オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

テプラ

 

私の職場には、アルバイトやパートの方々がいらっしゃる。

彼らは気が利くし、他者とも協力的で優秀な方が多い。

 

常々思う。

これって、マーフィーの法則なんでしょうかね。

「正社員は使えないヤツが多く、非正規は優秀な人が多い」って。

人間って立場が安定すると、努力しなくなるものなんだろうか?

ま、どーでもいいけど。

 

バイトさんの中には、留学生の方もいる。

彼らは日本の大学院博士課程で研究しているので、我々よりはるかに賢い。

日本語だってペラペラである。

しかも(ここが最大ポイント)若い…。

そりゃ中年日本人に比べたら、頭の回転は速いわけだよ。

 

そんな優秀な若者たちに助けられている、中年日本人の私である。

私だってわかっている。

さほど自分は頭が良くないってことを(笑)。

 

しかし立場上、彼らはバイトさん。

私の方が(一応)上、ということになっておる。

こちらから教えることは何もないが(いばるなよ)、日々若者に教えられているのだ、恥ずかしながら。

 

そんなある日。

大量に資料をプリントアウトしなければならない事態に陥った。

某取引先に提出するためだ。

 

大車輪でコピーを作成する我々。

当然、バイトさんたちも資料作成作業に駆り出される。

ホント、日本ってこういう紙作業が多いよね。

 

資料をコピーし、ナンバリングし、ファイリングし。

アタッチメントは別途添付する。

紙ファイルをいくつか作成する。

そんな作業があった。

 

内容は単純だが、とにかく大量の紙が発生する。

締め切りが迫っていたので、人海戦術で片づけるわけだ。

昭和が抜けきれない日本の職場…。

 

「提出するファイルには、テプラでタイトル貼っておいてね」

 

そんな指示が、作業中に上司から飛んだ。

はいはい、やっときますよ。

 

上司の言ったタイトルをメモっておく。

テプラでタイトルを作り、ファイル表紙に貼っておく。

はい、終了。

 

量は多いが、資料をプリントアウトし、ファイルに閉じて提出するだけのことだ。

頭を使う作業ではない。

 

というわけで、提出すべきファイルを作成終了後、通常業務に戻っていた私。

隣の課にいるバイトさんたちは、てんやわんやで紙と格闘している。

3月ともなると、こんな戦場が日本各地で展開されているわけだ。

彼らはどう思ってるんでしょうか、日本の職場を…。

 

すると、1人のバイトさん・Tさんがおそるおそる私のデスクにやってきた。

Tさんの回転の速さ、呑み込みの早さにいつも私は助けられている。

 

「あの、ちょっと教えてほしいんですが」

 

ん?

優秀な学生さんでも分からないことがあるんかい。

 

彼女は私の作ったファイルを指さして言った。

「それ、どこでどうやって作るのでしょうか?」

 

は?

どれ?

何か特別なことをやったかな、私?

 

戸惑っていると、Tさんはもう一度指さした。

「これです。どうやって作るのでしょうか?」

 

指さす先には、私がテプラで作成したファイルタイトルがあった。

 

「ああ、これテプラで作るんですよ。」

「テプラ?」

 

なるほど。

テプラを見たことが無いらしい。

日本特有の商品なんだろうか?

 

事務キャビネから、私はテプラを取り出す。

ついでに、幅の違う数種類のテープも見せる。

 

「テプラって、こういうヤツ。こうやって使うの。

これなら字が汚い人でも問題ないでしょ?

海外にもあるかな?」

 

珍しい物を見るように、目を輝かせるTさん。

「私の国にはありません」

 

ふーん。

まあ、今はデジタルの時代だし、資料を紙で提出する職場なんて海外には少なそうだ。

だからテプラは必要ないんですかね?

私なんか字がめっちゃ汚いから、テプラがあるとありがたい。

 

操作方法を教える。

 

「縦書きってどうやるんですか?」

 

あ、それは「編集」で縦書き・横書きを選ぶんだよ。

そしてテープの幅を選んだり、字の大きさを選んだりして適切な仕上がりにする。

 

「面白いですね!こんなの初めて見ました!」

 

かもねえ。

事務員でないと、こんなもの使わないでしょうしね。

テプラであっという間にファイルの背表紙と表紙の文字が出来上がる。

 

「ハイ終了。」

私が出来上がったタイトル文字を渡すと、Tさんは喜んだ。

「すごいですね!」

 

すごいよね。

(もちろん、私のことをほめたわけではない、と私だってわかっている)。

テプラというものを発明した企業がすごいのか。

事務用品が充実している日本がすごいのか。

どっちの意味か分かりませんが。

 

確か、来日する外国人の中でも日本の文具は人気だとか聞いたことがある。

ですよね。

そりゃ、私だって素敵な便箋とか、書きやすいボールペンとか見るとテンションが上がりますよ。

100均のボールペンでさえ、クオリティが高いもんね。

 

日本は文房具&事務用品天国だ。

商品の選択肢が多いし、ペンなら滑らかな書き心地だし。

インクの発色もきれいだし、紙質も高級だし。

デザインも可愛いのが多いし、もう言うことない。

 

なんて考えながら、仕事に戻った。

そして午後に所用で席を外し、戻ってきたら机の上にお菓子が3つも置いてあった。

見ると、Tさんのメッセージがついていた。

 

「先ほどは助けていただき、ありがとうございました!

御礼です。Tより」

 

いやいや、お礼なんて…。

お菓子なんて1つでいいのに(←もらう気満々)、3つもくれるのかい。

我々より頭の良い若者に、教えることが一つでもあった、というのがうれしいぞ!

と、喜んだ一日でした。

 

ところで。

今の時代、紙ベースで書類を提出する場面がどれくらいあるんでしょうか。

紙全盛なのは日本だけなんでしょうかね。

(日本でもペーパーレスな会社はありますけどね)

そう考えると、紙文化の日本ならではの発明なんですかね、テプラって。

 

小さい商品一つとっても日本独自の文化があるのかもしれんなあ、と思った一日でした。

それにしても、テプラを発明した人こそ、「すごい」。

案外、他の国に持っていけば別の用途で爆発的に売れたりして?

