アメリカの話が連続しているが、今日は別のテーマで記事を書く。
ユーモアは人間関係の潤滑油だ、と言われる。
確かに、切羽詰まった状況で冗談を言えると場の雰囲気を変えることが出来るし、誰かの気持ちを救うことも出来る。
人を笑わせることが出来るのは素晴らしい才能だ。
私がアメリカの大学生だった時、通っていた大学の裏で事故が発生した。
爆発事故だったのだが、幸いにして学内のけが人はなかった。
ある2月の寒い朝。
前夜遅くまで(というか、その日の明け方まで)私は経済学の試験勉強をしていた。
就寝し大爆睡。いつもバイトでくたくたになっていた。
突然、暗闇で目が覚めた。
私は子どものころから、地震の発生する2秒前くらいに目が覚める性質だ。
その時もなぜ目覚めたのか分からず、布団をひっかぶって再度寝なおそうとした。
すると、一瞬部屋がぐにゃりとゆがんだ。
へ?地震?
時計を見ると、まだ朝の4時台だ。
見間違いかと思いながら布団から首を出していると、再度部屋がぐにゃっとなり、元に戻った。
慌てて飛び起き、カーテンを開けると、空がオレンジ色にピカピカ光るのが見えた。
まさか、アメリカ政府はついに核弾頭を発射した?
わけないよね…。(考えすぎ)
しかし、2月の暗くどんよりした灰色の空が、再度オレンジ色にピカピカ光ったのを見て、私は悟った。
何か月か前、アメリカ人の友人たちとドライブに行ったとき、ある州の荒野にミサイルが並べてあったことを思い出した。
あれは仮想敵国へ向けて設置してあるのだと聞いた。
あれだよ…。
私は考えた。
どういう魂胆か知らんが、たった今アメリカは某国へ向けてミサイルを発射した。
ミサイルが先方に命中し、激怒した先方がアメリカへ向けて迎撃ミサイルを撃つまで、もう少し眠れるはずだ。
じゃあ、もう少し寝よう。
当時の大統領の顔が浮かんだが、いかんせん睡魔には勝てない。
布団にもぐると、部屋の外、つまり学生寮の廊下から話し声が聞こえた。
今の地震で、どうやらほかの学生たちが起き出したらしい。
私は「地震ごときでアメリカ人は目が覚めるのか」と思ったが、偵察のために起きることにした。
部屋のドアを開けると、廊下は真っ暗だった。
何人かの女子学生(私は女子寮に住んでいた)が、廊下に出て話をしていた。
情報収集のため、私も部屋から出て皆に合流した。
しばらく廊下にいて他の学生としゃべっていると、どんどん学生たちが部屋から出てくるのが分かった。
そうしていると、フロアの奥から寮監さんがやってきた。
彼女は50代くらいの女性だったが、普段のテキパキしたスーツ姿と異なり、セクシーなネグリジェ姿だった。
「停電してるのよ。みんな、全員いるかどうか確認して。トイレも流せないからね。」
寮監さんは、RA(Resident Assistant)の学生にそう指示すると、停電の発生した原因を確認すべく階下へ降りて行った。
パニックになっている学生もいたし、泣いている学生もいた。
RAが暗闇の中で人数を数え、まだ部屋から出てきていない学生を呼びに行った。
そうしている間に、なぜか男子学生が2人やってきた。
彼らは男子寮に住んでいる学生たちだった。
「爆発事故が起きたから、みんなで避難するよ。いいかい、15分で着替えて、貴重品を持ってここに集合して。僕たちが誘導するから安心して。」
私の階に来た2人組のうち、一人は私の友人の学生だった。
男子寮は爆発現場から最も遠かったのだが、事故の大きさに驚いた男子学生たちが、手分けして女子寮の様子を見に来たらしい。
誘導に来た友人は、のび太君みたいな人懐こい男子だったが、この時ばかりは(当然ながら)頼もしく見えた。
我々は各自の部屋に戻り、避難する支度を15分で整えた。
私は部屋に戻ってジーンズをはき、厚手のジャケットを羽織り、パスポートと財布をカバンに入れ、布団を抱えた。
この時の外気温、マイナス40度。
いったん、女子寮の向かいにある建物の教室に集合したが、消防士がやってきて、「まだ爆発が続いていて、二次災害のおそれがある」と言う。
学生たちは三々五々、スクールバスや軍隊の車両などに乗り(すでに救急車や軍隊が出動していたのだ)、市民センターなどの公共施設へ避難した。
スクールバスを運転していたのが別の友人(学生)だったので、思わず「アメリカってすごいな」と感心してしまった。
非常時には手分けして、自分のできることをやるわけだ。
私は、陸軍の兵器格納庫に収容された。
格納庫といっても、体育館並みの大きさだ。
そこには、爆発現場近くに住む近隣住民も大勢避難していた。
陸軍からドーナツとコーヒーが配られ、私は布団にくるまって冷たい床に転がった。
