昨日の記事を書いていて思い出したことがある。
アメリカの大学を卒業後、「もう二度とアメリカには来ることはないな」と思って日本へ戻った。
何年か経って、大学院へ進学することになった。いくつかの大学院へ願書を提出したが、諸事情あってニューヨークの大学院で学ぶことを決定した。
ニューヨークでのあれこれは今までの記事に書いた通りなのだが、あの町にはもう一つ特筆すべき点がある。
それは、
「ニューヨークはアメリカではない」
ということだ。
「アメリカではない」と言い切ってしまうと誤解を招きそうなので、説明したい。
アメリカ国内にある都市でありながら、一般的なアメリカを代表する町ではない、といえるし、アメリカの縮図ともいえる。
うまく説明できないが、ニューヨークはアメリカの一都市ではなく、「ニューヨーク」なんだな、と思う。
昨日の記事で、アメリカと戦争について書いた。
ニューヨークの大学院へ通っていた時、再び戦争が始まった。
また学生が戦争に取られて、出征者を支持する黄色いリボンが飾られて…というのを、ニューヨークでも想像していた。
そういうのも確かにあった。
けれど私が驚いたのは、ニューヨーカーの明確な「戦争反対」の態度。
これには本当に心を打たれました。
アメリカ大統領選挙の開票速報などの全国地図を見ると、共和党支持か民主党支持か、アメリカ合衆国は州によって赤か青にはっきり分かれますよね。
それに、大都市なのでリベラルな考えの人が多い。
だから正面切って「戦争反対」を唱える人が多いんだろうな。
戦争が始まる前くらいから、大学でも
「戦争反対」
「いや、仕方ないから戦争支持」
と、いろいろな意見の学生がいた。
学生は社会のことを考えるのが仕事だと私は思っているので、学生同士、戦争の是非を論戦するのは良い傾向。
問題は、一般市民ですよ。
普通のおじさんおばさんが、戦争についてどう思っているのか。
わたしゃそれが知りたいよ(ちびまる子ちゃん風)。
ある土曜日、私は少し早起きしてブロードウェイ(という通りがあります)を歩いていた。
すると、道に椅子を出し、そこに座っている中年男性がいた。
彼の前にはもう一脚の椅子と、小さい机がある。
机の前に紙が貼ってあったので読むと、
「戦争について、私と話し合いませんか?私は、アメリカはアラブの一般市民を殺すべきではないと思います」
と手書きで書いてあった。
どうやら、そのおじさんは自宅から椅子と机を路上に持ってきて、対面形式で一般市民と意見交換や討論をしようとしているらしかった。
今、まさにアメリカが戦争を始めようとしている時だ。
戦争をやってほしくない、という思いで、居てもたってもいられなくなったんだろう。
今日は土曜日で会社も休みだし?。
しかし、自分の休日をこういうことに使うなんて。
見た感じはただのおっちゃんだが、私は「この人、いいヤツかも…」と好感を持った。
見ていると、通りがかりの会社員らしき男性が机の張り紙に目を止めた。
座っているおじさんに笑顔で「ハーイ」と声をかけ、置いてある椅子に座った。
おじさんも笑顔で向かい合わせになる。二人はさっそく話し合いを始めた。
しばらく話をすると満足したのか、その男性会社員は去った。
椅子のおじさんは、次の人が来るのをのんびり待っている。
ふーん。こんな方法で、自分の意見を表明する人もいるんですね。
なるほど~。
感心しながら道を北上していき、大学院の近くまできた。
すると今度はそこに、お父さんと息子らしき親子が路上でチラシを配っていた。
土曜日の朝も、通行人は結構いる。かなりの人がそのチラシを受け取っていた。
最初、私は「何かのお店とか宣伝のチラシかな?」と思って受け取った。
そのチラシは、手描きの文章をコピーしただけのものだった。
内容は、
「私はアメリカが始めようとしている戦争に反対です。先進国が強大な武器を使って、発展途上国の人々を殺すべきではありません。」
という文章から始まり、どうやってアメリカは武力に訴えずに問題を解決すべきか、戦争回避の手立てはあったのではないか、というような主張が書かれていた。
アメリカ人の手描きなので少々読みづらいが、明確に戦争を拒否する気持ちは伝わった。
私は受け取ったチラシを読むふりをして(実際に読んでますが)、親子の様子をうかがった。
チラシを受け取った通行人のおばさんが、お父さんらしき男性に話しかけているのを盗み聞きすると、どうやら市内に住む親子が、個人で戦争反対を訴えるために手書きでチラシを作ってきたようだった。
お父さんがおばさんと話している間、息子は通行人へチラシを地道に配る。
中学生か高校生くらいだろう。
父に言われて仕方なく同行したのか、それとも自分も戦争反対なのか。真面目そうな表情からはうかがい知れない。
もしかすると息子がチラシ配りを提案して、父が付き合っているのかもしれない。あるいは、戦争について親子で話し合い、自分たちの意見を表明しようと思ったのかもしれない。
土曜日の朝に父と息子が、大通りで戦争反対のチラシを一緒に配る。いい親子じゃないですか。
お父さんも「会社で疲れたから土曜の朝くらいゆっくり寝かせてくれ」とか言わなかったんですかね。(←日本人的発想?)
アメリカ人の親はお金をかけずに時間をかけて子どもと接する人が多い。
この親子が戦争について話し合っている様子を想像し、心が温かくなった。
息子が良い大人になることを期待。
この2組のアメリカ人(対面討論おじさんとチラシ親子)を見て、アメリカ人の良心を見た気がした。
たとえほかの人がやらなくても、「戦争は嫌だ」と自分の意見を主張する、その行動力に感心しました。
思っていても行動しなければ、思っていないのと同じですよね。
その後、アメリカ政府は戦争を本格的に開始した。
戦争開始後も市内や大学内で「戦争即時停止」を呼びかける集まりがあったし、一人で手描きのチラシを持って通りに立つ人も見かけた。
攻撃されたアラブの人達からするとアメリカは憎い国なのだと思うが、勇気をもって戦争に反対するアメリカ人もいたのだ。
特にニューヨークでは大勢の人が戦争に反対していた。
むしろ戦争反対派が主流ではないかと思えるほどに。
ニューヨークは他のアメリカの都市とは異なるように私には見える。
この町に、戦争に反対する人たちがいることに私は安堵するし、様々な意見(そしてそれを表明する自由)があってこその、アメリカの良さなんだろうと思う。