なんて思います。

 

俳句2

 

ようやくブログを書くために、パソコンの前に座っております。

やれやれ。

 

金曜日は疲労困憊で、「明日は俳句教室に行けるのかしら」と思った。

が、何とか起床して行ったのだ、俳句教室に。

 

以前の記事にも書いた通り、私の課に退職者&休職者が出たため、私はワンオペに陥った。

さらに悪いことに、所属部にコロナ陽性者が数名発生してしまった。

 

感染者に罪はないが、年度末の今、ですか…。

コロナの猛威も収まりつつ、マスクをはずす云々と世の中が言っている矢先に…。

 

陽性と判断されてしまうと、10日間くらいは出勤できないわけですよ。

ただの風邪と違う。

 

ワンオペで必死に仕事を回す私に、

「皆で乗り切ろう」

と言っていた上司。

 

だが、ヤツ自身が感染し、10日間ほど休みになった。

イチ抜けかい…。

もう、笑うしかない。

 

笑っている場合ではないが、笑うしかない。

すでに心も体も死んでいるが、ゾンビ状態で仕事を続けている。

そんな中で迎えた週末。

寝たくないわけがない。

 

が、もう俳句教室へお金を払ってしまったのである(ね、これがサボらないコツですよ)。

なので、頑張ってベッドから這い出して、俳句教室へ行った。

 

授業が始まった。

前月、先生に我々受講生が送った句。

先生がそれらを取りまとめ、エクセルの表にして配布。

そこに「特選」「秀逸」「並選」を記入する。

 

今月の兼題、「花ぐもり」。

春の季語だ。

桜の時期、空が曇ることがある。

そんなアンニュイなニュアンスを持った季語である。

 

他の受講生が作った作品を読みつつ、ちょっと思う。

(あ~仕事と全然違う頭を使うのって、いいわあ~。)

 

なんか、毎日ギスギス?した生活を送っているせいか、しばし詩の世界に遊ぶと気分転換になる。

来る前は「もう少し寝たい」と思っていたが、やはり参加してみると楽しい。

私は俳句とか詩が好きなのかもなあ。

 

今日は、先生が主宰している句誌が配布された。

パラパラめくってみる。

作品がそこに掲載されている人は、もちろん先生主宰の俳句の結社に参加している方々だ。

 

ところで、俳句の「結社」とは何だろう。

先生によれば、名前はおどろおどろしいが、単なる同好会のようなものなのだそうだ。

興味があれば、参加お待ちしています、とのことだった。

もちろん強制ではない。

 

俳句の結社。

ふーん。

面白そうだが、これに入ってしまうと作品を作るのは必須じゃないか!(そりゃそうだ)。

 

句誌の巻末にある「秀逸句」。

先生が「素晴らしい」と思った句を選び、掲載してある(もちろん先生自身の作品は除いて、だ)。

 

俳句は、紙と鉛筆があれば、すぐに出来る趣味だ。

なので、高齢になろうが体が不自由になろうが、続けている方は多い。

だから高齢者が趣味にしているイメージなんですかね。

 

句誌に、良い作品をいくつも発見した。

うーむ。

何十年もやっていると、ここまで上手になるのか…。

やはりサボってはいけない。

 

で、今日の授業だ。

今日から生徒の作品に加え、プロの?作家さんの句も勉強することになった。

いいですねえ。

 

先生イチオシの池田澄子さん(俳人)の作品。

 

ピーマンを切って中を明るくしてあげた

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

 

ううむ…。(うなり過ぎ)

こういう句もあるのか。

 

ピーマンの句は明るくていい。

中に入っているピーマンの種も、部屋の中が明るくなってさぞかし嬉しいだろう。

 

じゃんけんで…の句は、なんとなく薄幸そうな感じが分からんでもない。

じゃんけんで負けたから、命の短い蛍に生まれてしまった。

ってことなんだろうか。

じゃんけんに勝った人は、トラにでも生まれ変わったのだろうか。

仏教的な余韻も感じさせる。

 

さて、我々生徒の句だ。

今回はテーマが春なので、私にとって作句は実は楽勝気味?だった(ウソつけ)。

生みの苦しみは味わったが、使ってみたい季語がたくさんあって楽しかった。

 

いつものように、他の人の作品を選ぶ。

ポイントは「好きな句を選ぶ」ことだ。

 

前回もそうだったが、ウクライナの戦火を詠んだ句。

今回はトルコの地震を詠んだ句があった。

自分の生活圏で見る外国人の人を詠んだ句もあったし。

俳句の世界にも押し寄せるグローバル化の波。

 

今日、初めて知ったこと。

中七(五七五の真ん中の7文字)は、可能な限り7音に収めるべし。

ということだ。

 

上五(最初の5文字のことね)、座五(下五、俳句の最後の5文字のこと)は、6文字でもまあ許される。

しかし、

中七がきっちり7文字だと、リズムが整って俳句がきりりと締まるのだそうだ。

知りませんでした。

 

例えば、前述の俳人池田氏の作品を例にとる。

 

じゃんけんで 負けて蛍に 生まれたの

 

「じゃんけんで」上五   

「まけてほたるに」中七    

「うまれたの」座五

 

中七は「まけてほたるに」と7音になっている。

これが6音とか8音だと座りが悪くなる、ということらしい。

 

ふうん。

でも私はまだビギナーなので、破調だとか8音だとか、そういう高度な技は出来ません。

なので、まずは地道に五七五をマスターしようと思っている。

 

選句の時間が終わった。

自分の作品が、他の方に評価してもらえるか、ちょっとドキドキの時間だ。

 

結果。

なんとなんとなんと!

自分が4句作ったうち、4句とも誰かが「いいね!」と選んでくれたのだ!

 

うれし~~~~~!!

