インドネシアのタクシーについて、多くの記事を書いてきた。
運転手さんたちと話をするのが楽しかったし、彼らからいろいろな話を聞くこともあった。
もちろん、中には全然話がはずまない相手もいましたが。
なぜこんなにタクシー運転手の思い出が多いのかと今になって振り返ると、やはりインドネシア人はおしゃべりで人好きだからなんだろうと思う。
ある日、仕事が終わってから、私は職場近くのスーパーで買い物をした。
野菜や牛乳など必要品を買い、スーパーを出た。
結構荷物が多かったので、タクシーで帰ることにした。
読者の皆さんは『よくタクシーを使ってるなあ』と思うかもしれませんが、インドネシアはガソリン代の公的補助があり、日本などに比べるとタクシー代が比較的安価と思います。
夜間で近距離を乗ろうとすると、タクシー運転手から
「行ってあげるが、最低でも15,000ルピアは支払ってほしい」
と言われることもある。
(15,000ルピアは現在のレートで113円)。
荷物が多かったり、大雨が降っていたり、深夜近くだったりしたら、やはりタクシーの方がいいのかな。
バス路線がない地域もあるし。
家の前までつけてくれるタクシーは大変ありがたかったです。
その日は職場近くのスーパーで買い物を済ませて、結構な量の食材を購入した。
出張が立て込むと、土日も忙しくて買い物をする暇がなかったりして、帰宅すると食べ物がない!なんてこともよくあった。
我が家は、他の日本人会社員のようにインドネシア人家政婦を雇っていなかった。
時間のある時に食材を買いだめし、自炊していました。
大きなスーパーの袋をいくつも抱え、タクシー乗り場に立っていると、しばらくしてからブルーバードタクシーがやってきた。
やれやれ。
私はタクシーの後部座席にスーパーの袋と一緒に乗り込み、あーあ、今日も疲れた、とため息をついた。
タクシーは出発した。
職場の前の通りはいくつか車線があるのだが、Uターンできる車線とそうでない車線がある。
ショッピングモールを出ると、すぐにその車線の分かれ目がある。
良く見ていないとうっかりUターン不可の車線に入ってしまうのだが、私も慣れるまでに何度も「うっかり」をやってしまっていた。
Uターン不可の車線に入ってしまうと、大回りして大通りを通り、また違うショッピングモールまで回ってから、ぐるりと同じモールに回ってくる、という、かなりの時間ロスをしなければならなくなる。
なので、Uターン可能な車線にうまく入り込むのが必要なのだが、夕方となるとモール周辺は大混雑している。
うかうかしている間に、「うっかり」Uターン不可車線に入ってしまうこともしばしばあった。
タクシー運転手でも、私のアパート名を聞いてUターン車線をちゃんと選んでくれる人もいれば、Uターン出来ない車線があることを知らない人もいる。
なので、モールを出て通りに出る際、
「右ね」とか、
「Uターンするから、こっちの右車線に入って」
とか、こちらが指示を出さないと、タクシー運転手も「うっかり」左車線に入ってしまう。
その晩も、道路は大混雑していた。
ジャカルタの大渋滞は一体いつになったら解消されるのだろう?
私は暗くなった道に目を凝らした。
タクシーや自家用車が道にうじゃうじゃひしめいている。
右に入らねば…。
「あ」
と思った瞬間、私の乗ったタクシーは左車線に押し込まれていた。
あ…。(万事休す)
私が小声で「あ…」とがっかり感満載で言ったので、タクシー運転手は驚いたようだった。
どうやら、運転手は左車線はUターンできないことを知らなさそうだったので、私は説明した。
「Uターンしてほしかったんだけどねえ。こっち、Uターン出来ないんだよ。」
我々の前にいる車列は、すべて左の方へ向かっていく。
私のアパートへ行くには、右方面へUターンする必要があった。
ま、仕方ない。
私はため息をついて、バックシートにもたれかかった。
遠回りと言っても、車なので数分、大回りをするくらいだ。
ここでイライラしても仕方ない。
「ごめんなさい」
タクシー運転手は小さな声で謝った。
私は、ん?と顔を挙げた。
「スミマセン」
そう言われて、私はミラーの中の運転手の顔を見た。
運転手が言ったのは、日本語だった。
よく見ると、運転手は女性だった。
インドネシアでタクシー運転手が女性とは、結構珍しい。
大都会ジャカルタでも、だ。
へえ、女性運転手か。
珍しいなあ。
それに、どうして日本語で謝るの?
あ、よくありがちな、「カタコトだけ日本語が出来る」人なのかな…。
私は彼女の横顔を見ながら、そう思った。
「日本語、分かるんですね?」
そう私が言うと、彼女は微笑んだ。
そして、「どうして自分は日本語を話すか」という話を始めた。
子どもの頃からずっと、日本に憧れていた。
高校生になり、高校で日本語の授業を履修した。
自分はなかなか日本語の成績が優秀だったので、いつか日本に行けると信じていた。
一緒に履修していた同級生たちは、よく言っていた。
「あなたは日本語が上手だし、そんなに日本が好きなら、いつかきっと日本へ行けるよ!」と。
その女性運転手は、そんな自分の若いころの夢を淡々と話してくれた。
「でも、日本へ行く夢はかないませんでした。」
一度でいいから日本へ行ってみたい。
そう思ったが、日本へ留学したり、日本企業に就職したりする機会には巡り合うことはなかった。
ほとんどのインドネシア人の若者にとって、日本のような国へ留学するなどは夢のまた夢。
自分の両親も、自分を留学させるお金はなかった。
若い時の自分の夢は破れ、今はこうして働いているのです。
彼女はそう言って、静かに話をしめくくった。
なるほど…。
私は、タクシーの車窓から明るく輝く月を見ながら、こういう人生もあるのだ、と思った。
話し終えた彼女は、自分の人生に不満をもらす感じでもなかった。
若い時の夢は終わり、自分はこうやって人生を続けている。
夢と現実の折り合いをつけ、大人になったということなんだろう。
たまたま乗せた日本人客を見て、少し日本語を話してみよう、と思ったのかもしれない。
私も、彼女に対して「頑張ってね」なんて言えるほど、大した人生を送っているわけでもない。
誰しも理想と現実で折り合いをつけながら生きているものだ。
Uターン出来ない車線に入ってしまったがために、こんな身の上話を聞くことができた。
自宅へ到着し、タクシー料金を支払った。
彼女は、運転席から私を振り返って笑顔になった。
「ありがとうございました。」(これも日本語だった)
彼女の笑顔に刻まれたしわを見て、私はなんだか心が温かく感じた。
人生は簡単ではない。
でも、一緒に頑張りましょう。