スモーキーマウンテンといえば、フィリピン・マニラが有名だ。
しかし、私も知らなかったのだが、インドネシアのジャカルタにもあった。
フィリピンのスモーキーマウンテンとは皆さんもご存じの通り、ゴミの山のことだ。
自然発火したゴミが煙を上げているので、スモーキーと呼ばれている。
このゴミ山で生活をしている人が大勢いる。
インドネシアの首都ジャカルタを取り巻く首都圏は、そのエリアを構成する市町村の頭文字を取ってジャボデタベック(Jabodetabek)と呼ばれる。
ジャカルタ(Jakarta)、ボゴール(Bogor)、デポック(Depok)、タンゲラン(Tangerang)そしてブカシ(Bekasi)の5つだ。
このエリアは3,000万人以上の人口を擁し、シンガポール、クアラルンプールに並ぶ東南アジアのメガシティだ。
ジャボデタベックの最後のブカシという町の郊外に、首都圏から排出されるゴミが集積されるゴミ山がある。
そしてフィリピンのスモーキーマウンテン同様、ここで生活する人が大勢いる。
ある日、私はひょんなことから、日本好きなインドネシア人大学生とネットで知り合った。
人懐こいインドネシア人は、ネットで知り合うと「直接会いましょう!」とすぐに誘ってくる。
平日は、私は仕事がある。
週末がいいんだけど、どう?と提案すると、彼女は「週末はボランティアをしているから難しいな」と言う。
「何のボランティアをしているの?」と尋ねたところ、貧困層の子どもたちに英語を教えているという。
彼女がボランティアをしている場所が、ブカシのスモーキーマウンテンだった。
(すいません、『スモーキーマウンテン』という英語名称は、便宜的に私が勝手にそう呼んでいるだけで、正式名称ではありません)。
「その英語教室を訪ねてみてもいい?」
と聞くと、快諾してくれた。
というわけで、ある週末、ジャカルタからタクシーで2時間ほどかけて行ってみた。
タクシーの運転手に「目的地はブカシのゴミ山」と告げると、さすがにその場所を知っていた。
ブカシには日本企業がたくさん進出しており、工業地帯だ。
土砂や重機、資機材を積んだ大型トラックや、貨物を積んだ大型トレーラーがひっきりなしに往来し、埃を舞い上げた道は常に渋滞している。
ゴミ集積場はかなり遠かった!
ようやく集積場のエリアに入ってからも、英語教室までの道は遠く長く続いた。
道を走っていると、巨大なゴミ山が次から次へと現れる。
というより、ゴミ山の間をタクシーで抜けていく感じ?
なんでこんなに巨大なゴミ山があるかというと、焼却炉がないからだ。
日本のような高性能の焼却炉がないため、収集したゴミを集積所に山積みにしているだけなのだ。
ジャカルタ首都圏から毎日大量のゴミが出るにも関わらず、ゴミをただ積んでおくだけなので、あっという間に集積場は満杯になる。
ゴミを積む場所がなくなったら、また次の広い場所にゴミを捨てる。
そうやって、ゴミ山は人口増加とともに増えていく。
ゴミ山の奥の奥に、その大学生がボランティアをやっている英語教室があった。
タクシーから降りると、彼女が子どもたちと一緒に出迎えてくれた。
やれやれ、やっと着いた。
英語教室に入って、ご挨拶。
一応?私は外国人なので、英語の生きた教材?として子どもたちと英語をしゃべることになっていた。
子どもたちはそれほど英語が上手じゃないが、頑張って私に話しかけてくれた。
海外スター並み?にキャーキャー取り囲まれて、ちょっといい気分。
で、本題。
その大学生がボランティアをやっている教室は、実は一人のインドネシア人女性が始めたもの。
その日は、そのボランティア英語教室を立ち上げたインドネシア人女性に会うことができた。
会ってみてびっくり。
20代後半くらいの若い女性だった。
アメリアさん(仮名)としておく。
アメリアさんは英語が堪能だった。
(私はあまりインドネシア語が得意でないので、助かりました)。
彼女は、自分の両親がもともとここでボランティアをしていた、というような話から始めた。
今は親が郷里に帰り、一人でこのゴミ山で生活をしながら、ゴミ山に住む貧困層の生活を支援しているという。
収入はどうしているのか?と聞くと、執筆やイベントなどで生活費を稼いでいるという。
英語教室の開かれている小屋も、ゴミ山で拾った廃材で建てたらしい。
子どもたちのために、廃材でツリーハウスを作ったこともあるという。
「私は料理から大工仕事まで、なんでもできるのよ!
ここにいると、何でも自分でやらなくちゃね!」
と笑いながら言う。
「どうしてゴミ山に人が住むんですかね。
本当は政府が貧困者の生活支援をすべきじゃないですか?」
と、私は少し意地悪な質問をしてみた。
アメリアさんは賢そうな目をキラキラさせながら、私を見て言った。
「政府は貧困者には何もしてくれないわよ。
でも、ゴミ山が必ずしも悪いわけじゃないと思う。
地方からジャカルタに職を探しに上京した人が、仕事が見つからないこともあるでしょう?
そういう人は、とりあえずこのゴミ山に住めば、生活は出来るわけ。」
どういうこと?
と私が尋ねると、アメリアさんは笑った。
「朝起きたら、新しい生ゴミが捨ててあるでしょ?
