米国平和部隊(Peace Corp、ピースコー)をご存じだろうか。
日本の青年海外協力隊は、アメリカのピースコーをモデルに作られた。
平和部隊の創設者は、ジョン・F・ケネディ。
彼は大統領選に出馬する前から、この平和部隊を立ち上げる構想があったという。
コートジボアールのアビジャンで知り合ったナイジェリア人の友人がいた。
彼女とはフランス語レッスンで知り合ったのだが(ナイジェリアは英語圏)、職業は尼さん。
シスター、というわけだ。彼女がフランス語を勉強している理由は、これからニジェールへ派遣されるからだという。
休暇を利用して、私はニジェールへ行くことになった。
せっかくなので、ニジェールにいる彼女(パトリシア、仮名)に連絡を取り、彼女のいる村を訪ねることにした。
ニジェールの首都ニアメで別の友人に会い、その後パトリシアを訪ねて東へ。
おんぼろの長距離バスに乗り、彼女のいる村で降りる。
私と同じくらいの身長しかないパトリシアだが、大きな車で迎えに来てくれた。都会のアビジャンからニジェールの片田舎に赴任して、彼女はたくましくなった気がする。
彼女の勤務している医療センター(のようなところ)へ移動した。
彼女の同僚たちは、同じ教会に所属するシスターや寺男?のような人たち。寒村なので当然、生活は厳しい。
シスターって、こんな無医村で無料奉仕するわけだ…。人生を神にささげた人は強いですね。
パトリシアの勤務先施設には、簡易宿泊所があった。そこに私は数泊することになっていた。
「無料よ」というのであまり期待はしていなかったが、やっぱりそれなりの宿泊施設だった。
部屋にはむき出しのシャワーと簡素なベッドがあり、シャワーの水が流れる排水溝は、ただの穴。
夜になるとそこから大量のゴキブリがぐわ~と湧いて出た。卒倒しそうになった。
幸い、マラリア除けの蚊帳がベッドに吊ってあったので、完全に自分を蚊帳の中に入れて安全を確保。
その後、蚊帳の中から殺虫剤をGめがけて噴出。しかし、二日目も三日目もすごかった…。
Gの話はさておき。
村でパトリシアが仲良くしているという、フランス人の協力隊員に会った。
彼女は近くの村で手工芸だか洋裁だかを指導しているということだった。
突然の訪問にも驚かず、美味しい鶏肉料理をご馳走してくれた。ピリ辛でおいしかった!
井戸が家の前にあるので助かる、と言いながら、裸足になって手動で水をくみ上げていた。
たくましい女性だった。みんな、アフリカに来るとたくましくなるのでしょうか。
そのフランス人隊員の住んでいる村よりさらに奥地に入ると、アメリカ平和部隊(ピースコー)の隊員が住んでいる村があるとパトリシアは言う。そのピースコー隊員とも知り合いだそうだ。
自分もニジェールの貧しい村で働いているので、似たようなことをやっている外国人と知り合いになる機会があるようだった。
紹介してやる、とパトリシアが言うので、車でそのピースコー隊員の村まで送ってもらった。
サイラス君(仮名)の住んでいる村は、奥地のまた奥だった。
こんなところに村があるのか?
というよりも、よくアメリカ政府はこんなところにピースコー隊員を送っているなあ、と感心する。
村というよりも、砂漠の中のわずかなとっかかりに精一杯しがみついているかのような、小さな小さな集落だった。
パトリシアと私がサイラス君宅へ行くと、不在だった。
近所の人に聞くと、そのうち帰ってくるという。
なので、パトリシアと二人でそこで待たせてもらうことにした。
サイラス君宅は、泥で出来たドーム型の家だ。
やや細長い球体を半分に切って、それを土にかぶせて置いたような感じだ。
こっちに一つ穴があり、向こう側にももう一つ穴があった。入口と出口、というわけだ。
ニジェールはなかなか雨が降らないので、こんな泥の家でも大丈夫なんだろう。(のちに聞いてみると、珍しく雨が降ることがあると、雨で家が溶けてくるということだった)。
そのドーム型のお宅の周りに、大雑把に柵が巡らせてあった。
一応、ここが敷地ということだろう。
柵、と言っても簡単なものだ。ヤギが3頭も来たら、こんな柵は蹴散らされてひとたまりもない。
ざっくりした家だな、と感心していると、サイラス君が帰宅。
パトリシアに紹介してもらう。
サイラス君は砂色の髪に緑の目をした、アメリカでは平均的な外見の若い白人男性だ。
朴訥な感じの好青年だ。
サイラス君は、午後は暇だという。
パトリシアは「じゃ、2人でゆっくりしゃべったら?後で迎えに来るね」と言って帰ってしまった。
サイラス君と私は2人になった。
家を見せてもらう。まんじゅう型の家のこっち側の穴(玄関)から、家の中に入る。
ドーム型の家の中に、なんとバイクが置いてあった。(よく入ったもんだ)。
入口の向かい側は出口だ。
出口から出ると、庭(と言っても、砂漠を単に柵で囲っただけだ)にシャワー場が設けてあった。
「シャワー」と言っても、シャワー設備があるわけではない。汲んできた水で体を洗う場、という程度だ。裸を見られないよう、柵を設けたという体だ。
そもそも、この家には電気と水道がない。
(泥で作った家に、水道なんて備え付けているわけがないんだが)