残業の疲れも吹き飛びます。

なんて大げさですけど(もう、そんな簡単に残業の疲れは吹き飛ばなくなってきた)。

 

最近、鬼のように残業が立て込んでいる。

だからなのか、ついに30代の同僚も、

「年だから、疲労がたまる」

と言いはじめた。

30代で疲労がたまるなら、私なんてもうとっくの昔に死…(いや、もう言うのをやめよう)。

 

と、ひととき仕事のことを忘れられた、俳句教室でした。

高額な教材や材料を買う必要もなく。

紙と鉛筆だけで出来る趣味、というだけあって、他の趣味に比べると金銭的にも楽である。

負担が少なくて、ありがたい。

 

教室開催も1か月に1度。

少ないなと思ったが、頻度も案外これくらいでいいのかもしれん。

だって、そんなに作品を作れないもん。

 

次回の授業は4月。

次のお題は「こいのぼり」。

一句も出来ていない。

こいのぼりにまつわる思い出が皆無なんである。

 

本日は、各生徒さんが「こいのぼり」の句を先生に提出していた。

それを見ながら、私は内心(ヤバい…一句も作ってないよ)と思った。

 

どうやら、提出していないのは私だけらしい。

先生も、「郵便で提出してくれればいいですよ」と言ってくれる。

だが、一句も思いつかない。

本当に思いつかないんですよ。

 

ひ~~~。

自分の好きな季語だけで作品を作っていればいい、というわけではない。

「俳句教室」なので、苦手な季語でも作品を作らにゃいかんのだ。

 

苦手な季語なので、作句を先延ばしにし過ぎた。

あ~ヤバいよヤバいよ。

 

というわけで、帰宅してから歳時記と首っ引きで、慌てて作品を作っている。

なんとか月曜日には郵便を出さないと、締め切りまでに先生宅に提出出来ない。

やはり、生みの苦しみとは縁を切れないらしい。

 

ところで、オンライン句会にすれば、海外からも参加できるんですけどね。

病院入院中でも、台風で外出できなくても、開催できるじゃん。

 

いや、句会に参加するより先に、句を作らないとどうしようもない。

分かっちゃいるけど、出来ないのよ、こいのぼりの句が!!

 

というわけで、何とか週末中には4句作って投稿するのみ。

これで日曜日はつぶれるのである。

だったら、平日に作っておけよ…と反省しているところであります。

 

 

きつねのはなし

 

「年度末で忙しい」日々であるが、やっぱり読みたいのだ、本が。

となると、通勤電車の中で読める文庫本が軽くていいですよね。

 

というわけで、新潮文庫「きつねのはなし」(森見登美彦著)を借りてみました。

 

著者の森見氏。

1979年生まれ、京都大学農学部修士課程修了。

 

すいません、なぜか私は今まで森見氏を「相当な高齢の作家さん」とずっと思い込んでいました。

日本ファンタジーノベル大賞とか、多くの賞を受賞されている実力派作家さんである。

夜は短し歩けよ乙女」とか「太陽の塔」とか、他の作品名を耳にした読者の皆さんもいらっしゃるだろう。

お名前は私もあちこちでお見かけしていたので、勝手に「高齢者」と思っていたのかも…(恥)。

 

「きつねのはなし」。

4つの短編が収められていて、それぞれゆる~くつながっている。

いずれにも骨とう品店「芳蓮堂」が登場する、不思議なお話たちだ。

京都が舞台だからこそ、この妖怪めいた不気味な雰囲気がはまっている。

 

第一話の「きつねのはなし」は、芳蓮堂の顧客である天城さんという男性の話である。

天城さんの住まいは神社の近くの古い屋敷で、裏手にはうす暗い竹林。

竹の葉のすれる音が絶えず聞こえる…とくれば、まさに妖怪話にうってつけの舞台。

この天城さん、とにかく薄気味悪いのだ。

 

主人公は、芳蓮堂でアルバイトする大学生、「私」。

天城さん宅へ届け物をして以来、この不気味な男性に好奇心を覚えている。

 

芳蓮堂の主人、ナツメさんは若い女性である。

「天城さんに要求されても、決して何かを渡してはいけない」と「私」は忠告される。

が、「私」は天城さんに乞われて、下宿にあったストーブを渡してしまう。

 

そして、それに味を占めた天城さんは、今度は狐のお面を要求する。

ナツメさんからもらった狐の面を天城さんへ渡すと、「私」の恋人である奈緒子が失踪する。

ほらね、天城さんに何かを渡してはいかんのだよ…。

読んでいる方は、ちょっとドキドキする。

 

第二話の「果実の中の龍」は、ウソをつく先輩の話だ。

第二話を読んでようやく、一話目の「私」が二話目の「先輩」であることに気づく。

って感じに話はつながっていく。

 

三話目「魔」は、京都の町で夜間に人を襲う魔物の話。

大学生である「私」は、バイトで高校生の家庭教師をやっている。

その町で、夜道を歩く住民が何者かに襲われることが多発する。

襲撃された被害者はみな、「何かが自分のそばをすり抜ける」ような刹那、殴られるという体験をしている。

するする走って、空き地を出入りするような、何か長細い生き物…。

 

住民たちは夜の見回りをすることになった。

その見回りに参加する教え子やその兄の直也、彼の友人・秋月たち。

 

私の前を、胴の長いケモノが私を先導するように走っていく…。

 

もはや、どっちなんだ。

ケモノが私か、私がケモノか。

 

「先生、落ち着いてください。俺たちが分かりますか?」

直也の声。

ケモノのようなうなり声しか出ない私。

 

うお~!!

ケモノは「私」に取り憑いちゃったのかい?

