昨日は気の抜けた話?だったので、今日は少し真面目な記事を。
コートジボアールに到着し、最初はオリエンテーションや銀行口座開設といった事務手続きがあった。
事務所へ行くために道を歩いていると、声が聞こえた。
「ボンジュール、マダム!」
ん?誰か私を呼んだかい?
と思ってあたりを見回すが、誰もいない。
気のせいか。
と歩き始めると、また声がする。
「マダム、マダム、ボンジュール!」
いや、気のせいじゃない。
確かに誰か私を呼んだはず…。
しかし、誰もいない。
「マダム、マダム!こっちこっち!」
声が足元からしたので見ると、路上駐車の車の陰に誰かがいた。
ええっ?!
私は凍りついた。
汗をだらだらたらし、目をぎょろぎょろさせた男性が、両ひじでズリズリ地面を這いながら出てきた。
私は息をのみ、そのまま走って逃げた。
翌日。
同じ道を通った。
「マダム、マダム!ボンジュール!」
また、同じ場所で声がする。
見ると、また同じおじさんが道路脇の植え込みの陰にいた。
暑い(気温40度)ので、朝でも汗が滝のように流れている。
おじさんは両足がなかったので、体が半分しかないように見えた。
私はまた、慌ててその場を立ち去った。
その次の日。
ようやく、私にもこの男性が乞食であることが分かった。
「マダム、ボンジュール。」
この男性も、私が怖がっていることが分かったようだ。「何かくれ」とは言わない。
私は怖くなり、足早に立ち去った。
アビジャンに住み始めて1か月、2か月経つと、私にもこの国の様子が分かってくる。
ポリオ(小児まひ)で脚が萎え、歩けなくなった人が乞食として路上にいた。
ポリオは、予防できる病気だ。
日本でも、赤ちゃんの時に経口ワクチンを保健所などで投与されることが多い。
手軽に受けられるワクチンだ。
しかも、それを受けるだけで一生ポリオに罹患せずに済む。
多くの国際機関がポリオ撲滅のため、途上国でポリオワクチン投与のプロジェクトを実施した。
現在は、ほぼ全世界でポリオは封じ込められたと言ってもよい。
(確かいまだにポリオが残っている国は、わずか1カ国になったと思います)。
しかし、それは最近の話。
昔、つまりこのおじさんが赤ん坊だったころは、コートジでポリオワクチンの投与はされていなかった。
あるいは、投与されていたが、このおじさんの家庭事情で受けられなかったのだろう。
アビジャンには、こういうおじさんたちが大勢、物乞いをしていた。
日本から来たばかりの時は、彼らの外見だけを見て恐怖を感じていた。
パッと見ると、片足または両足が萎えて小さくなっているので、足が無いように見えるのだ。
どうして、体が半分しかない人がこんな路上にいるんだろう?と思っていた。
しかし。
だんだんこの国の社会や経済事情が分かってくると、こういうポリオ患者の人たちは高額な車いすが買えないことに気づく。
車いすが高額というだけでなく、彼らの使いやすい、性能の良い車いす自体が売っていないのだ。
健常者でさえきちんと学校教育を受けられない国では、障がいを負った人は小学校教育どころか職業訓練さえ受けられないことも、だんだんわかってくる。
本来は政府が職業訓練を実施するとか、障がい者手当等の生活保障をすべきなのだが、途上国ではそういうところにまで手が回ってない。
では、誰が彼らの生活費を出すのか?
答えは明白だ。
誰も彼らの生活費を支援してくれない。
だから彼らは路上に出て、自分で自分の生活費を稼ぐ。
読み書きも計算も出来ない、自分の名前も書けない、自力で立ち上がることさえできない人が、どうやって、何の仕事をするのか?
