめる。

砂糖の代わりに氷砂糖や三温糖、またはお好みでグラニュー糖を使う。

そういったアレンジがあるようです。

 

砂糖水だけでもOKですが、砂糖+お酒(あるいは白ワイン)でもおいしいそうです。

ところで、桂花陳酒キンモクセイの酒漬け)というのもあるようです。

白ワインにキンモクセイの花を3年間漬け込んだお酒だそうで。

こうやって、秋の花を楽しむのもいいですね。

 

で、私がどうやってキンモクセイの花を入手するかというと。

自宅の庭の片隅に、キンモクセイの木が(弱々しいが)1本あります。

それが先日から咲いていたはずだ…と思い出した。

 

それっ!と見に行ったのですが、うーむ。

思ったより花が咲いておらず、がっかり。

ざるを持って庭に出たのに、本当に本当にわずかしか花が取れず。

 

じゃあ、ごく少量のキンモクセイで出来るレシピはないものか。

と、さらにネット検索したら、「キンモクセイの花のはちみつ漬け」がありました!

 

これは、さらに簡単。

キンモクセイの花を洗い、はちみつに漬けるだけ。

作ったら、こんな感じ。

1回食べたら終わってしまうなあ。

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ふたを開けると芳香が漂います



 

せっかくの秋の香りを長く楽しむために、うーむ、どうにかしてキンモクセイの花をゲットしたい…。

近くの公園や遊歩道脇に、キンモクセイの木があります。

早朝の散歩のときに通るのですが、芳香を漂わせています。

キンモクセイを大量ゲットするためには、あれを取りに行くしかないなあ~。

 

しかし、ざるを持って公園へ行き、盗人よろしく(って、盗人だが)キンモクセイの花を取っていたら、通報されそうだ。

でも今週末は台風が来る。

もたもたしていると花が強風や雨で落ちてしまう。

悩む…。

 

花泥棒してまで作るほどだろうか、と思いつつ、いや台風で花が落ちたら作れなくなる、というジレンマ。

皆さんも、もしご自宅にキンモクセイの木があったら、作ってみてください。

(とはいえ、花を盗んでまで作る必要はないです)

少量を楽しむのが風情があっていいかも。

 

それにしても、菊茶とか桂花醤とか、中国の花を食としても楽しむ文化、なかなか素敵ですね。

 

コートジのアジア人

 

コートジボアールにはアジア人が比較的多く住んでいた。

彼らに(というか、彼らの料理に)私は大変助けられた。

西アフリカ料理はおいしくて大好きなのだが、胃が疲れたときにアジア料理はありがたい。

 

アビジャン市内には、ベトナム料理の店(レストランというよりも、軽く食べられテイクアウトも出来る店)があった。

コートジボアールベトナムはフランス植民地だったつながりから、ベトナム系住民が住んでいたようだ。

 

ベトナム料理と言うと生春巻きを思い出す方も多かろうと思うが、そこはアフリカ。

停電が頻発するので生ものは難しく、揚げ春巻きが主流だった。

これがまた、おいしかった。

ベトナム人店員のお姉さんとも仲良くなり、アフリカに疲れたときは?安いベトナム料理を食べながら、愚痴を聞いてもらっていた。

 

私の家から少し歩くと、住宅街の中に韓国料理の店があった。

店、と言っても看板は出ていない。

ある韓国マダムが、アパートの一階に住んでいた。

彼女の自宅の一角を開放して、店にしていたのだ。

 

外から呼び鈴を押すと、マダムが鉄格子の門を開いて中に入れてくれる。

中にテーブルが2つ3つあるので、数人なら入れた。

キムチのテイクアウトも出来た。

当時は和食レストランが無かったので、日本人はかなりのヘビロテでその店でご飯を食べていた。

 

ある日、友人と私はその韓国マダム宅へキムチを取りに行った。

すると、店内で2,3人の韓国人ビジネスマンたちが食事をしていた。

見ていると、彼らもキムチをテイクアウトしていた。

韓国人たちが先にキムチ代金を支払った。

 

