オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

人と会う

 

自分から人を誘うことが、かなり苦手である。

気軽に他人に声をかけられる人がうらやましい。

 

なぜ、気軽に人を誘えないのか。

その理由を自分なりに考えてみた。

 

まず、会う目的が無いと他人を誘いづらい。

深刻な相談があるとか、人生に新しい転機が発生したので報告したいとか。

そういった目的があれば、人と会って話す、つまり相手の時間を使わせてもらうだけの価値があるんじゃないか?

と思っている。

 

なので「何も用事が無い」時は、飲みに行こうとか食事に行こうとか、誰かを誘う勇気が出ないのである。

これって私だけなんだろうか?

「会う理由とか目的」が無いと人を誘いづらいと感じる人、いますでしょうか。

 

先日、友人のMさんからLINEがあった。

「ご飯行こうよ。いつがいい?」

 

そのメッセージを見て、私は途方に暮れた。

 

誘ってもらえるのはありがたい。

しかし、最近は私の周りにはめぼしいニュースが全く何も無い。

華々しい活躍をしているわけでもなく、面白いネタがあるわけでもなく。

ノーベル賞を受賞したとか、そういう出来事があれば気軽に会えるんだが…。

 

最近の私は限りなく平和、いやはっきり言うと平々凡々な日々を過ごしているのだ(ある意味いいことだが)。

Mさんだって、エキサイティングなニュースの無い私と会っても楽しくないでしょ。

そう思った。

 

まあ、誰だって毎日が波乱万丈というわけではない。

激辛マーボー豆腐だって、一日三度×半年食べ続けたら飽きる。

それは分かるんだけどね。

 

分かるんだけどね。

 

何か一つでも面白いネタがあれば、Mさんと会うのも気楽なんだけどなあ。

会った時にはその面白小咄を話せばいいんだし、あとはMさんの最近の話を聞いて盛り上がれるだろう。

私には今、ネタが無いのよ、ネタが。

 

というわけで、Mさんへの返事を躊躇した。

迷った挙句、あまり待たせても行けないと思い直し、ようやく返事をした。

 

「ランチ、いいですね!

でも私は何もニュースがありません。申し訳ありません。」

 

するとMさんからあっさりと返事が来た。

「私も何もニュースがありません。」

 

おおっ。(心の中の歓喜の声)

Mさんもニュースが無いの?

ちょっとうれしい…。

 

たぶん社交辞令で気を遣ってくれたんだろう。

忙しくしているMさんは、多分たくさんニュースがあるはず。

私に合わせてくれただけなんだ。

 

それにしても、「特段何の用事もないが会いたいね」と言ってもらえるのは、単純にうれしい。

それはつまり、Mさんが日々の生活で私を思い出してくれた、ということだ。

あいつ、何やってるかな、と。

 

ところで、以前も別の友人と似たようなやり取りがあった。

 

その友人から久々に連絡があり、「たまには会おうよ」と言われたのだ。

その時も私は「会うのは構わないけど、話すネタが無いし」と返事をした。

すると彼は言った。

 

「話すことが無いと会っちゃいけないの?」

 

ま、言われてみればそうだ。

そんな法律はないし、友人に会いたいときに会えばいい。

 

なぜ、自分は他人とアポを取るのが苦手なんだろうか。

理由は、たぶん、「会ったら相手を笑わせなければいけない、楽しませなければいけない」と思い込み過ぎているから。

 

お笑い芸人じゃないんだから、そこまで頑張らなくてもいいはず。

過剰なサービス精神が、人と会うことをわざわざ難しくしているわけだ。

自分の持って生まれた、面倒な性格?なんですかね…。

 

会う前は、「話すネタが無い」とぐずぐずしている自分。

しかし、友人と会うと特に面白いニュースやネタが無くても、話が盛り上がるものだ。

どうでもいいことをお互いに話し、何時間も楽しく過ごせる。

酒が入っていなくても、だ。

 

だったら、「ネタが…」なんて言わずに、気軽に友人と会えばいいじゃないか!

でも、「何か共有すべきニュース」が無いと、話が盛り上がるかどうかイマイチ不安になっちゃうんだよなあ…。

 

多分、私のことをよく知らない人たちは「あいつ、友達になりにくいタイプだな」と思ってるだろう。

私だって、自分のこういう点が厄介だと良く分かっている。

考えすぎなんだよ。

あ~気軽に人と会いたい!

 

ま、地球上の人全員と気が合うわけでもないし、仕方ない。

そう思って、自分の気の小ささを慰めている。

 

ところで。

用事が無いのに人と会う。

これって実はぜいたくな時間の使い方ですよね。

特にこの2、3年は人に会うのが制限されるようになって、「人と会う」ことの価値が社会で再認識されているようだ。

 

こんなことを最近考えていたら、芸能人の誰かも似たようなことを言っていた。

平々凡々な生活を送っている一般人の私だけでなく、芸能人も同じ状況なんでしょうね。

 

Mさんの話に戻る。

時折、こうやって私の周囲の友人たちは私を正常な?軌道に戻してくれる。

そういう友人たちがいなければ、今頃私は火星の裏側に一人で生活しているような状態になっていただろう。

 

あまり考えすぎず、思い込み過ぎず、という中庸が大切。

ってのは分かっているんだけど、ね。

 

そう考えると、ちょっと前に流行った「インスタ映え」。

あれは、私みたいな人間にとっては恐怖以外の何物でもない。

だって、毎日キラキラした生活なんて送っていない。

私がインスタをやったら、投稿できるのは15年に一度、なんて感じになりそうだ。

 

しかし、最近アメリカでは「インスタ疲れ」で、加工していない写真を投稿するのが流行ってるとか。

行き過ぎた流行には何でも反動というものがあるんですね。

 

「何かすごいことを成し遂げていないと人に会えない」と思い込む自分に、堂々と「自分は何もニュースが無い」と言い切れるMさん。

好きだわ…。

 

ちょっとホッとしました。

こういう「特に何もニュースが無い」日々が続いているからこそ、たまにある出来事が輝いて見えるんですよね。

 

 

イニュニック(生命)-アラスカの原野を旅する-

 

またまた星野道夫本である。

 

(以前、同著者の「旅をする木」の記事を書きませんでしたっけ?)

 

最近、心が汚れている。(いつも?)

久しぶりにアラスカの本を手に取りたくなった。

 

星野道夫さんはアラスカ写真家であった。

この本も、アラスカの友人カレンから電話があったことから始まる。

 

アラスカに通って写真を撮影する生活を続けて12年。

そろそろキャンプ以外の生活をしたい。

そう思っていたころ、カレン宅の隣の土地が売りに出た。

 

カレンの夫マイクは国立公園のレンジャーで、カヤック旅行中に知り合った。

カレンは日本文学で博士号を取り、宮沢賢治の研究者だ。

彼らに勧められ、その土地を買うことにする。

 

アラスカに土地を買い、家を建て、家具を注文する。

全てアラスカの友人たちがやってくれたのだ。

新しく住む土地に多くの友人がいるなんて、いいことじゃないですか。

 

この本の巻頭には、多くのカラー写真が掲載されている。

真冬のオーロラ。

雪原を歩くカリブーの群れ。

インフォレスト

夏の恵み、ベリー類。

氷を抱くベーリング海

 

そして、本文にもアラスカの自然の描写が多く割かれている。

でも、著者が伝えたいことはアラスカの自然の美しさではない。

 

