オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ハビビ氏

 

最近、新しい地図を買った。

今まで、高校時代に使っていた古い(古すぎる?)地図帳を愛用していた。

 

地図は変わるものだ。

国が独立したり、国名が変わったり、火山の噴火で新しい島が出来たりする。

早く新しい地図を買いたいなと思いながら、ズルズルと古い地図を使い続けてきた。

 

ニュースで知らない地名を聞くと、それを地図で調べるのが好きだ。

最近はネットで調べる人が多いと思うが、私はアナログな地図を広げるのが大好きだ。

地図の中に入り、砂漠へ行ったり海岸を歩いたりしている(ただのおかしい人か?)。

 

未だに位置関係が良く分からないタジキスタントルクメニスタンとかあのあたり。

アゼルバイジャンアルメニアジョージアのあたりも分かっていない。

ようやく新しい地図を買ったので、暇さえあれば地図を見ている。

私にとって、地図とは飽きもしないおもちゃのようなものだ。

無人島に1つ持っていくなら辞典と地図だな。(あ、2つ…)

 

そして気づいたこと。

アゼルバイジャンの南にイランがあるのだが、イラン西部に「西アゼルバイジャン」、そしてその隣に「東アゼルバイジャン」という地域がある。

アゼルバイジャンという名前がついているが、イラン国内にある。

謎だ。何か歴史的意味があるんだろう。

 

こんなことを発見して、どうしてなのか考えたり調べたりするのが好きだ。

アゼルバイジャンについては、以前アゼルバイジャンの方から頂いたワインがおいしかったので、ブドウが取れるのかな?くらいの知識しかない。

コロナでなかなか海外に行けないが、地図を見ていると楽しく過ごせる。

 

インドネシアの第3代大統領に、ハビビ氏という方がいる。

この方は、私がインドネシアに滞在中に亡くなった。

なぜハビビ氏のことを思い出しているのか説明したい。

 

ハビビ氏は、航空工学を学ぶためにドイツへ留学した。

博士号取得後は航空機のエンジニアとなり、独メッサーシュミット社の副社長を務めていた。

その後、政治家となり、大統領になった。

 

写真を見る限り、ハビビ氏はインドネシア人らしい、丸顔で愛嬌のある顔をしている。

ハビビ氏は奥様と大恋愛の末に結ばれ、その夫婦愛は「ハビビとアイヌン」という映画にもなった。

アイヌンは、女性にも男性にも使われるインドネシア名です)

 

ハビビ氏が亡くなった時、もちろん私は彼の名前を知っていた。

「へえ、そうか、亡くなったのか」

くらいにしか思わなかった。

名前を知っている程度の外国の大統領、というくらいの知識しかなかったからだ。

 

政治家が亡くなると、決まってその人のやった仕事、功罪に焦点が当たる。

ハビビ氏の場合は、東ティモールだった。

読者の皆さんもご存じの通り、東ティモールインドネシアの一部だった。

国際法上はポルトガルから独立したことになっていますが)

 

東ティモールは、インドネシアの東ヌサテンガラ州にあるティモール島の東半分及び島西部の一部だ。

(分かりにくい文章ですみません。つまりティモール島の東半分を占めているのが東ティモールです)

同じ島の西側に、東ティモールの飛び地があるのも歴史的理由があるわけです。

 

ハビビ氏が亡くなった時、多くのインドネシア人は偉大な大統領の死を悼んだ。

同時に、何人かのインドネシア人は私にこう言った。

「ハビビが東ティモールを独立させちゃったようなもんだよねえ。」

住民投票を認めなければ、独立されないで済んだはずなのにさ。」

 

彼らの言い分はこうだ。

東ティモール住民は、長らくインドネシアから独立したがっていた。

帰属をどうするのか、東ティモール住民にレファレンダムを認めたのがハビビ氏だ。

自分たちの手で、自分たちの未来を決められるとなれば、当然、独立する方へ投票するに決まっている。

なので、そもそも東ティモール住民投票を認可しなければよかったのだ。

 

どこかの地域が独立国家になろうとすると、反対する国が現れるのが一般的だ。

東ティモール国際連合に加盟しようとしたとき、インドネシアは反対した。

同様に、南スーダンが加盟するときはスーダンが反対した。

 

多くのインドネシア人は言う。

初代大統領から歴代大統領が維持し受け継いできた領土を、ハビビは減らしてしまった。

偉大な大統領かもしれないが、東ティモールだけは失敗だったな。

 

以前はスマトラ島北部のアチェ州も独立運動が盛んだった。

アチェは、インドネシアの中でも特にイスラム教の戒律が厳しい地域だ。

世俗的なインドネシアと距離を置き、自分たちはイスラム教にのっとった社会を建設したいと、独立を希望していた。

近年ではアチェは特別自治が認められたので、独立運動は下火になったらしい。

 

今、インドネシア国内で独立運動がさかんなのは、東のパプア地域だ。

地図を見ると、ニューギニア島の西半分がインドネシアの領土、パプア州及び西パプア州となっている。

東半分は独立国家、パプアニューギニアだ。

島の半分が〇〇というパターン、多いですね…。

 

パプア地域は、1940年代にインドネシアが独立する際、インドネシアの一部として組み入れられた。

住民の大多数がキリスト教徒で、文化的にもお隣のパプアニューギニアと同じだ。

(どうしてパプア西部だけがインドネシアの一部になったのか、なぜ島全部でないのか、いろいろな歴史的背景があるようです)

 

併合されてしまったパプア人は長年、独立運動インドネシア軍に弾圧されてきた。

パプアの独立運動指導者は、インドネシア軍だか特別警察だかに逮捕され、命を落とした。

この独立運動を指導した方は、自分にゲリラ戦のやり方を教えてくれたのは日本人だった、とインタビューで答えている。

 

国葬が行われ、ハビビ氏はジャカルタのカリバタ英雄墓地に埋葬された。

国境は人が作り出すものなのだ、と、地図を見るといつも思う。

アフリカを見れば一目瞭然だ。

同じ民族なのにあっち半分は英領ガーナ、こっちは仏領コートジボアール、なんてこともある。

 

治安や経済、政治体制と深く関わっているので、国境の持つ意味や影響は大きい。

今の世界情勢であれば、すぐに国境をなくしたほうがいいとは思わない。

しかし人間が作り出した国境が、人間を苦しめるものにならないことを願う。