オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

コートジのネズミ料理

 

食べ物をテーマに記事を連投する。食べ物にまつわる思い出はたくさんあるので、コートジボアールの思い出を一つ書く。

 

以前の記事にも書いたが、西アフリカのコートジボアール共和国(象牙海岸共和国)に私は住んでいた。(「コートジボワール」、が正しいんでしょうか?)

現地のとある村で、ホームステイすることになった。アフリカの村なんて、本当に嫌で行きたくなかった。コートジボアールの最大都市・アビジャンはさすがに都会だが、いかんせんアフリカ。もっと奥地に行ったらどうなるんだ、日本に生きて帰れるんだろうか、と行く前から超不安だった。

 

(ちなみに、コートジボアールの首都はヤムスクロという村だ。ここは、初代大統領のウフェ・ボワニ氏の出身地。もともとの首都はアビジャンだったらしい。なので、今でも商社や大使館などはアビジャンにある。ヤムスクロは行政上の首都であるが、見どころは大聖堂のみ)。

 

最大都市アビジャンから車に乗り、何もないところで荷物とともに車から降ろされる。何もない、と言っても近くに村があり、そこへ行って村長に挨拶。すると村長が、私のホストファミリーを紹介してくれた。

私のホストファミリーは、お父さん、お母さん、子ども4人の6人家族。フランス語が少し分かるのはお父さんだけだった。この村には電気も水道も電話もない。病院も学校もない。典型的なアフリカの村だ。あーあ、来ちゃったよ…。私、大丈夫だろうか??不安不安不安…。

 

ホームステイ初日。太陽が出ている間に岩の陰で体を洗うことになった。洗う、と言っても、与えられたのは小さな手桶一杯の水だけ。よく風呂場とかで使うような、持ち手がある小さなプラスチック桶、ありますよね。使えるのは、あれ一杯分の水のみ。髪を濡らしたら、それで終わってしまった。もっと水をもらおうと思ったが、子どもたちもそれで体を洗っているので、その日は黙って我慢した。

日が沈み、あっという間に暗くなる。暗くなると、この村に電気がないことに改めて気づく。(だから明るいうちに体を洗ったわけだ)。なんだか分からんうちに夕食を食べ、寝る。電気がないとやることがないのだ。

 

ここで寝なさい、と石造り?の家に通される。暗闇の中、部屋の中を手探りで探すとベッドがある。そこに身を横たえる。疲れているのであっという間に睡魔が襲ってくる。と思いきや、ん?

この家は手作りらしく、石を積んで作った壁に隙間がたくさんある。その隙間から、鼻息荒く何かが鼻を突っ込んでくる。何だなんだ?石の隙間から外を見てみると、ヤギだった。外は明るい月夜だったので目を凝らすと、どうやら二、三頭はいるようだ。メエメエと鳴く声が聞こえる。

 

私はヤギの鼻息がかからないよう、逆方向に寝返りを打った。ビリ。すごい音がして、私の体の下のシーツが破れた。ひえっ!他人の家のシーツを破っちゃったよ。慌てて、態勢を元に戻す。ビリリ。先ほどよりもっと大きな音を立てて、シーツがさらに破れた。ヤバい!もぞもぞと体を動かすたびに、ベッドのシーツが破れる。ひええ!壁の隙間からは相変わらずヤギの鼻息。うわ~うわ~うわ~!!ベッドの上でパニックになる。

 

落ち着くと、だんだん腹が立ってきた。ヤギ(の鼻息)がうるさくて眠れない。お父さんに文句を言ってやろう。

そう決めて、私は闇の中、ベッドから起き上がった。どうせホストファミリーたちは別の建物でぐうすか寝ているんだろう。

戸をがらりと開けた。一歩踏み出そうとして、私は息をのんだ。なんと、ホストファミリー全員が、目の前の地面に寝ていた。月明かりのきれいな夜で、彼らが眠っている顔を月光が煌々と照らしていた。よく見ると、地面の上に何も敷いていない。お父さんもお母さんも4人の子どもたちも、地べたに直接寝ていた。

 

ようやく私も気づいた。彼らの家はここだけなのだ。自分たちのベッドを私に明け渡してしまったので、彼らは寝るところがなく、地面の上に寝ていたのだ。しかも、地面に敷く敷物や新聞紙なども持っていないくらい貧しいのだ。私は衝撃を受けた。そっと家の中に戻り、戸を閉めた。もう、ヤギの鼻息なんて大したことはない。その後、ボロボロのシーツの上で爆睡したことは言うまでもない。

 

翌朝は、日の出前からお母さんと女の子たちが起き出した。水道がないので、遠く離れたジャングルの奥へ水くみに行かなければならない。重労働は女性の仕事なのだ。私は外国人だが一応?女性なので、当然同行する。何キロも歩いてたどり着いた水場は、私が想像するようなきれいな水ではなく、岩の間から泥水が湧き出ている場所だった。持参した洗面器や石油缶などで、水の上澄みをすくう。重い水を持って帰るのがまた一苦労だった。私は転んだり休憩したりしながら、何とか家にたどり着いた。お母さんたちは家のたらいに水を入れると、また水を汲みに行った。何往復もしないと、一日に必要な水を確保できないのだ。こんな大変な思いをして水を汲みに行くのか!

