アメリカ東部に、アーミッシュと呼ばれる人々がいることはご存じだろうか。
18世紀に欧州(主にドイツ)からアメリカへ渡り、宗教上の理由から当時の生活スタイル、つまり中世の生活をいまだに守っている人たちの総称だ。
興味はあるが、私は彼らに会ったことはない。
そういう生活をしている人々だから自分たちの生活圏にとどまり、外界にはなかなか出てこないと思う。
こちらから会いに行かない限り、その辺の町で出会うことはないだろう。
アーミッシュの人は、自動車の代わりに馬車を使っているとか、彼らの町には電線が無い(電気を使用していない)とか、色々聞く。
「現代文明を拒否して生活している」とも言える。
星野道夫著「旅をする木」に、アーミッシュの住む村を訪問した時の話がある。
興味のある方は、そちらをどうぞ。
「現代文明を拒否して生活している」というアーミッシュに似ている?人たちが、インドネシアにもいる。
まあ、あれだけ広い国なので、様々な文化があるのも驚くことではないか…。
スマトラの離島には、いまだに裸族の方々が住んでいると聞く。
人間ではないが、地球上から絶滅したと思われていたキノボリカンガルーも、2017年にパプア州で見つかった。
(魚市場で売られていたのをアメリカ人観光客が発見したとか。食べるのかな?)。
そんな国なので、色々な民族がいるのもさもありなんといったところでしょうか。
彼らの名前はバダウィ族という。
現代文明を拒否した生活を営む、と聞けば、人里離れたジャングルの奥地に住んでいると思うだろう。
しかし、彼らは首都ジャカルタの近くに住んでいる。
仕事で、セランという町へ行った。
ここはバンテン州の州都(バンテン州にはスカルノハッタ国際空港がある)で、人口は70万人ほど。
ジャカルタから車で1時間くらいだろうか。
セランには、日系企業、特に製造業関係の企業がたくさん進出している。
結構大きい町なのだ。
この町へ行ったとき、バダウィ族のことを知った。
その後、折々に彼らの名前を見ることがあった。
なぜこれだけ有名なのかと言うと、やはり「現代文明を拒否」するなんて珍しい、ということなんだろう。
バダウィ族の人々は、セランの近くの山奥に住んでいる。
はちみつや野菜など、自分のところで取れた収穫物を持ってセランの市場に売りに来ることもあるらしい。
もちろん、自動車等は使わない人たちなので、自宅から徒歩で行商に来るのだ。
ここまで読んで、「おや?」と思った方もいらっしゃるだろう。
現代文明を拒否しているのに、野菜の行商に来るの?と。
バダウィ族には2タイプいるらしい。
黒バダウィと白バダウィの2タイプだそうだ。
黒バダウィの人たちは、完全には現代文明を拒否していない人たちのことだ。
彼らは、便利なものは現代文明の物でも使う。
例えば、携帯電話はあると便利ですよね。
伝統的な生活をするものの、そういった文明の利器は利用しているのが、黒バダウィの人たちだ。
なので、野菜の行商に行くのは黒バダウィ。
彼らは大変健脚で、セランだけではなく、ジャカルタや、遠くバンドンまで野菜の行商へ行く。
ジャカルタは、前述の通りセランから車で1時間。
ジャカルタはまだしも、バンドンは電車や車を利用しても片道4時間だ。
車で4時間の距離を歩いて野菜を売りに行くとは、相当の健脚なんじゃないだろうか。
となると、白バダウィがまさにバダウィ族を世に知らしめている、「現代文明を拒否している民族」というわけです。
白バダウィは、シャーマンだという。
シャーマンである白バダウィは、黒バダウィの住む村よりもはるかに奥地に生活し、人前に出てくることはほとんどないのだ。
なので、我々(外国人及び普通のインドネシア人)は、通常であれば黒バダウィにしか会うことは出来ない。
とはいえ、黒バダウィの人たちの生活ぶりも、私たちから見ると十分伝統的。
現代文明に毒されていないといえる。
バダウィ族に会ったことがないのに、なぜ彼らの生活スタイルを知っているのか?というと。
実は、外国人対象に、バダウィ族の村を見に行く観光ツアーがある。
それに参加しようと友人に誘われたことがある。
そのツアーでは、一泊二日でバダウィ族(もちろん黒バダウィの方々です)の村に宿泊する。
村では彼らの生活ぶりを見たり、伝統的文化体験をしたりすることが出来る。
しかし、観光?とはいえ、相手の生活を壊してはいけない。
バダウィ族は現代文明を拒否しているので、石鹸、シャンプーなどは持参厳禁だ。
シャンプーで髪を洗うと、彼らが洗濯や炊事に使っている川が汚染されるからだ。
ツアー参加者は現代文明を持ち込み彼らの住環境を破壊しないよう、注意しなければならない。
ということが、ツアー参加者への注意事項としてツアー申込書に記載されている。
とまあ、こんな感じなのだ。
昔は「現代文明を拒否している珍しい民族」のようなイメージがあったようだ。
しかし、最近は環境に対する認識も高まり、自分たちの生活環境を破壊しないで生活する、という彼らの伝統的な考え方は貴重なものに思える。
まさに一周回ってトップに立った?感じ。
余談だが、バダウィ族の生活ぶりを知った時、私の頭に思い浮かんだのは、北米のネイティブアメリカンだ。
彼らも、「川はみんなのもの。山はみんなのもの。」という考えを持っている。
その考え方のせいで、彼らの土地はすべて白人に奪われてしまったのだが。
で、私がツアーに参加したかどうか。
結論は、していません。
バダウィ族と話をしてみたい、彼らの生活を見てみたい、という好奇心はあったのだが、ツアーの趣旨がちょっとねえ。
「珍しい部族を見に行く」という、動物園の動物を見に行くような感じが、どうしても嫌だったのだ。
同じ理由で、スマトラの離島の裸族も、「そういう生活を続けている人たちがいるのか」とは思うものの、彼らを見に行くというのはなんとなく上から目線のようで、抵抗感があった。
(上から目線、と思うのは自意識過剰?なんでしょうかね)
でも、次回インドネシアに長期滞在することがあれば、勇気を出してバダウィ族の村へ行ってみると思います。
ところで、バダウィ族の伝統的な生活を捨てて、現代の一般的な生活に入る人もいるらしい。
ナミビアの記事にも書いたが、カオコランドのヒンバ族も家畜を飼い、半裸を赤く染める伝統的な生活を続けているが、あの生活を捨てる人も多いそうだ。
やはり、電気も水道もある楽な生活がいいですよね。
アーミッシュの方々のように宗教的理由でそういう生活を続けるのでない限り、楽な生活を知ってしまったら人間は楽に流れるものです。
私なんぞ4時間歩くどころか、歩いて1時間もしたら音を上げてしまう。
バダウィ族の生活は憧れるが、現実は無理だろうなと思っています。
<あとがき>
(この記事を作成するにあたり、念のためバダウィ族のことを補足的に調べようとしたのですが、ネットでなかなか情報が見つかりませんでした…。なので、私がジャカルタで得た情報のみで記事を書きました。
ちなみに、セランではなく、ジャカルタ周辺に昔住んでいた人たちはブタウィ(Betawi)族です。
バダウィ族とは異なる人たちです。
ブタウィ族は、ジャカルタが首都になり、土地が高騰したのを受けて、先祖代々受け継いだジャカルタ市内にある土地を売り、田舎に引っ越した方々です。彼らの伝統的な料理は有名で、ブタウィレストランもあります)