だだっ広い兵器庫の中に、数本の架設電話が引かれた。(さすが軍隊、やることが早いですね)
実家が近くで帰省できる学生は、家族に迎えに来てもらって帰った。
私は当然、日本へ帰るわけにはいかず、市内に住むアメリカ人の友人に電話し、家に泊まらせてもらうことになった。
その友人宅でテレビを見たり、ほかの友人と電話で話したりして分かったことだが、爆発事故は予想外に大きく、女子寮のほとんどの部屋のガラス窓は爆風で吹き飛ばされていた。
後日、キャンパスに戻って荷物を整理したときに確認したが、窓ガラスが吹き飛ばされなかった部屋はわずか2部屋。
そのうちの一つが私の部屋だった。
他の学生は、寝ていたら、爆風で割れたガラスが自分の上に降り注いだという。
だからみんな、恐怖で泣いていたのです。
その日の夜。
緊急連絡網?で、「〇〇にある教会で、今晩6時から大学の説明がある。来られたら来るように」と聞いた。
そこで友人たちとその説明会に参加すべく、教会へ行った。
事故から約1日近く経って、知っている友人たちに会うのが嬉しかったが、誰しもが「大学はいつから始まるのだろう」と口々に話していた。
その日の昼のテレビのニュースで、大学の裏で発生した大規模な爆発事故が報道された。
学生寮だけでなく、図書館や体育館もガラスが割れ、爆発で吹き飛んだ貨物列車の塊がキャンパス内に降り注いだ。
めちゃくちゃになった無残な大学が映し出されて、不安になるのは当然だ。
私も、本当は今日が経済学の中間試験だったので、それがどうなるんだろうかと気になっていた。
集会には多くの大学関係者が出席した。
壇上に上がったのは、学部長と学生課担当の若い神父さんだった。
私の大学はキリスト教系の大学だったので、学務を担当している神父さんが何名もいたのだ。
はげあがった学部長から、今回の爆発事故の概要と、大学がしばらく休学になることの説明があった。
その後、質疑応答の時間になった。
学生から学部長と学生課に対し、質問が相次いだ。
質問の尽きない学生に対し、大学も学生を満足させる答えを必ず与えられるわけではない。
学生の質問にネガティブな言葉が混じるようになり、その集会の雰囲気はだんだん険悪になっていった。
すると、私の近くにいた同級生の女子学生が挙手をした。
学部長と神父さんは彼女を指名した。
「はい、じゃ、次は君。」
エレン(その学生)は、立ち上がって大きな声で質問をした。
「すみません、教えてほしいんですけど…私はあの女子寮に住んでいました。いつになったら女子寮に入れるでしょうか?生活必需品を取りに行きたいんですけど。例えば、パンツとか?」
パンツ、のくだりで、どっと笑い声が上がった。
険悪だった雰囲気が、一瞬和らいだ。
質問を受けた若い神父さんは、真っ赤になった。
「ぱ、ぱ、パンツ、ですか…せ、生活必需品、の?」
(注:神父さんは女性と結婚できず、一生独身を義務付けられる人生です)
若い女性からパンツの話をされ、あたふたする若い神父さん。(今どき、そんな男性もいるんですね)
耳まで真っ赤になった神父さんを、珍しいものでも見るように、隣に立った学部長が眺めていた。
神父さんは、もごもごと何かを言おうとしているが、顔が赤くなっているのを皆に見られ、ますます緊張してしまった。
それを見て、学部長は助け船を出した。
「皆さん!神に人生をささげた聖職者にとっては、パンツなぞは生活必需品ではないのです…」
するとますます会場が沸いた。
「パンツは生活必需品だ!」
「聖職者にとっても必需品だよ!」
どうでもいいヤジが相次いだ。
その場の雰囲気が一気に和やかになった。
私はこの時のアメリカ人の強さに、なぜか心を打たれた。
大きな災害が起きて避難生活を強いられ、みんながいらいらと神経が高ぶっている時に、面白いことを言える(そして、それに対して面白く返事が出来る)のは、アメリカ人の国民性なんだろうか?
日本でこんなことを言ったら、「真面目に質問しているのに不謹慎だ」「ふざけている」と怒られてしまうだろう。
しかし、このパンツ発言、そして「聖職者にとってパンツは必需品ではない」発言のあと、参加者(学生と保護者、関係者)の雰囲気が一気に良くなり、大学と協力してこの難局を乗り切ろう、という雰囲気になった。
ユーモアのパワーを見た気がした。
海外で災害に遭い避難生活をするというのは、しなくて済むならしない方が良い体験だ。
でも、こういう体験をしたおかげで、アメリカ人の強さを垣間見る機会となった。
日本では、幸いにも避難生活を経験したことがないのだが、非常時のユーモアは、(上手にタイミングよく言えれば)人の心を和らげることが出来るんじゃないかと思っている。