コートジボアールでは、常に小銭が不足していた。理由は不明。
紙幣は紙なので作るのが簡単?だが、硬貨はそうはいかない。
コインが国中で不足しているので、ちゃんとおつりをもらえたことがなかった。
450円のものを買い、1,000円支払うとおつりは550円のはずだが、「小銭がない」と言って、おつりが500円だけということがよくあった。
50円のような小銭でさえ無いのだから、1円単位のおつりなどあるわけがない。
最初は理解できず、「どうしておつりがないんだ」と、常にレジのおばちゃんとケンカになっていた。
本当に硬貨がないのだ、ということが分かると、買い物で得た釣銭を少しずつ貯めて使うようになった。
小銭は至るところで必要だからだ。
例えばバス。
チャージできるカードのような便利なものはない。
いちいち乗車料金として小銭を用意するしかないのだ。
地元の市場で買い物をすれば、小銭がゲットできるのでは?
という意見もあるだろう。
私も最初はそう思った。
市場なら少額で品物を売買しているので、小銭ゲットできるはず…と思ったが、甘かった。
「トマトケチャップをスプーン1杯分、ちょうだい」
「料理用油、スプーン2杯分、ください」
5円とか2円で買えるような商品を購入して小銭を作ろうとすると、
「おつりがない。」
ここでもか…。
どこへ行ったら、うまく小銭を入手できるんだ?
「おつりは要らないや」と言えるほど太っ腹でもないので、日々の釣銭を地道に貯めるしかない。
キャッシュレスだったら楽だったんですけど。
ある日のこと。
前日から雨が降っていて、道路は渋滞しバスもぎゅうぎゅう満員だった。
乗降するステップにまで人が立っているくらい、押し合いへし合いの状態だった。
どの停留所でも多くの乗客が乗ってくる。
乗ってくる乗客に押され、次第に私はどんどんバスの奥へ押し込まれていった。
こんな大勢の乗客ですし詰め状態になっていたら、どうやって料金を支払って降りるんだろう?
あまりにも多くの人がバスに乗り込んだので、私はだんだん心配になってきた。
このバスの料金は定額だ。
距離によって金額が変わるのではない。
乗ったら定額料金を支払い、チケットを受け取ればいいのだ。
私はいつでも料金が支払えるよう、片手にバス料金175CFAフランを握りしめていた。
100CFA玉、50CFA玉、そして25CFA玉だ。
そろそろ私の目的地に近くなってきた。
降りたいが、そもそも料金を支払っていない。
降りる寸前に料金を支払えばいいだろうか?
私は前後左右のコートジボアール人につぶされそうになりながら、降りたいバス停で降りる方法を考えていた。
バスには珍しく車掌のおばちゃんが乗っていた。
バスの真ん中あたりに金網で囲われたブースがあり、その中におばちゃんがいた。
あのおばちゃんにバス料金を支払い、チケットを受け取ったら、後はいつでも降りられる。
しかし…あそこまでコートジボアール人をかき分けて行くのは至難の業。
窒息しそうになりながら、小銭を持った右手を振り上げ「お金を支払いたい」という意思を示した。
すると、近くにいた若いお兄さんが、私の右手から小銭を取り上げた。
え?ちょっと何すんの?
私は目をむいた。
お兄さんは、自分の近くにいたお姉さんに私の小銭を渡した。
そのお姉さんは、自分の近くにいたおじさんに私の小銭を託した。
私は最初、彼らが何をやろうとしているのか分からなかった。
あれよあれよという間に、私の小銭はコートジボアール人たちの手から手を渡り、車掌のおばちゃんに到着。
おばちゃんはチケットを切って、私の小銭をおばちゃんに提出したお兄さんに渡した。
同じ経路を逆にたどって、あれよあれよという間に乗客の手から手を渡り、私の手元にチケットが来た。
なーるほど…。
こういう方法があったのか。
ぎゅうぎゅうのバス車内で皆が無言だが(私も『支払いを頼む』とはお願いしていないが)、私は車掌のおばちゃんへバス料金を支払い、チケットを受け取ることができた。
目的地に到着。
私はコートジボアール人乗客をかき分け、目指す停留所で無事に降りることができた。
この一件以来、乗客で一杯のバスの奥に押し込まれても焦らなくなった。
悠然と?乗車料金を近くの乗客に託す。
私に小銭を託されて戸惑う人もおらず、皆、当然のように連携プレーで車掌に料金を手渡してくれる。
日本でこんなことをやっている人を見たことがなかったが、郷に入りては郷に従え。
現地人がやっているようにやるしかない。
ちなみに、小銭を持たずにバスに乗った場合。
175CFAフランの料金を支払うのに、うっかり500CFAフラン札しか持っていない場合。
ぴったりのおつりは期待できません。
300CFAフランが戻ってくればいい方で、もっと少ない時もある。
(車掌さんからお決まりのフレーズ『小銭がない』を聞かされるだけです)
それが悔しいので、常日頃から小銭をため込んでおき、バスに乗るときは小銭を持参するのです。
というわけで、日常生活にどうしても小銭が必要だが、作れないときはどうするか?
ここに小銭を作る一つの方法がある(おすすめかというと、微妙ですが…)。
ある友人の話。
彼女がアビジャンの町を歩いていたら、乞食のおじいさんが寄ってきた。
「何か恵んでくれ」と言われたが、面倒だ。
小銭がないことを理由に断ろうとした。
「困ったなあ、小銭が無いんだよねえ~残念だけど、何もあげられないよ。」
と言って乞食のおじいさんから逃げようとした。
しかし、敵もさるもの。
「もし小銭があったとして、いくらなら、わしにくれるつもりだったんじゃ?」
と聞かれ、苦し紛れに
「25CFAフラン(25CFAフランは1枚の硬貨です)。でも、コインがないから、恵んであげられない」
と答えた。
しかし、おじいさんは引き下がらない。
「お前、今はいくら持っているのじゃ?」
と重ねて尋ねる。
友人が「500CFAフラン(500CFAフランはお札です)」
と答えて、そのお札を財布から出して見せると、乞食のおじいさんはそのお札を友人の手から取った。
へっ?じいさん何するんだ、と思ったら、乞食のおじいさんは自分が持っている財布を取り出した。
中を開けるとじゃらじゃら小銭が一杯。
「ほら、475CFAフランのおつりじゃ。」
と言って、乞食のおじいさんは475CFAフランをきっちり小銭で支払ってくれたそう。
25CFAフラン(約5円)を巻き上げられた?わけですが、友人は、
「あの人たち(乞食のこと)、おつりをたくさん持ってるんだよ!」
と興奮気味でした。
確かに、乞食の方々はふだん恵んでもらうお金は小銭だ。
本当に小銭が不足したときは、こういう両替方法?があるんだなと勉強になった。
キャッシュレスが流行り、最近はコロナが追い打ちをかけ、今の社会ではますます現金を使わないようになってきている。
バス料金を人から人へ手渡したり、乞食へ小銭を恵んだり、ということも、現金を使わなくなれば消滅する風景なのかもですね。
お金を人間が発明して以来、人間同士のコミュニケーションをお金が取り持ってきたかと思うと、現金の良さもあったんじゃないかな~。
キャッシュレスになると重い小銭を持ち歩かず楽ですが、人と人とのコミュニケーションがなくなるのは少し寂しい気もします。