オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

望郷

インドネシアを去った日。

スーツケース二つを持ちジャカルタスカルノ・ハッタ国際空港へ行くと、新型コロナウイルスのせいか、乗客がほとんどいなかった。インドネシア・ルピアを使い切るため、空港で最後にインドネシア料理をたらふく食べようともくろんでいたが、レストランは軒並み閉鎖されていたり営業縮小したりしていて、閑散としていた。がっかり。

 

スカルノ・ハッタ国際空港は、インドネシアの初代大統領スカルノと、初代副大統領のハッタの二つの名前から命名された。(二人並んで肖像画にされていることもあるが、眼鏡をかけている方がハッタ氏です)。日本の高知龍馬空港みたいな感じ?

 

インドネシアは300年間オランダに支配された。その後3年間、1945年に日本が敗戦するまで日本統治下に置かれたが、太平洋戦争が終了してすぐに日本から独立できたわけではない。支配者の日本が去ると、再びオランダの支配下に置かれることになった。

当時、現地女性と結婚するなどしてインドネシアに残った日本兵の方が大勢いたらしい。彼ら元日本兵インドネシア人にゲリラ戦や情報戦のやり方を教え、インドネシア独立のために一緒に戦った。陸軍中野学校(正式名称ではないらしいですが)の将校がインドネシア人に指導したという話もある。スカルノとハッタも、残留日本兵から戦術の指導を受けたのです。

 

ジャカルタ市内中央部に、カリバタ英雄墓地がある。インドネシア独立のために戦った国家的英雄たちが眠る墓地だ。ここに日本人も埋葬されている。

 

インドネシア人と戦争の話になることはめったにない。しかし、たまたまそういう話になると、たいていは日本人である私に分が悪い。多くのインドネシア人は「祖父母が日本人に殺された」「親せきが日本人に殺された」という体験を持っている。直接日本人に殺された親せきがいなかったとしても、「300年のオランダ統治よりも、3年の日本統治の方が残酷だった」と語るインドネシア人も多い。

同僚から聞いた話だが、認知症インドネシア人おばあちゃんが中年の日本人男性を見て、

「もう平和な世の中になったんだ。頼むからもうインドネシア人を殺さないでくれ」

と頼むのを見て笑えなかった、と言っていた。

 

現代のインドネシア人がアンチ日本か、というとそうではない。むしろ親日国家だと思う。日本にひどい目に遭わされたのにどうしてか?と聞くと、多くのインドネシア人は「それは過去のことだ。過去に起こった不幸な出来事を蒸し返しても始まらない。これからは仲良くしなくては」

という。

昨日の記事にも書いたが、スラウェシ等日本軍が進軍した場所はインドネシア各地にある。現地の人はさぞかし日本を恨んでいるだろうと私も身構えるのだが、違う話もよく聞いた。例えば、

「うちの近くに洞窟があって日本兵が隠れていた。そこへ白人が爆弾を投げ込み、多くの日本兵が亡くなった。自分の国へ帰れず、本当にかわいそうだった」

というような話だ。インドネシア人の人の良さというか、なんだか申し訳なく感じることもあった。と同時に、多くの日本人が望郷の思いを胸にインドネシアで眠っていることを考えると、自由に国境を行き来できる平和な日々がありがたく思えてくる。

 

で、話は空港に戻る。

最後にインドネシア料理を爆食いして日本へ帰ろうと思ったが、当てが外れた。仕方なく、開いているファストフードレストランで「これじゃない」と思いながらナシゴレンを食べた。あまりに期待外れで涙が出そうだ。

誰も並んでいないが、とりあえず航空会社のカウンターに並び、スーツケースをチェックインして身軽になる。後はイミグレを通過するのみ。

時間をつぶせそうな店も開いていないので、もうどうしようもない。時間が早すぎるが中に入ろう…とあきらめる。何年か働いたインドネシアだが、こんな尻切れトンボの幕切れか。もう少しインドネシアに滞在したかったような気もする。

 

私はほとんど人がいないイミグレーションへ向かった。コロナ禍で、入国者も出国者もあまりいないのだろう。いつもは長蛇の列ができていたのが懐かしい。

パスポートを提出すると、ガラスの向こうのイミグレ職員が無言でそれを受け取った。ここを通過すると、もうインドネシアとの縁は切れる(って、大げさか?)。空港内に入ってもやることないしなあ。

 

しばらくイミグレカウンターのこっち側で待ったのだが、職員のお兄さんは顔を上げずパソコンに向かったり作業をしている。意外にも時間がかかるな。ま、時間は有り余るほどあるから、いいや。

と私が思っていると、お兄さんが私に声をかけた。

インドネシアでの仕事はもう終わった、ってこと?」

ん?

