以前の同僚の一人に、日系ブラジル人の女性がいた。
とかくブラジルは治安の悪いイメージが先行し、おまけに日本から遠いこともあり、なかなか行こうと思わない。
しかし、その日系ブラジル人の牧野さん(仮名)の話は大変興味深かった。
「中学生や高校生になると、みんな色気づくよね?(この表現、いかがなものかと思うが…笑)
〇〇君がカッコいいとか、そういう話になるじゃない?
ブラジルは多民族だから、同級生もみんな人種が違っていたよ。
でも、肌の色が違ってもみんなブラジル人だから、いろんな人と付き合ったりふられたり、楽しい学生生活だったなあ!」
牧野さんいわく、同級生は黒人だったり白人だったりアジア系だったり、色々な人種が入り混じっていたという。
昔はブラジルでも日系人に対する偏見や、特定の人種に対する差別があった。
しかし、自分が子ども時代を過ごした地域では、そして彼女くらいの若い世代は、特定の人種に対する偏見が薄いのか、そういう人種差別は少なかったという。
牧野さんも、あこがれの人や実際に付き合った人は日系人ではない。
「人種は、結局どうでもいいのかな。ブラジルって適当だから。」
私も、中学時代の世界地理の授業でブラジルの移民文化について学んだ際、ブラジルでは混血(こういう言い方も適切なのか分かりませんが)が非常に進んでいるので、親子で肌の色や目の色が違うのも普通、と聞いていた。
アメリカも移民の国とされるが、ブラジルほど人種が混じり合っているようには見えない。
日系メキシコ人の友人が、メキシコで自分の現地の友達を紹介してくれた時も、同じだった。
彼女の友人たちはドイツ系、スウェーデン系、日系と多人種だった。
なので、牧野さんの話は誇張ではないと思った。
ある日、仕事の帰りに牧野さんがこぼした。
「いや、今日ほど『ブラジルって適当なんだな』と思ったことはなかった。恥ずかしい」
ん?どうしたの?
そう思って尋ねると、彼女はブラジルのサッカー選手の名前を挙げた。
「私はサッカーにそんなに詳しくないから知らなかったけど、サッカー選手の登録名って、名字なの?」
そりゃ、名字でしょう。
田中とか鈴木とか、名字以外に何を登録するんだ?
新聞にだって、「田中、逆転弾!」みたいに、名字で選手の名前が書かれてるでしょ。
「そうらしいね。いや~普通の国はそうなんだ。勉強になった」
牧野さんは日本に来て日が浅いので、日本語はペラペラだが外国人のような感覚を持っている。
何が普通なのか?
牧野さんによれば、ブラジルのサッカー選手名は下の名前なのだという。
「ホントはさ、田中ヨシオなら田中選手なわけでしょ?でも、ブラジル選手って下の名前で出ているわけよ。ヨシオちゃんとかマサシ君みたいなさ」
さらに厳密に言うと、ブラジルサッカー選手名はヨシオやマサシではない。
ヨシオじゃなくてヨッシーとか、マサシじゃなくてマー君とか、普段自分が呼ばれている愛称で呼ばれているのだそうだ。
日本でも、イチローとか下の名前で登録している野球選手はいるが、それが普通というわけではない。
ましてやイッチとか(?よく分かりませんが)、愛称で登録する選手となると、そんなに多くないだろう。
牧野さんは嘆いた。
「あーあ、欧米とか日本とか、ちゃんとしている国は名字を使うんだね。やっぱりブラジルは適当なんだ」
それはブラジルが寛容だからなのか、それとも愛称優先の文化なのかな?
いずれにしても、他の国と違うとは面白いじゃないの。
この時、私は単純にそう思った。
その後、しばらくして私はブラジルからの留学生と知り合う機会があった。
一人は18歳で、もう一人は26歳。
二人は親せき同士(26歳の方が、18歳の学生の叔父)だった。
18歳の学生の方は、お母さんが日系人で名字は栗原・ダ・シルバ(仮名)といった。
「へえ、お母さんが日系人なんだ。」
確かに、栗原君は目も髪も黒く、日本人らしい顔立ちをしている。
「レイモンドは僕の叔父さんなんだ。」
と栗原君は、26歳の学生を指して言った。
26歳のレイモンド君は、ヨーロッパ人の顔立ちをしていて、髪の毛も金髪がかった茶色。
外見だけ見ると、まったく違う家族のように見える。
レイモンド君の名字は、シルバだった。
私はふと、不思議に思った。
「ダ、って何か意味があるの?」
レイモンド君も栗原君も、不思議そうに私を見た。
「だって、栗原君は栗原・ダ・シルバで、レイモンド君はレイモンド・シルバでしょ。ダが抜けてるよね。同じ家族なのに、少し名字が違うんだね。」
すると、レイモンド君は目を丸くした。
「そういえばそうだ!なんでだろ?」
それを聞いた私もびっくりした。
今まで家族でいて、今ごろ気づいたのか?
レイモンド君は、栗原君と自分の身分証を見比べながら、私の指摘が本当であることを再確認した。
「本当だね。僕と彼は名字が違うぞ。同じ家族なんだけどな。」
栗原君の書類を彼に返しながら、レイモンド君は不思議そうに言った。
「でも、どうせ役所が間違えたんでしょう。ま、いいよ、ブラジルでは良くあることだよ。」
レイモンド君は、最終的には笑いながらそう言った。
「役所が名前を間違えて身分証明書を発行することなんてあるの?」
と私が尋ねると、ブラジル人学生二人は顔を見合わせた。
「よくあるでしょ。ブラジルは適当だから。」
いやいや、栗原君が18年間「ダ・シルバ」という名字で、レイモンド君が26年間「シルバ」を名乗っていて、
誰も違うことに気づかない(市役所すらも)方が、すごくないか?
しかも、栗原君もレイモンド君も、名字が微妙に違うことをあまり気にしていない様子。
ううむ、良く分からん。
役所が発行した書類が間違っていても、本人が気づかない、または気にしないなら、どうしようもない。
それに、役所が発行した書類が間違っていたら、パスポート申請とか問題にならないのだろうか?
色々な疑問がわいてくる。
消化不良の私は、レイモンド君の説明に納得していないように見えたらしい。
(「ブラジルは適当だから」では説明になってないと思うが…)
栗原君は、仕方ないよと言いたげに肩をすくめた。
レイモンド君は「そっか、僕たち名字が違うのか~」と多少衝撃を受けた様子だったが、ややあって気を取り直した。
「ま、いいよ。名字が違うなんて大したことない。名字が違っていても、僕たちは家族だから。」
最終的にはそこなんだろうな。
とても仲良しの栗原君とレイモンド君を見ていると、そこに落ち着くんだろうと予想がついた。
これだけ違う人種が混じり合って家族になっていれば、名字で混乱することもあるのかもしれない。
市役所だってこんなに移民が多ければ、全世界の名字をいちいち厳密に確認している余裕がないんだろう。
今までレイモンド君が26年間、栗原君が18年間、何事もなく生活できていることから、名字の間違い?はブラジルで生活するにはさほど大きな問題ではないことが伺える。
牧野さんが言っていた『ブラジルは適当だから』も、相手を受け入れるという寛容さを発揮できる社会である、と思えば、良い意味での適当なのかもしれない。
だから家族についている名字はあまり重要ではなく、個人についた愛称の方が優先されるんだろうな。
それで社会が問題なく回ってるなら、そして本人たちも「ま、いいや」と思えるなら、そのくらい適当でもいいのかも。