またタクシーの話で恐縮です。
(多分私は、タクシーには良くも悪くも思い出がたくさんあるのだと思います)。
インドネシアにはBluebird、Express、Pusakaなどタクシー会社が乱立している。
このほか、GrabやGo-jekという配車サービスもある。
これは、平日は別の仕事を持っている人が、平日夜や週末だけ小遣い稼ぎに自家用車でタクシー業を営むような形態の配車サービスだ。
もちろん、タクシー業を本業としてGrabに登録する人もいる。
ちなみにGo-jekはアプリの中にGo-〇〇という他のサービスが満載。
例えばGo-Food(食品の出前)、Go-Clean(家まで掃除婦が来てくれる)などなど。
運転手になるには、Grab登録後に接客や安全に関する研修を受ければ業務がスタートできる。
ブルーバードのような通常のタクシー会社と異なり、Grabはメーター制ではない。
AからBへ行くのにいくら、という距離による料金システムなので、何時間乗ってもメーターが上がるのを気にしなくて良い。
なので渋滞が発生している時はよくGrabを利用していた。
ある日、残業を終えて帰宅しようとしたら大雨が降っていた。
むむ…これはタクシーで帰ろう。と思い、タクシー乗り場に行くと長蛇の列。
仕方なく、Grabタクシーを呼んだらすぐに来た。
運転手は黒縁眼鏡をかけた若いお兄さん。私が乗り込むと、
「君は日本人か?」
とさっそく聞いてくる。
車の予約をするときに私の名前で予約した。
それを見て、「インドネシア人の名前じゃない」と思ったようだ。
日本人だというと、お兄さんは急に饒舌になった。
「そうか日本人か!僕は鹿島アントラーズのファンなんだけどね。」
はあ?
私はたぶん、相当まぬけな顔になっていたと思う。
「どうして鹿島アントラーズのファンになったかというとね。あそこのクラブには〇〇という選手がいて」
お兄さんは私の反応も見ずに、鹿島アントラーズのすごさについて語り始めた。
私の思考はそこで止まって、熱心に弁舌をふるうお兄さんの説明が頭に入らない。
「君は日本人か?」の後、唐突にサッカーの話を始められてもなあ。
私はサッカーについては全然詳しくないので、お兄さんが熱を込めて語る話がよく理解できなかった。
よく分からないので、適当に、「へえ」「そうなんだ」と相槌を打つ。
しかし、お兄さんのサッカー愛は止まらない。
職場の前の渋滞を抜け、次の渋滞にはまり込んでも、お兄さんの話は続いた。
鹿島アントラーズには長い間着目していて、インドネシアで一番熱狂的な鹿島アントラーズファンを自称している、とかそんな話だ。
お兄さんとインドネシア語でサッカーの話を続けられるほど、私はサッカーを知らない。
しかも、お兄さんは時折サッカー用語らしきインドネシア語を交えるので、さらに分からん。
日本人と知り合う機会がめったにないので、このチャンスを逃さじと鹿島アントラーズ愛を披露しているんだろう。
何とかサッカーの話題から話をそらそうと試みることにした。
「ねえねえ、見てごらん。外はすごい雨だねえ。」
私がそう言っているのに、お兄さんは「そうだね。そういやあ〇〇選手以外にも好きな選手がいるんだ」
と、鹿島アントラーズの話題からなかなか離れない。
仕方ないので、お兄さんの話題に乗る。
「へえ、ほかにも好きな選手がいるの?誰?」
私は頭の中で、自分ですら知っている有名なサッカー選手の名前あれこれを思い浮かべた。
ポルトガルの某選手とか、ブラジルの某選手とか…。
するとお兄さんは、バックミラーに映る私に満面の笑顔を見せた。
「サガン鳥栖の××選手だよ!」
サガン鳥栖ぅ??
もはや、私の守備範囲を超えている。えらくマニアックになってきた。
「彼の左足はすごいんだよ。知ってる?」
「…」
そしてお兄さんは、サガン鳥栖の××選手の攻撃力と突破力がなんとかかんとかと、情熱をこめて話し始めた。
あー。
私の同僚にもサッカー好きな同僚がいるが、こういうときに限って自分一人だ。
しかし、アントラーズに(と、サガン鳥栖に)これだけ熱心なインドネシア人ファンがいるとはねえ。
「なんでそんなに日本のサッカーに詳しいの?」
私はようやく当たり障りのない質問を思いついた。
お兄さんは薄暗くなっていく雨の夕暮れの車中で、輝くばかりの笑顔を見せた。
「いや~ネットで試合をチェックしてるんだけどね。日本のサッカーは憧れなんだ」
やっぱり動画とかで見ているわけだ。
サッカー、本当に好きなんだなあ。
「じゃあ、日本へ行ったことあるんだ?」
と私が尋ねると、お兄さんは笑いながら首を振った。
「いやいや~行けるわけないじゃん!旅行するお金があったらタクシー運転手やってないよ!」
お兄さんは渋滞を抜けながら、明るい声で言った。
「日本へ行って鹿島アントラーズの試合が見られたらなあ!そりゃ嬉しいよ!」
タクシーの運転手と、こうやって話が弾むことがある。
(今回は私の力不足?で、あまり弾まなかったが)。
タクシーの運転手の人柄やその日の機嫌にもよるが、こんな感じで、わりと個人的な話題が多い。
もっと私にサッカーの知識があれば、楽しく話が弾んだんだろうけど…。すまん!
私のアパートが見えてきた。
お兄さんは「あ、あそこで降ろせばいいのかな?」と私に確認しながら、話をつづけた。
「日本でサッカーの試合を見ることは、俺の夢(mimpi)だよ、夢!」
ん?
「夢」ってmimpiって言うのか?
私のインドネシア語は半分独学なので、間違っている可能性もあるが、確か「夢」という単語には2種類ある。
「僕の夢はサッカー選手」という精神的な「夢」はcita-cita。
「昨夜、変な夢を見た」の物理的な「夢」はmimpi。
と覚えた記憶がある。
「日本へ行くのが夢」の「夢」はチタチタだと思うが、ミンピって言うんだ…。
などと考えているうちに、私のアパートへ到着。
気のいいお兄さんに料金を支払う。
お兄さんは上機嫌で、
「いや~今日は日本の人と話が出来て良かったよ!」
という。
確かに普通に生活していたら、日本人と知り合う機会はなかなかないだろう。
「君も、日本へ帰ったらサッカーの試合を見られるんだよね。うらやましいな!」
いや…私は試合に足を運ぶほどのサッカーファンじゃないんだけどね。
お兄さんのタクシーは、雨脚の強くなった夕闇に消えていった。
何だかよく分からないが、私が日本人というだけで、お兄さんはテンション高く仕事が出来たらしい。
確かにインドネシアのサッカーは、まだまだ伸びしろがある。
ブラジルやポルトガルは自分たちと人種が違うし、同じアジア人なら親近感がわく。
というわけで、アジアでサッカーのレベルが高い国に憧れるんだろうな。
この一件以来、私も何となく日本のサッカーが気になってきました。
また以前のように交流試合が出来るようになり、日本のサッカー選手がインドネシアに来たら、あのお兄さん、めっちゃ喜ぶだろうなあ。