オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

南アフリカのタクシー

 

南アフリカはイギリスの植民地だったので、鉄道がある。

が、日本のように通勤で利用できるような電車はない。

 

首都プレトリアは、市内循環のバス路線が充実していない。

流しのタクシーもめったに見かけない。

自家用車しか移動手段がないのだ。

 

南アフリカは歴史的にも文化的にもアメリカに似ている、と私が感じるゆえんだ。

この国は、とにかく車社会。

自家用車で移動すればいいのだから、なぜタクシーやバスが必要なのか?という論理だ。

関係ないが、BBQ(南アではブライという)が好きなところもアメリカ似だ。

 

当然、南アに住む日本人は車を買わないと買い物にも行けないことになる。

車を買うとしても、南アは、一部には車生産工場はあるものの、基本は車を輸入している。

中古車ディーラーもあるが、目利きでないと見破れないような怪しい車がたくさん販売されている。

(この辺の事情は長くなるので割愛。また別の記事に書きます)。

 

というわけで、自家用車を購入するまでしばらくはタクシーで生活していた。

ここに至るまでが大変だった。

何しろ誰もが一台か二台は車を持っており、タクシーなぞめったに利用しない。

配車タクシーを見つけるのに苦労した。

 

ようやくタクシー会社を見つけた。やれやれ。

朝晩、自宅と職場の往復にタクシーを呼ぶ。

毎朝手配してみて分かったが、タクシー会社を通すと時間がかかる。

 

一計を案じ、タクシー運転手の個人電話番号をもらい、翌日からは彼に直接電話する。

こっちの方が早かった。

運転手が近くを流していたらすぐに来てくれるからだ。

 

しかし時折、「別のお客さんに呼ばれて、そっちへ行けないんだよね」

ということが発生する。

そういう場合は、運ちゃんに「別のタクシーを呼んでくれ」と頼む。

運ちゃんの知り合いのタクシー運転手を紹介してもらうのだ。

 

新しく来た運ちゃんが運転が上手とか、感じのいい人だったりとかする。

そしたら「電話番号をくれ」と頼む。

ということを繰り返して、私は常時3,4人のタクシー運転手の連絡先を持っていた。

Aさんを呼んで忙しければ、Bさんを呼ぶ、といった具合だ。

 

キープした運転手の中で、性格の良いタクシー運転手のお兄さんがいた。

お兄さんと言っても多分20代後半か30代。トビー(仮名)と言った。

 

ある冬の寒い朝、出勤するためにトビーのタクシーを呼んだ。

寒いのでコートを着用し、自宅前に到着したトビーのタクシーに乗り込んだ。

「今日は寒いねえ。南アってこんなに寒くなるんだね。」

と私が言うと、トビーは左手を見せた。

「今日は寒いよね。僕は手袋してるよ。」

 

見ると、トビーの右手は手袋をしていない。

運転するために、片手は手袋をしていない方がいいのかな?と思って黙っていた。

それに気づいたトビーが言った。

「どうして片手しか手袋をはめていないのかって?」

うん。気になるね。

トビーは笑顔で言った。

「右手の手袋は、うちの妻が使ってるんだよ。」

 

ん?どういうこと?

私はとっさに理解できなかった。

すると、トビーは重ねて言った。

「僕と妻は、手袋を二つ買うお金がないんだ。だから、彼女は右の手袋を使って、僕は左。

二人で半分ずつ手袋を使うことにしたんだ。」

なるほど。考えたね。しかし奥さんと仲がいいなあ。

 

南アは1992年にアパルトヘイトが終了し、「新生南アフリカ」として新たなスタートを切った。

今まで白人に差別されていた黒人たちは、学校へ通い、就職し、ちゃんと給料をもらえるようになった。

とはいえ、長年の差別はすぐには消えず、ちゃんと教育を受けられなかった黒人もいまだ多い。

 

その上、黒人と白人が平等となり、今まで恩恵を受けていた白人は既得権益を失った。

それにより今までの黒人=貧しい、白人=お金持ち、という構図が崩れた。

何が起きたかというと。

 

学校教育をちゃんと受けていないが白人ということで優遇されていた人たちは、社会の中間から下層階級に押しやられた。

つまり、トビーのような黒人貧困層に加え、プアホワイトという白人貧困層が誕生したのだ。

貧困層は、政権が代わっても生活は全く良くなっていないのだ。

 

トビーは、他の黒人のように白人の悪口を言うタイプではなかった。

貧しいので働くしかない、といつも言っていた。

そういう彼を応援したい気持ちもあり、私はなるべくトビーのタクシーを呼ぶようにしていた。

 