彼らができるほぼ唯一の仕事は、乞食だ。
だから彼らはそれをやっている。
ということが分かってくると、私は自分を恥じた。
彼らの事情も分からず、「うわっ、怖い!」と外見だけで判断したことに。
以前の記事にも書いたが、私は物乞いのストリートチルドレンにも、
「何か仕事をしたらお金をあげるね」
と言って、簡単な仕事をさせ、その対価として小銭を支払っていた。
じゃあ、この両足の無いおじさんに、どうやって対価を支払うのか。
アビジャンでの生活やフランス語に慣れてくると、答えは見つかった。
例えば、今から家に帰るのに乗り合いタクシーに乗るとする。
しかし、乗り合いタクシーは決まった乗り場が無い。
ちょいちょい乗り場が移動するのだ。
そういう時は、こういう路上にいる乞食のおじさんに尋ねる。
「乗り合いタクシー、今日はいないのかな?」
すると、乞食のおじさんたちは教えてくれる。
「今日は反政府デモがあるから、もっと南の方に乗り場を移動したよ。」
「さっきタクシーは行っちゃったばかりだし、今日はバスを使った方がいいよ。」
彼ら乞食のおじさんたちは、一日中路上にいる。
なので、町の様子は何でも知っているのだ。
有用な情報をくれたら、私は小銭を渡していた。
(本当は小銭をただであげたいのだが、彼らも『この外国人の役に立った』という充実感?が必要だろうと思う)
おじさんたちと仲良くなると、もっと他の情報も教えてくれる。
ここで、聡明な読者の皆さんは気になったことがあるだろう。
それは、「歩けないのに、どうやって路上へ来るのか?」
私も、しばらくしてその疑問にぶち当たった。
なぜなら、彼ら乞食のおじさんたちは、夜になるといなくなるからだ。
そして、翌朝、定位置に出勤している。
その答えは、しばらくして分かった。
かなり前の記事に、アビジャンにはレバノン人がたくさん住んでいる、ということを書いた。
中東が危険になるとアフリカへ避難してきて、中東情勢が安定するとレバノンへ帰る、という不安定な生活をしている人たちだ。
そういう不安定な生活をしているので、レバノン人たちには定職がない。
このレバノン人たちが、乞食のおじさんたちの送迎をやっていたのだ。
どういうことかというと。
レバノン人たちはポリオで歩けないおじさんたちの家々を車で回り、おじさんたちを車に乗せ、町へやってくる。
そして、「君はここ」「君はあそこ」と、おじさんたちを各持ち場に置いていく。
おじさんたちは一日、その持ち場で頑張って仕事(乞食)をする。
そして、夕方になるとレバノン人たちが彼らの持ち場を車で回り、おじさんたちを車に乗せ、家へ送っていくのだ。
当然、レバノン人たちは、その日の乞食たちの売り上げから手数料?をもらう。
このからくり?が分かった時、私の周りの日本人たちの中には、
「レバノン人たちは何てひどいんだ!」
と言う人もいた。
最初は私もそう思った。乞食の総元締めはレバノン人か、と。
しかしよく考えると、送迎をしてくれるレバノン人がいなければ、おじさんたちは生活費を稼ぐことができない。
どちらにもメリットがあるwin-winの関係、と言ってもおかしくはない。
ある日本人の友人の話。
彼も、ポリオで脚を失った乞食のおじさんと知り合った。
最初は彼も、日本で脚の無い人が路上で乞食をするのを見たことがなかったので、びっくりしたという。
なので、おじさんを見て逃げ出した。
しかし、毎日の通勤ルートにそのおじさんがいるので、次第次第に言葉を交わすようになった。
そして友人として親しくなり、個人的な話をするようになって分かったこと。
そのおじさんは結婚していて、奥さんがいるという。
この話を聞いた別の友人は、
「乞食のくせに結婚してるの?」
「障がい者のくせに奥さんがいるわけ?」
と聞いた。
私は、複雑な気持ちになった。
アフリカで生活していると、日本のように恵まれた環境にない人を大勢見る。
乞食のおじさんも、レバノン人も、どちらも恵まれた人生とは言えない。
そういう人が恋愛をしてはいけないのか、というと、そんなことはない。
しかしその友人が言いたいのは、奥さんの人生に責任が取れる状況じゃないのに、結婚したのか?ということだ。
多分、人生に正解なんか、ないんだろう。
あのおじさんたちだって、好き好んで気温40度の炎天下、湯気が立つほど暑い地べたで這いつくばって、汗をだらだら垂らしながら乞食をやっているわけじゃない。
誰だって好きでそんなことをやるわけがない。
でも、それしか自分が生き延びる道はないのだ。
乞食をすることで、自分と奥さんの生活費を稼いでいるわけだ。
アフリカに住んでいると、こういうやるせないことがたくさんある。
でも、私はレバノン人や乞食のおじさんたちを批判する立場にない。
中東情勢が安定して、アフリカの福祉政策がもっと充実すれば、こういう事象も発生しないんだろう。
今日はあまり面白くない?テーマの記事で大変申し訳ないです。
でも、どこの国へ行っても人間の生きる力に私はいつも励まされるし、ニーズのあるところ、うまく社会が回るんだな、と、人間のしたたかさに驚かされたり、ニヤッとさせられたりします。
この記事も、登場人物たちをネガティブにとらえるのではなく、乞食のおじさんたちとレバノン人の生きる強さを評価してもらえるといいなと思っています。