ニューヨークは生活費が高い町だ。私は安くて美味しい食べ物を探すのに苦労した。しかし面白い町なので、生活自体は楽しかった。人間観察が好きな人なら楽しめる街だと思う。この記事では、NYで楽しかったこと、美味しかったものを少し紹介したい。
【ブロッコリー】
ニューヨーク市は5つの街区で構成されている。ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、ブロンクス、スタテン島だ。
私はマンハッタンに住んでいた。ここは家賃自体がそもそも高い。削るのは食費しかないので、安く食事を済ませるしかない。といっても毎日1ドルのホットドッグ、というわけにも行かない。野菜もバランスよく食べられて、そこそこ美味しくて…という食事を、日々探し回っていた。
ある日、今日はどこでお昼を買おうかと思いながら道を歩いていた。通りかかった食料品店の中に、安いピザを売るコーナーがあった。今日のお昼はピザ一切れだ、と決め、その店に入った。色々な種類のピザがあったが、お金がないので一番安いピザにした。ブロッコリーが乗ったピザだ。野菜が取れるし、健康的じゃない?
カウンターの中にいるヒスパニック系のお兄さんに、ピザを指差しながらオーダーする。
「このピザ一枚ください。」
お兄さんは「ブロッコリーのやつか?」と再度私に確認する。私もうなずく。お兄さんはニコニコしながら、
「じゃ、温めるから待ってて。出来たら呼ぶから」
といって、ピザを持って奥へ消えた。
出来たら呼ぶ、というが、まだ私の名前を言っていない。大丈夫なんだろうか?ま、店内にいれば、探してくれるだろう。そう思って私は店内をウロウロしながらピザを待っていた。
しばらく待っても、全く私を呼ぶ気配はない。お昼時間なので大勢のお客さんが来店し、ピザを次々に注文し始めていた。なんだ、結構時間がかかるんだな。
そう思っていると、遠くで声が聞こえた。
ブロッコリーって、まさか私のことじゃないよね。(ミス、とかマダム、とか、お嬢さん、とか、そんな感じで呼んでくれるんだろう)。
私はカウンター方面を見たが、先ほどのお兄さんが見当たらない。やはり私じゃないようだ。さすがに「ブロッコリー!」って、名前じゃあるまいしね。
と思っていると、また連呼する声が聞こえた。
ようやく私も気付く。もしや「ブロッコリー」を私の名前として呼んでいるのか?
カウンター方面に近づき、まさか私じゃないよね?と疑いながら、カウンターの中のお兄さんを見る。ヒスパニック系のお兄さんはきょろきょろしていたが、私と目が合うとニッコリした。
「ブロッコリー!」
私かい!
カウンターに近づくと、お兄さんは満面の笑顔でピザを私に差し出した。
「さっきから呼んでたんだよ、ブロッコリー」
それは私の名前じゃない。
「温めといたからね、ブロッコリー」
スタバとかはちゃんとお客さんの名前を聞いて、カップに名前を書いてくれる。そういうフレンドリーなサービスが好感度高いと思うが、どうなんだ。ブロッコリーって、トッピング名だろうに。だいたい、同じブロッコリーのピザを頼んだ他の客と紛らわしいだろうが。やっぱり安い店はサービスもこのレベルなのかい。
ブツブツ心の中で思いながら、お兄さんからピザを受け取る。ピザはもう冷め切っていた。おい!
【ハーレムのソウルフード】
私がニューヨークの大学院へ進学すると聞き、友人がニューヨーク在住の知り合いを紹介してくれた。NY在住20何年のジャズミュージシャンの方だ。当然ながらニューヨークのことは詳しい。私は食べたいものがあったので、この人に聞いてみた。
「ソウルフードって、食べたことあります?」
その人はさすがによく知っていて、有名な店の名前を挙げた。
「有名なお店がハーレムにあるよね。行きたいなら一緒に行こうか。」
ありがたい。アメリカの黒人は怖そうだし、夜に1人でハーレムへ行く自信はない。
で、その人Aさんと一緒に待ち合わせて、電車でソウルフードの店へ行った。
ソウルフードとは、米国南部のプランテーションで働かされていた黒人たちの食べ物のことだ。トウモロコシの粉やチキンの手羽など、白人農園主の食べない残りものなどを利用して、黒人奴隷達が美味しい料理を作り上げた。その美味しさに気付いた白人が、それを食べたり真似たりするようになったものだ。世界で最も有名な米国南部料理は、たぶんフライドチキンだろう。カーネル・サンダースは白人だが、南部ケンタッキー州出身だ。
夜のハーレムは、昼間よりも更にすさんだ雰囲気があった。道には何やらわけの分からない紙が散乱し、ゴミだらけだった。最寄り駅から店方面へ歩きながら、Aさんはこんなことを言った。