アラスカに憧れ、アラスカに住む人に憧れ、毎週のように様々な人がやってくる。

しかし、彼らの多くは挫折し、または満足して都会へ帰っていく。

 

現地先住民女性と結婚したパイロットのドン。

帰る場所が無い彼は、アラスカで生きていくことを決める。

「ひとつの人生を降りてしまった者のもつ、ある共通した優しい匂い」をドンに感じる著者。

アラスカに憧れ、あるいは事情を抱えてアラスカにやってきた人たちを、著者は温かい目線で見る。

 

著者の多くの友人たち。

ある者はアメリカ人、ある者はアラスカ先住民だ。

その友達の一人、シリアが言う。

 

「Life is what happens to you while you are making another plans.」

(人生とは何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)

 

まさにその通りだ。

私も最近、本当にそう思う(←それが、心が疲れている原因なんだけどさ)。

 

一年の半分が冬であるアラスカ。

(アラスカは憧れるが、冬が長いのはつらいな…)。

 

春は一日だけ。

日差しが温かくなると、植物も動物もぐんぐん夏へと向かう。

夏は生命が命を謳歌する季節なのだ。

 

日没が夜の22:48分。

日の出はなんと0:59分!

フェアバンクスの夏至ってすごいですね!!ほぼ白夜じゃん。

星は5月には姿を消すそうです。

 

そんな毎日の中で、著者のアメリカ人の友人が亡くなることもある。

著者はがんで入院した友人、ヘレンのお見舞いに行く。

その病床でのヘレンのセリフ。

 

著者「人生の中で一番大切なことって何だと思う?」

ヘレン「友だちだよ。」

…。

 

確かにヘレンの言う通り。

あとそんなに長く生きられないと分かっている時、病院にお見舞いに来てくれる友人のいるありがたさ。

 

人生で必要なものはいろいろある。

家、仕事、お金、家族、健康、等々。

でも、一番大切なのは友だちなんだろうなあ。

 

著者は、クイーンシャーロット島にハイダ族のトーテムポールを見に行く。

トーテムポール自体、まじない的意味のある木彫りの彫刻なんだが、ハイダ族は葬儀に使用する。

なんと、トーテムポールに穴をあけ、そこに遺体を埋葬するんだそう。

まあ、全ての部族がそうやっているわけではないんですけど。

 

先住民族のトーテムポールは、歴史的、文化人類学的価値があるとかで、博物館で保存しようとする動きがある。

しかし、ハイダ族は反対。

祖先の作ったトーテムポールが、作った当時のまま自然の中に残され、そのまま自然に朽ちていくことを希望するんだとか。

 

うーん、なんとなくハイダ族の気持ちも分からんではない。

私も素晴らしい木彫りの作品を見たら、「こりゃ美術館で保存しないとね!」と思うだろう。

でもハイダ族にとっては、自然の物は自然に還るべきなのだ。

 

星野氏はクイーンシャーロット島で、そんな朽ちたトーテムポールを見る。

そして、驚かされる。

朽ちたトーテムポールのてっぺんから、トウヒの若木がまっすぐ生えていることに。

 

トーテムポールのてっぺんに落ちたラッキーなトウヒの木の種子が、中の栄養分を吸収して木に成長したんだろう、と推測する星野氏。

日本人的感覚から行くと怖すぎる…という感じもしないではないが、言いたいことは分かる。

すべての生き物は自然に還り、壮大な生命の再生のサイクルの一つとなるのだ。

 

ここまで読んだ読者の皆さんは、すでにお分かりですね。

なぜこの本のタイトルは「イニュニック」(生命)か、ということが。

生命の誕生、死、再生がアラスカではつながっていることが。

 

生き物(人間含む)の一生とは、永遠に存在するものは何もない。

あらゆるものが消え去る。

 

例えば鮭。

アラスカのサーモンも生まれ育った川を遡上し、産卵を終え、一生を閉じる。

するとその死骸は土壌に沁み込み、栄養を与え、豊かな森を育てるのだ。

 

まあ、読まなくても何となくわかるよ…って方もいるだろう。

そういう方は同じ著者の「旅をする木」もおススメですよ。

 

私なんぞ、最近は電車の窓から高層マンション群を見ると思う。

「あ~やっぱ住むなら緑の多いところがいいな。」

 

東京の便利さや猥雑さは今も好きだ。

歩いていろんなところへ行けるし、面白いことがたくさんある。

 

でもねえ。

朝起きたときは鳥の声を聴き、太陽の光を浴び、木々の葉が風に揺れる音を聞きたくなったのですよ。

これを人は「年取ったね」という言葉で表すらしいですが。

 

都会生活に疲れた方、会社員生活に飽きた方。

たまには星野道夫を読んでリフレッシュはいかがでしょうか。

 

 

ところで、この本。

私はいつものごとく図書館で発見したのだが、借りて分かった。

この本は「寄贈本」だったのだ。

ってことはこの本を持っていた誰かも、アラスカ(もしくは自然)に憧れ、気持ちを北極圏に飛ばしたんだろうなあ。

 

最近は、星野氏の友人ドンの気持ちが分かるようになってきたような気がする。

世界の果てへ西へ東へ、忙しく飛びまわる生活も楽しい。

しかし「いつ来訪してもその人はそこにいる」という優しさもあるんだなと思うようになりました。

 

余談ながら、この本が出版されたのは1988年。

著者・星野道夫氏は1952年生まれなので、当時36歳。

人間(そして野生動物)を温かく見る目をこの時点ですでに持っていた、ということにびっくりする。

自分の人生修業の甘さ、遅さに不甲斐なさを感じます…。

 

 

今年は特に訃報が多いですね。

シリアの言う「人生とは、何かを計画中に起きる別の出来事」である。

だったら、人生が計画通りに行かなかったからといって落ち込む必要はないんでしょうね。

うまく行かないことがあったとしても、友人がいれば気持ちがまぎれるしね。

 

まあ、そうは言っても「自分の命は壮大な生命サイクルの一部分」と思えるまでには、私にはもう少し時間がかかりそうだなあ~。

自然から切り離された生活をしている我々には分からないことが、アラスカに住む星野氏には見えていたのかもですね。

 

どこか、アラスカじゃなくていいですが、自然に囲まれた場所で、友人たちとたまに会って楽しく過ごす。

そういう定住生活を送りたいという気分に私がなるのは、あと数年先かなあ。

それまでに友人を増やしたいものですけどね。

 

 

受験勉強

 

先日、とある試験を受験した。

 

試験というとたいていは、「仕事上必要な資格」とか、「就職が有利になる検定」とか、そういうものを受験すると思う。

私も今までの人生では語学試験ばかり受験してきた。

海外関連の業務が多かったからだ。

 

しかし、コロナは多くの人の人生を変えた。

海外へ行く機会が激減し、私は自宅に閉じこもることが多くなった。

(いや、外出はしてましたけど、仕事でもプライベートでも海外旅行はありませんでした)

 

そして思った。

これからどうなるんだろう、自分の仕事(と人生)?

 

私に限らず、コロナ禍を機に、多くの方が来し方行く末を考えたことだろう。

仕事が減った方、増えた方、仕事の内容が変わった方などもいたかもしれない。

テレワークが出来るようになって、地方へ転居される方も多かっただろう。

 

つまり、「自分の人生をふりかえった人が多かった」ってことですよね。

コロナがもたらしたのは悪いことばかりではなかった。

 

私は、

「これから海外関連の仕事は出来なくなるかも」という危機感を抱いたわけです。

じゃあ、それ以外の分野へ転職することは自分に出来るだろうか?