ある晩。

残業が終わり、私はタクシーを呼んだ。

すでに月は高く昇り、疲れていて早く帰りたい気持ちで一杯だった。

トビーのタクシーが来た。

私はいつものように乗り込み、バックシートに背を持たせかけた。

本当に今日は疲れたぞ。

 

会社から自宅へ帰る途中、大きなお屋敷街を通る。

こういうエリアは、アパルトヘイト時代は黒人は夜間は立ち入りが禁止されていた場所だ。

大きなお屋敷は白人たちの住居。

そこで掃除夫や家政婦として働く黒人たちは、身分証明書を携行していなければ、白人居住区を通ることはできなかったのだ。

夜間は「犯罪防止」のため、黒人はこのエリアへ入れなかった。

 

そういうことを考えながら、天にかかった丸い月を窓越しに見る。

すると、自分の乗っているタクシーがプスプスと変な音を立て始めた。

 

何が起きたんだ?

と思う間もなく、トビーがタクシーを減速し始めた。

そして路肩に車を寄せる。

「どうしたの?」

と聞こうとすると、ボンネットから白い煙が出てきて、ボンっ!と大きな音を立てた。

車は完全に止まった。

 

まるでギャグマンガのように、ボンネットはシュウシュウと白い煙を吐き続ける。

私は後部座席で固まった。

なんじゃこりゃ?

 

運転席のトビーが私を振り向いて、困った顔で言った。

「だめだ、完全に車がエンコしちゃった。降りよう。」

降りる?

私が?

どうして?

街灯もついていない暗闇の住宅街に?

エンコした?

 

トビーは私を待たずにバンと運転席のドアを開け、車から降りた。

前に回り、ボンネットを開けながら何やらぶうぶう文句を言っている。

車内に座っていても仕方ないので、私もタクシーを降りた。

「ほら、エンジンがさ。イカレちゃったんだよ。」

ボンネットから、白い煙が一気にもくもくと闇に広がっていた。

私は先ほどから口がきけないでいた。

どういうこと?

 

「ったく!レッカー車を呼ぶしかないな。あ、別のタクシーを君に呼ぶよ。帰れないもんね。」

トビーは携帯電話で、タクシー運転手の友人を呼びだした。

さらに暗闇の方へ移動し、何やら友人に場所を説明している。

 

私は一人ぼっちで闇に突っ立っていた。

月明かりであたりはよく見える。しかし、何が起こったのやら?

残業で疲れているところへ、突然ボンネットから煙が噴き出してタクシーが止まった。

あまりの驚きに口数が少なくなっていた。早く帰りたい。

 

どうやら、トビーの友人のタクシーは近隣を流していたようで、3分も経たずに現場に到着。

そのまま私は新しいタクシーに乗って帰宅できると思いきや。

「ここに車を置いておくと、通行の邪魔だよ。どこか、もう少し広い道路へ移動させよう。」

と、トビーの友人の運転手が言い始めた。

トビーも、

「だね。ここに置いておくとパトロン(車の所有者。つまりトビーの雇用主)に怒られるよ」

と言い始めた。

 

そして、彼らは動かなくなったトビーのタクシーの後ろに回った。

何をするんだ?

と思ってみていると、トビーたちが私を促した。

「ほら、君も早く早く!」

は?

早く早く、って?

トビーと友人の運転手は、ここ、ここ!と自分たちの脇を指さす。

私もようやく彼らの言いたいことを理解した。

車を押せってか!

 

トビーともう一人の運ちゃん、そして私の3人で、エンコしたトビーのタクシーを押し始めた。

「行くよ!せーの!よいしょ、よいしょ!」

「もう少しだ!」

「あそこまで動かそう!せーの、よいしょ、よいしょ!」

10分か15分くらいかかっただろうか。

月明かりを頼りに3人でトビーのタクシーを押し続けた。

ようやく少し開けた道の脇まで車を移動させることができた。

3人とも汗だくだ。

私は一体南アフリカで何をやっているんだろう?

 

その後、トビーの友人運転手のタクシーで、私は帰宅した。

暗闇の中、どう玄関のカギを開けて、どうやって歯を磨き、シャワーを浴びたのか覚えていない。

疲れ切って前後不覚にベッドに倒れ込んだ。

 

南アフリカは、アフリカ大陸で一、二を争う「先進国」だ。

なのにタクシーが煙を噴いて急にエンコするとは…。

やはり油断は禁物。

南アに着任したら早く自家用車を買った方がいいし、車を買うなら新車をお勧めします。

ホント、南アでは車に苦労した思い出しかない。