オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ベルギー

 

昔、ベルギー人の女の子と文通をしていた。

ひょんなことからヨーロッパへ行くことになり、電車でベルギーへ行くことを思い立った。

彼女に連絡すると、ぜひ会いたいと言ってくれたので、彼女の住む町まで行くことにした。

 

私が外国の人と手紙をやり取りするようになったのは、中学生の時だ。

今のようにネットで海外の情報にすぐに接することが出来ない時代。

当時、「英語が上手になりたい」「海外のことを知りたい」と思う子どもは、たいてい海外文通をやっていた。

 

入っていた部活の先生も勧めてくれたので、中学2年くらいまでには何人かの文通相手が出来た。

四苦八苦して英語で手紙を書き、返事が来た時のうれしさは、今も鮮明に覚えている。

 

ベルギー人の文通相手は、アニカ(仮名)と言って同い年だった。

学校のことや家族のこと、友達のこと等、色々なことをいつも手紙に書いていた。

そして、彼女も私も高校を卒業し、大学を卒業し、大人になった。

長年の手紙のやり取りの末に実際に会えるのは、不思議な気持ちだった。

 

彼女の住む町は、ベルギーでもオランダ語圏にある小さな町だった。

電車で彼女の住む町の駅に到着。

とても小さな駅で、降りた乗客は私一人。

 

え?本当にここでいいのかな?

駅員のいない駅は寂寥感が漂い、もしかして間違った駅で降りてしまったのでは…と不安が押し寄せる。

おどおどしながら駅舎を出る。

誰もいない駅舎の外に、革ジャンの襟を立てて一人で待っていた女性がいた。

それがアニカだった。

 

よく知っている相手と初対面。変な感覚だ。

写真で何度も見た相手だが、やっぱり可愛い子だ。

促されて車に乗る。

「この車、どうしたの?」

と尋ねると、アニカは得意そうに言った。

 

「言ってなかったかもしれないけど、私、今は社長なの。」

しゃ、社長?

 

学校給食の食材を卸す食品会社をアニカの祖父が設立した。

その会社を今まで父が経営していたが、このたび、アニカが父から事業を受け継いだのだという。

乗っている車は、車体に社名が書いてあって社用車というわけだ。

小さい会社だが、仕事が忙しいのだという。

 

アニカの運転する車で、彼女の家に到着。

自宅にいたおばあさんが、お茶菓子を出してくれた。

おばあさんは英語が全く話せなかったので、アニカが通訳してくれる。

アニカは私と一緒に写真を撮りたがった。

彼女は金髪で小顔。

彼女の隣に行くと、私の顔の大きさが目立つので私は嫌だったが(笑)、彼女は私と一緒の写真を何枚も撮った。

 

おばあさんが自室へ引っ込むと、二人で女子タイム?になった(おばあさんも女子なんだが…)。

アニカと私は、長年の友情を確認するようにいろいろなことをおしゃべりした。

その日はおじいさんが不在で、私たちは長時間二人きりで過ごした。

 

アニカが小学校2年生の時に、アニカのお母さんが精神病を発症した。

アニカはお母さんの食事の補助をしたり、着替えを手伝ったりして献身的に看護した。

今でいう、「ヤングケアラー」ですね。

子ども時代、友達と遊ぶ時間がなかったという。

 

お母さんとコミュニケーションが取れなくなると、お父さんはほかの女性宅へ外泊するようになった。

ほどなくしてお母さんは亡くなり、お父さんは家に戻らなくなった。

兄弟のいないアニカは、祖父母と三人家族になった。

 

お父さんは他の家で生活しながら、この家の家業を経営していた。

しかし、アニカがこのたび家業を受け継いだということは、お父さんが若くして退職したということなんだろう。

私が訪問したときは、「何か月もお父さんと会っていない」と言っていた。

 

アニカは、私が手紙に書いたことを驚くほどよく覚えていて、私はびっくりした。

彼女にとって日本から来る手紙は、息苦しい毎日から逃れられる小さな窓口だったという。

 

「こんな小さな町で、変なことやったらすぐに噂になっちゃうからね。」

とアニカは笑った。

本当は、この小さな町から逃げ出したいと思わなくもなかった。

しかし、祖父母の期待を背負い、家業を受け継ぐことにしたという。

 

(えらいなあ…周りの人のことをいつも考えていて)

と、同い年ながら私はアニカの大人びた考えに感心した。

彼女は自分が自由に過ごす人生ではなく、家族のための人生を選んだのだ。

 

 

別れ際に、私がベルギーに来た記念にと、アニカは小さなプレゼントをくれた。

マグカップに私の名前と訪問した年月日を入れ、カップの中はベルギー産チョコレートで一杯だった。

「町のチョコレート屋さんの商品で有名じゃないんだけど、ベルギーはチョコレートをよく食べるから」

と言う。

 

帰りも、彼女は駅まで社用車で送ってくれた。

小さな駅は相変わらず閑散とし、夕日に照らされたホームに列車を待つ乗客は誰もいなかった。

 

アニカと初めて直接会うことが出来て嬉しかったが、同時に彼女を取り巻く寂しさの正体が分かったようにも感じた。

電車の中で彼女がくれたお土産を開け、チョコレートをかじった。

小さいが、本当においしいチョコレートだった。

――

残念ながら、その後しばらくしてアニカとは連絡がつかなくなった。

手紙が来なくなった理由は分からない。

インターネットの時代だし、もう文通はいいや、と思ったのか。

あるいはほかの理由があるのか、それは知らない。

人生のサイクルが異なって来れば、文通に意味を見出さなくなることもあるだろう。

 

私も大人になってようやく気付いた。

海外に対するあこがれ。英語が上手になりたい。

そう思って始めた文通でも、長く文通相手と交流すれば、いつしかお互いの存在が「友人」となって人生に根を降ろし始める。

 

アニカの人生のある期間、私の存在が息抜きになっていたとしたら、それはうれしい。

アニカから聞くベルギーでの日々は、自分と同い年の子どもがベルギーで同じような生活をし、同じように友達や家族との人間関係に悩み、傷つくことを理解させてくれた。

 

今、アニカが誰と一緒に生活し、どんなことを考えて暮らしているのか、知るすべもない。

でも、これからはほかの人の幸福を優先するのではなく、彼女らしく生き、幸せになっていてほしい。

 

今も私はこうやってアニカのことを思い出す。

長い時間を経て、いつしかアニカは私にとって「外国人の文通相手」から「一人の友人」になっていたからだろう、と思う。