 

そこで、はたと気づいたのである。

語学以外の大した資格を持っていないことに。

 

これはいかん。

何か語学以外の資格を取るか…。

 

じゃあ、何の資格がいいだろう?

持っていれば「あ、そんな資格も持ってるのね」と思ってもらえそうなヤツ。

そんなの、ある?

 

新しい資格を取得する。

それには、自分なりの条件がいくつかある。

 

  • 新たに大学や専門学校へ行く必要が無いこと。(時間と経費不要で取得できる資格がいい)
  • 受験要件が無く、誰でも受験できること(年齢とか、大学の××学部出身者限定とかの条件が無いこと)
  • 自分がある程度それに興味を持てること

 

このすべてを満たす資格…何かないかなあ?

 

書店の資格コーナーでウロウロして、色々な資格の本を立ち読みした。

全く興味が持てない資格もたくさんあった。

 

そういう資格は収入にはつながるかもしれないが、果たして自分に出来るだろうか?

興味が持てないと、資格を取る前に試験勉強が長続きしないだろうと思った。

なので却下。

 

試験日も調べた。

今から受験を申し込んで勉強し、今年中に受験できるもの。

すでに今年前半に試験が終了してしまっている資格は、残念ながら見送り。

 

こうやって、いくつもの資格をふるい落とし、「取れそうな資格」を絞った。

そして、ついでに得意の語学試験も受けることにした。

 

これが問題だった。

語学試験を含む複数の試験に申し込み、同時進行で勉強した。

だが、やはり勉強に濃淡が出てしまった。

 

語学試験は全滅。

これはかーなり大ショックだった。

だって自分は語学しか取り柄がないですからね。

敗因は「楽勝」と思っていたこと。

 

そして「語学以外の資格試験」を2つ受験し、無事に合格した。

これはよくも悪くも妙な自信を私に植え付けてしまった。

 

「語学以外」の試験にだって、勉強すれば受かるんだ!!

という、ある種の錯覚ですね…(笑)。

 

この「成功体験」が私のお調子者スピリットに火をつけた。

 

そして今年。

去年合格した「語学以外」の資格試験のうち、Aという資格がある。

今年は調子に乗って、A資格の類似ジャンルにあるBという資格を受験することにした。

 

皆さんもご存じのように、ある資格は同じジャンルの別の資格と出題範囲がかぶっていたりしますよね。

昨年、A資格を取った際に、気づいた。

Aと同ジャンルにBやCという別資格があるということに。

 

書店でBやCの参考書や過去問をパラパラめくると、おお!

Aの知識があるとBやCも解けそうだ。

(って、重複しているのはわずかですが…)。

 

試験日程を見ると、Cはまだまだ先。

Bは8月に受験できる。

よし、じゃあまずBを受けてみっか!

 

そんな感じで、テキトーに(そして無謀に無計画に)Bを受験することにしてしまったのである。

(皆さんはこんな無計画に試験を受けてはいけませんよ~)

参考書と過去問を買い、前半部分を読んでみたら内容が資格試験Aに似ていた。

これならできそうだと早合点しちゃったのである。

 

そして高い受験料を支払い、戸籍謄本も取り、写真も撮影し、とうとう受験申請をした。

もちろん、その時にはBの勉強を始めていた。

「この調子だと、うまくBも取れそうだぞ」

とずっと楽観視していた。

 

ところが。

そうは問屋が卸さなかったのである。

やはり世の中甘くない。

 

Bの参考書の中間に学習がさしかかったころ。

「は?何ですって?」

急に分からないことが激増。

なんじゃこりゃ…。

 

しかし、それでも勉強を続けた(←この時点ではまだ「合格楽勝」と思い込んでいた)。

 

参考書の残り3分の1にさしかかった。

そこには、聞いたことのないあれこれがずらりと並んでいた。

「どゆこと…?」

 

読み進めて青くなった。

「え?これってどうやって覚えるの?」

「りょ、量が膨大なんですけど」

「やっぱり専門学校とか学部で学ばないと分からんじゃないか?」

 

毎日そんな状態になってきた。

とりあえず勉強するものの、内容があまりに分からな過ぎて頭を抱える日々。

 

「う~っ!!受験料支払っちゃったよ!」

「やっぱやめればよかった!」

「去年合格したから、調子に乗り過ぎたわ!」

 

何度自分のアホさを呪ったことか。

◎万円もする受験料を支払ってしまったことを後悔した。

こんな難しかったら手も足も出ない。

 

放心状態になって夜、一人で考える。

 

「だよね…どうせ受験して不合格になるくらいだったら、最初から受験しなければいいんだ。」

 

受験料を支払ったものの、この分ではさっぱり出題内容が理解できない。

なので、当日は試験会場へ行かず、家でふて寝するという現実逃避を思いついた。

これが一番簡単だ。

この「さっぱりわからん地獄」から逃れるには、それしかない。

 

葛藤を続ける私の心の声。

 

「でもさ、◎万円も支払っちゃったじゃん!もったいないよ」

 

うんうん、そう思う。

でも「受験しません」って申し出ても、返金してくれないんだよ。

 

「んじゃダメもとで受験するしかないよ。

そしたら、少なくても『出題傾向』は分かるんだからさ」

 

出題傾向把握のために受験?

って、来年も受験するってこと?

 

それはもうやらない。

今年ダメなら、もう一生受験しないよ。

資格試験は勢いが大事だもん。

 

こんな日々が何か月も続いた。

 

そもそも、Bの勉強を始めたのは去年の11月なのである。

試験まで1年近くあれば、どうにか覚えるだろう。

そんな楽観的考えで受験を決めたのだが、勉強して気づいた。

 

いくら勉強しても、覚えるはしから忘れていくのである。

もう高校生のようなやわらか頭じゃない。

 

脳がこれほど劣化していることに気づいて愕然とする。

笑っちゃうくらい、覚えられないのだ。

う~手も足も出ない!(←やっと失敗に気づく)

 

過去に出題された問題をやってみる。

80点中16点。

もう、笑うしかない。

 

ここで2択だ。

  1. 受験をぶっちぎるか(不戦敗に甘んじるわけだ)、
  2. 不合格承知でとりあえず受験するか(受験料がもったいないからね)。

 

ここに至って、どうしてもこのB資格が取りたいわけでもない。

「受験料がもったいない」のケチ臭い執念で、とりあえず2を目指しているだけである。

 

そんな中、ネットで読んだ。

86歳のおじいさんが執念で大学院を卒業したというニュースを。

確か博士号を取ったとか、そんな内容だった。

 

ええっ?

その年齢になって学位を取る?

 

衝撃だった。

偏見だが「その年齢で学位取得して、何の役に立つ?」という思いもした。

「勉強しても忘れるので、ひたすら反復練習した」と当該おじいさんが述懐している。

 

これだ!

 

その記事が光り輝いて見えた、わけではない。が、

私のように(私はまだ80代ではないが)、勉強に苦労している人がいた、という事実に励まされた。

 

記憶力が衰えてきたら、ひたすら反復練習するしかない。

そうだ、それだ。

参考書に書いてあることはさっぱりわからんが、こうなったらひたすら何度も反芻だ。

習慣は第二の天性なりとかいうではないか!(やぶれかぶれ)

じいさん、ヒントをくれてサンキュー!!