 

とまあ、和風ファンタジーホラーといった趣の作品集である。

なんか、かなり唐突な説明の仕方で申し訳ない。

興味のある方は読んでみてください、ってことなんだが。

(全然ブックレビューになってない)

 

発見があった。

ホラーではあるが、あまり「あっち側」へ行き過ぎていない。

文章も端正で読みやすいのだ。

京都の暗く怪しい雰囲気も、行間からざわざわ立ち上ってくる。

 

こういう小説って、ホント京都がよく似合う。

著者の森見氏も、ご自身の「生活圏で妄想したこと」を小説にされているとか。

うーむ、京都に住むとこういう妄想が出来るのか。

 

伏見稲荷大社が気持ち悪いところだ、という登場人物のセリフがある。

私は一度だけ、そこへ行ったことがある。

 

有名な赤い鳥居周辺しか歩かなかったせいか、怖いという印象はない。

むしろ、着物を着た中国人観光客がうじゃうじゃいて、すごかったわよ。

ってくらいのイメージしかない。

一人で夜に行ったら不気味なんだろうなあ。

 

京都はお寺や神社が多いので不気味なイメージがあるし、ホラー小説の舞台になりやすいのかも。

浦安とかカリフォルニアなんて、絶対そんなイメージないもんね。

 

第一、私なんて、ササの葉がすれるざわざわとした音を聞いても何も感じない(←えらそう)。

想像力貧困だから、ホラー小説の構想になりそうな妄想なんてわきあがってこないわけだ…。

やはり妄想力+自分の実体験は、小説の土台になるんですね。

 

ところで、森見氏はこの作品を「三男」と呼んでいらっしゃるらしい。

他のお子様(作品群)も読んでみたくなりますね。

 

私は、この「きつねのはなし」を通勤電車の中で読み進めた。

読むと、一気に京都にいる気分になります。

現実逃避?

 

前の記事に書いた通り、今、仕事で頭がおかしくなっているので、こういう小説を読んで頭を冷やしている。

不思議なもので、今まではこういうジャンルの本を読んだことがなかった。

でも、自分のおかれた環境や体調によっては、違うジャンルの本に心惹かれることもあるわけですね。

偏らず、いろいろな本を今年も読んでみよう!と思っているところです。

 

 

おわび

 

読者の皆様

3月に入ってから、記事アップが出来ずに申し訳ありません。

ブログのことを忘れているわけではありません!

 

少々言い訳?をいたしますと。

仕事が立て込んでいて帰宅するとバタンキューとなり、翌朝起きるだけで精いっぱい。

まあ、年度末だしね…と思っておりました、最初は。

 

が、部署の場所移転やら(今やるの?)同僚が退職するやら(この時期にですか…)で、ドタバタが続き。

いつの間にか、私の部署は私ともう一人が残るのみになった。

恐怖の2人態勢になったのである(アイヤー!)。

恐ろしいですね。

一人休んだら、もう仕事が回らないじゃないか…。

 

そんな爆弾を抱えながら?仕事をしておりましたが。

ついに?というか、やっぱり、というか。

私の相方が音を上げて、「長期で休みたい」ということになってしまいました!

なんてこったい!!

 

うおおおおお~~~!!

怒涛のワンオペじゃねえかっ!

 

…そんな顛末になりました。

ていうか、相方が休む(もしかしてやめる)と分かったのは昨夜。

昨日だって七転八倒、四苦八苦、艱難辛苦、あ~思いつく四字熟語が無い、くらい忙しかったのに。

二人で励まし合って乗り切ってきた?のに。

一人にしないでよお~。

 

上司は、

「少ない人数で、この時期を乗り切る方法を考えないとね」

とのたまっております。

(どうやって?と思うが、多分ノーアイデアなんでしょう)

 

こんなドタバタが、日本全国津々浦々の職場で繰り広げられているのかもなあ、今頃…。

ホント、昨夜はマジ退職しようかと思っておりました。

 

ブログ記事を書けない言い訳がましく(っていうか完全に言い訳)、申し訳ございません。

自分の仕事環境が落ち着いたら、記事を書けるよう努力したいと思っております!

本当です。

 

「乗り切る」のは大事なんだが、私も倒れないようにテキトーにやるつもりです。

読者の皆さんも、この年度末決算時期には、「うお~!!」と月に吠える状態に陥っている方が多いと思います。

健康第一でお過ごしくださいね。

 

ブログのことは常に頭にあるので、すきを見て記事を書こうと思っております。

それまで、「またサボってるな」と温かい目で見守っていただけるとうれしいです。

 

春はなんかむずがゆかったり、変な季節です。

週末はのんびりして仕事のことを忘れ、ゆったりとした気持ちで過ごしたいですね。

今日は木曜日。

今日明日、テキトーにがんばりましょう!

 

 

腹囲

 

腹囲、である。

 

字の通り、お腹周りの長さだ。

健康診断を受けた方は、腹囲を計ったことがあると思う。

私が健康診断を受けたときも、腹囲の測定があった。

 

これが問題だった。

私は腹囲を測定される際、うっかり「自然体」で計測されてしまったのだ。

 

もちろん、「わざとお腹をへこませてはいけませんよ」と計測担当の看護師さんに言われていた。

極端に息を吸い込むと、「自然にしてくださいね」と注意される。

なので、私はこっそり息を止め、お腹をへこませて計測してもらおうと思っていた。

誰だって、そうやっているに決まっている(決めつけ)。

だが、計測者と呼吸が合わなかったのだ。

 

私が息を吸い込んでいる間、看護師さんはメジャーを私のお腹に巻き付け、「このあたりですよね」なんてやっていた。

弛緩した瞬間(それを待っていたのだろうか?)、バシッと計測されてしまったのだ。

うかつだった。

 

どうやら、女性は「腹囲90センチ以下」が正常らしかった。

(以前の健康診断では、80何センチと言っていた記憶がある。

さすがに80何センチではやせすぎ?ってことになったのだろうか?)

 

で、「息を吸い込まずに、緊張感なく」弛緩した私のお腹。

なんと、90・5センチだったのだ。

「正常範囲」を超えた、というわけだ。

 

私もたかをくくっていた。

だって、わずか0.5センチですよ、オーバーしたのが。

それくらい許容範囲だろう…と思っていた。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 

健康診断前に、セルフチェックシートに記入し提出する必要があった。

「喫煙するか」「毎日どれくらいお酒を飲むか」そんな質問が記載されているアレだ。

いくつもある質問の最後に、こんな質問があった。

 

「健康指導を受ける機会があれば、受けることを希望しますか。はい・いいえ」

 

私は迷った。

健康指導は希望したくない。

だって面倒くさいじゃないですか。

 

しかし、だ。

私は考えた。

 

仮に「健康指導を希望します」の「いいえ」を選んだとする。

そして健康診断の結果、不健康な点があったとしたら?

 

「健康じゃないくせに、健康指導を希望しないのか!」

「不健康なヤツに限って怠け者なんだよ」

 

こんな感じに、産業医とかから「健康指導を希望しない不健康者」と思われるんじゃなかろうか?