私は以後、心を入れ替え、あの手桶一杯で髪と体、それにパンツも洗うよう心掛けた。って、簡単じゃないよ…笑。

 

さて、本題の食事。この村は大変貧しく、キャッサバ(タピオカの原料ですね)しか生産できる食べ物がない。この芋を絞って水分を切り、荒い網で濾してボロボロにする。それを蒸して食べるアチャケという主食があるのだが、これしか食べるものがなかった。しかも、一日二食だった。(三食食べるだけの余裕がないのだ)。

どうみてもこの村でご馳走が出るとは思えないし、食べられるだけでもありがたい。朝はイモ、夜もイモ。翌朝もイモ、夜もイモ。芋イモ生活が続いたが、私は苦にならなかった。一生この村にいるわけじゃないしね。

 

お父さんは、外国人のお客さんが来ているのに何もご馳走が出せない、ということを大変気にしていた。私は「気にしなくていいよ」と言ったが、お父さんは野生のパイナップルを見つけたりと、森で何か食べるものを見つけようとしている様子だった。

 

ある夕暮れ。お母さんと私は夕食の準備をするべく、たきぎで火をおこしていた。すると、遠くからお父さんが帰ってきた。私を見つけると、お父さんは大声で私を呼んだ。

「おーい!今日は食べるものがあるぞ!」

右手に鍬を持ち、左手に何かを持って、それを高く差し上げた。お父さんの背後にアフリカの大きな太陽が沈み、お父さんの姿がシルエットになって、持っている物がよく見えなかった。帰宅したお父さんは上機嫌だった。

「ほら、お前のために取って来たぞ!今日はご馳走だ!」

見ると、大きなネズミだった。

「ええっ?今日の夕ご飯、ネズミなの?」

戸惑う私に、お父さんは自慢げに言う。

「畑仕事をやっていたら、森からこいつが走り出来てきたんだ。鍬でバシッとやって捕まえたんだぞ。」

子どもたちは、4か月ぶりに肉が食べられる!と狂喜乱舞。お母さんも「腕を振るうわよ!」とニコニコしている。私一人が、ネズミの夕食におののいている状態。

 

「じゃ、じゃあ、私は今日の夕飯、いらないや…」

おどおどとつぶやく私に、お父さんが鋭く尋ねる。

「どうしてだ?ネズミは美味しいぞ!」

私は首を振る。ネズミなんて怖くて食べられないよ。でも、お父さんの気持ちを傷つけないよう、どう言えばいいんだろう?

お父さんは畳みかけるように聞く。

「日本ではネズミを食べないのか?」

食べません。

「なんでだ?こんなにおいしいものを?」

…。

黙っていると、お父さんがなぜだ、なぜ日本人はネズミを食べないのか?と何度も聞くので、仕方なく説明する。

「日本のネズミは不潔な環境で生活していて、汚いから。どぶとか、下水道とかに住んでいてですね」

お父さんは笑った。

「アフリカのネズミはきれいだぞ!森に棲んでいるし、アフリカには下水道はないし!」

まあ…そうだよね。これは日本人の想像するネズミではなく、森にすむ野生動物なわけだよね。(ちょっと心が動く)。大都会なら汚いだろうが、ここはジャングルと森しかない環境なわけだし…。

 

押し問答しているうちに、お母さんが湯気の立つスープを私の前に置いた。どんぶりをのぞき込むと、ネズミのモモ肉がスープの中に浮かんでいる。お、おいしそう…(肉になるとおいしそうに見える…)。

お父さんは満足げに私に言う。「ほら、食べなさい。」

テーブルを見渡すと、子ども4人が私を取り囲み、よだれを垂らしながら私の顔とどんぶりを見比べている。それを見ると、食べるものが十分にない彼らがかわいそうで、食べられなくなった。

私はどんぶりを押しやった。

「やっぱりお腹いっぱいだから、いらないや。」

お父さんは機嫌を損ねたように言った。

「子どものことは心配しないでいいから、食べなさい。お客さんなんだから。」

 お母さんも、私とお父さんの会話の行方を(フランス語が分からないなりに)見守っている。お母さんも腕を振るって料理をしてくれたのだ。依怙地に「食べない」と言うと、彼らもがっかりするだろう。私は観念した。

 

一口、ネズミの肉をかじってみた。鶏肉みたいでさっぱりとした味だった。お母さんは料理が上手で、スープの味もとても美味しかった。子どもたちは小さな骨についたわずかな肉をむしって食べていた。それを見て、お母さんが一番大きな肉を私のどんぶりに入れてくれていたことが分かった。

 

私はある程度ネズミの肉を食べ、「もう十分食べてお腹いっぱいになった。ありがとう。もしよかったら、私の残りを食べて」とお父さんに言った。お父さんは満足したようにうなずき、子どもたちに現地語で何か伝えた。子ども4人は嬉しそうに私のどんぶりに手を伸ばし、モモ肉争奪戦になった。これでよかったのか分からないが、お父さんとお母さんの好意を私なりに受け取ったつもりだった。

 

ホームステイの後。

電気も水道もない村で生活した経験は、自分はどこでも生活できる、という自信につながったようだ(根拠のない自信?)。今振り返ると、現地の方が精いっぱいおもてなしをしてくれていたのに、日本人的視点のみで判断し、彼らの好意を拒否していた自分を反省したい。

 

良かったこと。

食べたことない…と臆していても、食べてみれば案外美味しいことに気づいた。コートジボアールを去るまで、そしてその後、仕事で様々な国へ行くようになってからも、私は現地の人が食べている物は迷わず食べるようになった。(もちろん、これは明らかに無理だわ…と思うときは、丁寧に断ることもある。)好き嫌いない子どもに育ててくれた両親にも感謝。

 

それにしても、アチャケがたまに食べたくなるが日本では売っていない。(在京コートジボアール大使館の方に無理を言ってアチャケを分けていただいたことがある…その節はありがとうございました!)東京では買えないが、ニューヨークにはアフリカ人街があって、そこでは入手できた!

アチャケを食べるには、またコートジへ行くしかないなあ、と思う。「食べ物は人類を結び付ける」というが、私の場合は食い意地と好奇心が勝り過ぎるようだ。恥ずかしい。