 

そして、そこからの私はすごかった(←自画自賛)。

図書館へ行き、その分野の本をたくさん借りてきて読破した。

気になること、面白いと思ったこと、補足情報をノートに写した。

分からないことをネットで調べまくった。

 

内容が分からなくても、ひたすら反復学習。

間違えたところだけやり直し、またやり直し、全部出来るようになったらすべて最初から勉強し直す。

教科書は最初から最後まで、何度も繰り返した。

そうしているうちにだんだん内容が分かるようになり、面白く感じられるようになってきたのである。

 

模擬試験も6回、7回と同じ問題を繰り返して解く。

間違えたところはノートに書き出し、計算方法や考え方を書く。

「頻出項目」「よく間違える項目」「苦手な計算問題」等を書き出す。

高校生か?と思うくらい、地道に勉強し続けた。

 

すると、あれほど点が取れなかった過去問の点数が上がってきたのである。

最初は16点だったのだが、そのうち27点になり、40点になり。

最後には76点くらいまで上がってきた。

やれば出来るものである。

 

分かるようになると、だんだん自信がついてくる。

もう、「受験をすっぽかして家でふて寝」という選択肢は私には無かった。

80点中76点まで取れるようになってきたんだから、受験はしてみよう。

 

そう思って、8月某日。

試験会場に行った。

やはり本番の試験は難しく、「う~やっぱり分からない」と頭をかきむしる問題も多かった。

しかし、とりあえずやることはやった。

 

結果は合格。

 

分かっているけど、そしてよく言われることだけど、「記憶力が衰えたらひたすら反芻」。

これは真です。

読者の皆さんにお伝えしたいのは、それだけです。

 

合格証書を受け取って、ちょっと放心状態。

本当に消耗した。

もう、今年は何も受験しないぞ。

 

人生をちょっと変えようと思って頑張った自分に、梅サワーで乾杯いたしました。

やれやれ。

 

 

 

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ

 

私は読みたい本を常にメモっている。

そのメモを持って図書館や書店へ行き、立ち読みをして借りたり買ったりするのだ。

この本も、そんなリストに入っていた本の一つ。

 

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ」の著者はフィンランド人、38歳、女性。

読書が好きで、人生(特に仕事)に疲れている。

現在の職場に勤めて10年。

ある日「一年間の休暇を取ろう」と思い立つ。

 

人生に疲れた人がリセットのためにやりがちですよね、旅行とか長期休暇…。

これって、日本だけじゃなくフィンランドも同じなんだ。

 

でも、一年間も仕事を休んで何をする?

 

そうだ、京都へ行って清少納言が暮らした世界にふれよう。

そう思い立ち、「枕草子」ファンである著者、ミア・カンキマキ女史は京都行を決める。

日本で清少納言についての本を執筆することにする。

 

いいアイデアを思い付いたものの、一年間も職場を休めないかも。

お金の不安、日本語が分からない不安。

本が本当に執筆できるかどうか。

 

物質的理由だけじゃない。

中年の独身女性が一人でアジア旅行?

まわりからどう思われる?

恥ずかしい?

あ~う~悩む~え~い!!

 

この、著者のウダウダっぷりがとても親近感を抱かせる。

私もはじめの一歩を踏み出すのに、ものすご~くウダウダ悩むタイプ。

自分の分身を見ているようで、めっちゃ分かりまっせ、その気持ち。

 

ウダウダの結果。

退屈なフィンランド生活から脱出するべく、行動開始したカンキマキ女史はすごかった。

 

フィンランド・ノンフィクション作家協会から、助成金ゲット!

自宅を貸し出すことにして高齢の親に手伝ってもらい、荷物を整理して家を空ける。(親とケンカしながら)

ヘルシンキ大学の日本語入門講座に申し込み、飛行機のチケットを手配。

上司と大喧嘩して反省するが、無事長期休暇ゲット!(←これが一番すごい)

 

もう、あとにはひけん。

 

一度決めると、あとは怒涛のように日本へ行くだけ。

清少納言の書いた文章が千年後のフィンランド女性の心を打った。

それだけが彼女の原動力。

人生を変えるきっかけって、どこにあるか分かりませんね。

 

この本を100ページほど読んで、気づいた。

私も彼女同様、ちょっとバーンアウト気味のような気がする。

集中力が切れるし、世の中に対して冷めた感じになってきたし、仕事にも情熱がさめてきた。

ミッドライフクライシスっていうか、どの国の中年も同じなんですかね。

 

京都に来て図書館へ行くも日本語が分からず、英語の文献を探す日々。

そして女史は気づいた。

源氏物語の作者・紫式部についての本はかなりあるのだが、清少納言についてはほとんど無い。

 

日本人である私も、それは知りませんでした。

調べていくうちに分かる、清少納言に対する勘違いや偏見の数々。

 

そもそも、「枕草子」はPillowBookと翻訳されているらしい。

枕の本=寝室の本、つまり春画、と勘違いしている人が多いこと!

 

カンキマキ女史が「ピローブックの勉強のため日本に来た」と自己紹介すると、知った顔でうなずく欧米人男性の多いこと!

どうして本の表紙がピンクなのかよく分かった、だそう…。

いろんな誤解がまだある。

 

最初、この本を読み始めたときは、主人公(カンキマキ女史)のあまりのダメっぷりに本を投げ出しそうになった。

 

んなことやってても、本は書けないでしょ!

大丈夫か、おい?

 

しかし、この紆余曲折も、彼女の清少納言への理解を深めるのにとても役立っているのだ。

 

著者の日本滞在中、大地震が起きる。

2011年3月11日。

女史はフィンランド大使館や両親から別の国へ行くように言われ、適当にタイ・プーケット島へ渡る。

 

ここで彼女は気づく。

毎日毎日、プーケットの明るいビーチのパラソルの下。

変化なく、行きたいところもなく。

ただ昨日と同じ日々が過ぎる。

 

そして、プーケットには5日間豪雨が降り続き、災害宣言が出される。

カンキマキ女史は、雨に閉ざされたホテルで再び考える。

なぜ、京都では居心地が良かったのか。

 

タイに来る観光客は、明るくておしゃべりで、パーティー好きで、酒好き。

タイの女の子とデートするのが目的でタイへ来る人さえいる。

京都では、自分にそれを求める人はいない。

自分が引っ込み思案で、暗くて、人見知りでも、誰からも責められることはない。

 

そうだ、京都行こう。

女史は京都へ戻ることを決める。

「自分と意見を共有してくれる人がいないところへ来てしまったら最悪」なわけだ。

こういう気づきが、この本をとても共感性の高いものにしている。

 

ところで巻末の「訳者解説」によれば、2013年にこの本がフィンランドで発売されるとポジティブな感想があったという。

 

「人生を変える勇気をくれた」

「転職する気になった」

「これまでしたいと思っていたことを、実行することに決めた」など。

 

この本の本来のテーマは清少納言だった。

しかし、清少納言そのものについてではなく、「新しい人生を踏み出す勇気」をもらったという読者が多かったようだ。

 

本の中で著者は遠回りしたり、予期せぬ事象で計画を変更させられたり(地震とかね)する。

あれはダメだったがこれはうまく行った、なんてこともある。

人生とは計画通りに行かないものだ。

でも、思いがけない人との縁で人生は続いて行くものらしい。

 

私もこの本を読んで思ったことがある。

それは、「本を読んで知った気になっていても、やはり現地に足を運ぶと理解を深められる」ということ。

 

著者はフィンランドで生け花を習い、日本文学を読んでいた。

しかし、日本へ来て清少納言の足跡をたどり、現地を旅することで、彼女なりに清少納言へ近づいていることが良く分かる。

百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。

 

全然違うが、私も常々「英語を日本で勉強しているだけでなく、短期間でも海外へ行った方がいい」と思っている。

空気の匂い、現地の湿気(あるいは乾燥)、風、食べ物、自然、町の雰囲気。

そんなものが合わさって、言語とか文化とか国民性を作っていると思うからだ。

言語や文化に対する理解は、本だけでは得られないんだろう。

 

観察力に優れたカンキマキ女史。

タイで現地女性に群がる男性を見、京都でフランス人男性に群がる日本人女性を見て、手厳しい分析をしている。

 

曰く。

清少納言は晩年を寂しく過ごした、と言われている。

本当にそうだったのだろうか?