私も気づいた。パスポートに出国査証が貼付してあるので、休暇のための出入国ではなく、完全にインドネシアでの業務が終了したための帰任帰国だということがお兄さんにも分かったのだろう。(ちなみに出国査証のある国はイラクとか、世界でもそれほどたくさんはない)。

「そうなんだよ。もう日本へ帰るんだ。」

私がそう答えると、お兄さんはまたも続けた。

「日本へ帰らず、もう少しインドネシアにいればいいのに。」

私は笑った。

「じゃ仕事ちょうだいよ。仕事があったら残るよ。」

お兄さんも笑った。

「日本は僕も行ってみたいんだよねえ。」

また社交辞令か。私はちょっとがっかりした。私が日本人と知ると、日本はいい国だねとリップサービス的に言う人は多い。お兄さんは続けた。

「これはおススメっていう日本料理があったら教えて!僕はカレーライスを家でよく作るんだ。あれは美味しいね。具は何でもいいしさ。」

お?

ちょっとお兄さんを見直したぞ。確かに、インドネシアで販売しているハウス食品バーモントカレーはハラル仕様で、イスラム教徒でも安心して食べられるものだ。

「美味しい日本料理があったら食べてみたいんだ。日本へ行ったことがないけど、きっと美味しいものがあるんだろうねえ。」

私はイスラム教徒でも食べられる日本料理について、頭を巡らせた。

「親子丼なら作り方教えられるけど…ごはんの上に卵とじにした鶏肉乗せるんだよ。知ってる?あれなら作るの簡単。いやさ、ラーメン食べたことある?ジャカルタにラーメン店は結構あるよ」

「ラーメン?どこの店のがおいしい?」

「ん…(あれこれ思いつくが、豚骨だとイスラム教徒は食べられないよね…)鶏白湯のラーメン店なんだけどさ、ジャカルタのあそこのショッピングモール知ってる?」

「え?どこどこ?美味しかったら絶対行く!鶏白湯って、鶏肉のだしなの?」

「そうそう。鶏ガラとか野菜でだしを取ってだね。店によってスープの味は違うんだけどさ、麺の固さとか太さはお好みで選べるんだよ。」

と私はラーメンについて長々と詳細を説明しながら、ん?と気づいた。私のパスポートはどうなったんだろう?お兄さんはしゃべりながらもちゃんと手を動かしてはいるが。

「私のパスポートはどうなった?」

と聞くと、「うん、今やってるところ。」とお兄さんは言う。確かにサボっている様子には見えない。お兄さんはパスポートにスタンプを押しながら会話を続ける。

「パシフィックプレイスのラーメン店のこと?」

と、ジャカルタ市内のショッピングモールの名称を挙げ始めた。そこにある店は鶏ガラスープのラーメンじゃないよね…というか、私のパスポートはどうなった?すでにイミグレカウンターにパスポートを提出してから15分か20分くらい、親子丼やラーメンの作り方の説明に費やしている。私のパスポート、および出国査証に不備はないと思うが、さすがにこんなに時間がかかると不安がよぎる。

ようやく、お兄さんが私のパスポートを返却してくれた。安堵してそれを受け取るが、なおもお兄さんの質問は続く。

「じゃあ君のおすすめは鶏ガラスープのラーメンかい?」

私はパスポートをカバンにしまいながら苦笑する。本当に食い意地の張っているお兄さんだよ。出国の最後の最後まで、まさかインドネシア人からの日本食の質問に答える羽目になるとは。

 

お兄さんに礼を言って私はイミグレカウンターを去り、中へ入った。中もやはり乗客がおらず、閑散としていた。誰もいないベンチに座り一息つくと、やっぱり笑ってしまった。イミグレで20分くらい和食の説明をしていたことになる。

ある意味、インドネシアと日本は食べ物に関して相思相愛なんですかね。(そうでもないか。インドネシアではココイチとか吉牛とかどこにでもあるが、日本ではインドネシア料理はそれほど人気があるわけでもないな)。

最後にインドネシア料理を爆食いしたい私と、日本人が来た!日本料理の情報ゲットだ!と思うイミグレ職員と。コロナでお客さんがおらず、暇だったからお兄さんラッキーでしたね。今頃ジャカルタのラーメン店を楽しんでいるのかな。