オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

アフリカの人はカンがいい 2

「アフリカの人はカンがいい」の記事の続きです。

 

ある日、私は自宅最寄りのバス停でバスから降りた。

そのバス停では、数人の乗客が降りた。

私の前にメガネをかけた太ったおばちゃんが降り、私は最後だった。

 

先に降りた乗客たちが、砂に足を取られながら道を歩き始める。(舗装してないからね)

ふと、私は炎天下の砂の中にきらりと光るものを見つけた。

しゃがんでよく見ると、硬貨だった。

「見っけ!」

私は日本語でそう言ってコインを拾った。

 

私が声を出したので、前を歩いていたメガネのおばちゃんが振り返った。

私が腰をかがめて拾ったものがコインとわかると、

「なーんだ、コインか」

と言いたげな顔で、再びおっこらおっこら歩き始めた。

おばちゃんは太っているので歩くのが大変そうだった。

 

すると、数メートル先から私たちの方へ向かって歩いてきた若い男性が、私がコインを拾ったのを目ざとく見つけた。

その男性はこちらへ歩いてきながら、私をからかうように大声で言った。

「君が拾ったお金、僕がたった今、落としたんだよ~だからそのお金、僕のだよ(もちろんウソです)」

 

ホント、こいつら金には目ざといな…。

お前が落とした金のわけないだろう(←ガラ悪し)。

あきれた私は、日本語でお兄さんへ言った。(バレないように日本語ですよ)

「あんた、ホントよう見とるわあ~」

 

私の前を歩くおばちゃん、それを聞いた途端、お腹を抱えて、ぐわっはっはっはと笑い始めた。

笑われたお兄さんも、私がお兄さんを馬鹿にした発言をし、それが面白くておばちゃんが笑っているのが分かるらしく、恥ずかしさに顔を赤らめながら「てへぺろ」的な顔をした。

 

この時、私がヤツを馬鹿にしたと理解したお兄さんもさることながら、関係のないおばちゃんまで大爆笑したことに私は驚いた。

当然、このおばちゃんもお兄さんも日本語は分からないはず。

言葉の雰囲気で察しているんでしょうかね?

こういう人が本当に多くて、うっかり日本語で話せないな、といつも思ってました。

 

 

カンの良さと全く関係ないが、物覚えの良さ?も日本人と感覚が違うように感じることがあった。

例えばこんなことだ。

 

お世話になったホストファミリーのお父さんが、「土地を買ったんだ」と私に自慢してきたことがあった。

以前の記事に書いた、電気なし水道なし電話なし病院や学校もなし…のないない村のお父さんです。

現金収入もろくにないお父さんが、土地なんて買えるわけがない、と私は半信半疑だった。

 

お父さんは、どうやら私が信じていないことが分かったらしい。

「その土地を見せてやる」

というので、お父さんに従ってジャングルの奥へついて行った。

 

すると、お父さんは何もない荒地?を私に見せ、得意げに言った。

「この辺りが俺の土地なんだ。お金がいつか貯まったら、ここに家を建てるんだ。」

 

荒野?というかジャングル?を見せられても、さっぱり広さが分からない。

ただ、ぼうぼうに草が生い茂っているだけ。

あちこちに木が生えていて、建築資材を運び入れる前に大掛かりな伐採をしなければ、えらいことになる。

巨大ヘビが出てきてもおかしくはない、ただのジャングルだ。

 

「境界線はどこなの?」

と聞いてみた。

するとお父さんは草をかき分けて、確かこの辺にあったな…と何やら探している様子。

 

「あったあった、これだよ。ここまでが俺の買った土地なんだ」

と言って、そこに生えた一本の草を見せる。

お父さんいわく、その草のところまでの土地を買って代金を支払ったそうです。

それが境界線?ただの草じゃん。(注:木ではありません。草です)

 

そこにはたくさん似たような草が生えている。

なぜお父さんの示したただの草が、土地の境界として使用に耐えられるのかは不明だ。

 

しかし、お父さんは「この草」と境界線としての特別な草を認識している様子。

その草が大きく育ったり、誰かが抜いたりしたらどうするんだろう?

私は夜中にこっそり来て、その草をひっこ抜いてやろうか…ととんでもないイタズラを考えて楽しくなった。

(もちろん、やりませんけど)。

 

その草を境界にして土地の売買が行われているなら、まあ、それはそれで問題ないんだろう。

土地を所有するという感覚が、欧米や日本とは違うのかな?

私はやはり記号や文字に毒されているせいか、もっと分かりやすい目印でないと覚えられない。

しかし、よくその「草」を覚えているよね…やはり日本人と感覚が違うとしか思えない。

 

コートジボアールに住んでいる欧米人に「イボアリアンはカンがいいよね」と話すと、彼らが決まって言うのはこうだ。

「アフリカの人はスピリチュアルだから。」

 

スピリチュアルであることがどのようにカンの良さとつながるのか、意味不明だ。

たぶん、スピリチュアルなところのない欧米人から見ると、理論的に説明のつかないことをしでかす?アフリカの人は「スピリチュアル」ということになるんだろう。

欧米人によっては、アフリカだけでなく、アジアも訳が分からんから「スピリチュアル」らしい。

 

この「スピリチュアル」についても、また別の機会に記事にまとめてみます。