そういう危惧が芽生えたのだ。

ああ、気の小さい自分…でも世間体が気になる。

 

で、こう思った。

こういう場合、社会人の常識としては、「はい」に〇をつけた方がよいだろう。

「いいえ」を選択する心臓の強さはない。

 

その結果。

「健康指導を希望します はい」に〇をつけて提出したのだった。

 

で、先ほどの腹囲に戻る。

私の健康診断は何も問題が無かった。

血糖値、血圧、肝機能、腎機能…すべて問題なし。

唯一「腹囲」だけが、「正常値」をオーバーしていたのだ。

そして、「健康指導を希望します はい」に〇がついていた…。

 

仕事中に、私の携帯電話が鳴った。

見ると、知らない電話番号。

 

留守電にメッセージが残っていた。

「健康指導をしますので、ご都合はどうでしょうか」という趣旨だった。

いや、「健康指導を希望します」とは言ったものの。

指導してもらわなくて大丈夫。(じゃあ「はい」に〇をつけるなよ)

 

ほどなくして、また電話がかかってきた。

よし、電話に出るぞ。

「健康なので大丈夫です」という方向へ話を持っていこう。

 

しかし、敵もさるもの。

あの手この手で話を進める。

 

看護師さん「…というわけでですね、〇月×日はいかがでしょうか?」

私「え、えと…その日はちょっと…」

 

これも、いまいましい「腹囲」のせいだ。

「正常値」をオーバーしたので、「健康指導が必要」と判断されてしまったのだろう。

 

抵抗してぐずぐず話を引き延ばしたのだが、最終的に先方の粘り勝ちだった。

かくして、さほど希望しない健康指導を受けることになった。

そりゃ、「希望します はい」となっていれば、先方だって健康指導しなければ、と思いますよね。

すべて自業自得なんだが。

 

なので、読者の皆さんにはお伝えしたい。

自分が希望しない場合、「希望します」と返答してはいけません。

世間体とか、産業医にどう思われるとか、どうでもいい。

 

そして、健康指導の当日。

仕事がテキパキできそうな看護師さんが、私を待っていた。

健康指導は40分くらいで終わるのだという。

 

だって、腹囲が0・5センチ超えただけですよ!

息を吸ってお腹をへこませていれば、(たぶん)90センチに納まったはずだ。

くそっ!と思いながら、しぶしぶ看護師さんの前に座る。

 

看護師さん「健康診断の数値は、いずれも問題が無いですね。」

私「…」

(そうだよ、だから健康指導は必要ないんだよ)

 

看護師さん「腹囲が正常範囲を超えていますからね。これだけが問題です」

私「…」

(いろいろと悔しい)

 

そうして、まずは食事指導が始まった。

 

健康指導の日が決定してから、「たぶん食事指導をされるだろう」と予測した私。

なので、1か月間、毎日三度三度食事をすべてノートに記載した。

どうだ、健康な食生活をしているだろう!

というのを、看護師さんに見せてあげたかったのだ。

 

が。

カバンの中を探しても、ない!

一か月間、「私の素晴らしい食事を見せつけてやる」と思って日々記録したノートが。

ないのだ。

 

く~。

あまりにも自分がアホで、ますます悔しさが募る。

どうやら、自宅にノートを忘れてきてしまったらしかった。(すべて水の泡)

 

その話をすると、看護師さんも残念そうだった。

「一か月間の食事の記録を見るだけでも、栄養のバランスとか脂質取り過ぎかどうかわかるんですけどね」

ですよね。

 

たぶん、「腹囲が正常値オーバーのデブなら、揚げ物ざんまいに違いない」と思われているだろう。

気を取り直して、自分がいかに野菜中心の素晴らしい食生活をしているかを語る作戦に出た。

 

お酒は毎日飲んでません。

一日5,000歩は歩くようにしています。

揚げ物を食べる頻度は、一週間に2度までに抑えています。

外食時はバランスよく食べられる定食を選び、可能なら肉ではなく魚料理にしています。

寝る前は空腹になるよう、夕食後には間食はしません。

食事をとるときは最初に野菜を食べ、それからご飯や肉を食べるように順番を工夫しています。

 

看護師さんも、うなずきながら耳を傾けてくれた。

「それはいいですね!」

「お酒を飲み過ぎていないので、今のペースでいいですよ!」

「毎日歩いている?これからも続けてください!」

 

…でしょ。(←自慢げ)

私だって、それなりに努力しているのだぞ。

問題は腹囲だけですもん、腹囲だけ。

 

こうやって、私は先手を打った。

しかし、そのあとの看護師さんの反攻がすごかった。

 

卵は一週間に何回食べてますか?

え?そんなに食べちゃダメですよ!

せめて一週間に2回か3回くらいにしてください(一週間に2回?マジかい?)。

卵はコレステロール値が高いですからね。(完全にデブ扱い)

 

毎日5,000歩じゃやせないですよね。

6,000歩に増やしましょう。(そんな簡単にはいかんのだよ)

 

ご飯を減らしましょう。

茶碗一杯分だと多いですからね(そ、そうですか?)。

150グラムのところ、120グラムに減らしましょう。

そうすれば体重も減りますよ。(やはりデブ扱い)

 

そうして、私はいろいろな目標を設定させられた。

 

3か月で〇キロ体重を減らしましょう。(もはや無言)

「健康カレンダー」を差し上げますので、ここに記入して毎日頑張りましょう。

やっているかどうか、電話で確認させていただきますよ(ひえっ)。

 

鬼のように仕切る看護師さんであった。

こんな感じにバシバシしごかれて?気づくと1時間を過ぎていた。

熱血指導である。

 

そして、健康指導終了。

「頑張ってくださいね!電話しますからね!」

と笑顔で送り出された。

とほほ。

 

おみやげも多かった。

健康ストレッチ教室の案内、食事指導ハンドブック、ウォーキングアプリの案内。

お皿の内側が斜めになっていて、「醤油が切れるお皿」なんてのもいただいた。

(私は塩分多めの食事をしていないのだが、一応もらっておく)

 

あーあ。

「不健康」の烙印を押された気分である。

次回の健康診断では、なんとかして腹囲を1センチでも減らせるよう、ずっと息を止めているしかない。

(そこじゃない?)