シャワー場に、一本の小さな木が植えてあった。このわずかな緑が、ちょっとした癒しだ。
それ以外は、砂しかない。さすが砂漠の国。
敷地内を案内?してくれた後、改めて泥で出来た家に戻る。
そのころまでには、「サイラス、すげえ」と私は感心していた。こんなすごい家に住んでいるんだな。
泥の家の中は、午後の強い光をさえぎって多少なりと涼しい。
薄暗がりに目が慣れると、ドーム型の家にはバイクと身の回りの品数点しかないことに私は気づいた。
また、えらい荷物が少ない人だなあ。
「水道はどうしてるの?」
と聞くと、この村には水道がないので、井戸へ水を汲みに行っているという。
料理は、村の女性に作ってもらうのだという。
この家には台所もないし、村には店もないし、生活が大変だろう。
私は失礼のない程度に、丸い家の内部をじろじろと見渡す。本当に何もない、シンプルな家だ。
「せっかく遠くから来てもらったのに、ごめんね。お客さんに何か出せると良かったんだけど。」
サイラス君が、すまなそうに謝る。
いや、いいんだよ。私も突然来たんだから。
と思っていると、サイラスは部屋の片隅から、何やら器具を取り出した。
「これは、ろ過機なんだ。水をろ過できるんだよ。」
そういうと、汲み置きの水をろ過し、それをコップに入れて私の前に置いた。
「これしか出せるものが無くて、ごめんね。」
と再度謝る。コップもどうやら、一個しか持っていないらしい。
「いや、いいんだよ…」
と私は言ったが、のどが渇いていたので飲むことにする。
確かにこの村の状態では、水一杯だって貴重だ。
水を口に含んだら、「ん?」
なぜかじゃりじゃりする。
どうやら、ろ過をしても砂が水の中に入っているようだ。
細かいサハラ砂漠の砂が、ろ過しても水の中に入ってしまうらしい。
砂が入っている…と思ったが、結局砂交じりの水を全部飲んでしまった。
砂交じりとはいえ、最上級のおもてなし。
サイラス君はシアトル出身。大工技術をニジェール人に指導しているという。
もと大工なのかというとそうではない。
大工技術は、ピースコーの事前研修で学んだそうだ。海外に行ってみたくて、応募したのだそう。
私は久しぶりにアメリカ英語を話す人と話が出来て、とてもくつろげた。
サイラス君はニジェールで驚いたあれこれを、とつとつと語ってくれた。
そりゃ、シアトルみたいな大都会から、ニジェールの奥地のまた奥地に来たらねえ。
電気も水道もないんだし、驚かないわけがないさ。
だんだん日が傾き、外も涼しくなってきた。
電気がないので泥の家の中は、だんだん薄暗くなってきた。私たちは外に出た。
夕方の黄色い光が、砂漠を柔らかく満たしていた。
サイラス君と私は並んで砂地に腰を掛け、砂漠を眺める形になった。
「去年のクリスマス、久しぶりにシアトルへ帰ったんだよね。」
とサイラス君が言った。
「へえ。どうだった?やっぱりアメリカは先進国だな、って思ったでしょ。」
私がそういうと、サイラス君は首を振った。
「それが変なんだけどさ、町には夜に電気がついてるじゃん。あれを見て、まぶしくて辛くなった。ニジェールだと電気がないから、夜になったら寝るしかないし。」
私は思わず笑ってしまった。
ニジェール生活に慣れ過ぎて、アメリカの夜の蛍光灯がまぶしいわけか。
サイラス君も笑った。
「アメリカに戻ったら大変かも。ニジェールに慣れたから、夜になったら眠るのが自然な気がする。」
そう言いながら、サイラス君は今の生活に満足している様子だった。
私たちは砂漠を見ながら、パトリシアが迎えに来るまでおしゃべりをした。
アメリカ平和部隊は、日本の青年海外協力隊よりもはるかに過酷な任地に派遣される傾向にあるようだ。
生活費も一か月100ドルくらいだという。
そのため、すぐに除隊する人も多いと聞いた。
サイラス君はなかなかハードな現場に派遣されていたが、
「ニジェール人もこうやって生活しているから、後は慣れかもね」
とあっさりしていた。
家の室内を見渡した限りでは、サイラス君は服や身の回りの物をほとんど持っておらず、私物らしい私物がなかった。
アメリカのような大量生産大量消費の国から、ニジェールのような電気水道電話未完備の国へ来て、カルチャーショックはいかばかりだったかと思うが、除隊せずに生活しているということは、案外楽しめているということなんだろうな。
それは、その当時の在外アメリカ大使館員等は、海外へ派遣されてもアメリカ式の贅沢な生活を維持し、まったく相手国の文化や生活習慣を学ぼうとしなかったからだとされる。
せっかく海外に住むという体験をしても、自国と同じ生活をしていたら、得るものはない。とケネディは考えたようだ。
米国平和部隊は、協力活動をしながら相手国の人々と共に生活し、相手から学ぶことを目的とするという。
しかし、サイラス君の環境、すごすぎるなあ…。
男性だからまだいいのかもしれないが、先進国の若者にとってはかなり強烈な環境ですよ。
いくら現地の生活を学ぶって言ってもねえ。
アメリカ、やることが極端すぎる。
人生、変わっちゃいますね。でも、それを楽しんでいる若者を見ると、なんだか心強い気もする。