帰り支度を始めた韓国人客の脇で、我々日本人もキムチを受け取り、代金を支払おうとした。

すると、韓国人と私たちのキムチの量は同じなのに、マダムは小声で安い金額を言ってきた。

 

「えっ?金額が違いますよ」

驚いた友人が言った。

すると、韓国マダムは笑顔で首を横に振った。

 

再度、友人が「金額が違う」と言った。

マダムは韓国人客たちに背を向け、私たちに小声で言った。

「いいからいいから。あなたたちは、いつもうちに食べに来てくれるからね。」

 

そして、「騒がないように」とジェスチャーをして、静かに私たちを店から押し出した。

まだ韓国人ビジネスマンたちが店内にいたので、日本人に安くキムチを売ったことが韓国人たちにばれないよう、静かに店内から出したのだ。

 

日本人がいつも大量にキムチを買い、頻繁に彼女の店で食事をするので、どうやらサービスしてくれたらしい。

ありがたいと思うと同時に、我々は年がら年中彼女の店に通っていて日本人のたまり場みたいになってしまい、申し訳ない気もした。

しかし、その後も韓国マダム宅でいつも飲み食いしていた我々…。

 

中国人や台湾人住民もたくさんいた。

台湾人のマダムが経営しているレストランは私の自宅から遠いのが難点だったが、とても美味しかった。

中国の方も、やはり中華料理店を経営している人が多かったように思う。

 

ある日、私は友人たちと中国料理店へ行った。

この店は初めて行く店だったのだが、料理はおいしかった。

数人で食事に行ったのだが、お酒が入り盛り上がってしまった。

食事を終えたら、夜もとっぷり暮れていた。

店の裏は自宅になっており、中国人の経営者ご夫婦は、我々が食事を終えるまで辛抱強く?待っていてくださった。

すまんのう…。

 

すっかり暗くなった店内(もう誰もお客さんはいませんでした)で代金を支払った。

ふと、私は店の壁に書いてあった立派な書に目を止めた。

素晴らしい書だ。

書の下には、牡丹なのか華やかな絵まで描いてある。

なんとまあ、上手な絵だなあ。

 

ん?

気になって、私は目をこらして見た。

ん?

 

よく見ると、その書は、掛け軸など紙に書いたものを壁に掲示しているのではなかった。

壁に直接、その文字が書いてあったのだ。

 

私は近寄ってまじまじ見た。

達筆な書だなあ、と思っていたが、まさか、壁にじかに書いてあるとは!

ペンキで書いた?わけないよね…すごい。

 

友人の一人が寄ってきたので、私は壁に書いてある書を指さした。

「ねえねえ、これ、壁に直接書いてあるよ。すごいね。」

 

すると、友人たちが全員そこに寄ってきた。

「ホントだ!紙に書いて貼ったんじゃなくて、壁に直接、字が書いてある!!」

日本人がわいわい騒ぎ始めたので、中国人奥様が驚いてやって来た。

 

私たちは、店の壁に直接書いてある書を指さして、達筆ぶりをほめた。

すると、中国人の奥様は大変喜んでくれた。

「これはねえ、うちの夫が書いたんですのよ!」

 

奥様に呼ばれて、店の裏から顔を出した旦那さん。

奥様と違い、全くフランス語が話せないらしい。

「日本人があなたの達筆をほめている」と奥様に言われ、相好を崩している。

奥様は、「うちの夫は本当に芸術家で…」と旦那をほめちぎっている。

いい奥様だ。

 

旦那さん曰く(奥様の通訳を通してだが)、壁に直接、書を書くのは相当難しいそうです。

ペンキ(墨?)がたれそうだし、紙の上に書くのと90度の垂直面に書くのとでは、えらい違いだ。

そのうえでの、流麗な書。

やるのお。

 

「この書の内容は、中国の有名な詩で…」

と、中国人旦那が言い始めた。

すると、酔いが回っている友人の一人が、

李白、知ってます!国語の授業で覚えさせられましたよ!」

と言って、高校時代に覚えたという漢詩を、頼みもしないのに勝手に暗唱し始めた。

 