だってこれだけ清少納言に関する資料が無いのに、どうやって分かるの?

 

当時の女性は貞淑に地味に控えめに、男性の陰にいる日陰の存在だった。

そんな中で、才気煥発の清少納言は自分の教養を見せつけていた。

 

そういう「男性にとって目の上のたんこぶ」的女性だからこそ、「晩年はみじめだった」と資料に書かれたのではないか?

真偽のほどは分からんが、「男性にたてつく女性」をこらしめるために。

という推理だ。

 

まあ、ありえなくはない。

だって、清少納言が宮廷を出た後、誰とどこで生活していたか、没年さえはっきりしていないわけですよ。

「晩年がみじめ」って、どうやって分かったんだろうか、という謎はある。

 

絶世の美女・小野小町もしかり。

男性に手が届かない高根の花だったがゆえに、「晩年は無残な老婆となった」と資料に記載された。

のではないだろうか?

という女史の推理。

 

女性だって男性だって、年を取ったら容色が衰えるもの。

言われてみれば、小町に関する記述には悪意を感じられなくもない。

世の中に残っている歴史上の資料というものは、ほぼ100%男性の手によるものだからして。

(だから枕草子源氏物語が貴重なんだが)

 

歴史上の有名人は生まれた場所や年月日も不詳だし、最後がどうなったのか不明な人も多い。

なので、後世の人が適当に?でっち上げた史実もゼロではないんじゃないかと考えている。

研究者が研究を進めて「これは恣意的に描写された」ということを立証してくれるんじゃないかと期待する。

 

最後に。

私もかなり鼓舞されたことがある。

それは著者を励ましたヴァージニア・ウルフの言葉である。

 

「みなさんにはあらゆる本を書いてほしい。些細なテーマであれ遠大なテーマであれ。…皆さんには何としてでもお金を手に入れてほしいとわたしは願っています。そのお金で旅行したり、余暇を過ごしたり、世界の未来ないし過去に思いを馳せたり、本を読んで夢想したり、街角をぶらついたり、思索の糸を流れに深く垂らしてみてほしいのです。」

 

なぜ私が「バーンアウト気味」なのかは、著者同様「人生に疲れた」からなのである。

でも、気を取り直し、前に進んでいくしかないんだと思っている。

本を読んで夢想することだけは、やっている(笑)。

 

それにしても、世界各国、同年代なら似たような人生経験を積み、似たようなハードルにつきあたるものなんですね。

それが分かっただけでも、相当私は勇気づけられましたよ。

この本を読む多くの方々も、著者同様、迷ったり悩んだりしながら人生を楽しく続けてほしい。

 

 

 

漢字百話

 

またまた読書感想文で申し訳ありません。

夏休みの宿題のごとく、年中書いてます、感想文。

今回は、漢字についての本。

 

この「漢字百話」は、漢字の大家・白川静博士の著書である。(中央公論社)。

白川先生によれば、「漢字とは『呪(しゅ)』である」。

 

呪い?怖っ。

と誤解されないよう、説明してみたい。

 

もともと漢字は、人間社会の儀礼や神話の書記法から成立した。

んだそうだ。

 

古代中国の人々は自然を畏れ、神を敬い、龍やら何やらの霊を使って邪気を払い、悪い物が来ないように祈りながら生活していた。

超自然的力に働きかけるための行為、それが祈りや呪術、儀礼だった。

 

(ここでいう呪(しゅ)とは、相手を呪い殺すことじゃないです。

予測不可能な自然現象から身を守り、自分や村の安全や平和を願う行為って感じ?)

 

例えば、人々は自然現象や自分たちの理解に及ばないものごとを、神とあがめていた。

それを絵に描く。

自分たちに不幸が訪れないよう、祈ったり祓ったり神の言葉を伝え聞いたりする必要がある。

その行為を絵に描く。

 

それらの絵は意味が与えられ、行為や物事を表す文字となっていった。

形も、最初に描かれたような図や絵ではなく、そこから形がだんだん整えられ、書きやすくなった。

 

つまり。

「漢字とは単なる絵画や模写ではない」by白川先生。

 

よく、日本の小学校では漢字の成り立ちを教えるときに絵を使う。

「男」という字は、田んぼで力を使って働く人だ、とか、ああいうヤツである。(私もそうやって覚えたが)。

しかしこれは間違い。

 

実物を模写して漢字を作ったら、実物のある物体しか文字に出来ないので、すぐに行き詰ってしまう。

社会の中の抽象的な行為に文字を創作することは出来ないですよね。

 

人類は、想像上の現象や神事などの行為にも絵を描き、意味を与えた。

それらを図や形で表していたものが、今の漢字の基礎になった。

 

ということらしいです。

 

「呪術」(または呪(しゅ))という行為が当時の社会に無ければ。

朝起きてご飯を食べて夜寝る、だけの生活であれば。

祈りもなく、願いもなく、人知を上回る自然と相対する必要もなく、異民族との戦いもなければ。

漢字というものは永遠に地球上に現れなかっただろう。

 

こういう背景が分かると、漢字には当時の人々の願いや祈りが込められていることが分かる。

単なる自然の模写ではないのだ。

 

ところで、スペイン語やフランス語、イタリア語を勉強した方なら一度は思ったことがあるのではないだろうか。

「(それらの言語のもとである)ラテン語を勉強してみたいなあ」と。

「漢字百話」を読んでいると、スペイン語学習者がラテン語を探索しているような、そんな感覚に襲われる。

日本語のもとを知りたい、という欲を満たしてくれる本である。

 

この本を通して白川教授が言いたかったこと。

(と勝手に私が意訳?想像?させていただく)

 

漢字とは「男という字は、田んぼで働く力」という説明に代表されるような、単純模写的な成立方法ではない、という点がまず挙げられる。

(こういう教え方は、「成績不振児に教えるために」教師が覚えやすい方法を編み出したみたいですね)

 

漢字の成立した背景には、当時の人々の祈りや畏れ、邪気を払い幸せになりたいという思いがある。

そういったものをひっくるめて、漢字の背景は「呪(しゅ)」と言うわけだ。

白川先生いわく、漢字とは「神聖文字」であり、「古代文字」なのだ。

 

2点目は、漢字の置かれた現況。

白川教授の皮肉というか、嘆き節がちょっと聞こえてくる。

例えば中国。

 

科挙(公務員試験)が隋・唐の時代に導入され、試験科目に漢字が出題されるようになった。

だんだん漢字は形を整えられ、社会の変化に伴って新しい漢字が生まれていった。

革命後の中国では文字を簡単に書くための簡体字が作られたが、これはただの記号。

簡略化しすぎて、漢字がもともと持っていた意味が逆に分からなくなってしまった。

もったいない。

 

(ところで、台湾は繁体字を使っている。

中国は「台湾はうんぬんかんぬん」と批判するが、案外台湾の方が正統的中国文化の継承者かもしれない?)