「そうそう、俺の友達から聞いた話なんだけどさ。ハーレムで日本人が強盗に遭って」
やめてくれ。
「あのさ、俺が撃たれたら1人で逃げてくれる?俺のことはかまわないでいいから」
やめてくれ。Aさんが撃たれた後、私一人で逃げ切れると思う?そこまで俊足じゃないぞ。(しかし、一応逃走経路は考えておく)
ハーレムは昼間でも銃声が聞こえるような場所だ。強盗に遭う可能性はあるといえばあるが、レストランへ行く前に撃たれたくない。せめて食べ終わってからで頼む。
店の食事はどれもおいしかった。Aさんは以前も来たことがあるといって、美味しいメニューを特に選んで注文してくれた。しかし今となっては、味よりも撃たれる心配の方だけが記憶に残っている。
ニューヨークの名誉のために補足したいが、昔は地下鉄が危ないとか、ハーレムも危険だと言われていたが、今のNYの治安は良くなっている。しかしやはり夜のハーレムへ行くときは気を付けてほしい。
【ブルックリンの小籠包】
カナダ人の友人とニューヨークで再会したときに、「小籠包の美味しい店がある」といって連れて行ってもらった店が、ブルックリンにあった。
Joe’s Shanghaiとか言う名前だった。中華料理ではなく、中国人コックさんがいる中国料理店だった。当然、小籠包は美味しかった。
食事を終え、帰る前にトイレを済ませておこうということで、友人が先にトイレに行った。戻ってきた友人と交代してトイレに行った。
トイレは1つしかなく、なぜか鍵が壊れていた。(アメリカだが中国人の店なので、あちこちに途上国的な詰めの甘さがある)。仕方が無いので最初は手でドアを押さえて用を足していたが、終わった後はやはり両手でパンツを上げる必要がある。人が入ってこないうちに、早くパンツを上げなければ。
私がドアから手を離した途端、ガンガンガン!と大きなノック音が聞こえた。私が顔を上げると同時にドアがバン!と開き、誰かがものすごい勢いでトイレに入ってきた。切羽詰まった形相の中国人のコックさんだった。
コックさんと私の目が合った。コックさんの視線が私の下半身へ移った。一瞬、私も彼も凍りついた。私はパンツをまだ上げていなかった。
「○△■×※★~~!!!」
コックさんは中国語で悲鳴を上げながら、慌ててトイレから去っていった。叫びたいのはこっちの方だよ。私は急いでズボンを上げて、厨房のコックさんと目を合わせないようにして店から逃げるように立ち去った。今頃はもうトイレのドアが修理されていることを祈る。
【マンハッタン・クラムチャウダー】
私は大学時代に留学して以来、クラムチャウダーが好きになった。寒い日には熱いクラムチャウダーとパンを食べて、温まりたくなる。
マンハッタンでも、スーパーの店内隅にあるスープコーナーでクラムチャウダーを見つけたときは、嬉しかった。テイクアウトする人が多いのか、食料品店にはスープコーナーを設けている店がいくつかあった。
ある日私は満を持して、以前から目を付けていた食料品店へ行った。そして
「クラムチャウダーを一つ。テイクアウトで」とオーダーした。
笑顔の女性店員が、テイクアウト用の発泡スチロール容器を奥から取り出し、鍋のふたを開けた。ん?においが違うような気がする?と私は思った。店員がお玉をスープの中に入れるので、一緒に中を覗き込んでみた。
あれ?違う!これはクラムチャウダーじゃないじゃん。大きな鍋の中は、トマト味のスープが入っていた。
「すみません、クラムチャウダーが欲しいんですが。」
と言うと、女性店員は笑顔で微笑んだ。
「クラムチャウダーね。分かってるわよ。」
いや、これじゃないんだ。これはトマト味のスープでしょ?クラムチャウダーの鍋はどこ?クラムチャウダーといえば、白いシチューのような料理でしょ。
そういうと、女性店員は、「ああ、そういうこと」と言って私の方へ向き直った。
「あなたが言っているクラムチャウダーは、ボストン・クラムチャウダーのことでしょ?」
へ?ボストン?ここはニューヨークじゃないの?
戸惑う私に、女性店員は笑った。
「あなたの言っているクラムチャウダーは、ミルク味のスープでしょ?あれは、ボストン・クラムチャウダーと言うのよ。これは(といって鍋を指さす)マンハッタン・クラムチャウダーよ。マンハッタンの方は、トマト味のクラムチャウダーなの」
知らなかった。女性店員は笑顔で容器を満杯にし、私に手渡す。キツネにつままれたような感じだが、お金を払ってそれを受け取り、家に持ち帰って「マンハッタン・クラムチャウダー」とやらを食べてみた。
うーん…。
好き好きだと思うけど、トマト味のクラムチャウダー、か…。
その後もマンハッタン・クラムチャウダーを数回食べてみたが、ううむ。私はやっぱりボストン風が好きだな。