 

というわけで、来月には鬼の看護師さんから電話が来る予定である。

「設定した目標を日々やっているかチェック」されるのだ。

端的に言ってしまえば、「やせろ」ってことである。

 

今から気が重い。

やせなければ。

それに尽きる。

 

 

静かな退職

 

以前の同僚と会った。

会う前から、会う日がとても楽しみだった。

 

彼女は関西在住。

当時、東京本社で働いていた私と、関西支社の彼女。

同じプロジェクトに参加することになり、知り合ったのだ。

 

そのころから、彼女・Yさんは真面目だった。

「Yさんって、努力家かつ仕事熱心だな~」と私はひそかに感心していた。

えらいなあ…と当時からリスペクトしていたのだ。

 

それに、Yさんは関西人だけあって、仕事をしながら面白いジョークを飛ばす。

「笑い」に鍛えられていない?関東人の私は、

「ホント関西人って面白いなあ」

と日々思っていたのだ。

 

そんなYさんは、体調を崩して退職。

しばらく養生したのちに元気になり、他の会社に就職。

アフリカやアジアに行って活躍していると聞いていたので、私も安心していたのだ。

 

そのYさんと、久しぶりに会えるのだ。

わざわざ新幹線で東京まで来てくれるという。

うれしくならないわけがない!

 

そして。

東京駅の「銀の鈴」。

 

 

最近きれいになった東京駅だが、私にとっては迷宮である。

分かりやすい?「銀の鈴」を選んでくれたYさんには、感謝したい。

が、「銀の鈴」だって、たくさんの人がいて探すの大変なんですよ。

 

…と思っていたら、いた!

Yさん。

 

「うわ~久しぶり!」

「生きていてくれたのね!」(←すごいセリフ)

 

お互いにハグしまくり。

ホント、超お久しぶりであった。

 

Yさんは30代に大病をしたのだが、私も最近大病をわずらい、今は少しずつ元気になりつつある。

お互いに大病を乗り越えた同士、いや同志なわけだ。

「生きていてくれた」というセリフも、ここから出ている。

お互いの苦労を知っている長年の知り合いって、ありがたいですよね。

 

そして、待ち合わせがちょうどお昼どきだった。

「とりいそぎランチでも」

と、東京駅近くの店に入る。

 

東京駅っていつも混雑していて、昼食時間にはレストランの前に行列が出来ている。

行列が出来ている店って、人気店ってことなんでしょうけど。

しかし、我々には時間があまり無い。

Yさんは今夜には別の場所へ移動するらしいので、東京駅で過ごす時間は限られている。

だから、どこかでさくっと食べられればいい。

 

行列がない店、つまり人気がなさそうなお店(って言うと失礼だが、すいません)に入る。

Yさんも、「私グルメじゃないので」好き嫌いなく何でも食べられるという。

 

こういう人、ホントに楽ですね。

Yさんは、確か大学院の研究でバングラデッシュに住んでいたとか言っていた。

バングラモザンビークに比べたら、そりゃ何でもおいしく食べられるよね(すいません、バングラの方)。

 

注文した定食を待ちながら、話に花が咲く。

昔の仕事の話をしたりしながら(定年退職したおじさん同士みたいだな)、楽しい時間を過ごしました。

 

Yさんが大病を乗り越えてきたのは、本人から聞いて知っていた。

だから自分が入院することになった時、Yさんに病院のことや術後のことを聞いたりしたのだ。

Yさんがいなければどうしていいか分からず、私は途方に暮れていたと思う。

 

退院した後のことや気持ちの持ち方?に至るまで、Yさんは関西からの遠隔操作?でいろいろ教えてくれた。

「Yさんも頑張って戦ってきたんだから、私一人じゃない」

と何度思ったことか。

感謝してもしきれないのだ。

 

しかし、私には気になっていることがあった。

Yさん、今は何をしてるの?

ってことだ。

 

尋ねると、Yさんは笑って言った。

「去年から何もしていないの。ひきこもっているんだ。」

 

「…。」

 

笑顔のYさんに、私は何も言えなくなってしまった。

 

Yさんはその後も他社で仕事をやってきたが、昨年の春、ついに爆発した(らしい)。

会社や上司に我慢に我慢を重ねてきたが、とうとう見切りをつけたのだという。

そして1年近く自宅に引きこもっているそうだ。

 

マジかい?

 

私は、Yさんの顔を二度見してしまった。

「仕事きっちりで、真面目だなあ」と思っていたが、ついにリーマン人生に嫌気がさしたか…。

分からんでもない。

 

アメリカでも、「静かな退職」をする人が多いというネット記事を読んだことがある。

理由は様々らしい。

頑張って仕事をしても評価してもらえないとか、これ以上この職場では昇進は望めないとか。

完全退職をしてしまうと生活に窮するので、給料をもらうため会社へは行く。

しかし、必要最低限以上は仕事をしない、という状態を指す言葉だと書いてあった。

消極的に働く、って感じでしょうか。

 

アメリカでもそうなのか…と、その記事を読んだときは思った。

特に今は世界中どこでも景気が悪いからね。

景気が良くなるとか賃金が上がるとかすれば、まだやる気も出ようものだが。

 

そんなことを考えながら、Yさんの今まで過ごしてきた時間の大変さを想像した。

とはいえ、Yさんもまるっきり仕事をしていないわけではない。

頼まれた仕事をたまに引き受けて、細々と収入の糸はつないでいるという(ちょっと安心)。

「ひきこもり」といえど、多少は社会とつながっているようで、ホッとする。

 

「あの頃のプロジェクトの人たちと、連絡取り合ってる?」

 

とYさんが聞く。

うん、私もそんなに社交的じゃないけど、何人かとは連絡取ってるよ。

 

〇〇さんは、今もたまに会うなあ。

××さんは仙台に戻ったよ。

△△さんは子育てに忙しいらしいよ。

 

するとYさんは微笑んだ。

「そうなんだ。楽しそうだね。

私はね、今、友達一人もいないの。」

 

え?

