マンハッタンのハーレムは黒人住民が多い。黒人と言っても3つの文化的背景に分かれる。①アメリカ人、②アフリカ人、そして③カリビアンだ。(注:コートジボアール人が自分たちのことを「noir」と呼んでいたので、「黒人」と言う呼び方は許容範囲かな?と思い、ここでは「黒人」と表記しています。)
ハーレムの中には、小さいが西アフリカ人街がある。「街」というと大きな街区を想像するかもしれないが、実際は西アフリカ出身者が多く住む、一本の通りだ。
イスラム教のお祈りの時間にたまたまそのあたりを通りかかったら、西アフリカの民族衣装をまとったおじさん達が大勢モスクから出てきた。びっくりしたと同時にとても懐かしくなった。
モーニング・サイド・ハイツには、ウォロフ語(セネガルの主要言語)しか通じないスーパーもあると聞いた。私の想像以上に多くのアフリカ出身者がニューヨークに住んでいるのだろう。
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サンクスギビング(感謝祭)は、毎年11月第4木曜日に行われるアメリカの年中行事だ。アメリカにやってきた開拓民たちが収穫物を神様にささげ、感謝したことが始まりとされている。よってこの日は、アメリカ人は家族全員集合し、一緒にサンクスギビングの食事をとり、神に感謝の祈りをささげる。
留学生の私にとっては、サンクスギビングは単なる連休だ。連休はハーレムでコートジボアールの主食・アチャケ探しをしようと思っていた。アチャケを購入し、寮の台所でアチャケの付け合わせを作る。鶏肉または魚を焼き、その上に薄切りトマト、薄切り紫玉ねぎ、青唐辛子のざく切りをオイルと塩で調味したものを散らす。それをアチャケと一緒に食べると美味しいのだ。ハーレムにはコートジボアール移民もわずかながら住んでいて、アチャケも販売していた。
サンクスギビング当日はよく晴れた朝だった。私は当時住んでいた大学院の寮からハーレムへ歩いて行った。どのあたりにアフリカ食材の店があるのか知らないので、歩き回るしかない。
道を歩いていると、建物からおじさんが顔を出した。
「ハロー」
私もハロー、と挨拶する。なんだろ?私に用かな?
黒人のおじさんはニコニコしながら私を手招きする。
「今日はサンクスギビングだよ!サンクスギビング・ランチがあるよ!食べていかない?」
何だか分からないが、失礼にならないよう笑顔を向け、やんわりと断る。
「いいえ、結構です。」
おじさんは質問を変える。
「君は、今日は何をしにハーレムに来たの?」
困ったな、と思ったが、とっさにうまい言い訳が思いつかなかったので正直に答える。
「アフリカ料理を作ろうと思って、食材を買いに来ました。」
おじさんはますます笑顔になった。
「じゃあ今日はアフリカ料理じゃなくて、サンクスギビング・ランチをどう?無料だよ?」
何のランチなんだ?と不思議に思って聞いてみた。おじさん曰く、今日は教会ボランティアがサンクスギビングの昼食を用意して、無料で貧困層に提供しているのだという。おじさんが説明している間に、教会から一人の若い黒人のお兄さんが出てきた。お兄さんはサンクスギビングの食事を済ませて帰るらしかった。おじさんを見ると彼は手を挙げた。
「美味しかったよ!ご馳走さん!」
「おう!ハッピー・サンクスギビング!」
帰宅するお兄さんを上機嫌で見送ると、おじさんは私に向き直った。
「サンクスギビングは神様に感謝をささげて、みんなで食事をとる日だからね。みんなハッピーになる日なのさ。」
うん、こういうところ、アメリカは本当に偉い。ハーレムの中にある教会だからこそなんだろう。
アメリカは貧富の差が大きいが、困っている人を助けようという優しい一般の人々(必ずしも富裕層ではない、普通の人々だ)が大勢いることには、いつも心を動かされる。キリスト教文化だから、と切って捨てるのは簡単だが、こういうアメリカ人のボランティア精神にふれるたび、皆が幸せになれる良い社会にしたい、と努力する米国の良心を感じる。
サンクスギビングの無料ランチ。
