オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

中華料理テイクアウト

ニューヨークにはさまざまな文化を持つ人が住んでいる。

以前、アメリカは「人種のるつぼ(melting pot)」と言われていた。異なる民族が混じり合い、新しい独特の文化を形成する、という意味だ。特にニューヨークは、世界中のいろいろな人種や民族が集まる都市なので、そういう呼び方をされていたんだろう。最近よく言われているのは「サラダボウル」。個性の異なる人が混在している、という意味らしい。

 

実際にアメリカに住むと気づくが、異なる人種は溶け合って(melting)いない。60年代の公民権運動(私は生まれていなかったのでよく知らないが…)しかり、現在のBLM運動しかり。異なる文化を持つ人同士はなかなか仲良くなれないんだと思う。とても残念だが、事実だ。

それでも、ニューヨークで暮らしていると、異なる言語や文化を持つ人たちとどうやって一緒に生活していくのか、ということについてのヒントを与えられることがある。

 

大学院の近くに、安い中華のテイクアウトの店があった。私はよくその店でご飯とおかず一品をテイクアウトしていた。ある夕方、家に帰る前に夕飯でも買って帰ろうと思い、いつもの中華の店に行った。店員はコロコロ変わるのだが、必ず中国人店員だ。

その日は、中国人のお姉さんがレジに入っていた。私は店内に貼られた料理の写真を見て、おかずとご飯をオーダーした。このレジのお姉さんは英語が上手じゃなかった。こういう安い料理店の中国人店員は、カタコトしか英語を話せない人が多い。中国からアメリカに渡ってきて、ちゃんとした英語教育も受けておらず、ぶっつけ本番?で店頭に立っているんだろう。

 

中国人だけでなく他の国から来た移民もそうだが、ニューヨークに住んでいる移民たちは、英語が得意じゃない、もしくは全く話せない人が、か~なり多い。

「どうしよう、自分は英語が分からないよ」と悩む以前に、英語が出来なくてもアメリカに来て働いちゃうんだからすごいですよ。仕事が自分の国にないからアメリカに来ざるを得ないんだろうけど、そういう貧しい人が世界中からアメリカへ集まるわけだ。当然、正規のビザを取らずに不法就労している人も大勢いる。法律や国家の体制のことはさておき、お金を稼ぐために海を渡る、人間のたくましさを感じます。

 

私は自分の注文した料理が出来上がるまで、店内の椅子に座って待っていた。すると一人の若い男性が店内に入ってきて、カウンターの前あたりに来た。彼はカウンターの上に貼ってある様々な料理の写真を眺め、どの料理にしようか考えているようだった。先ほどの中国人お姉さんがレジ前にスタンバイし、注文を待ち構えている。

そのお兄さんはレジ前に進み、注文した。

「えーと、チキンと野菜を炒めたやつ、一つ」

お兄さんの注文を聞いて私はちょっとびっくりした。お兄さんはスペイン語で注文していた。多分、南米からの移民なんだろう。英語が話せないようだ。

「はい?」

中国人お姉さんは、当然ながら理解できなかったようだ。彼女の英語力も十分じゃないのに、突然スペイン語で注文されてもねえ。

私は座っていた椅子から伸びあがって、二人を見た。ヒスパニック系のお兄さんはそれでもなお、スペイン語を繰り返している。

「pollo(チキンのこと)ねpollo。分かる?」

注文が英語じゃないので、お姉さんは目を白黒させている。

お兄さんの注文したい献立が、お姉さんにはどうも分からないようだ。私はスペイン語通訳を買って出ようかと思い、腰を浮かしかけた。すると、会話の行方が変わった。

「どれ?これ?これ?」

中国人お姉さんは、写真を指さし始めた。お兄さんは違う、違うと首を振る。

お兄さん「polloとverduraだよ。それじゃない」(といって食べたいメニューを指さす)

お姉さん「ポークか?ポークか?」(豚肉料理を指さす。ポで始まる単語と思ったようだ、ナイストライ!)

お兄さん「違う、pollo」

思いがけなく二人が頑張ってコミュニケーションを取り始めたので、私は腰を下ろして会話の行方を見守った。頑張れ、二人とも!

私が手に汗を握りながら?彼らの会話の着地点を見守っていると、お姉さんが二つに候補を絞ってきた。さすがだ。

「チキンか?チキンと野菜のやつか?」

お兄さんの顔を見ながら確認する。

「そうそう、それ」

ヒスパニック系のお兄さんは自分の食べたいものが中国人お姉さんに通じたので、ホッとしたようにうなずいた。お姉さんの執念が実った瞬間だ。(私もなぜか嬉しい)

 

お姉さんは再度、「チキンと野菜のやつだな?お前が食べたいのは?」と英語で確認し、お兄さんがそうだそうだ、とスペイン語で言うのを聞いて、「チキンと野菜の炒め物、一つ!」と厨房へオーダーした。すごい!私は心の中で拍手喝采。そうしているうちに、私の注文した料理が出来上がったので、私はそれを受け取って店を出た。なんとなく達成感がある(自分は何もしていないが)。

 

私なら、自分の言ったことが通じなかったら妥協して、相手の言うなりのメニューにしてしまうかもしれない。あるいは、「じゃいいや」とあきらめて違う店に行ってしまうかもしれない。

あのお兄さんは妥協せずに?自分の食べたいメニューを押し通した。中国人お姉さんは、英語の通じない相手の注文を理解しようとあの手この手を尽くした。全力を尽くした両者に拍手を。

 

そのあとも、異なる人種同士がお互いの言いたいことを(多分こんなことを言ってるんじゃないか?)と推測し合う場面をよく見かけた。違う言語や文化を持つ人同士が一つの町に住むためには、こういうちょっとした努力が必要なのかもしれない。

「どうせ相手は外国人だから通じないだろう」とあきらめてしまうのは簡単だが、「チキンと野菜の炒めたやつ」が欲しいのだと相手に伝わった時のうれしさ、そして首尾よく食べたいものをゲットできたうれしさは、簡単にあきらめてしまった人には得られないものだろう。

 

英語がさほど得意でもない私は、自分の発音が悪かったりして相手に通じないと、言いたいことをすぐにあきらめてしまうタイプだ。しかし、これだけ英語の通じない人が多いニューヨークでは、大切なのは多分、英語の上手下手ではなく、相手に分かってもらおう、そして相手を理解しよう、とお互いがする努力。そういう一人一人のナイストライが積み重なって、ニューヨークは成り立っているのかもな、と思ったりする。