8月15日が迫ってきたから、というわけではないが、近年は第二次世界大戦が気になっている。
子どもの頃は親せきの誰かが戦争体験者だったりしたのだが、年配者はどんどん亡くなっていく。
戦争体験を聞きたい、と思う年齢になるころには、もう戦争を知る人はいなくなっているのだ。
だからなのか、戦争体験者の記述したものを読むようになった。
水木しげる著「ラバウル戦記」(ちくま文庫)も、しばらく前に買った文庫本なのだが、半分は絵で、半分が文章。
飽きずに読めるのが良い。
水木しげる先生(先生と呼ばせていただく)の妖怪本は、子どもの頃に友達と貸し借りした。
あの緻密でおどろおどろしいイラストからにじみ出る恐怖は、子ども心に十分叩き込まれた。
水木先生は不思議な作家だ。
彼の妖怪イラストを見た後では、彼のギャグマンガを読んでも、コマから妖気が漂ってくるのだから妙だ。
「ラバウル戦記」を読んで知ったが、水木しげるは美術学校出身だという。
わら半紙に鉛筆、もしくは現地で手に入る薬品を溶かして描いた絵は、確かに美術の素養が無ければ描けないものだ。
戦争に徴兵されて見聞きしたものを、復員後に絵で(写真なんて撮れないですからね)日本の若い読者に伝えられるというのは、素晴らしい。
そのおかげで徴兵されたことのない私も、パプアでの軍隊生活やパプア文化を知ることが出来ているわけです。
水木先生は、パプアニューギニアのニューブリテン島に移送されていった。
軍隊での体験の描写は過酷である。
しかし、水木先生の活写したパプアニューギニアの生活は生き生きとしていて、私はついついそっちに興味を惹かれてしまうのだ。
水木先生は、(のろまなので)理不尽な日本軍の文化になじめず、毎日何十発も殴られていたという。
(絵を描いて生活していた人が、体育会系の軍隊文化になじむわけがないですが…)
軍隊生活の合間を縫って現地人の部落に出入りし、食べ物を分けてもらったり彼らのデッサンをしたりしていた様子が、「ラバウル戦記」には描かれている。
パプアの生活風景に吹く風のようなものが、軍隊の過酷さと良い対比となっているのです。
水木先生は現地人と友達になる前も、
(パプアニューギニアは)「ジャングルの木の葉がいきいきとして美しい」
「鳥や虫がいて楽しい」
「パパイヤがおいしい」
「月夜が美しい」
などと書いているので、相当パプアニューギニアがお気に入りだったのだろう。
(花鳥風月に目が行くところ、さすが美術家です)
で、「ラバウル戦記」のパプアニューギニア文化の描写で、私にとって魅力的な部分が2つある。
それは、
「現地人は時間をたくさん持っている」
と言う部分と、
「満足を知る、と言うことを知っている」
という部分。
水木先生の観察によれば、当時のパプアニューギニア人は一日2,3時間畑に行くだけで、あとはおしゃべりをしたり踊ったりしている。
月夜には月を眺めながら話をしている。
自然のままの生活をしているのだ。
言われてみれば、先進国の人は常に時間に追われているが、途上国の人は主導権を自分で握っているものです。
また、“現地人は粗末なところに住み、まずいものを食って、なんの娯楽もなく(たまに踊るが)、そんなところで満足して生活している”と書いている。
どこを探しても何もないのだから満足せざるを得ないのだが、「満足」はなかなか得難いものである。
とまで言っているのだ。
水木先生は、現地人が「足るを知る」生活をしていることに敬意を払っているのだが、本来人間とは、不満だらけの生き物。
もっと広い家に住みたい、もっとおいしいものをたくさん食べたい、もっとお金が欲しい、もっともっともっと…と常に思っている。
私なぞ、その最たるものだ(笑)。
戦争について知ろうと思い「ラバウル戦記」を買ったが、現地生活の描写の方が心に残る。
本末転倒かもしれないが、急速にパプアニューギニアに興味がわいてきた。
あの国の色々なうわさはよく耳にする。
「石器時代から急に20世紀になった国」だの、「雨水をためて飲む」だの。
たいていネガティブな情報だ。
インドネシアでは(インドネシアはパプアニューギニアの隣国だ)、パプアといえば未開の野蛮人でミイラを作るとか、肌が黒くて槍を持っているとか(これは本当だ)、なんて言われている。
(注:インドネシア人が「パプア」というと、インドネシアの一部であるパプア州、西パプア州のことを指しているのです。パプアニューギニアのことではありませんが、同じ島なので、私のイメージもそんな感じです)
ジャカルタ近郊20キロに、タマン・ミニというテーマパークがある。
ここはインドネシア全州のパビリオンがあり、各地の建築物のレプリカもある。
パプア州エリアには(パプアニューギニアではないが…)、村落のレプリカがあって、中心には村の誰かがミイラになって安置されている。
こんな感じ。
エジプトと異なり、先祖のミイラを箱にしまって地下に埋葬するという文化ではないらしい。
どうして村人のミイラを地上に安置するのかは不明。
魔除けとか?何か意味があるんだろうなあ。
水木先生はあまりにパプアニューギニアが気に入り、現地除隊を申し出たが、上司に説得されて帰国することにしたという。
帰国後に戦争体験を伝えるため上梓した本で、図らずもパプアニューギニアの良さが日本にも伝わった。
結局良かったんじゃないだろうか。
「ラバウル戦記」に描かれた「シンシン」という伝統の踊りは面白そうだ。
コロナが収まって、チャンスがあればいつか行きたい。
それにしても、パプアニューギニアなんてめったなことでは行ける国じゃないなあ。
現代人だってなかなか行けない国なのに、よくそんな遠方へ、大した装備もない、大した訓練も受けていない日本の若者を派遣したなあ、とつくづく思う。
もう、こういう、無駄に若い人を死なせるようなことをやってはいかんのです。