酔っ払い日本人が、大声を張り上げて李白の詩(日本語だが)をわめくのを、ニコニコ聞いてくれる中国人ご夫婦。

夜遅くまでご迷惑をおかけし、すみません…。

 

アビジャン到着時は、うわ~黒人ばっかりだ、と思った。

しかし、長く住んでいると、アフリカにもアジア系住民が結構いることに気づく。

 

こんなこともあった。

アビジャンから離れ、地方へ行った。

長距離バス発着場から、さらに奥地に入った、電気も水道もないジャングルの村へ立ち寄った。

 

村人は、私がアジア人なので気を利かしたらしい。

「お前はベトナム人か?ベトナム人か?」

と聞く。

違う、と言うのだが、どうもベトナム人ということにしておきたいらしい。

 

ベトナム人じゃない、とずっと抵抗していると、あるおじいさんの家に連れて行かれた。

出てきた高齢の老人。

「俺はベトナムへ行ったことがある」

という。

 

またまた…ウソばっかり。

こんな無医村の、ジャングルの奥地に住んでいるような老人が、アフリカから遠く離れたアジアへ行くわけがない。

そんな遠くまで行くお金は、どうやって工面したんだ?

 

と思っていたら、

「フランス兵として徴兵され、ベトナム戦争へ行かされた」

ということだった。

つまり、コートジボアールがフランス植民地だった時(相当昔ですよ)に、「フランス人」として徴兵され、インドシナ半島へ連れて行かれ、従軍させられたわけです。

 

政治(というか植民地政策)は、1人の村人の人生まで変えてしまうわけですね。

アフリカとアジアのつながりは、意外にもあるのです。

 

和食レストランの無い国で生活すると、アジア系レストランに畢竟お世話になる。

それは現地に住むアジア人の生活を垣間見るチャンスだし、それも楽しいかもなあ、と思っています。

 

 

 

 

ポリこれ

 

こういう時代になってくると、その言葉が適切かどうか、問題になることがある。

名称自体を変える動きもある。

例えば、以前は看護婦と呼んでいた職業に男性の方も就くようになったので、名称を「看護師」に変えるとか。

女性が働くようになったので、ビジネスマンをビジネスパーソンに言い換えるとか。

 

雇用形態や文化が変わったとか、社会の特定のグループに不快感を与えないようにとか。

差別や偏見、ステレオタイプを是正する、多様性や平等を促進する等、色々な理由があって名称が変わるようになってきた、というのが、こういう名称変更の流れのようです。

 

社会の変化に合わせて言葉も変わるべきなので、それは大歓迎。

ましてや、人に不快感を与えないためなら、それはなおさら良い。

 

今まで私も不思議に思っていたもの、好きじゃなかったものがあります。

やめてほしいものの代表としてまず思いつくのは、呼称ですね。

 

例えば英語だと、女性の名前の前にミスとかミセスとかをつける。

私はこれに昔から抵抗感があります。

男性だと年齢関係なく「ミスター」なのに、どうして女性は既婚か未婚かでいちいちミスになったり、ミセスにしたりするんだろう。

Ms.(ミズ)という呼び方もありますけどね。

多分、多くの女性は私同様、呼称には良い思い出がないと思います。

 

アンケートなどの回答欄にも、最近は「男性」「女性」「その他Others」という第三カテゴリーが出来た。

アンケートの内容によっては、「いちいち男女の別を書く必要があるのかな」と思わないこともない。

全廃してもいいと思う項目の一つ。

 

アメリカの大学へ入学したときに、戸惑ったことがある。

それは、クラス履修登録のフォーマットに個人情報記入欄があったことだ。

例えば「人種」なら、コーカサス系(白人)、ヒスパニック、アフリカン、アジア系、パシフィックアイランダー…と項目が並ぶ。

「宗教」も、キリスト教、仏教、なんとかかんとか…と結構な項目があった。

該当する箇所をチェックするだけなのだが、「こんなもん必要なんだろうか?」といつも思っていた。

 