 

例えば韓国。

漢字を廃止したが、韓語の多くは漢語から出来た。

ハングルは音しか持たない記号だ。

意味と文字が切り離された例で、これも残念。(←やっぱり漢字ラブ💛の研究者ですね)

 

例えば日本。

日本でも多くの漢字が発明され、当用漢字表なんて代物が出来、形も意味も失った記号が量産された。

漢字の「形の統一」を図る理由は私にもわからんが、勉強が楽になるようにとか、そんなことですかね。

 

「勉強のできない子でも分かるように」

「難しい漢字は教えず、簡単に」

 

と、学校で教える内容がどんどん平易になって行き過ぎた感じがする。

漢字のもともとの意味を知らない教育者が多くなった。

 

そういう人たちが勝手に?漢字の形を変え、「整理し」、これだけ勉強すればいいんじゃい、と当用漢字表を作った。

漢字成立時の古代人の生活や息吹は消え、意味が薄れた記号が教科書に掲載されるようになった。

というのが、白川先生の嘆きだ。

 

論語とか普通に勉強していた明治生まれの白川教授が嘆く気持ちも分からんではない。

現代人がいかにアホ化したことか。

私なんか手で字を書くことが少なくなり、パソコンやスマホに頼ってばかりいる。

ふだん漢字を書かないので、「あ~あの漢字、どうやって書くんだっけ?」という状態に陥っている。

スミマセン…。

 

ところで。

個人的に私が面白いと思ったのは、漢字の成り立ちだけではない。

昔の日本人が、どのように漢字を日本文化へ「輸入」していったのか、という点も面白い。

 

漢委奴国王に金印が与えられた時代には、日本人は大陸に「文字」というものがある、ということを知っていたようだ。

4世紀後半の書法を見ると、漢字が間違っていたり左向きだったり。

古代日本人にとって慣れない漢字で日本語を表記するのは、今の小学生のごとく難しかったわけですね…。

 

しかし、この時代に生きてみたかったぞ。

漢字を輸入して日本文化に取り入れる、ってことを私も体験してみたかった!

もっと言うと、古代中国に生まれて漢字を作ってみたかったなあ~。

 

なんとか日本人は頑張って、隣国・中国が発明した文字を習得した。

万葉集の時代には、漢文和読がかなり上達していた。

中国語と文法が違うのに、よくも漢字を日本文化に取り入れたものだと感心する。

漢字の意味だけでなく、音(おん)も輸入したのだから大したものだ。

 

柿本人麻呂作の歌。

「東野炎(ひむかしののにかぎろひの)立所見而(たつみえて)反見為者(かえりみすれば)月西渡(つきかたぶきぬ)」

 

「つきかたぶきぬ(月傾きぬ)」なんて、「月が西に渡る」と書いてそう読ませているんですね。

意訳というか、あっぱれ工夫したものだ。

この辺まで来ると、あとは漢字を覚えた日本人が自分の表現したいことを自由に表現するようになっていく。

 

白川先生の絶賛は「山上憶良」だ。

彼の作品は「貧窮問答歌」が有名だ。

 

「かまどには火もなく、コメを炊くこともなく…鳥ではないので飛んで逃げることも出来ない」

という自分の極貧生活を詠んだ歌だ。

 

憶良作品は当時としては型破りな形式、ありがちな枕詞や慣用句の拒否、自分で作った用語などが満載。

いわゆる正統派文学作品ではないし、傑作ではない。

でも、他国から輸入した文字を駆使し、ありきたりの文学的手法を使わずに表現したいことを表現した、という点で評価できる、という。

 

しかし…こういう文学的チャレンジをした表現者ほど、評価されないのか~。

山上憶良と友達になりたかったな。

 

文字が日本に輸入されたからこそ、自分の意見や気持ちを誰かに文章で伝える楽しみも生まれたわけだ。

それを読む楽しみもね。

ブログやツイッター、メールや手紙、小説や新聞、教科書、ありとあらゆるメディアは文字あってこそ存在する。

漢字を発明した人々に感謝。

 

「漢字百話」はちょっと古い本なので、書店には置いてないと思う。

なので、さほど文字に興味のない人はわざわざこの本を探して読むことはないだろう。

漢字の成り立ちは「田んぼで働く力が男…」みたいな実物模写でないことだけ、読者の皆さんに知っていただければ嬉しい。

また、この本は「漢字研究の入り口」的本なので、興味のある方は白川教授の別の本を読まれることをお勧めしたい。

 

最後に、漢字は「呪」(しゅ)である、の一例を挙げる。

 

「沈」という字がある。

左のさんずいは水を表すが、右の作りは「牛」だった。

渡河する際に、無事渡れますようにとの祈りを込めて、神へのいけにえとして牛を投じたのだとか。

今後は私も、川を見るたびにかわいそうな牛を思い出すかもしれない。

 

人間の営みの上に生まれた漢字。

古代日本人が苦労して漢字を学び、明治時代の日本人が苦労して外国語を日本語へ翻訳した。

そういう過去の人たちの努力があって、今の私たちの日本文明がある。

そう考えると、すごく貴重な文化遺産を毎日使っているんだな、と思う。

 

 

戦争は女の顔をしていない

 

最近、本の感想についての記事が多くてスミマセン。

面白い本を読むと、ついつい誰かに伝えたくなってしまうのだ。

 

「戦争は女の顔をしていない」

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著。岩波書店

この本の感想は一口には言い難い。

 

何かのブックレビューで、この書名を知った。

それ以来、気になっていた本の一つ。

漫画化もされているので、このブログを読んでくださっている方の多くは読んでいる方もいるだろう。

 

2015年に、著者はノーベル文学賞を受賞している。(日本での本書発売は2016年)。

今年の3月から世界情勢が変わり、ますます読むのに時宜を得たという感もある。

 

この本は、ソ連(当時)から対独戦に従軍した女性たちの体験談を500人から集めたものだ。

戦争体験は男性の口から語られるものが多い、ということに疑問を感じた著者が、女性従軍経験者から聞き取りをしたもの。

 

体験を話してくれた彼女たちは、独ソ戦へ出征当時、15歳~30歳だった。

職業軍人ではなく、普通の一般市民だった。

参戦した女性は200万人に上るという。

 

若い女性たちはどう戦ったのか。

 

他国でも女性が従軍することはある。

たいていは軍医とか看護師、衛生兵としてが多い。

女性が軍隊内で出来る仕事といえば、そういう仕事しかないと私も思っていた。

 

「戦争は―」のインタビューに答えた女性の中には、もちろん軍医や看護師、通信兵や料理係もいた。

しかし彼女たちの多くは、狙撃兵とか機関銃兵、指揮官など「実際に人を殺す要員」だった。

 

どうして女性が従軍したのか?

本を読むと分かる。

 

例えば、娘ばかり4人も持っていた父親を喜ばせるため。

女性は役に立たないと思われるのが嫌だったため。

村の中での親のメンツを保つため出征したケースもある。

「祖国を守るため。」

 

従軍中も「女性であること」のハンデはある。

「女は役立たず」と男性に言われたくないため、重い機関銃を肩に担いでも泣き言は言えない。

従軍中の4年間、男性用下着しか支給されず、戦争が終わって初めて女性用ブラジャーとパンツを支給されたという。

 

中高生の時に出征したので、従軍中に初潮を迎えた女の子もいた。

女性兵士たちが行軍した後の砂には、点々と赤いしみが出来ている。

生理用品など支給されないからだ。

女性であることを隠して戦う人もいた。

 

彼女たちは、男性たち以上に戦うしかなかった。

男性に劣らないことを証明するために。

男性たちからバカにされないように。

戦争は、女性が女性でいられない場所なのだ。

 

じゃあ戦争は男性がやるものなのか?

