南部アフリカにあるジンバブエ。
何が有名かというと、ジンバブエにはいくつか知られたものがある。
グレートジンバブエ遺跡という、11世紀(!)に造られた石造りの建造物(現在は世界遺産)がある。
国名の由来は、この遺跡から来ている。
ジンバブエは音楽の国とも呼ばれている。
コンゴ民主共和国(旧ザイール)と並び、音楽好きの多い国民性で知られている。
カリンバ(日本では親指ピアノと呼ぶ人もいる)という楽器も有名だ。
木の台に、長短の鉄の棒がくっついている。
棒の先は平たくなっていて、それを指先ではじいて演奏するのだ。
もともとジンバブエは英領。
イギリスの植民地になった国には、たいてい線路が建設されていた。
黒人たちは線路に鉄の細い棒を置いておく。
列車がその棒の上を通ると、鉄の棒がつぶされて平たくなる。
その、先が平たくなった棒を木の台に取り付け、楽器として演奏したのが始まりだ。
しかし、カリンバやグレートジンバブエ遺跡をしのぎ、ジンバブエを世界的に有名にしたものがある。
それは、インフレだ。
しかも、ただのインフレではなくハイパーインフレだ。
ある一定の年齢以上の人は記憶にあるやもしれないが、ジンバブエ(及びザンビア)の旧称はローデシア。
イギリスのダイヤモンド王、セシル・ローズから付けられた国名だった。
英領が次々に独立を果たしていく中、最後までイギリスが手放そうとしなかった地域だ。
南アフリカに在勤していた時、ジンバブエに出張へ行くことになった。
行く先はジンバブエの首都、ハラレ。
南ア人の大家さんに「ハラレに出張へ行くので、しばらく留守にします」と告げておいた。
ハラレ出張から戻り、しばらくして、たまたま大家さんに会う機会があった。
色々世間話をしていて、ふと、大家さんがこう言った。
「あ、そうそう。君はソールスベリ―に行ったんだよね。どうだった?」
ソールスベリ―?
なんだそりゃ?
いかにもイギリス臭い地名に、まったく心当たりがない。
そんなとこ、行ったっけ私?
イギリスっぽいが、イギリスに最近渡航した記憶はないなあ。
私は彼に尋ねた。
「ソールスベリ―って、どこですか?」
大家さんは不思議そうな顔をしていた。
「あれ?行くって言ってなかったっけ?」
話がかみ合わないので、しばらく私も頭の中に?が渦巻いていた。
すると、しばらく考えていた大家さんがパッと明るい顔になった。
「あ!そうか、今はソールスベリ―って名前じゃないや!ハラレ、だっけ?」
そこで私もようやく気付いた。
大家さんは、ジンバブエが独立する前の地名で覚えているのか。なるほど…。
そんな人もいるくらいなのだから、ジンバブエが英領だったのは、そんなに遠い歴史の中の出来事ではない。
本題に戻る。
良く覚えていないが、9垓(がい)%とか、そんな数字だった。
垓とは、10の20乗。
つまり、9垓%とは、900,000,000,000,000,000,000%ということになる。
日本で生活していたら、百、千、万、億くらいしか使わないが、ジンバブエに行って初めて「垓」という単位が実際に使われる場面を目撃することになった。
ヨハネスブルグからハラレに到着したのは、お昼くらいだった。
仕事先の方が、「せっかくハラレに来たのだから、まずは食事でもご一緒にいかがですか?」
と言ってくれ、レストランへ連れて行って下さった。
「こちらが本日のメニューです」
とウェイターに紙のメニューを渡された。
開いてみる。
青い字で、『本日のメニュー』と記載があり、600万ドル(!)と書いてある。
ん?なんだこれ?
驚いた私は二度見した。思わず眠気も吹っ飛ぶ。
この金額、記載ミス?じゃないよね。
600万ドル、ですって?!
これほどたくさんのゼロがついた金額なんて、めったに見ない。
私はゼロを数えてみた。
もしや6,000万ドル?(すみません、600万ドルじゃなかったかも。6,000万?6億?)