後に分かったが、アメリカの大学は「学生の人種のバランスが取れているか」とか「入学時に人種差別をしていないか」とかそういう項目で大学が評価されることもあり、老若男女問わずバランスよく学生を入学させていることは重要なのだ。

だからの、こういう個人情報提供だったわけだ。

 

アメリカで当時、よく問題になっていたのは、黒人学生を入学させていないのにもかかわらず、大学パンフレットの表紙に黒人学生(モデルだが…)を登場させていること。

ウソはいけません。

自分の大学を多様な人種が集うキャンパスみたく見せたい、という気持ちは分からないでもない。

人が集まる場所を「誰にでも平等」「バランスよく」するのは、よほど努力しない限り至難の業だと思います。

 

しかしながら、社会の中で人種がだんだん混ざり合ってくると、誰が「白人」で誰が「黒人」なのか、はっきりしなくなってくるんじゃないでしょうかねえ。

タイガー・ウッズみたいに白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系が混じった家系の人なんて、もはや「アメリカ人」としか言いようがない。

 

大学1年時は、私もクラス履修登録に個人情報をちゃんと記入していた。

しかし年齢性別は仕方ないとしても、毎学期の履修時に宗教や人種を大学へ申告するみたいで嫌だった。

 

2年生になった時、ささやかな抵抗?をするために記入をやめた。

私の人種や宗教なんて、あんたに関係ないでしょ、というのが理由だ。

(「信じる宗教」で「仏教」をチェックするのも、信じてないのにどうかと思うが、「宗教を信じない」となると、またそれはそれで問題が発生するのだ。アメリカは意外にややこしい)

 

私が社会のどのグループに所属するか関心があるのは、私ではなくむしろ周囲の人たちなんだろう。

そういう人たちが、私を勝手に人種だの宗教だのでカテゴリー分けしたがるのです。

 

その点、南アフリカは逆になった。

アファーマティブアクションに関する論争が常にある。

アファーマティブアクション及び反アファーマティブアクションだ。

こっちもややこしいなあ。

 

アパルトヘイト時代は白人が優遇され、黒人は学校へ行けないとか就職が出来ないとか、黒人不利の社会だった。

アパルトヘイト終了後は、南アフリカ社会が変わった。

会社役員のうち、一人は必ず黒人を入れなければならないとか、黒人を優先的に雇用すべしとか、国民の大多数である黒人に配慮した制度になった。

そうすると、今度は既得権を失った、少数派の白人に不満がつのる。

 

南アの職場では、高卒の白人スタッフと大卒の黒人スタッフの間の板挟みになったことが何度もあった。

(いや、『何度も』というより、『毎日板挟みだった』が正しいかも?)

 

白人スタッフは、

「黒人と一緒に机を並べるなんて、絶対いやだ」

「私たちは白人としてのプライドがある」

とか、色々私に文句を言う。

 

そう言われてもねえ。

仕事をしてくれれば、肌の色なんて緑だってストライプだって何だっていいんだが。

 

黒人スタッフは被差別の立場なので、雇用してもらったらありがたい、という立場。

白人スタッフは、自分たちの職場に黒人を入れたくない、という態度だ。

彼ら曰く、運転手や掃除婦なら黒人雇用はOKだが、事務職に黒人を入れるのはやめてほしい、と言う。

 

私としては丁寧に説明したつもりだが、どうしても黒人と同僚になりたくない、という白人スタッフは退職した。

仕方ないですよね。

全員を満足させるのは不可能なんだろうな。

でも、なるべく多くの人がハッピーになれるように、少しずつ職場や制度を変えていくしかないんだと思います。

 

ポリコレといえば、こんなのも気になっている。

特定の国を使った揶揄の表現がある。

例えばスペイン語

cuento chinoという表現がある。

 

これはそのまま翻訳すれば「中国のお話」だが、意味は「でたらめ」だ。

マルコポーロの時代に、中国へ行った商人たちが中国の素晴らしさを誇張して伝えていたので出来た言葉だ、と聞いたが、真実は分かりません。

スペインにいたときから、この単語を聞くたびに抵抗を覚えてました。

 

