「刑務所のリタ・ヘイワ―ス」(映画題名は『ショーシャンクの空に』)。
そんなタイトルの本があった。
その小説の中での「リタ・ヘイワ―ス」は、刑務所での慰問として上映された映画に出てくる美人女優。
「リタ・ヘイワ―ス」は、単調な毎日の中で自分の魂を救うもののアイコン的存在として登場するのだが、そこで思い出すことがある。
以前、ボランティアで日本語を外国人へ教えていたことがあった。
平日の夜や週末に、市の国際交流協会などで教えていたのだが、日本語を学ぶ生徒は国籍も年齢も職業もバックグラウンドも多様だった。
ある夜、中年男性がその日本語教室へやってきた。
その方は台湾出身だった。
新しい生徒が日本語教室へ来ると、まずレベルチェックをする。
本人の希望(会話が出来るようになりたい、漢字を勉強したい等)や日本語学習歴も聞いておく。
「日本語を勉強したことがある」といっても、レベルはピンキリだ。
「日本語学習歴がある」といった生徒に学習期間を尋ねると、「2週間勉強したことがある」と胸を張って答えたつわものもいた。
その教室に来ていたフランス人やオーストラリア人の生徒たちは、ほとんど日本語が話せなかった。
しかし、新しくやってきた台湾人の黄さん(仮名)は、日本人教師たちと日本語で歓談できるくらいのレベルだった。
日本語教室へ来る必要がないのでは?というくらい、自然な日本語だった。
その日は平日で、授業を終えた生徒たちは三々五々と帰宅していった。
私たち日本人ボランティアたちも授業を終え、後片付けをしていた。
お試しレッスンを終えた黄さんは、ボランティア教師と話をしていた。
生徒は皆帰宅し、残っているのは日本人ボランティアと黄さんだけだった。
片付けが終わった私も、黄さんとの会話に加わった。
黄さんは、「なぜそんなに日本語が上手なのか」という説明を日本人ボランティアへしていたようだった。
もちろん、年齢から言っても日本統治下の台湾で生まれたわけがない。
(その年齢の人だったら、相当な高齢のはずだ)。
彼は日本の映画が大好きだった。
私は残念ながら映画に詳しくない。
本当に有名どころの映画なら、友達に誘われて見に行ったとか、テレビ放映の際に見たとか、一応は押さえている。
しかし、その程度だ。
以前、サウジアラビア人の友人(以前の記事にも登場しました)のサイード君に、黒澤明の「七人の侍」について長広舌をふるわれたことがある。
エンタメに全く疎い私ですら、「七人の侍」が有名な映画であることは知っている。
「いい映画だよね!どう思う?」
と聞かれ、戸惑った。
「その映画が有名だ、と言うことを知っている程度だよ。一度も見たことがない」と答えたときのサイード君の剣幕といったら。
「日本人なのに、『七人の侍』を見たことないって?うわあ、ありえない!ありえない!!」
「僕は軽く50回以上は見たよ!君があんな傑作を見ていないなんて!」
「本当に日本人なの?OH MY GOD!!」
ついには、人非人のような扱いを受けるに至った。
彼にとってみれば、日本人のくせにあんな素晴らしい日本映画を見ていないのは言語道断、ということなんだろう。
しかも彼は最低でも50回も見てるとはねえ…。
そのあと、慌ててアマゾンで『七人の侍』DVDを買いました。
(買わなくてもねえ。でもレンタル屋が近くになかったのです)
映画を見てやっと分かった。
カメラアングルといい、ストーリーといい、俳優たちといい、確かに傑作です。
あれを見て、日本に対する思いを中東でふくらませていた若者がいるとは、映画の力は偉大です。
で、黄さんの話に戻る。
彼のお気に入りは、「七人の侍」ではなかった。
「どんな日本映画が好きなんですか?」
と日本人ボランティアに聞かれ、彼は多くの邦画のタイトルを挙げた。
(すみません、一つも知らないので、黄さんが何の映画の話をしているのか全く理解できませんでした)
黄さんの日本映画愛は、熱烈だった。
「山本富士子って知ってますか?」
と私は聞かれた。
すみません、知りません…。
きら星のごとく日本映画界を彩った大スターたちを、黄さんは台湾であこがれの思いをこめて見ていたのだという。
「へえ、知らないなんて残念だなあ。僕は山本富士子さんにあこがれてまして」
銀幕の美女の名前や俳優たちが交わす会話、聞き取れたセリフを、何度も日本語で言って覚えたのだという。
好きな日本映画を何百回と見た。
それが、彼の日本語を次第次第に上達させていったようだった。
日本の映画スターたちを見て、日本へのあこがれをつのらせた一人の台湾人男性を見て、私は何かの歴史フィルムでも見るような感慨を覚えた。
そのあとネットで「山本富士子」を検索したことは言うまでもない。
黄さんのおっしゃる通り、大和なでしこ的美女ですね。
山本富士子さんは黄さんの世代より上だが、良い映画に国境や年齢は関係ないんだろうなあ。
後日、アメリカ映画の「ショーシャンクの空に(刑務所のリタ・ヘイワ―ス)」を見た際、黄さんを思い出した。
アメリカ人にとってのリタ・ヘイワ―ス。
黄さんにとっては、山本富士子だったんでしょうね。
日本の美人女優さんが、彼の単調な?(失礼)毎日の中での希望、のような存在だったのかも。
映画を見て憧れたから日本語を勉強し、日本に来ることが出来たのだろうし、そう考えると「あこがれ」の力は大きいですね。
リタ・ヘイワ―スというと、こうやっていまだに山本富士子と台湾を思い出してしまうのです。