そうとは言わないが、少なくても戦争は「女性」の顔をしていない。

とこの本を読むと思う。

 

泥の中に転がっている死体。

三つ編みのおさげ髪を見て、女性兵士の死体だと分かる。

殺し合いとなったら、男女関係ない。

 

読んでいると気が滅入るが、過酷な戦争体験を話してくれた500名の女性たちの勇気には感服する。

長い時間をかけて彼女たちと連絡を取り、一人ずつに面会して丁寧に記録を残した著者にも感謝だ。

 

印象に残ったこんな場面がある。

負傷した自国の兵士(ロシア兵)とドイツ兵(敵国兵士ですね)が病室にいるシーン。

 

自分(女性兵士)が「体調はどうか」と味方の負傷兵士に尋ねる。

すると、味方の兵士が答える。

「自分はいいから、コイツ(ドイツ兵)を見てやってくれ」

 

戦場では敵同士だが、負傷して病室に隣同士で横たわっているとただの人間同士だ。

負傷した二人の間には、人間的なものが芽生えていた。

そんなこともある。

 

従軍した女性たちは日々凄惨な経験をしているが、女性らしく過ごしたいと思うこともある。

松ぼっくりを髪に当ててカーラーの代わりにしたり、前髪をピシッと整えるために砂糖を使わずに取って置いたり。(多分砂糖をお湯に溶いて、それを髪につけて固めるんでしょうね)

イヤリングをつけたら上司から「そんなもの取れ!」と怒られたり。

そういう人間的な描写があると、読んでいるこちらもちょっとホッとする。

 

そして戦争が終わる。

 

復員した男性たちは、村や町の英雄。

足や腕を失っても、「祖国のために頑張った」ともてはやされ、結婚相手も見つかる。

 

しかし、復員した女性たちは社会から逆の扱いを受けた。

「戦争になんて行く女は、ろくな人間ではない」

「戦争に行って何をしてきたんだか」

 

結婚相手だって見つからないし、結婚しても「戦場へ行った女はやはりダメだ」と夫が去った人もいた。

戦争から戻ってきたら、生理が止まった女性もいた。

妊娠できなくなった人もいた。

それだけ精神的トラウマが強かったということなんだろう。

戦争が終われば美しい人生が始まる、と思っていたのに。

 

インタビューに答えた500人一人一人に、こんな物語がある。

 

「私は2つの人生を生きた。

男性の人生と、女性の人生と。」

そう語る女性もいる。

 

「(戦場での自分は)あれは自分ではない。他の誰かだった。」

そう振り返る女性もいる。

(これは多分男性でも同じかも)。

 

「子どもに戦争の話をしても、(自分に関係ない)おとぎ話だと思っている。」

それは分かる。

私も従軍経験が無いので、こんな貴重な体験談を読んでも自分ごととは思いにくい。

 

「私は罰を受けている。どうして?人を殺したから?」

重い質問だ。

 

戦争中は「女も従軍しろ」「祖国の役に立て」と言われた。

が、戦争が終わると手のひらを返したように扱われる。

彼女たちは、戦争前は中学校や高校に通う普通の女の子だったのに。

 

日本でも、第二次大戦中は普通の人々が戦争に徴兵された。

そして、戦争が終わると「戦争は悪いことだ」ということになった。

 

本当に悪いのは戦争を起こした政府であって、一般市民ではない。

しかし、肩身の狭い思いをし、一生涯苦しむのは一般市民だ。

それは世界どこでも同じなんだろう。

 

ソ連は第二次大戦に参戦し、4年間の戦争で2,000万人の犠牲者を出した。

日本の死者は230万人と言われている。

(ちなみにソ連の敵国であったドイツは280万人。

本書でもドイツ兵のみならずドイツ女性が凌辱される場面や殺される場面が出てくる)

 

ところで、なぜソ連だけが第二次大戦の死者数が突出しているか、という疑問である。

 

調べたところ、ソ連人海戦術だったので犠牲者数が多いのだそうです。

兵器のレベルや戦車・大砲の数で勝るドイツにソ連が勝つためには、兵士の数を投入しなければならない。

 

そういう事情から、ロシア語の分からない人や辺境出身者ですら前線に送られたらしい。

第二次大戦で、女性が大砲を打ったり狙撃したり戦闘機に搭乗したりしていたのはソ連だけだったようです。

(じゃないと2,000万人も戦争に投じることはできないですよね)

 

そのソ連(いや、今はロシアか)が、また戦争か…。

この本にも何度も出てくる。

ウクライナが戦場になっている場面が。

 

もう一つ、印象的な場面があった。

春の麦畑。

味方(つまりソ連)の若い兵士と、ドイツ兵士の遺体が転がっている。

青々とした麦畑に転がる、2つの死体。

 

死体の目は開かれて、青い空を見上げている。

どちらも、もう人種や国籍なんて関係ない。

ただの人間だ。

 

こんな場面もあった。

モスクワまで退却した女性兵士たち。

男性の連隊長が美容師を呼んでくれた。

 

「戦争はすぐに終わらないから」女性兵士たちの気分転換になるようにとの心遣い。

マスカラをつけ、眉毛を描いて、化粧もした。

うれしかった…。

という。

こういう戦時中の人間的描写にはホッとさせられる。

 

ウクライナの戦争が長引くにつれ、私の周りにも「まだウクライナ?」という雰囲気が無くもない。

欧米が近代兵器をウクライナに支援している。

ロシアはまた終わりのない戦いに総力戦で挑んでいるんだろうか。

 

本書で、自分の従軍体験記を語ってくれた女性たち。

今も存命の方も多いと思う。

彼女たちは、今のウクライナ戦争をどう思っているのだろう。

 

感想をうまくまとめられなくてスミマセン。

戦争体験の無い私が、何を論評する?って気持ちもある。

「国を守るために戦え」と言われて銃を取った女性たちを、誰が責められるだろうか。

一つの事実、ある一個人の体験として、事実を謙虚に受け取るしかない。

 

私が願うのは、この本に登場したような女性が再び現れないで済む世の中だ。

世界中の人が、安全な場所で今夜もお腹いっぱいで幸せに眠れますように。

誰もがうれしかった、楽しかったという日々を送れるようになりますように。

女性が着飾ったり、マスカラを試したり、新しいサンダルを履いてウキウキしたりする世界でありますように。

 

罰を与えられなければならない人なんかいないのだ。

早く戦争が終わりますように。

それしかない。

 

 

ヘアカット

 

髪型について、こんな思い出がある。

 

2歳年上の姉は、常にロングヘア。

私たちが幼稚園の頃は、母が姉の髪を三つ編みに毎朝編んでいた。

私はそれがうらやましかった。

 

「私も髪を伸ばしたい!」

 

そういうと、母はいつも首を振った。

 

「2人も毎朝三つ編みにしなきゃならないなんて、面倒くさい。」

「朝は忙しいんだから、そんなのやってられない。」

「あんたはショートでいいの。我慢しなさい」

 

なぜなんだ。

姉は「三つ編みは嫌だ」と泣く。

私はロングにしたい。

だったら姉をショートに、私をロングにすればいいじゃないか。(名案)

