彼女のアメリカ人の旦那さん、サイモンは、アジア大好きの外交官だった。
ある日、サイモンから妙な依頼があった。
彼は仕事で、アビジャン在住の外国人が多く集まる所へ行った。
(つまり、国際機関とかそういう関連のところです)
すると、そこにいたイギリス人から、「誰か日本人を知らないか」と声をかけられたという。
サイモンが理由を尋ねると、そのイギリス人の職場に最近日本人が着任したという。
その日本人曰く、『アビジャン在住の他の日本人と友達になりたいので、誰か紹介してくれ』とのこと。
「君の電話番号を、彼に教えてもいいかい?」
とサイモンに聞かれたので適当にOKし、そのあと彼に教えたことを忘れていた。
ある日、家にいたら電話がかかってきた。
受話器を取って私は言った。
「ボンジュール」
相手は見知らぬ男性だった。
「あの…××さん(そのイギリス人)から聞いたんですが」
と、電話の向こうの相手はフランス語で話し始めた。
どうやらサイモンの知り合いのイギリス人の「日本人」同僚らしかった。
すっかり忘れていたが、私は自分の電話番号をサイモンに教えたことを思い出した。
この人が例の、日本人の知り合いを増やしたがっている日本人か。
アフリカで日本人と知り合いになるのは、とてもうれしい。
やはり、アフリカくんだりまで来る日本人はまだまだ少ないからだ。
久々に日本語で会話が出来るぞ!
私は喜び勇んで、その人と日本語で話をしようとした。
すると、その人は機先を制するように慌てて私に言った。
「わ、悪いんだけど、君はフランス語と英語のどちらが上手かい?」
へっ?
私は口をつぐんだ。
フランス語と英語のどちらが得意か?
どういう意味?
何を言っとるんだ、この日本人は?
「すみませんが、あなたは日本人でしょ?」
私は戸惑いながらフランス語で聞いた。
すると、彼は口ごもりながらフランス語で答えた。
「日本人と電話で日本語の会話が出来るほど、僕は日本語が上手じゃないもんで…」
はあ?
なんだそりゃ?日本人なのに?
彼は再び、フランス語で私に尋ねた。
「英語がいいなら英語で話すし、フランス語で差し支えなければフランス語で話そう。
フランス語か、英語か。どちらがいいですか?」
なんでだよ…。
私は納得できなかった。
なんで『フランス語か英語か?』になるわけ?
わたしゃ、どっちもそんなに得意じゃないんだよ…。
何だか妙だが、結局その日の電話での会話はフランス語で終わった。
一度も私は日本語を話せず、不完全燃焼。
久しぶりに日本語が話せると思ったのに…。
一度会いましょう、ということになり、その自称日本人と会うことになった。
数日後。
待ち合わせ場所に現れたのは、背の高い日本人だった。
やっぱり日本人じゃねえか…。
お互いに自己紹介した。
何となく日本語も大丈夫そうなので、私は(勝手に)日本語で話し始めることにした。
その男性、西条さんも直接会って安心したのか、日本語で身の上を語ってくれた。
両親は日本人だが、幼少期に両親とともにベルギーへ移住したという。
私は西条さんの流ちょうな日本語(当たり前だが)を聞いて思った。
(なんだ、日本語、話せるじゃんか…)
西条さんは高校まではフランス語圏、大学からは英語圏で生活し、就職先も英語圏だったという。
日本語は、両親と会話することで身につけた。
しかし高校卒業後に実家を出たので、自分の日本語に自信がなかったらしい。
言い回しや言葉遣いがきれいな日本語じゃなかったら日本人に馬鹿にされるかも、と不安を持っていたようだ。
まあ、ふだん日本語を使ってなかったら、そりゃ忘れるわな。
でも、たどたどしいというわけではなく、日常会話は全く問題ない。
それくらい上手なら、電話でも日本語を話せるだろう。
そう思ったが、西条さんとしては久しぶりの日本語会話、しかも両親ではない日本語ネイティブ(私のことだ)と会話、ということで、ものすごく緊張したらしい。
ふーん、そんなもんか。
その後、私の知り合いの日本人たちを西条さんに紹介した。
日本人と日本語で話さなければならない状況になると、西条さんは口数少なくなり、とても緊張している。
相手がアメリカ人やイギリス人だと英語、コートジボアール人だとフランス語で話すのだが、その時の方がリラックスしている。
そうか。
やっぱり長年フランス語と英語で生活しているので、日本語だと相当気を遣うわけだ。
私は図々しいのか、久しぶりにアフリカの黒人の方を見ると「おおっ!」とうれしくなり、たどたどしいフランス語でも気にせずしゃべってしまう。
(例外:相手がフランス人だと『君のフランス語はアフリカ訛りがある』と揚げ足をとられるので、英語で話すようにしている)
英語なども同様だ。
文法の間違いはあまり気にしたことがない。(←大ざっぱ性格全開)
言語を話すときのリラックスの度合いは、スペイン語>フランス語>英語、という感じだ。
スペイン語を話すときは、もっともリラックスした気分になるのが不思議だ。
大学の時、奥様が韓国人というアメリカ人教授がいた。
彼は流ちょうな朝鮮語を話したが、『英語を話すときはリラックス、朝鮮語を話すときは真面目に』なると言っていた。
その教授は、朝鮮語を話すとき自分が緊張する理由として、
『韓国の文化は(アメリカより)厳格かつ抑制されているので、朝鮮語を話すときは相手に失礼のないよう、折り目正しい自分になるようだ。朝鮮語の持つ文化的特性ではないか』
と分析していた。
もしそれが本当だとすると、西条さんが日本語を話すとき緊張する理由は、日本文化が真面目だからということになる。
じゃあ、(私にとって)英語やスペイン語、フランス語はそれぞれの国のカジュアルな社会性を反映してるってことなんですかね?
誰か、『自分の母国語より〇〇語を話すときの方が、リラックスして話せるんだよね』という人がいたら、その理由を教えてほしいものです。