他にもdespedirse a la francesa「フランス風に帰る」という表現なんかもある。

意味は「挨拶なしに無断で帰る」。

フランス人が挨拶なしに帰る民族なのか分かりませんが、スペイン人はフランスが好きじゃないのかなあ、と思ったりする。

 

こういった表現は、ほかの言語にもたくさんあると思う。

こういう表現もそのうち「特定の国に失礼だ」とか「PCじゃない」ということで、すたれていくのかもですね。

 

アメリカではかなり前から言われていた、politically correctness。

偏見や差別的表現、ステレオタイプや不平等が改まるのは歓迎だが、ちょっと行きすぎなものもある。

たまに、主旨を見失った言葉狩り的PCもありますしね。

 

個人的に、今までの人生でちょいとショックだったステレオタイプは、「日本人なのに」です。

 

「君は日本人なのに雑だなあ」

「日本人のくせに繊細さがない」

「日本人なのに、マシンガンのように(英語で)よくしゃべる」

 

今までさんざん言われてきました。

海外の方が想像する日本人とは、「手先が器用で繊細、静かで控えめで謙虚」なんですね。

スミマセン…日本人なのに、大ざっぱでズボラなんです。                       

こういうステレオタイプも、そのうち消滅してほしいものでございます。

ナースを呼べ

 

秋が進み、朝晩だけでなく日中も涼しくなってきましたね。

過ごしやすい季節になりました。

 

このところ体調が思わしくなく、にっちもさっちもいきません。

記事を書いてもうまくまとめきれず、ボツが増えるばかり。

気持ちも体も疲れが吹っ切れません。

ちょっと生活ペースをスローダウンしようかな、と考え中。

 

入院して緊急手術をしたジャカルタのダナちゃんと、WAでやり取りをしていました。

(病名はコロナではありません)

手術後、何日間かは要安静だったようですが、

「問題が無ければ、今日には退院できると医者に言われた」

と聞いて、私もホッとしていました。

 

本人も、このご時世に家族と離れて病院にいるのも不安だし、早く帰宅したい様子。

(そりゃそうですよね)

なるべく早く退院して、家族と一緒に自宅で過ごす方が安心ですよね。

 

早く退院できるといいねえ~なんて言いながら、先日、どうでもいい話題をチャットしていました。

しばらくして、

「急に高熱が出てきた」

「なんだか気分が悪くなってきた」

とダナちゃんからメッセージの連投が。

 

入院中の友人の容体急変に、日本にいる私も焦りました。

「医者はどうしたの?」

と聞くと、

「医者の回診はあと3時間後」

という。

 

「看護師か誰か、同じ病室内にいないの?」

と尋ねると、たまたまなのか誰もいないらしい…。

よりによって緊急の時には、誰もいないものですね。

 

ダナちゃんはさすがスマホ世代?。

メッセージの入力に手間取る私よりも、はるかに送信が早い。

 

「体温を計ったら熱が〇度になってきた」

「苦しい」

とか、実況中継並み?のスピードでメッセージを送ってくる。

いったい、いつ体温を計ったんだ…。

私なんか、体温計りながらスマホなんて打てませんよ。

 

しかし、本当に具合が悪そうだ。

あわわ…。

日本にいる私が、ジャカルタの病院に入院中の友人を助けられるわけでもないんだが、焦る焦る。

 

「と、とりあえず、看護師を呼べ」

と、彼女にメッセージを送った。

つもりだった。

が、よく見たら痛恨の入力ミス。

 

「Call the nurse」と打ったつもりだったが、「Call the bourse3」になっている。

ナースを呼べ、じゃなくてブスを呼べ。

しかもブスの後にはご丁寧に3まで付いている。

なんで勝手にこんな変換するんだよ…。

って、自分の指が悪いのか。

 

「ご、ごめん、スペルミス」

という説明まで、またスペルミスの連続。

あわわ…慌てるとロクなことがない。

 

日本で入力に四苦八苦している私をしり目に、ダナちゃんからようやくメッセージ。

「今、ナースを呼びました。解熱剤をもらった。」

 