耳を疑う私。

 

Yさんいわく、一年近く引きこもって友達付き合いをしなくなったら、誰も連絡をくれなくなったという。

そんなことがあるんかいな?

 

「そうやって一人も友達がいなくなったのは、自分が今まで友達を大切にしてこなかったからなんだよね。

だから、自分の今の状況は自分が選択した結果なんだと思うの。」

 

「…」

んなことないと思うけどね。

なんか、思ったのと違う展開になってきたぞ(ドギマギ)。

 

コロナで人と接触しなくなったら、私の周囲の友人たちも「さびしい」とよく言っていた。

人との接触を控えた結果、「外出が面倒くさくなった」人もいるのかもしれない。

だいたい、「友達がいない」って?

私はYさんの友達じゃないんかい?(ふがいない)

 

冗談が好きで、エネルギッシュに仕事をしていたYさん。

いろいろ疲れてしまったのだろうな。

 

しかし彼女の近況が分かると、さらに疑問がつのる。

一年近く「ほぼ引きこもり」なのに、Yさんはどうしてわざわざ東京へ来てくれたのだろう?

 

すると、Yさん。

「神奈川県に墓参に行こうと思ってね。」

なるほど。

墓参へ行くついでに、私に会おうと思ってくれてよかった。

 

しかし、引きこもりをやめて東京方面へ行こう!と思うくらい、大事な人がお墓に眠っているわけだな。

まさか、昔の彼氏?(←妄想しすぎ)

 

すると、Yさんは笑って言った。

「やだ~お墓参りって、違う違う。

うちの父親が眠っているんだよね。」

 

そっか。

 

そんなことをおしゃべりしている間に、日はとっぷり暮れてしまった。

本当は、東京観光しよう!と2人で事前に計画を立てていた。

浅草、ソラマチ谷根千、行きたいところがたくさんある!

とYさんは来る前から言っていたのだが。

 

実際に会ってみれば、Yさんも私も久々に会った時間を埋めるべく、ただしゃべれればいいだけだった。

まあ、そんなもんだ。

それでいい。

 

お父さんのお墓参りか。

Yさんはファザコンと聞いたことがある。

彼女はお父さんと話したいことがあったのだろう。

そういう時間を持つのもたまには必要だ。

 

いろいろ聞いてよく分かった。

Yさんはいつも全力投球な人なので、ちょっと心配だったが、今日は特別な休日なんだろう。

仕事も人生も、たまに力を抜いた方がいい。

「静かな退職」も、それがその時の自分に必要と思えばそれでいいと思う。

とりあえず?収入は確保できるもんね。

 

「次回、〇〇さんや△△さんに会う時、私も呼んで!

関西から駆け付けるよ!」

 

楽しい時間は終わり、Yさんと東京駅で別れた。

また会おうね!

別れのハグを何度もして、手を振って別れた。

別のホームへ消えるYさんを見送り、私も電車の上の人となる。

 

Yさんがこうやって東京まで来てくれて、本当に私はうれしかったぞ。

たぶん、彼女は自分を癒すのに社会から離れ、引きこもることが必要だったんだろう。

何かのきっかけで、外に出よう!新幹線で東京へ行こう!と思ってくれてよかった。

 

煮詰まった時は、旅行したりふだんと違うことをしたりした方がいいんだろうな。

真面目で一生懸命仕事や人生を頑張る人が傷つかない社会になるといいな、とつくづく思う。

 

 

 

俳句教室2

 

かなり前の記事で、「今度から俳句教室へ行く」と書いた。

その後日談。

 

初心者レベルの俳句教室。

楽しみにしていた。

何かを学ぼうと思うものの、「いつかはやりたいな」と思うだけで終わることが多い。

腰を上げるのが面倒くさいのである。

 

そんなものぐさの私が、ついに?動いたのである。

大したことではないのだが、とうとう行動した自分をほめたい。

とまあ、自画自賛はおいといて。

 

授業の日、例の教室へ行った。

担当のT橋さんは忙しいらしく、別の担当者にクラスへ案内された。

 

教室へ行ってみると生徒は6名、つまり私を入れると7名。

少なすぎず多すぎず、悪くない。

 

授業は、こんな感じで進められた。

 

まず、クラスの2週間前に各自が先生に俳句を提出。(これは授業前に終わっているわけだ)

先生は全員の作品をパソコンに入力してプリントを作成。

 

提出された全俳句が書かれたプリントが、クラスで全員へ配布される。

それを読み、自分が好きな俳句を選ぶ。

1番好きな句(特選)1句、2番目に好きな句(秀逸)1句、そして3番目に好きな句(普通)4句。

選句が終わったら、各自が自分の選んだ句を発表する。

 

講師は「その俳句を選んだ理由」を選者に尋ねながら、句の季語を確認し、講評する。

選ばれなかった句についても講師が注釈を加える。

という流れだ。

 

プリントには、講師の先生が作った俳句も混ざっている。

我々の駄句?に混じって。

もちろん記載されているのは俳句のみで、作者名が書いてない。

 

なので、(作者不詳のまま)純粋に自分が好きな句を選ぶわけだ。

(そして、「自分の句を選んではいけない」というルールがある)

 

さて、俳句を学ぶピカピカの一年生?である私。

なのに講師のH先生は、容赦なく笑顔で要求する。

 

「それじゃ、作ってきた句を見せてください。」

 

え?(ドギマギ)

とつぜん私ですか?(あたふた)

作ってきたけど…発表するんですか?

