英語はグローバル語だとかいう。
グローバル語ってどういう意味なのかというと、「世界中の誰でも理解できる」言語ということなんだろう。
「読み書きが簡単だ」ということがグローバル言語の要件の一つなんだろうが、「世界中の誰でも」理解する言語、になるのは並大抵ではない。
グローバルになる条件として、「変化を受け入れる」ということが挙げられる。
つまり、「これが正式な発音」「これが正式なしゃべり方」ということに固執している言語は、グローバル語になれないということだ。
英語は、それを乗り越えたらしい。
世界には、カナダの英語、シンガポールの英語、ナイジェリアの英語、南アフリカの英語など、様々な「英語」が存在する。
イギリスの英語が正しくて、パキスタンの英語が間違っている、ということはない。
そう聞くと、私も『やれやれ、自分の英語も通じればまあいいかな』と少し気が楽になりそうなのだが、実際はそうでもないような気がする。
なんでかというと、やはり自分が慣れていない「英語」は、良く分からないからである。
正しいか正しくないか、ではなく、慣れているか慣れていないか、が問題なのである。
インドネシアにいたときに、職場での共通言語は英語となっていた。
日本人がインドネシア語が分からないから、というだけの理由だ。
しかし、インドネシア人も英語ネイティブではない。
職場に、カナダだかイギリスだかに留学された経験をお持ちの、とても発音がきれいな日本人スタッフがいた。
その山口さん(仮名)の発音を聞くと、『うわあ、私のジャパニーズイングリッシュは恥ずかしくて話せんわい』と思ってしまうのだが、意外にもインドネシア人の反応は薄かった。
彼女の発音がネイティブ過ぎて、インドネシア人にはまったく理解できないのだ。
他の同僚たちがよく言っていた。
「山口さんの発音はきれいすぎて、冗談を言ってもインドネシア人スタッフはすぐに理解できず、誰も笑ってなかったね。」
「発音がきれいすぎると、かえって通じないもんなんだろうか?」
欧米の英語に慣れていない多くのインドネシア人にとっては、そうかもしれない。
以前、上司が言っていたが、
「留学経験者は得てして流ちょうな英語をしゃべってしまう。
でも、それじゃあアジアやアフリカの人には、通じないんだよねえ。
相手がネイティブでない、ということを念頭に、『はっきり、大きく発音』するしかないんだろうね。
それから、受験英語みたいな難しい文法も、インドネシア人は全く理解できないから避けた方がいいよ。」
ホント、彼の言う通りだった。
相手がネイティブスピーカーでないと、また違った苦労があるのだということを発見した。
それが前述の、発音がめちゃくちゃきれいな同僚、山口さんの例だ。
インドネシア人も苦労しているようだが、我々日本人だって英語には苦労する。
インドネシア語の出来ない日本人(私&同僚たち)は、インドネシア人スタッフが通訳(インドネシア語⇔英語)をしてくれないと仕事にならない。
しかし、安月給で働いてくれる、英語のできるインドネシア人はなかなか見つからない。
しかし!
四苦八苦する私たちの前に、待望のインドネシア人スタッフがとうとう着任したのです!
厳密に言うと、同じ事務所内の違う部署で働いていたインドネシア人スタッフが、異動で私たちの部署に来ただけなんですが。
それでも、英語のできる現地人スタッフがいるのといないのとでは大違い。
私の部署は急に活気づいたのです。
彼の名前は、エカさん(仮名)と言った。
聞くところによると、彼はインドの大学院卒だそうで。
インドに住んでいたなら、当然ながら普通のインドネシア人より英語が分かる。
おお!英語がよく分かっていないインドネシア人スタッフが多い中、これは相当心強いぞ。
今まで停滞していた?業務が一気に進みそうで、私はワクワクした。
あれもこれもお願いしよう。
私の離任前に、この作業も出来るようになってほしいから、懇切丁寧に教えなくちゃ。
私はエカさんに教える項目を洗い出し、まずやってほしい作業を考え、説明資料を準備した。
「エカさん!ちょっといいですか?」
部署にやってきたエカさんが落ち着いたのを見計らって、私は彼に声をかけた。
エカさんはさすが中堅どころだけあって、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
うん、いい感じ、いい感じ。
これからいろいろ教えるからよろしくね。
私はエカさんに仕事を説明したい旨を伝え、彼の空き時間に説明をすることになった。
「エカさんにまず頼みたい作業なんだけど。今後はこれを担当してもらいたいんだよね。」
私は資料を見せながら、エカさんに作業内容を説明した。
まずは担当してもらいたい内容を大まかに話し、それにかかる一年間の作業工程を説明。
その作業開始にあたり、協議すべき点や留意すべき点があるが、詳細は後で説明する。
最初に流れをざっと理解してもらったら、エカさんが主担当となって一緒に作業をやってみましょう。
「細かいところはさておき、これがざっとした流れかな。資料はこれを見てね。」
私は言葉を切った。
最初から細かく説明してしまうと、わけが分からなくなる。
大枠をまずはつかんでもらい、一緒に作業をしながら細かい点を説明していくつもりだった。
エカさんを見ると、彼はぽかんとしていた。
む?どうしたの?