やれやれ。

看護師さんが来てくれて、一安心しましたよ。

結局、その日は彼女は退院できず。

翌日に無事退院できました。

 

日本も涼しくなってきて、ワクチン接種も終わって、急に気持ちがゆるむ人も多いかもしれません。

あまり無理をせず、体調管理に気を付けてゆっくり生活しましょう。

 

 

 

足がかゆい

 

日本の妖怪の中には、「予知獣」というジャンルの妖怪たちがいて、何かを予言するという。

最近よく聞くアマビエもその一つと聞く。

いずれにしても、予知が出来るとはただならない。

 

「予知」と言うほど大々的なものではないが、私もそんな話を聞いたことがある。

ある友人はアメリカ人の旦那さんと結婚して、アメリカに長らく住んでいた。

結婚後はキリスト教に改宗し、毎週日曜日は旦那さんと熱心に教会へ通っていた。

 

アメリカ人の旦那さんはキリスト教を信じているので、宗教で説明できないことは信じない。

「予知」なんて、キリスト教的にはあまりなじみがないだろう。

しかし、日本人の奥様と一緒に生活していると、なかなかキリスト教で説明できないこともある。

(日本人のせいなんだろうか?というのはさておき…)。

 

自宅に誰かから手紙が届く前には、必ず足がかゆくなる、という不思議な性質を彼女は持っていた。

新婚当初は「そんなこと、あるわけないよ」と旦那さんも一笑に付していたらしい。

しかし、彼女が「あ、足がかゆくなった。今日は郵便物が届くよ」と言うと、必ず郵便が届くのだ。

結婚してしばらくすると、さすがのアメリカ人旦那も彼女が嘘を言っているのではないことが分かった。

 

こういう予知的なことは、私には発生したことがない。

ちょっとうらやましい。

 

予知されるよりも、思いがけなく楽しいことが舞い込んでくる方が嬉しいような感じもする。

最近、ちょっと疲れ気味。

何か予想外の幸運が舞い込んでこないかな~と願っています。

 

予知とは無関係な話に脱線しますが。

前述の日本人の友人は、時折日本へ帰国して、温泉に浸かったり日本の家族と旅行したりしてのんびりする。

ある日、腰が痛いので日本でマッサージへ行ったそうです。

お年寄りに勧められ、腕がいいという盲目の按摩さんを勧められたという。

 

で、そのマッサージを受けた。

すると、その按摩さんは彼女の体をマッサージしてみて一言。

「あなた、相当日本語がお上手ですけど、日本人じゃないでしょ?」

 

彼女はアメリカ生活が長くなってきて食事や生活習慣が変わり、どうも筋肉や脂身の付き方までアメリカ風になってきたらしい。

日本人的な体つきじゃない、とそのマッサージ屋さんは判断したみたいですね。

環境が変わると、体形も変わるんですね。

 

予想外の幸運が舞い込んでくるのを待つのもいいですが、誰か楽しいことを予知してくれると頑張れるかも?

2021年後半には、何かいいことがあるといいなと楽しみにしてるんですが。

コロナのせいなのか、涼しくなったからなのか分かりませんが、最近家に帰っても爆睡に次ぐ爆睡で、寝ることしかやってません…。

れんこんのひき肉はさみ焼き

 

か~なり前のこと。

私は、その日の午後イチから始まる会議に出席する部長のお供で、外勤することになった。

(この上司は、東北弁の上司よりもっとご年配でした)

 

昼食を恵比寿駅周辺でとって、そのあと電車で会議場所へ向かうことになった。

現在、恵比寿駅はだいぶおしゃれに変わってしまったようですね。

当時は、恵比寿ガーデンプレイス側に多少の店舗(ほとんど飲み屋さん)があった。

恵比寿様の銅像がある西口側は、座って飲食が出来るような店が少なかった。

 

適当なランチ場所がなく、困った。

とはいえ、ハンバーガー等の軽食ならあった。

部長、あそこで軽くサンドイッチでもいいですかね?と思った瞬間。

 

「ワシは和食がいいんだが」

と、その年配部長が言う。

 

