トルコ旅行へ行った帰り。
イスタンブールから東京への帰路便が問題だった。
往路はともかく、帰路は早く帰りたいものだ。
しかし、その時はウズベキスタン経由だった。
イスタンブールからタシケントへ飛び、そこから東京へという経路だった。
安い航空券を買うと、たいてい意に染まない場所?を経由するはめになるものだ。
イスタンブールを出発し、タシケントに到着すると辺りは真っ暗だった。
乗り換えは思ったほど楽ではなく、いちいちウズベキスタンに入国する羽目になった。
しかも、真冬でとても寒いのに、空港の建物の外へ歩いて出なければならなかった。
うう…私は寒さにはめっぽう弱い。
暗いのも嫌いだ。
ああ…途上国気分がいやでも盛り上がる。
国際空港だというのに?ウズベキスタン人空港職員はものすごく無愛想だった。
建物は昔のロシアみたくゴージャスかつ重厚なのだが、いかんせんソフト面がアウトだ。
ぶっきらぼうな税関職員や、ニコリともしないこわもてのおばさん職員。目つきが怖すぎる女性職員。
パスポートを提出しても待たされる。
私は何か悪いことをしたんだろうか?
長らく待たされた挙句、ようやくイミグレを済ませることができた。やれやれ。
とにかく寒いので、トイレが近くなる。
東京行きの便が出るまでかなりの時間があり、時間を持て余し気味なのでトイレに行く。
空港のトイレはなかなかのものだった。
昔、「社会主義国のトイレは悲惨だ」と聞いたことがある。
今はないが中国のニイハオトイレとか、とにかくトイレにはその国の文化レベルが表れるものだ。
でも、まさか21世紀の今、そんなすごいトイレはもう絶滅しただろう。
そう思っていたら、久々に大当たりでした。
用を済ませてトイレットペーパーを探すと。
ん?なんだこりゃ?
段ボール箱に使用されるような茶色い厚手の紙が、トイレの個室内に設置されていた。
不思議に思って引き出してみる。
これ段ボール?
いや、違う。
違うが、限りなく段ボール紙に近い。
これがトイレットペーパーか?
いや、これがトイレットペーパーだ!
さすがに段ボールと同じ厚さではないが、お尻を拭くには厚手過ぎて固すぎる。
ウズベキスタン人はこれでお尻を拭くのか。
相当頑丈なお尻の持ち主じゃないと、お尻が切れそうだな。
私はその厚手の紙でできた自称「トイレットペーパー」を二度見した。
久しぶりの感動というか、さすが旧ソ連の構成国だけある。
インドですら、安手だが一応トイレットペーパーだったぞ。
トイレから出て、お土産店を見る。
ウズベキスタンらしいお土産が見当たらないので、マトリョーシカを買う。
これってロシアのお土産だと思うけど、ま、いっか。
やっと東京行きの飛行機に乗る搭乗時間だ。
やれやれ。
ウズベキスタンはまた別の機会に観光に来るとしよう。
東京行きの飛行機に乗ったら、機内が暖かいのでようやく人心地がついた。
やっぱり寒いのは苦手だなあ。
自分の国へ帰れる瞬間が、一番リラックスできますね。
ようやく日本へ帰れるとなると、私は機内ですっかりくつろいだ。
機内食ももりもり食べ、お茶やお酒もいただいて、大満足。
すると、CAさんが機内を回って税関への申告書を配布し始めた。
その紙を受け取って、ボールペンをカバンから取り出し、私は記入し始めた。
すると、隣の席の女性が話しかけてきた。
どうやらその紙の記入方法が良く分からないらしかった。
話しかけられて初めて、隣の女性がかなり若いことに私は気づいた。
イスラム教徒の女性がかぶるベールで深く頭と顔を覆っていたので、ぱっと見ただけでは年齢が分からなかったのだ。
彼女は、小さな声で片言の英語を話した。
「すみません、ここには何を書けばいいんですか?」
あ、英語が分かるんだ。
私は彼女が書いている紙をのぞきこんだ。
名前や生年月日はすでに書いてあった。
日本での滞在先を書きあぐねている様子だった。
「ここは、日本での滞在先を書くんです。ホテル名でいいんですよ。」
すると、彼女は小さなメモ帳を取り出した。
「日本の住所って、これでいいんですよね?」
見ると、その手帳にはホテル名ではなく、千葉県の行徳あたりの住所が書かれてあった。
日本の住所表記は、県、市、区、町という順番だが、海外ではその逆だ。
なので、彼女は書き方が分からず困っていたようだった。
私は記入方法を教え、彼女は私の言う通りに記載した。
日本での滞在先がホテルじゃないということは、知り合いがいるわけか。
そう思っていると、彼女は記入が終わって安心したのか、笑顔を見せた。
「私、これから日本に住むんですよ。」
ふうん。親戚でも頼って日本へ行くのかな?
すると彼女は首を振った。
「いいえ、私の夫が日本で働いているんです。」
え?
私はちょっと驚いた。
彼女の生年月日をちらっと見たら、まだ10代後半だったからだ。
もう結婚しているのか。
このあたりは個人的なことだし、聞かないことにした。
カタコトとはいえ、英語がこれだけ話せれば日本でもなんとか生活できるだろう。
しかし、イスラム教徒が日本に住むのは至難の業なんじゃない?
それが私は気になっていた。
彼女はニコニコして言った。
「いえ、大丈夫です。
行徳とか妙典のあたり、ウズベキスタン人が結構いるんです。
ハラルフードの店もあります。小さいけどイスラムタウンです。
イスラム教徒がたくさんいるので、安心して生活できます。」
そうなのか。知らなかった。
そういやあ、以前一緒に仕事をしたことのあるマレーシア人通訳さんは、妙典に住んでいたなあ。
私はあまり詳しくないのだが、最近は外国人住民が日本にも増えてきているので、そういう人が多く住む町があるとか聞く。
一番有名なのは新大久保のコリアンタウンだが、高田馬場にはミャンマー料理店が多いとか、インド人は葛西や横浜に多いとか。
池袋は中国人が多いなんて話も聞く。
そうか、イスラムタウンなんだ、千葉県のそのあたりって。
イスラム教徒が好きじゃない日本人も多いだろうし、イスラム教徒同士で固まって住むのが安心なのかもしれない。
ハラルフードの店があるなら確かに心強い。
どうやら彼女は以前にも一度、千葉県を訪問したことがあったような口ぶりだった。
行ったことのない国へ移住するのは不安だが、すでに知っている町なら安心だろうなあ。
東京に到着するまでの間、彼女と私は簡単な英語で会話を楽しんだ。
話をしてみると、若いながら、かなりしっかりしている女性であることが分かった。
旦那さんがいるとはいえ、よく思い切って日本に住むことを決めたなあ。
彼女はこれから自分が体験する日本での生活を、とても楽しみにしているらしかった。
話をしているうちに、タシケント空港での超ぶっきらぼうな空港職員たちを思い出した。
彼らに比べると、彼女の英語の方がもしかして上手かもしれない。
そのうち、そのイスラムタウンとやらを訪問してみたい、と思いつつ、いまだに行っていない。
特に用事がない、というのもある。
東京に近いが千葉県なので、家賃や物価が安いんだろうな。
ニューヨークなんかは〇〇タウンがたくさんあって、そういうエスニックタウン巡りは楽しかった。
日本もそのうち、そうなるのかなあ。