 

H先生(にこやかに)「作ってきたんですね?じゃ見せてください。」

 

私「いや、その、あの…(もがもが)」

 

そう私が抵抗しているうちに、先生は私のノートを取り上げた。

 

「あ、5句作ってきたんですね?いいじゃないですか?」

(何がいいのか分からんが…)

 

そう言うと、さっさと私の句を板書し始めた。

そして、1句目を書くとうなった。

 

「ああ~。なるほどねえ。」

(何がなるほどなんだ)

 

そして私を振り向いた。

「この教室の生徒さんなら分かると思うんですけどね。ああ、そうか」

 

ここで私は、1句目でどうやらミスをしたらしいということに気づく。

ミスについてはのちほど指摘をいただき、何がミスだったのか分かった(季語が二つあったのだ)。

私の5句を書き終えると、H先生はホワイトボードから体を離し、再度読み返した。

そして、何度もうなずいた。

 

H先生「へえ、本当に初心者?悪くないですよ。

五・七・五も出来てるし」

 

私の内心の声(いや五・七・五は出来てないとさすがに…。

いちおう中学校で俳句の授業があったし…いや、中学校って何年前だよ)(もがもが)

 

こうして私の5句が衆目にさらされた(そのために作ったんだけどね)。

あ~めっちゃ恥ずかしいですね。

 

気を取り直して私もプリントに目を通し、句を選ぶ作業にとりかかった。

読んで分かった。

ふうむ。

こりゃ好みが分かれるわい…。

 

この時期は春なので、みなさん春らしい句を読んでいる。

「花」「いちご」「春風」「青空」そんな感じだ。

確かに春らしい。

 

しかし、またどうでもいいタイミングで頭を持ち上げる私の「反骨心」だ。

ここでも、どうも私は「女性らしい」のが苦手らしい。

先般の記事にも登場した脳科学者の中野信子さんも、似たようなことをおっしゃっていた。

「女性だから●●」(例:女の子は赤い服、とかね)ってのが、子どものころから苦手だった、と。

 

私も彼女同様、「女の子だから女らしくしなさい」と言われるのが大嫌いだった。

それは私の気性だから仕方ないのだが、今この俳句教室で顔を出さなくてもねえ。

「春はいちご」みたいな可愛らしい俳句を、「ふーん」と思ってしまう自分がいた。(面倒くせえ自分)

 

いや、いかん。

これは単なる「文学」である。

女性らしいも何もないのだ(と思う)。

 

私は頭を振って目を見開き、「女性らしさ」に目が曇らされないよう、書かれた俳句を何度も読み返した。

公平な目で選ぶのだ、公平にね。

 

選句が終わり、各自が選んだ句を発表。

なんと、私の句を選んでくれた方が何名かいらっしゃった!!(うれしい!)

かなり恥ずかしいが、「いいですね」と人から言われるとまんざらでもない(えへへ)。

 

そして私の選んだ句。

「俳句としてまとまっている」とか、

「意味が想像しやすい」とか、

そういうのを選んだつもりだった。

 

しかし、私の選んだ句のうち、半分くらいが講師の先生の句だった…。

後で種明かしされて先生の句だと分かった。

「先生の句だ」と言われれば納得。

だって、分かりやすいもん。

意味が通じるように作るって、案外難しいんですね。

 

季重なり」の句もありましたよ。

1句に2つの季語が入っている場合、それが別々の違う季節の季語だったら?

その場合は、「…や」(切れ字)などで詠嘆されている季語の方が強い意味になる、つまり優先されるようです。

 

なるほど。

独学で本を読んでいるだけだと、細かいところは分からない。

「力士」とか「相撲」が季語だというのも初めて知りました。

 

そんな感じで2時間(1時間半だと勝手に思い込んでいた)、あっという間に過ぎた。

楽しいのが一番ですよね、趣味なんだし。

そして次回のお題をもらい、締め切り(2週間後だ)までに先生宅へ自分の句を郵送することに。

 

授業が終わって。

「どうですか、俳句?」

先生に聞かれたが、締め切りが近すぎる。

 

「締め切りまで2週間しかないので、頑張らなくてはという感じです」

そう答えると、H先生は笑った。

 

「締め切りが無いとやりませんよね!僕もそうです」

 

そうですか。

やはり作家だろうが俳人だろうがアーティストだろうが、作品を作る人は締め切りが無ければ自分を追い込めないですよね。

締め切りがあれば何とかしてひねり出す、ってことだな。

 

個人で書いているブログは締め切りが無いので、怠けたらきりがない。

克己心が必要になってくるのだ(残念ながら私には欠落しているので、この体たらくだ)。

 

H先生はこんな風に続けた。

 

「句会がいくつも立て込んでくると、新しい俳句を作る時間がないんですよ。

仕方なく、以前作った俳句をいくつか混ぜて持っていく。

すると、句会によってはこの俳句が受けたり受けなかったり。

句会のカラーによっても違いますよ、ウケるポイントが」

 

やはりそうだろうなあ。

結局、絵でも音楽でも文学でも好みがありますもんね。

万人に受ける作品を生み出すのは大変だ。

 

というわけで。

授業が終わってH先生は、「じゃまたね!」と風のように去っていった。

 

受付にいたT橋さん。

笑顔で私を待ち構えていた。

次の展開は予想できた。

 

「どうでしたか?良かったでしょ?初心者クラス、とってもわかりやすいって評判なんですよ!先生も丁寧に教えてくださいますしね。次回、どうしますか?え?だって面白いでしょ?俳句、とっつきやすくなったんじゃないですか?はい?入会しますか?は?私としてはおススメですよ!」

 

…T橋さん、いつもながらどこで息継ぎしてるのか分からない。

立て板に水、矢継ぎ早のセリフはさらに破壊力を増したようだ。

が、今日はT橋さんは忙しいらしく、他の人に呼ばれてすぐ姿を消した。

 

あれ?いいのか私…(ぽつんとおきざり)

すると、別の担当者が来た。

 

私は、「俳句を続けたいが、今日まったくお金を持っていない」と伝えた。

「支払いは次回でいいですよ」と言い残し、彼女も消えた。

月謝を払っていないのに作品は提出しなければならぬ…。

なんか変な感じ。

 

こんな感じで、俳句教室の第1回目は終わった。

生徒さんたちもあっさりしたもので、授業が終わるとさっさと帰る。

まあ、これくらいがいいんだろうな。

 

当面の目標(というか月末までの目標は)次回のお題で4句詠むこと。

そして、中期的目標は(上手になって)句会に出ること、にしておこう。

少しは自分を追い込まないとね。

 

怠け者(自分だ)に作品を作らせるには、「教室に参加する」「月謝を払う」「締め切りをもうける」だな。

と改めて分かった。

冬の間は活動的じゃなかったが、春になったんだもの。

ちょっと外に出て何か違うことをやってみよう!と思ったのでした。