日本円だと600円?いや、一体いくらなんだ…。(大混乱)
あ、そうか。これが噂の「ハイパーインフレ」か!(どきどき)
ランチがいくらか分からず、急に不安に襲われる。
(高くないとは思うが)まさか、どえらい高級な店だと困るな…。
仕事先の方に、こっそり「これ、高いんですか?」と聞くと、向こうは笑う。
「びっくりしますよね。大丈夫、値段は驚きですけど、ジンバブエドルですから」
そう承知していても、ホントに心臓に悪い。
支払う段になって分かったが、それほど高い店ではなかった。やれやれ。
その日の仕事が終わってから先方に車を出していただき、ハラレ市内の両替屋を回った。
南アランドをジンバブエドルに換金するためだが、さほど長い出張ではない。
食事代やお土産代など、こまごましたお金が欲しいだけなので、日本円にして2、3千円で十分だな。
そう思い、3千円くらいの南アランドを両替店に渡した。
見ていると、両替店のお姉さんは、どえらく分厚い札束をいくつも準備している。
まさか、あれ全部私の両替したお金じゃないよね…。
窓口のお姉さんとお兄さんは、手分けして札束の山をいくつもテーブルの上に積んだ。
再度計算をして確認をしている。
そして、私に向かってうなずきながら、ランドから両替したジンバブエドルが正しいか、確認するよう手振りで示した。
すごすぎる。
山積みの札束に、私は圧倒された。
確認すると両替レート通りだったので、それを受け取るしかない。
まさかこんなに札束が山のように積まれるとは想定していなかったので、持参したカバンには札束が入りきらなくなった。
同行してくれた仕事先の人が、持っていたスーパーのビニール袋を貸してくれた。
スーパーのビニール袋に慌てて詰め込む札束の山…。
なんだか、銀行強盗になった気分だ。
これが日本円、いや米ドルだったら!!!
自分のカバン、そしてスーパーのビニール袋に詰めても、まだはみ出すくらい札束があった。
カバンから札束がはみ出しているのは、さすがに泥棒のいいカモだろう。
札束を落とさないようにして、急いで車に戻る。
こんなに裕福な気分を味わったのは、人生初だ。
ジンバブエ出張も悪くないかも。
安全な車中に座り、ようやく人心地がついた。
車中でもう一度札束たちを確認する。
すると、ジンバブエドルもあるものの、ほとんどが裏の真っ白な兌換券だった。
う!なんだかだまされた気分。
(いいえ、だまされたわけではなく、政府にジンバブエドルを印刷するキャパがないためです。国内では兌換券で問題なく支払いが出来るのです。でも、裏が真っ白だと安っぽいお金に見えますよね)
兌換券といえど、ジンバブエでは立派に通用するお金。
しかし、買い物にはえらい不便、というか大変でした。
この大量の札束を持参して店に支払うのですが、持ち歩くのは重いし、数えるのは面倒。
金持ち気分はすぐに吹き飛び、お金があり過ぎるのもどうだかな、という気分になってきた。
最後に、お土産屋さんでかなり買い物をしてみたのだが、どうしてもジンバブエドルが大量に余った。
同行してくれた仕事先の方が見かねて、
「じゃあ、僕が引き取りますよ。」
と親切に申し出て下さり、私は米ドルとジンバブエドルを交換してもらった。
これでやっと膨大な札束から解放された。
その後、ジンバブエには行っていない。
長年独裁を続けてきたムガベ大統領が2017年に去り、新しいジンバブエ政府になってだいぶ良くなったのか気になるところだ。
我が家の大家さんは、その後も「ソールスベリ―」の話をたまに私にふっかけてきた。
彼の持論は、アフリカでは南アが一番ちゃんとした国だ、というもの。
「ほら、見てごらん。ジンバブエはまともに機能していないじゃないか!やはり白人が政治や経済を回さないと、黒人だけだと汚職まみれになるんだよ!」
大家さんはイギリス系の白人。
ジンバブエは独立にあたり、白人を全員国外追放した。
南アフリカは、初代大統領ネルソン・マンデラ氏が「白人も黒人も手を取り合って、新生南アフリカを築いていこう」と呼びかけた。
大家さんは、
「だから南アはジンバブエよりマシなんだ!マンデラは偉大な男だ!」
といつも言う。
彼の持論に常々閉口していたが、ハラレ出張をしてみると、経済的に安定している南アの方が超ハイパーインフレがなくて、確かに楽でしたね。