北欧へまだ一度も行ったことがない。
いつかそのうち、時間とお金があれば行きたいものだ、と長年思っているが、どうも自分のテリトリー外らしく、なかなか足を踏み入れる機会がない。
スペインの大学へ通っていたころ、スウェーデン人の同級生が何人かいた。
その中には、一緒に旅行をするくらい仲良くなった子もいた。
彼らには田舎っぽいところがあって、私はフランス人やイギリス人より親しみを感じた。
ある日、大学で色々な雑談を学生同士でしていると、睡眠の話になった。
いびきをかくとか、寝相が悪いとか、私たちはそういうたわいもない話をして笑っていた。
すると、スウェーデン人の学生が自宅(つまりスウェーデン)の近所に住む人の話をしてくれた。
クリスティナ(仮名)の自宅の近所に、ある家族が住んでいた。
ある晩、その家族はいつもと同じように就寝した。
深夜になって、その一家の主(男性)は、ベッドからむくりと起き出した。
彼は寝室を出て階下へ降り、台所や居間を徘徊し、家じゅうを徘徊した。
それだけでは飽き足らず、玄関ドアを開けて外へ出た。
その男性は、いわゆる「夢遊病者」だった。
彼はその夜、自宅の近所をふらふらと所在なく歩き回った。
私はこういう人を見たことがないのでよく知らないが、本人は眠っているので、徘徊している意識がないのだという。
クリスティナの自宅周辺では、この男性は「夢遊病者」として知られていたということだ。
たぶん、以前にもふらふらと夜中に起き出し、町中を歩いていたことがあるのだろう。
「ああ、あの人ね」
という感じだったようで、理解あるご近所に恵まれていたといえる。
その男性は、東の空が白んできてから、はっと我に返った。
我に返ってみると、寝たはずのベッドの中ではなく、自宅の外にいるわけで。
彼はパニックになった。
慌てて家に帰り、玄関のドアを開けて家に入ろうとしたが、オートロックで鍵がかかってしまっていた。
「おい、〇〇(妻の名前)、起きてくれ!起きてくれ!!」
と大声で妻の名前を呼ぶも、奥様はぐっすり夢の中。
この時、クリスティナは外が騒がしいので目覚めてしまった。
彼の声で、その夢遊病者の男性が外に出ていることに気づいたという。
とはいえ重大事件でもないし、その男性がふらふら徘徊することはよくある。
家族ではないクリスティナには関係ない。
「近所の奥さんの名前を呼んでいるらしい声がするな、あのおじさんかな」
くらいにしか思わなかったという。
ほとんどのご近所さんが彼の声を聞き、「またか」とベッドの中で思ったことだろう。
そして、誰も気にせずまた眠りについた。
夜がだんだん明けてきて、早朝出勤の人がちらほら道に出てき始めた。
その男性は何とかして自宅に入ろうと、家族を呼ぶ声を張り上げた。
しかし、家族が起床する時間には少々早く、家人は誰も起きてこない。
彼は焦った。
なぜなら、全裸だったからだ。
海外のドラマなどを見ると、パジャマを着ずに寝る人がいるが、欧米人男性で就寝時に全裸になる人は結構いる。
この男性もそうだったようだ。
全裸で大声を張り上げ、玄関のドアを叩いていると、自宅といえどさすがに通行人の目が気になる。
彼は一計を案じた。
自宅から少し離れたところに、ゴミ捨て場があった。
通行人に見られないようにそこへ行き、捨てられていたゴミをあわただしく漁って週刊誌を見つけた。
それを下半身に当て、慌てて自宅へ戻り、また妻の名を呼びながら玄関ドアをたたき続けた。
「彼の悲壮な声を聞いて、だんだん近所の人たちが起きてきたの。私も私の家族も結局目が覚めちゃった」
とクリスティナは続ける。
結局、いつもの時間に起き出した近所の人たちに、その男性は発見された。
クリスティナも彼女の家族も、週刊誌で前を隠したそのかわいそうな男性を目撃するはめになった。
気を利かせた近所の誰かが彼の奥様に電話して、ようやく男性は自宅へ入れることとなった。
やれやれ。
「でも、私の周りにはもう一人夢遊病者の人がいて…」
とクリスティナが続けるので、笑いながら聞いていた私たちは少々驚いた。
私の北欧に対する限られた情報内で考えるに、やっぱり白夜とか、人間の体内時計が狂いそうな気象現象がある地域だから、そういう夢遊病者が発生するんでしょうか?
でも、生まれながらにその地で暮らしていれば、そういう環境に慣れているはずですよね。
他の国では、夢遊病者の話を全然聞かなかったですねえ。
調べると、スウェーデンでは人口の3分の1は何らかの睡眠障害があり、夢遊病は男性に多く見られるとか。
夢遊病が簡単に治るものでなければ、その男性にはパジャマを着て就寝することをお勧めします。
パジャマを着ておけば、あるいは最低でもパンツをはいていれば、次回自宅から締め出されてもとりあえず大丈夫でしょう。
ゴミ捨て場に捨てられた週刊誌も、役に立つものですね。
お騒がせなご近所さんを笑って見守っているスウェーデン人たちの優しさにも、北欧の温かさを感じます。