オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

セミ

 

英語ネタが連続して申し訳ない。

 

昨日の記事で、「サンマ」という英単語を知らず四苦八苦した、という話を書いた。

私の英語力が不十分というのもあるのだが、語彙は文化によってだいぶ深さが異なる。

 

日本は島国で魚が豊富なので、日本人は魚の種類を本当によく知っている。

ほとんど魚を食べないアメリカ人なら、知っている魚の種類はマス、鮭、マグロ、くらいなんじゃないかな?

自分の生活に必要じゃない単語は、たくさん必要ないのだ。

 

なので言い訳がましいが、「サンマ」という英単語を知らなくても、問題はなし!

なぜなら、「サンマ」という魚そのものを知らないアメリカ人が多いと思われるからです。

サンマがどういう魚かを説明すればいいだけ、と思います。

 

日本は雨がよく降る。

だから、雨を表す単語がたくさんある。

小雨、霧雨、驟雨、大雨、五月雨、時雨…などなど。

 

英語ももちろん、雨を表す単語は様々にある。

しかしそれほど雨の降らない場所では、rainという単語を知っていれば十分と思われます。

雨がほとんど降らない南アフリカに住んでいる間、私が現地人から聞いたのはrain とdrizzleくらいだった。

雨が降るシアトルの方が、雨の語彙をもう少し聞いた記憶がある。

 

他の例を挙げると。

アラビア諸国では、ラクダが必需品だ。

運搬手段としても家畜としても有用な動物で、とてもアラビア人の生活に身近かつ重要。

なので、アラビア語にはラクダを表す単語が豊富にあるそうです。

「オスのラクダ」「子供のラクダ」「妊娠したラクダ」などなど…。

日本人にはラクダは必需品でないので、「ラクダ」という一つの単語しかないんだそう。

 

アメリカの大学で日本語教師をやっているという先生の本を読んだことがある。

川端康成の「山の音」という作品をテキストに、日本語の指導をしたという話だった。

その作品の最初の出だしが、

「8月だというのに、もう虫が鳴いている。」

という文章。

日本人なら意味が分かりますよね。

8月なのに虫が鳴いている、ということから、秋の訪れを感じているわけです。

秋は鈴虫とかマツムシ、クツワムシなど虫の声が聞こえるので。

 

しかし、アメリカ人学生にはこのテキストはハードルが高い!

「虫の声を聞く」という文化がないアメリカ。

虫といえばハエ、蚊、ゴキブリくらいしか思いつかないらしい。

もしかしてハエが鳴くのか?!と思っちゃうらしいです。

「8月なのにハエが鳴いている?」

「8月『なのに』ってどういうこと?」

「虫が鳴くってどういうこと?」

と混乱をきたすらしい。

 

虫が鳴く=涼しい秋=寂しい気持ちを感じる、という文化を持っていない人には、混乱する文章だろうなあ。

日本の美しさを描いた川端の作品ではなく、最近はやりの誰が読んでも分かるボーダーレスな小説を使って日本語を指導するしかないですね。

語学って、その国の文化を学ぶことなんだけど、ボーダーレスってある意味寂しいなあ。

 

でも、アメリカに住んでいると、確かに虫の声を聞かないですねえ。

鳴いているけど、「虫の声に耳を傾ける」文化がないだけなのかなあ。

 

アメリカで庭に来る動物と言えば、鹿、アライグマ、ハチドリ、鷹、リス、マグパイ(鳥)とかですかね。

以前、アメリカ人の友人宅でテレビを見ていたら、友人が急にソファから立ち上がった。

「ん?やったな!」

というので、何だろうと思っていたら、部屋の中に急に悪臭が立ち込めた。

スカンクでした。

友人曰く、家の外の庭にスカンクらしい影が横切ったので、もしや?と思ったそうで。

スカンクがおならをして去っていったらしい。うう…強烈。

 

もし友人が小説家で、

「テレビを見ていたら、家の中にスカンクのおならが漂ってきた」

という文章を書いたら、日本人の読者は

「そんなに頻繁に動物のおならの臭いが漂うのか?」

と思うだろうなあ…。でもこれが漂うんですよ!

百聞は一体験にしかず。

 

ある夏、アメリカ人数人とトレッキングへ行った。

長い山道を登って行ったら、道端にセミの抜け殻が落ちていた。

日本だと夏に見かけますよね。

でも、アメリカでセミの抜け殻を見るのは初めてだった。

 

そこで、思い出した。

高校生の時の英語の教科書に、「セミ」(cicada)という単語が使われていた。

確か、被爆した少女の体験記を英語で読む授業だった。

暑い夏でセミ(cicada)の声がしていたが、原爆が落ちた瞬間、セミの声がしなくなった、という、とても印象的な内容だった。

 

私はこの「セミ」という単語をたまたま覚えていた。

(やった!サンマのリベンジ!!)

で、山道で隣を歩いていたアメリカ人おっちゃん(推定50~60代)に、セミの抜け殻を指さして

「Cicadaは日本にもたくさんいるんだよ。」

と言った。するとおっちゃんは、不思議そうな顔をした。

「cicada?それって何?」

私は面食らった。

え?英語だよ?知らないの?

 

自分の発音が悪いのかと思い、もう一度ヤツに説明した。

「これは、セミ(cicada)だよ。知らないの?」

いちいち単語のスペルまで伝えた。

「C, I, C, A, D, A」と念押し。

発音が悪くても、スペルが分かればさすがに理解してくれるだろう、と思ったからだ。

 

おっちゃんは頭を振って言った。

「いや~〇十年生きてるけど、そんな単語初めて聞いたよ。英語だよね?」

英語だよ!(←もはや怒り気味)

 

おっちゃんは、一生懸命説明をした私に悪いと思ったのか、

「自分がセミを知らないだけで、ほかの人は知ってるかも」

と、後から山道を登ってきた別のアメリカ人にも聞いてくれた。

その中年のおばちゃんも、「セミ」という単語を知らなかった。セミの抜け殻を珍しい物でも見るように見る。

「へえ、この虫、鳴くの?」とまで言った。

まじかい。

 

この時は、「なんでこの人たち、セミを知らないんだよ~」と思った。

が、そもそも「虫の声に耳を傾ける」文化の無いアメリカ人には、「セミ」という虫の存在自体を知らないのかもしれない。

(その後スペインで、「セミ」を知っているイギリス人に会いました!)

でも、彼はかなり珍しい人なんだろうなあ。

 

こういうことが何度かあると、

「人は自分の生活範囲にないものは知らないのだ」ということが分かるようになった。

英語だからどのアメリカ人も知っている、というわけではないのです。

 

状況はちょっと違うが、例えば新宿駅で迷子になった人が通りすがりの人に

「すみません、〇〇へ行きたいんですけど、どうやって行けばいいんですかね?」

と道順を尋ねても、多くの人は

「僕もよく分からないんですが、たぶん…」と自信のない人が多い。

もしくは「あ、ごめんなさい。分からないんですよね~」で終わってしまったり。

これも、自分がいつも使う路線しか分からないってことなんでしょうね。

 

結論はというと。

頑張ってcicadaという単語を覚える必要はないです。

アメリカでこの単語を使うチャンスはほぼ100%ないし、その単語を知っているアメリカ人もそんなにいないと思います。

最近の日本では、学校で教わるのが受験英語から使える英語にシフトしてきたようですね。

正しい傾向だ。

あ~使える英語を学べる、今の子どもたちがめっちゃうらやましい!