ついにアフガニスタン政府が崩壊した。
崩壊した、というのは間違いなのかもしれないが、私にはそう見える。
アフガニスタンと私の接点はほとんどない。
しかし、一度だけアフガニスタンの研修員と一か月ほど一緒に過ごしたことがある。
女性と男性と半々くらいのグループだったが、やはり男尊女卑の強い国なんだな、と思わされることが多かった。
研修員の中に、大卒の公務員女性がいた。
英語も上手で、勉強熱心だった。
日本にいる間にいろいろなことにチャレンジし、積極的に日本人としゃべっていた。
彼女はタリバンの支配地域出身だった。
そんな地域に住んでいる彼女がどうやって大学まで行けたのか、私たちは知る由もなかった。
英語の堪能な彼女は、色々な話を私にしてくれた。
男性同伴でなければ、家から外出をしてはいけないこと。
女性はあれもやってはダメ、これもやってはダメ。
アフガニスタンで女性であることとは、本当に大変な差別を受けて生きることなのだ。
でも、彼女は夢見るように私に言った。
「今、私は一人でアフガニスタンを出て、日本にやってきたわ!一人で日本へ来たのよ!!」
女性だというだけで、生まれてからずっと自由がなく、抑圧され続けてきた。
まさか一人で海外へ行ける日が来るなんて。
その時の彼女の誇らしげな顔、輝く笑顔は、忘れがたい思い出となって私の記憶に残っている。
もう一人、印象的な男性研修員がいた。
彼は、アフガニスタンを知らずに育った。
生まれも育ちもアフガニスタンの外にある難民キャンプだったのだ。
難民キャンプでは、欧米のNGOや国連スタッフが英語を教えてくれる。
なので、彼も英語が堪能だった。
英語が堪能なので、彼とも冗談を交えてよく話した。
しかし、私がアフガニスタンのことを聞くと、彼は必ず寂しそうな笑顔を見せて、
「ごめんね。僕はアフガニスタンのことをよく知らないんだ」
と言うのが常だった。
1970年代。
アフガニスタンがソ連(当時)に侵攻され、戦争が始まって何十年も過ぎた。
戦争が長引けば長引くほど、祖国を知らない難民キャンプ育ちの若者がどんどん増えていくのだろう。
ある日、私はアフガニスタン人研修員を連れて、日本国内を飛行機で移動することになった。
航空券のチケットを各自へ配布し、それぞれが自分の席についた。
前出の彼女は、たまたま窓側の席だった。
隣の座席も、別のアフガニスタン女性研修員だった。
2人は物珍しそうに飛行機の窓から空港内を見下ろし、何やら2人で語り合っていた。
空港内で働く人々や作業車、作業員の働く様子など、様々なものを興味深そうに眺めていた。
すると突然、真ん中の座席に座っていたアフガニスタン男性研修員が大声を上げ、彼女たち2人を怒鳴りつけた。
私も、周囲の日本人乗客たちも、あまりの大声に驚いてそちらを見た。
男性研修員に怒鳴りつけられ、無言で青ざめて座席を立ち上がる2人の女性研修員。
一体何が起こったの??
私はびっくりして事態を見守った。
(注:私はパシュトゥン語が分からないので、何が起きているか理解できなかったのです)
女性研修員2人は荷物をまとめてあわただしく席を立ち、黙って真ん中の席へ移動した。
すると、大声を上げて彼女たちを怒鳴り散らした男性研修員が、彼女たちが座っていた窓側の座席へ移った。
そして、彼は得意になって窓から空港内を眺めはじめた。
何が起きたのか、ようやく私にも分かった。
男性研修員は、自分が窓側の席に座りたいがために女性研修員たちを怒鳴りつけ、座席を移動させたのだ。
私は男性研修員の暴挙に腹立たしくなった。
男性研修員に、『客室内の座席は決まっているので移動しないように』と注意した。
すると、その男性研修員はへらへら笑いながらこう言った。
「あの女性たちが、俺と席を代わってほしい、っていうから、代わってやったんだよ。
俺が悪いんじゃないよ。」
ふざけんな!
私は一部始終を見ていたぞ!
お前が突然怒鳴りつけたくせに!!
私は女性研修員たちに振り返り、あの座席はあなたたちの席だから他の人と代わらないように、とも言った。
しかし、彼女たちは困惑したように私を見、こう言っただけだった。
「いいのです。私たちが自主的に席を代わっただけですから。」
こんなことが、アフガニスタン人との研修期間中、毎日のように繰り返された。
男性研修員たちは、女性研修員たちに対して常に威圧的にふるまっていた。
私は何とかして男女平等にさせようと奮闘したが、一筋縄では行くような彼らではなかった。
彼ら研修員は、アフガニスタンの公務員だ。
私の感覚であれば、大卒研修員が格上で高卒(または中卒)が格下だと思うのだが、彼らの論理では違う。
アフガニスタンでは、女性はどんなことがあっても常に男性よりも格下。
男性であればどれだけ学歴が低くても、女性より格上、という論理なのだ。
先ほどの、大卒女性研修員を怒鳴りつけて自分が座席を代わった男性研修員も、高卒だった。
しかも彼は、彼女たちよりもはるかに年が若かった。
研修中は常に高卒男性が幅を利かし、大卒女性はいつも男性の顔色をうかがう、という塩梅だった。
男性は、「男性である」という理由だけで傍若無人にふるまうことが許され、女性はどんなに理不尽な仕打ちでも甘受せざるを得ない。
これもタリバンに押し付けられた論理なのだろうか?
アフガニスタン研修員たちと過ごす一か月が終了し、私は疲れ果てた。
アフガニスタン人たちのことは嫌いではない。
しかし、彼らの間に根強くみられる、執拗な男女差別にほとほと嫌気がさした。
私はあんな国で女性として生を受けたら、本当に人生に失望するに違いない。
前出の女性研修員は、女性が自由に生活できる日本が非常に気に入った様子だった。
髪を切ったり、おしゃれをしたり、ファッションを楽しんだり。
お店に一人で行ったり、友達としゃべったり。
そんなことを一人で楽しめる日本から本当に去りがたい、アフガニスタンへ帰りたくない、と何度も私に言った。
まるでベトナム戦争の時のように、我先にとアメリカ人たちはアフガニスタンから逃げていく。
やはりアメリカ軍がいなければ、長くもたなかった政権なんだろうなあ。
テレビの報道を見て、今になって思う。
彼ら研修員たちは、今頃どうしているだろう。
良き家庭人、良き社会人として、日々の生活を送ってきたはずだ。
アフガニスタン政権が崩壊し、タリバン兵士たちが大統領府を占拠した写真を見るたびに、心が痛む。
アフガニスタンの女性たちが楽しく、幸せな日を送れるようになることを、心から祈っている。
やはり、知っている人が少なからずいる国、というのは、本当に気になるものだ。