 

しかし、母はがんとして私の提案を受け付けなかった。

 

姉は何をするにもおっとり、のろのろ。

それが「女の子らしい」と両親は思っていたようだ。

だから長女はロングヘアにすべし。

 

逆に私はおてんばで、やることなすこと早い。

パキパキしているので「男の子っぽい。」

だから次女はショートにすべし。

 

姉=女性らしい=ロングヘア。

妹(私だ)=男っぽい(偏見だが…)=ショートヘア。

という両親の考えは長年変わらなかった。

 

親の厳命で、私は高校までロングヘア禁止だった。

なので、ボブで妥協していた。

 

大学生になり、アメリカへ。

お金がなかったし、美容院で英語でオーダーするのが面倒だったのもある。

「ロング禁止」という親もいないので、髪を伸ばし始めた。

ところが。

 

ボブヘアに慣れたせいか、ロングヘアにするとどうも首筋がうっとうしくてたまらん。

結局、ボブヘアに戻った。

 

ボブのまま卒業し、就職し、働いていたある日。

 

先輩社員のYさんが結婚した。

彼女は私より6、7歳年上だ。

彼女の新居へ、同僚たち数人で遊びに行った。

 

駅で待ち合わせしたのだが、現れたYさんを見て驚いた。

何と、ボブをバッサリ切ってベリーショートになっていたのだ。

 

驚く我々に、Yさんは笑いながら言った。

「1,000円カットに行って、『大阪のおばさんみたいにしてください』って言ってやってもらったの。」

 

大阪のおばさん…。

いい得て妙だ。

(すみません、大阪のおばさまには大変失礼と思いますが)

言われてみれば、いや言われなくても『大阪でよく見かけそうなおばさん』だ。

思い切ったな。

 

Yさんいわく、主婦になって自分が自由に使える収入が無くなった。

マクドナルドでバイトを始めたが、会社員時代とは比べ物にならない。

美容院代を浮かそうと思って、ベリーショートにした。

ということだった。

 

旦那さんは驚いたでしょ?と尋ねると、Yさんは苦笑した。

「高校球児みたいだね!だって。それだけ。」

 

良い旦那さんだ。

まあ、髪型を変えたからって、愛は変わらないですよね。

 

すごいな、いつも私の先を行っているな、Yさん。

とその時は思った。

しかし、さすがに「大阪のおばさん」カットをやる勇気は無かった(だってロングに憧れてたからね)。

 

それから何年か経ち、常夏のインドネシアに赴任。

インドネシアの年間平均気温は25度~35度。

ボブでも十分暑い。

 

行きつけの美容院の日本人美容師さんに何度も頼んだ。

「暑いんで、短くしたいです。」

 

ところが、美容師さんは難しい顔をして言う。

「いや~ボブのままがいいと思いますよ。」

 

ボブだと汗だらだらで暑いんだよ。

もっと涼しいヘアスタイルにしたい、って頼んでるんじゃん…。

その時、Yさんのことを思い出した。

 

ある日、美容師さんに宣言した。

「ショートにしてください。」

美容師さんは驚いた。

ボブのままがいいとか、ショートは似合わないかもとか、頭の形が悪いとか、さんざん私をなだめすかした。

 

でもねえ。

チャレンジせずして、どうして「ダメだ」と思うのだ?

いいから、切れ。(←えらそう)

 

横も後ろも短くした。

「大阪のおばさん」よりは若干長い、くらいになった。

おお。

案外、似合っているじゃん。

 

美容師さんも鏡の中の私を見て、ビックリしたようだった。

「似合いますねえ!」

うん、私も想定外。

よしよし。

 

家に帰って再度鏡を見た。

しかし、ショートにしたら多少は女性らしくしないといけないな。

明日は大きめのイヤリングと、普段は付けない口紅をつけて出勤だ。

 

そして、翌朝。

会社が入っているビルの入り口(ビルの入り口に警備員さんがいる)から中へ入ろうとした。

すると、インドネシア人の警備員さんに止められた。

 

「ミスター!」

 

振り向く私。

内心、ちょっと腹が立つ。

 

(髪を短くしたからって、私の顔が分からんとはどういう警備員だ。

それに、「ミスター」じゃないんだよ。

女だよ、女!)

 

インドネシア人の警備員は続けた。

 

「ミスター、おはようございます」

 

あのなあ。

英語では呼びかけに「ミスター」は使わないんだよ。

見知らぬ男性に呼びかけるときは、たいていSirだ。

 

っていうか、問題はそこじゃない。

私はスカートをはいてるじゃねえか!

男じゃないんだっつの。(←ガラ悪し)

 

男性に間違われることを避けるため、翌々日も大ぶりのイヤリングを着用してスカートで出勤。

こんな目立つイヤリングをつけていたら、さすがに男性と思われないよね。

 

と思ったら、今度はビルの入り口で女性警備員が私に話しかけてきた。

 

「ミスター、今朝はエレベーターのメンテナンスをやってまして、あちら側をご利用ください。」

 

…。

ミスターじゃないんだよ、と言いたいのをこらえて、あちら側に回る。

くそっ。

 

スカートはいてても「ミスター」かい!

ショートにしただけで男扱いされることに愕然とする。

しかしここで「私は女なんですけど」って騒ぎ立てるのは、もっと恥ずかしいですよね?

 

ここで、読者の皆さんへお伝えしたい。

インドネシア人が悪いのではない。

彼らは英語圏の人間ではないのだ。

留学したわけでもないのに、一生懸命外国人に英語で果敢に話しかけてくれる、大したやつらなんである。

 

私がモヤってる理由は、Sirじゃなく「ミスター」と間違った英語で呼ばれることではない。

イヤリングをつけて口紅を引いても「男性」と思われることなのだ。(←自分のせい)

それくらい、「男顔」ってこった。

くそ~~~~~~!!!!

 

ま、インドネシアはオカマさんも結構いらっしゃるので、間違われるのも仕方ない。(←どういう着地だ)

 

しかし、やってみると楽なんである、ショートが。

インドネシア勤務を終え、日本へ帰国した後もなんとなくショートを続けている。

 

ロングヘアの同僚のSさんが言っていた。

「ロングにしておくと、美容院へ何か月も行かなくて済むから安上がりなんだよね。」

そういうやり方もあるか…。

 

というわけで。

ロングとショート、どちらが安上がりとか、どちらがメンテ楽なのかは一概に言い難い。

しかし、私のように、子どもの頃にショートだった人がロングにするのは案外難しい気がする。

逆は楽だけどね。

 

毎朝三つ編みにされて泣いていた姉も、今ではボブにしている。

理由は「楽だから」。

そうだよね、それに尽きる。

 

ところで、ショートの髪が伸び始めた私。

これから秋だし。

せめて髪を伸ばして女性らしくしようかな。

 

いや、中身が女性なのになぜわざわざ「女性らしく」しようとする必要がある?

必死に「女性はこうあるべき」という社会からのジェンダーの偏見に抵抗している感じ?

 

(ショートにする→男性に間違われる→女性と思われたい→髪の手入れは楽な方がいい→ショートにする、をぐるぐる回ってるだけじゃん!)

 

ああ、また理屈っぽくなってしまった!

 

ま、オカマさんと思われてもどうでもいいや。

という気持ちになり始めている。

Yさんのように自分軸をちゃんと持っていれば、周囲にどう思われてもいいのだ。

と思えるハートの強さ、欲しいです。