ジャカルタのホテルから、まだ食べられる贅沢な食材が捨てられることもよくあるしね。」
確かに、新鮮な?生ゴミは一年中豊富に大都市から運ばれてくるだろうなあ。
だからこういうゴミ山は、大都会の隣に出来上がるものなのだ。
「このゴミ山に来れば、当座の生活は出来るの。
ゴミ山に住んでいる間に、生活を立て直してここを出ていく人も多いのよ。」
地方で食い詰めてジャカルタに流れ着き、一文無しでスタートしたとしても、ゴミ山に住めば衣食住のうち、食と住は無料だ。(服も、もしかしたら捨ててあるかも)
アルミ缶など、リサイクルできる金属をゴミ山から収集してお金を貯め、ゴミ山を卒業してアパートを借り、ついには会社を興して人を雇うまでに出世した人も何人もいるのだという。
――
以前の記事『ジャカルタの焼き鳥屋兄弟』にも書いたが、地方で仕事がなく、職を求めて上京する人は多い。
ゴミ山はそういう人たちの当座の受け皿になっているのだと、アメリアさんは説明した。
私にも、このゴミ山がある種のソーシャルセーフティーネットであることが分かった。
アメリアさんはこの若さで、どうして一人でゴミ山に住み、貧困層のために働いているのか?
私はそれが知りたかった。
彼女は、「どうして」という理由については、細かくは説明をしなかった。
自分が問題だと感じていることを改善するため、取り組んでいるだけなのだと言った。
例えば、アメリアさんによれば、ゴミ山に住む貧しいムスリムの両親は、幼い娘を早く結婚させるという。
娘がまだ12、13歳くらいでも、60代くらいの男性を見つけてきて嫁がせるのだという。
「ご両親は、『ムスリムだから』と言うけれど、私は児童婚をやめさせたいと思って、コーランを8年間勉強したわ。
それで分かったの。
コーランには、『娘を12歳で嫁がせなさい』とは書いてないのよ。」
アメリアさんの考えによれば、貧しい両親は子どもを養っていくのが大変なので、子どもを裕福な男性へ早く嫁がせて安心したいのだろう、ということだった。
なので、児童婚は宗教的理由ではなく、むしろ経済的理由だと思う、という。
子どもを結婚させるのではなく勉強させて、生涯、生活が成り立つようにしたい、というのがアメリアさんの夢だ。
「この英語教室も、いつかきっと子どもたちの役に立つと思うの。」
「ゴミ山に住んでいるような貧しい人は、英語を勉強する必要はない、ってことはないでしょ?
私は英語を勉強したことで、世界が広がったの。
ゴミ山のことを海外の人にも知ってもらいたいから、英語で記事を書くこともある。
今では、このゴミ山にヨーロッパ人やアメリカ人のボランティアさんが来てくれたり、取材に来てくれたりするようになったわ。
私のやっていることが面白いって言って、手伝ってくれる人も現れるようになった。」
アメリアさんが英語を話せるおかげで、私も彼女からゴミ山の生活のことや、彼女が信念を持ってここで生活をし、貧困者のために働いていることが理解できた。
「だから、子どもたちにも英語を勉強してほしいの。
彼らが成長したとき、英語を使って仕事が出来るかもしれない。
そうしたら、このゴミ山から出て行ける機会をつかめるかもしれないから。」
アメリアさんと私は、長いこと話し込んだ。
彼女の話は面白く、ゴミ山に住む貧困者の生活を向上させるため、イベント開催や記事執筆、インタビューを受ける等、あの手この手で貧困問題に社会の目を向けさせようと奮闘していることが分かった。
こんなに魅力的な若い女性が、わざわざゴミ山に一人で生活しなくてもねえ…と思わなくもなかったが。
誰かを助けるために自分の人生をささげ、信じるところに基づいて行動していることはよく理解できた。
私には出来なさそうなことを、しかもたった一人でやっていることにも心を打たれた。
こういう信念のある人の周りには、助けてくれる人が集まるんでしょうね。
アメリアさんとの話を終え外に出ると、先ほどのタクシーの運転手が待っていてくれた。
さすがにこんなゴミ山の奥の奥で帰りのタクシーを呼んでも、来るわけがない。
アメリアさんと私が話している間、運転手が長時間、道で待っていてくれたことはありがたかった。
アメリアさんは私の乗ったタクシーが見えなくなるまで、道で手を振って見送ってくれた。
ジャカルタに戻る車中で、運転手に聞かれるままに、私はアメリアさんの活動について話をした。
運転手も私を待っている間、こんなゴミ山に住んでいる貧困層の子どもたちを見て平常心ではいられなかったらしい。
しかも、若い女性が一人で貧困層を支援する活動をしていると分かり、驚いた様子だった。
「こんなところで子どもたちに勉強を教えているなんて、すごいねえ」
「こんなところで貧しい人たちを支援しているなんて、すごいねえ」
と、感心することしきり。
私は自分がほめられているかのように?妙な気持ちになったが、私はただ見に来ただけ。
世の中の不平等に腹が立つことは毎日のようにある。
でも、困っている人と共に歩もうと思い、しかもそれを行動に移している(←これが一番大事)人がいることを知ると、この世も捨てたものではない、と思ったりするのです。