く~。

私一人ならカフェなんかで適当に済ませるんだが、年配者が一緒だとそうも行かない。

駅から少し歩けばラーメン店とかがあった気がした。

しかし、あまり遠くへ行くと午後からの会議に間に合わないかも。

どうしよう。

 

駅周辺をざっと探したが、座れる和食の店など見当たらない。

面倒だな。

「部長、やっぱりサンドイッチにしませんか」

と言おうと思ったら、部長が何やら見つけた。

地下街の入り口に、『ランチやってます』の看板が出ていた。

 

見ると、そこは鉄板焼きの店らしく、焼きそばとかお好み焼きといった焼き物メニューや、豚肉生姜焼き定食といった文字が並んでいた。

「ここに行ってみよう。」

部長は先に立って地下へ降り始めた。

私もついて行く。

 

地下へ降りてみると、夜は飲み屋街らしき小さな地下街の一角に、お好み焼き屋さんがあった。

営業中の看板が出ていた。

昼間は細々とランチをやっているのだろう。

迷っている時間がないので、とりあえず部長と入る。

 

店内には大きな鉄板が据え付けてあった。

カウンターには、大きな茶碗からご飯をかっ込んでいる男性客が座っていた。

 

「ここでいいんじゃない?」

部長が言うので、私もうなずく。

どうしても和食が食べたい部長、執念で見つけてきたわけだ…。

 

メニューはいろいろあったのだが、鉄板焼きの店なので焼き物がおいしそうだ。

私は『野菜の三種はさみ焼き定食』にした。

 

おばちゃんが出てきて、部長の頼んだ定食(何だったか忘れた)と、私の野菜の三種はさみ焼きを調理し始めた。

三種はさみ焼きとは、ひき肉をそれぞれピーマン、レンコン、ナスではさんだものだった。

何だかおいしそうだ。

小鉢のサラダが先に出てきた。

裏から出てきたおばちゃんが、鉄板でメインのおかずを焼き始めた。

早速良い香りが漂ってきた。

 

三種の野菜はさみ焼きが出来上がるころ、ごはんと味噌汁、香の物も出てきた。

店構えからあまり期待していなかったが、この三種はさみ焼きが、思いのほか美味しかったのだ。

特にレンコンのシャキシャキ感がよかった。

 

鉄板の強い火力で焼いているので、ナスやピーマンはしんなりしてしまうのだが、レンコンは歯ごたえ抜群。

おばちゃんがそれぞれに醤油をかけて出してくれる。

少し大ぶりの茶碗のごはんを見て、ご飯が多すぎるなあと思ったが、いつの間にか完食。

私は大満足して店を後にした。

 

その後、何度かこの年配部長とこの時間に外勤する機会があった。

この部長と外勤する日は、いつも恵比寿駅のこの店で昼食をとるのが定番になった。

恵比寿駅に出ると、この部長が必ず「あの店へ行こう」という。

 

私にも異存はない。

新しい店を探すのも面倒だし、駅から離れたくない。

恵比寿駅脇のこの店で昼食を済ませて電車で移動すると、ちょうどいい時間に先方へ到着する。

それで部長は味を占めたらしい。

 

レンコンのひき肉はさみ焼きというと、いつもこの店を思い出す。

残念ながら、今はこの店はなくなってしまった。

店のあったあたりも、すっかりおしゃれな店が立ち並ぶようになった。

今は、私は自宅でレンコンのひき肉はさみ焼きを作っている。

 

この話を母にした。

私にとっては懐かしい店で、懐かしい味の記憶だ。

すると、母はうなずいて言った。

 

「恵比寿もすっかり変ったわよね。

昔は、恵比寿駅のホームの前には田んぼが広がっていたんだけど」

 

母曰く、恵比寿駅のホームに立つと、目の前には延々と田んぼが広がっていたのだという。

ふ、古すぎる…。

それはいったい全体、いつ頃の話?

 

東京は街並みが急速に変わるので、昔懐かしい店がどんどん消えていく。

おいしい店は残っていてほしい、と思うが、最近はチェーン店ばかり。

個人の店が減っていることを残念に思っている。