東京オリンピックが開催中である。
ベラルーシの選手がオーストリアへ亡命を希望し、ポーランドが受け入れを表明したという。
どうしてポーランドが当該選手の受け入れを表明したのかは、不明。
そんな記事を見て、こんなことを思い出した。
結構前の新聞で読んだ、イラク戦争に関する記事によれば、こんなことがあったらしい。
イラクへ米国が宣戦布告し、イラク在住の外国人は先を争って出国した。
イラクからは、外国人が誰もいなくなった。
そりゃ、これから米軍に攻撃されると分かれば、誰だって逃げますよね。
はずだったのだが、CIA職員2名が逃げ遅れたという。
最後までいろいろ仕事があった?のだろうが、バグダッド発の最終飛行機に乗ることが出来なかった。
空路で逃げられないとなると、陸路で脱出するしかない。
ここで私の好きな世界地図の登場。
イラクは南をクウェート、サウジアラビア、西をヨルダン、シリア、東をイランと国境を接していることが分かる。
イラク北部はトルコと地続きだ。
米国はCIA職員をどうにか陸路で脱出させようとして、トルコに相談した。
どうしてトルコかというと、トルコは米国と同じNATO(北大西洋条約機構)加盟国だからだ。
前述のイラク周辺国のメンツから考えれば、一番米国に好意的な選択肢だろう。
まあ、普通に考えたら、米国を忌み嫌っているイランには脱出できないですよね…。
サウジアラビアはわりかし?米国と仲がいいじゃない?と思う人もいるだろう(私もそう思った)。
しかし、地図を見ると分かるが、イラクとサウジの間にはシリア砂漠、ハジャラ砂漠という不毛地帯がある。
こんなところで車がエンコした日にゃあ、干物ですよ。
で、バグダッドにトルコから将校が潜入した。
潜伏中のCIA職員2人と会ったが、彼らをトルコ人と偽って出国させるのは難しそうだ。
顔が全然トルコ人ぽくない。
しかし米国パスポートでイラクから出国しようとしたら、つまり米国人とバレたら、その場で殺されてしまう。
米国は困った。
一計を案じ、彼らをポーランド人と偽って出国させることにした。
なぜなら、当時のイラクにはたくさんのポーランド人が住んでいたからだ。
私も知らなかったのだが、当時、イラクとポーランドは人的交流が盛んで、多くのイラク人がポーランドへ出稼ぎに行き、ポーランド人もイラクへ来て仕事をしていたそうです。
アメリカ人をトルコ人に見せかけるのは難しいが、ポーランド人としてなら、なんとかごまかせそうですね。
そこで、米国政府はポーランド政府に相談。
ポーランド政府が作成した偽造パスポートを持って、再度トルコ人将校がバグダッドへ潜入。
2人をポーランド人らしく見せかけるべく、ポーランド語の猛特訓が始まった。
しかし、優秀なはずのCIA職員でさえ音を上げるくらい、ポーランド語の習得は難しいそうです。
結局、脱出までの2週間ほどでポーランド語をマスターするのは、不可能だった。
脱出の日。
トルコ将校とCIA職員は車に乗って、イラク-トルコ国境を目指した。
途中に検問が数か所あったが、その都度トルコ将校が「彼らはポーランド人だ」とポーランドのパスポートを見せ、検問を通過した。
そして、最後の検問。
ここを通過すれば、向こう側は米国に友好的な?トルコだ。
ここまで来れば、ほとんど逃げ切ったも同然。
と思ったら、検問所に1人のイラク兵がいた。
「彼らはポーランド人なんだ」
そう言って、トルコ将校は彼らのポーランドパスポートを見せ、そそくさと通過しようとした。
すると、突然イラク兵は笑顔になった。
「そうか、実は俺は昔、ポーランドに出稼ぎに行っててねえ。いやあ、懐かしいな」
慌てるトルコ将校。
あわわ…。
彼らは疲れているから、とか何とか、うそをついて、トルコ将校は何とかその場をやり過ごした。
状況が分からず青ざめるCIA職員たち。
久々に会うポーランド人としゃべりたがるイラク兵を残し、検問所を出発。
ようやくトルコ国境に到着。
「ここからは歩いてトルコへ入国してください」
と、トルコ将校はCIA職員の2人を促した。
トルコ領内には、2人の出迎えが来ているはずだ。
脱兎のごとく国境の向こう側へ走り去るアメリカ人2人。
こうして、米国は2人をイラク脱出させることに成功した。
という記事だった。
つまりは、イラク戦争の裏にはこういうエピソードがあったのだ。
この記事を読む前から知っていたのは、ポーランド語が半端なく難しいということ。
しかし、イラクとポーランドが友好的関係にある?とは知りませんでした。
いつかポーランドに行くことがあったら、イラクと友好関係にある理由をポーランド人に聞いてみたい。
今回、なぜベラルーシ選手がポーランドに受け入れてもらえることになったのかは分からない。
チェコもビザ発給の用意をしていたそうですし。
でもベラルーシとポーランドは隣国同士だし、遠いオーストリアよりもむしろ良かったのかも。
イラク戦争でのエピソードと、今回の亡命受け入れを聞き、ちょっとポーランドを見直している。
ポーランドは地味(私の勝手な決めつけ)だが、意外にも男気のある国?なのかもしれない。
しかし、よりによって最後の検問所に、ポーランド語堪能なイラク人がいるとはねえ (笑)。
本人たちは緊迫していたと思うが、状況を想像すると不謹慎ながら笑えてしまいます。