私は「さすが社会的意識の高い米国だなあ」と内心感心した。サンクスギビングの料理を用意してくれる家族がいない人もいるだろう。料理を用意してあげる家族がいない人もいるだろう。食事をするお金がない人もいるだろう。そういう人も皆、米国社会の一員だ。サンクスギビングを一緒に祝おう!と教会の信者が集まったのだろうな。
しかし、忘れてはいけない。私はアチャケを買いに来ただけなんだ。
おじさんと話している間にまた、発泡スチロールのテイクアウト用容器を両手に持った黒人の男性が、一人二人と教会から出てきた。
「ハッピー・サンクスギビング!無料ランチをありがとう!」
「この食事、助かるよ!」
と彼らは口々に入口のおじさんに言いながら、通りに消えていった。どうやら家に持ち帰って食べるらしい。
心温まった私が、そこから去ろうとしたその瞬間。
教会から黒人のおばちゃんたちがわらわらと出てきた。おばちゃんたちは私を目ざとく見つけると、
「あら、今日はサンクスギビングの無料ランチやってるのよ!一緒に食べましょうよ!」
と言う。皆さん優しいな。でも、私は丁寧に断る。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
この無料ランチは貧困層のためのものだ。私が食べるべきものではない。
私は裕福ではないが、今日の昼食を食べるくらいのお金は持っている。そのために日本で死ぬほど?残業をして、貯金してきたのだ。私が無料ランチを食べてしまったら一食分減る。お金を持っているくせに貧しい人の食事を取り上げるみたいじゃないか。
すきを見て逃げだそうと思ったら、巨躯のおばちゃんたちは私を取り囲んだ。
「いいのよ、遠慮しなくても」
(遠慮してませんてば)
「いろんな料理があるのよ!美味しいのよ!」
(いや、私には食べる資格はありません)
そう言っているのに、一人のおばちゃんは私の手を取り、一人は私の肩を押し、
「そらそら、教会の中へ入りなさい」
「いいのよ、誰でも食べていいんだから!そういう日なのよ!」
「さあさあ、遠慮しないで!」
多勢に無勢。私は薄暗い教会の中に押し込まれてしまった。
教会の中は案外暗く、裸電球がちらほらついているだけだった。しかし広いスペースにテーブルが何本も並び、様々なサンクスギビングの料理がその上に並んでいた。詰め物をした七面鳥、グレービーソース、クランベリーソース、オレンジ色の芋をふかしたもの、マッシュポテト、パンプキンパイ…。
想像よりも豪華で、種類も多かった。薄暗くて最初は分からなかったが、これはすごいランチだわ。
少し離れた場所に食事用の椅子とテーブルが用意されていた。暗くてよく見えないが、そこで食べている人も二三人いた。
山積みの皿の前にいたおばさんから皿を渡され、私はベルトコンベア式に料理の列に押し出された。どうやら教会のボランティアらしいおじさんおばさんが、それぞれの料理の前でお玉やトングを持ち、じゃんじゃん私の皿に料理を乗せていった。あっという間にお皿は料理でいっぱいになった。
(食べない、って言ったのに…)と思ったが、ここまで来てしまったからには早く料理をいただいて去ろう、と私は焦りながらテーブルに向かった。空いている席に着くと、私はあたりを見渡してようやく気づいた。
ここには、黒人しかいない!
同じテーブルで食事をしているのはすべて黒人男性。料理を取り分けているボランティアは黒人のおじさんおばさん。テイクアウト用に料理を盛り付けたりお皿を運んだりと、忙しく立ち働いている人もすべてすべて、私以外は全員黒人だ。ごめんなさい!やっぱり場違いなヤツが来ちゃったよ…。
料理は全部、とてもとても美味しかった。無料ランチと言えど、こんなに料理がおいしい(種類も多く、かつボリューミー)とは大したものである。しかし。
早く立ち去ればよかったのに、おばちゃんたちに押し切られて教会に押し込まれた自分…を深く反省した。アメリカのお祝い事に、しかも皆さんボランティアで準備しているところを、ふらふらと通りかかった無関係な日本人の自分までランチのご相伴にあずかってしまった。すみませぬ…。
アメリカが嫌いな人は沢山いるかもしれないが、心優しいアメリカ人のことは、私はやっぱり嫌いになれない。