昨日、テレビでコートジボアールの呪術をやっていた。
私も一つ思い出を書く。
「呪いなんて本当にあるのか?」
というテーマだったが、西アフリカには実際に呪い文化がある。ニジェールとコートジボアールは西アフリカの二大呪術大国だが、濃淡はあれ「呪い」はどの国でも存在する。西アフリカ某国では、大統領顧問が呪術師という噂もある。(大統領が何をするための呪術師なんですかね…というツッコミはさておき)。今日の記事は、文化人類学の端っこ、と考えて読んでくだされ。
「呪い」がコートジボアールで一般的であることを最初知らなかった私は、アビジャン市内の市場で不思議な店を発見した。
八百屋や果物屋は、店頭に並べられている商品を見れば分かるが、枯草や動物の頭蓋骨が店頭に並べられた店があった。何に使うんだろう?
聞くと、
「呪いに使うんだよ。ここは呪いグッズの店さ!」
と笑顔で答える男性店員。
呪いグッズ?
日本でそんな店を見たことが無かったので(多分どの国でも普通はないよね)、驚いてまじまじ商品を見てしまった。これが最初の出会い。
どうやらこの国では、呪いを信じている人がいることは分かった。これが第一段階。
呪いを信じるなんて無教養な人でしょ?と高をくくっていたが、すぐに分かった。高学歴の人も皆、呪いを信じているのだ。これは衝撃だった。
呪いなんてあるわけない!
私は毎日そう思っていた。
しかし、コートジボアール人の上司やら大学教授やら大学院生やら、いわゆる「教養のある人」といくら話しても、「呪いを避けるためにはどうすればいいか」という段階から話が始まる。「呪いを信じるか?」ではない。私がいくら「呪いなんてあるわけないじゃん」と言っても、彼らは真顔で、
「そう思うだろ?これが、あるんだよ!(得意げ)僕の知り合いがね…」
と体験談が始まるのだ。(しかも、誰しもバラエティに富んだ呪い話を豊富に持っている)。都会の高学歴者でさえこんな感じなんだから、地方の田舎の村なんぞへ行った日にゃ、もう大変。スペインに居たときも「魔女はいるんだ」という話になったが、あんな感じを彷彿とさせる…(閉口)。
相手の文化を頭から否定するわけにもいかないので、とりあえず「呪いは存在する」という前提で話を聞くことにする。(腹の中ではツッコミたくて仕方ないのだが)。
「呪いを避けるためにはどうしたらよいか」
が彼らの関心事だが、そもそも「どうして呪われるのか?」。
コートジボアール人によれば、
「例えば仕事で成功してお金持ちになるとする。そうすると誰かが僕のことを呪う。なのでそれを避けるために、家族や友達にプレゼントを配ったり、彼らが困ったときは助けたりしておくんだ。」
なるほど。
呪われる原因の一つは嫉妬、つまり社会的不平等ですな。富の一極集中を防ぐという社会的な役割を呪いが果たしているのかも。「呪いをかけられる」という恐怖があるからこそ、周囲の人の幸せに配慮する、という行動を人間は取るのかもしれない。ある意味、呪いはソーシャルセーフティネットだ。呪いの良い面かも。
実際に呪いをかけられて効果があるのか?
という疑問もある。「呪いをかけられた」という心理的ダメージもあるだろうが、私が見聞する限り、物理的に手を下しているケースが多いと思う。例えば料理に毒を入れておく。食べた人が亡くなれば「呪いだ」ということになる。この辺は近代的な警察鑑識システムが機能していれば、バレる犯罪なんだろうけど。
社会的な意味を感じない呪いのケースもあった。
「知ってるか、ニジェール人窃盗団のこと」
と聞かれ、ん?なんだそりゃ?と話を聞くと、近隣の国ニジェールから来た窃盗団が荒稼ぎしているという。
アフリカでは挨拶をするときに相手と握手をする。知らない相手に対しても、だ。当時、巷で流行していた噂によれば、相手が窃盗団と知らずに握手をしてしまうと、なんと自分のおちん〇んが盗まれてしまうのだという。(すごい技ですな!)お金を払うと盗まれた自分のイチモツを返却してもらえるらしい。
さすがに私もこの話を聞いて「ふざけんなよ」と思い、色々な質問をしてみた。
一体いくら払うのか?
どうやって返してもらえるのか?
間違いなく自分のを返してもらえるのか?
しかし、誰に聞いても詳細は不明。なのに皆、嬉々として
「友達から聞いたんだけどさ。友達の親せきのおじさんがね…」
といった真偽不明の噂話を信じ込んでいる。しかも結構長い間、この話でもちきりだった。
推測の域を出ないが、私の分析はこんな感じ。
コートジボアールに出稼ぎに来るニジェール人は多い。しかもニジェールは呪術が盛んだ。つまり、見知らぬ文化に対する恐怖心または差別なのではないだろうか?
とはいえ、この噂話が流行っていた時に、コートジボアールでニジェール人に対する社会的差別が行われた話は聞いていない。ニジェールとかブルキナファソとか貧しい国出身者に対する一般的差別はあるが、この噂話に絡んで特定の国籍や文化を攻撃する風潮が発生したわけではない。なので、この都市伝説、一体何の意味があったんだろう?
西アフリカを離れたあと、アメリカにて。
アンティグア・バーブーダ出身の人と知り合った。私が西アフリカに住んでいた、と知った彼はうれしそうな顔をした。
「西アフリカと言えば呪いだよね!」
ここでその話かい?と面食らったが、話を聞いて合点した。
多くの西アフリカ人たちが、カリブ海へ奴隷として連れてこられた。プランテーションで悲惨な強制労働を白人に強いられた西アフリカ人たちは、こぞって白人農園主を呪い始めた。特にフランスの植民地だったハイチでは、次々に白人入植者が不審な死を遂げた。気味悪がったフランス政府はハイチを独立させた。しかし時が少し早すぎた。早すぎる独立を達成したハイチは、フランスから支援を得られず、貧困が蔓延した。
というものだ。
「僕らはイギリスにしばらく世話になってたからね。ある程度経済が回るようになってから独立出来て、かえって良かったんだ。」
ううむ。いいのか悪いのか。
ハイチのブードゥー教は西アフリカの呪い文化が元なんだよ!と嬉しそうに話す彼を見て、複雑な気分になったことは言うまでもない。先進国へ一矢報いた気分は分かるが、私は西アフリカ人じゃないんだ。
ま、呪いの社会的、心理的、文化的影響の大きさは無視できない。やはり歴史や文化は人間が動かすもの。自分だけ得をして、誰かに辛い体験を一方的に背負わせると、最終的には自分も無傷ではいられないということですかね。
そういう意味では、西アフリカに存在する「呪い」の社会的価値は高い。呪われたくないという心理的ブレーキがかかるからこそ、周りの人に優しくしなくちゃ、という人間として基本的なことを思い出すのだろう。欧米的な「勝者総取り」文化では「呪いなんてあるわけない」と思っている人が多く、ありえないくらい不平等な所得再分配がまかり通るのだろう。恐れを持つことは、案外人間にとって良いことなのかも。
人類は辛い歴史から学び、みんなで仲良くする世界を作りましょうよ。って、私もやっぱり西アフリカ的考えになってるんですかね…。