私はエカさんの顔をまじまじと見た。
彼は、目の前に空白を見つけたような顔をしていた。
あれ?私、何か、間違った説明をしただろうか?
それとも、契約とか入札とか、経理がらみの作業って、エカさんは苦手なのかしら?
前の部署では、彼は何をやっていたんだっけ…結構なポジションを任されていた記憶があるんだが。
私の頭の中では、エカさんのぽかんとした表情と、彼の中堅どころとしてのキャリアが結びつかなかった。
新入社員じゃあるまいし、どうしたんだろう?
前の部署ではこんな作業はやったことがなかったのかな?
ついに、私は気になって聞いてみた。
「エカさん、大丈夫?説明が分かりにくかったかな?契約締結って、最初は良く分からないよね。」
エカさんの目に、だんだん生気が戻ってきた。
おとなしいエカさんは、一呼吸おいて言った。
「いいえ、あの…今は分かります。」
今は?
エカさんはおずおずと言った。
「あのお…。あなたの英語がインド英語じゃなかったので、すぐに理解できませんでした。」
はあ?インド英語?
私は目をぱちくりさせた。
エカさんはゆっくりと話し始めた。
あなた(つまり私だ)の話す英語がアメリカ英語なので、理解するのに時間がかかった。
慣れたら、多分何とかなると思う。
しかし、できればインド英語を話してもらえると非常に助かる。
そうしたら、かなり早く仕事にかかれるはずだ。
先ほどまでエカさんの理解力に対して私が抱いていた不安な気持ちは、消えた。
業務内容が分からないのではないらしい。
彼が理解に時間がかかる理由は、私のアメリカ英語のせいだという。(発音は日本英語だが)
私は鼻から息を吐いて、大きく椅子にもたれかかった。
むむむ…そっちかい。
そんな伏兵がいたとは。
この日、私は何だか急に自信を失った気がした。
山口さんの流ちょうな英語は、インドネシア人にはハードルが高い。
しかし、私の発音は悪いからインドネシア人には通じるだろう、なんて思っていた。
(おかしな自信ですが)
よく考えてみれば、インド英語なんて私に話せるわけがない。
エカさんにアメリカ英語に慣れてもらう方が手っ取り早いんじゃないですか?
その日以降、私はエカさん及びほかのインドネシア人スタッフと話すときは、より一層シンプルな文章を用い、誰でも分かる単語で言い換えるよう心掛けた。
大学や大学院で学んだビッグワードは厳禁で、中学生レベル英語で仕事のすべてを説明するようにした。
(中学英語さえ使いこなせれば、英語で仕事が出来るんだと思います)
その後、私の話す英語に慣れてきたエカさんの反応は、目立って早くなった。
やはりお互いに慣れの問題か…。
数週間後、たまたまだが、インド政府が作成した環境保護の啓発ビデオを、日本人同僚2人と視聴する機会を得た。
ナレーションが非常に聞き取りにくい。
これがインド英語か…。
「これがインド英語なんですね。」
と私が言うと、同僚2人は、本当に偶然だが、どちらもインド在住経験があった!
「いやあ、これはまだ理解しやすい方ですよ~」
「もっと強烈な、何言ってるか分かんない英語を話すインド人の方が多いですよお!」
2人は口々に、インド英語はいかにわけがわからないかを言い立てた。
うん、なんとなく想像つく。
インドに赴任したら、私は相当苦労するだろう。
英語が通じるアメリカが懐かしい…。