オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ポリこれ

 

こういう時代になってくると、その言葉が適切かどうか、問題になることがある。

名称自体を変える動きもある。

例えば、以前は看護婦と呼んでいた職業に男性の方も就くようになったので、名称を「看護師」に変えるとか。

女性が働くようになったので、ビジネスマンをビジネスパーソンに言い換えるとか。

 

雇用形態や文化が変わったとか、社会の特定のグループに不快感を与えないようにとか。

差別や偏見、ステレオタイプを是正する、多様性や平等を促進する等、色々な理由があって名称が変わるようになってきた、というのが、こういう名称変更の流れのようです。

 

社会の変化に合わせて言葉も変わるべきなので、それは大歓迎。

ましてや、人に不快感を与えないためなら、それはなおさら良い。

 

今まで私も不思議に思っていたもの、好きじゃなかったものがあります。

やめてほしいものの代表としてまず思いつくのは、呼称ですね。

 

例えば英語だと、女性の名前の前にミスとかミセスとかをつける。

私はこれに昔から抵抗感があります。

男性だと年齢関係なく「ミスター」なのに、どうして女性は既婚か未婚かでいちいちミスになったり、ミセスにしたりするんだろう。

Ms.(ミズ)という呼び方もありますけどね。

多分、多くの女性は私同様、呼称には良い思い出がないと思います。

 

アンケートなどの回答欄にも、最近は「男性」「女性」「その他Others」という第三カテゴリーが出来た。

アンケートの内容によっては、「いちいち男女の別を書く必要があるのかな」と思わないこともない。

全廃してもいいと思う項目の一つ。

 

アメリカの大学へ入学したときに、戸惑ったことがある。

それは、クラス履修登録のフォーマットに個人情報記入欄があったことだ。

例えば「人種」なら、コーカサス系(白人)、ヒスパニック、アフリカン、アジア系、パシフィックアイランダー…と項目が並ぶ。

「宗教」も、キリスト教、仏教、なんとかかんとか…と結構な項目があった。

該当する箇所をチェックするだけなのだが、「こんなもん必要なんだろうか?」といつも思っていた。

 

後に分かったが、アメリカの大学は「学生の人種のバランスが取れているか」とか「入学時に人種差別をしていないか」とかそういう項目で大学が評価されることもあり、老若男女問わずバランスよく学生を入学させていることは重要なのだ。

だからの、こういう個人情報提供だったわけだ。

 

アメリカで当時、よく問題になっていたのは、黒人学生を入学させていないのにもかかわらず、大学パンフレットの表紙に黒人学生(モデルだが…)を登場させていること。

ウソはいけません。

自分の大学を多様な人種が集うキャンパスみたく見せたい、という気持ちは分からないでもない。

人が集まる場所を「誰にでも平等」「バランスよく」するのは、よほど努力しない限り至難の業だと思います。

 

しかしながら、社会の中で人種がだんだん混ざり合ってくると、誰が「白人」で誰が「黒人」なのか、はっきりしなくなってくるんじゃないでしょうかねえ。

タイガー・ウッズみたいに白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系が混じった家系の人なんて、もはや「アメリカ人」としか言いようがない。

 

大学1年時は、私もクラス履修登録に個人情報をちゃんと記入していた。

しかし年齢性別は仕方ないとしても、毎学期の履修時に宗教や人種を大学へ申告するみたいで嫌だった。

 

2年生になった時、ささやかな抵抗?をするために記入をやめた。

私の人種や宗教なんて、あんたに関係ないでしょ、というのが理由だ。

(「信じる宗教」で「仏教」をチェックするのも、信じてないのにどうかと思うが、「宗教を信じない」となると、またそれはそれで問題が発生するのだ。アメリカは意外にややこしい)

 

私が社会のどのグループに所属するか関心があるのは、私ではなくむしろ周囲の人たちなんだろう。

そういう人たちが、私を勝手に人種だの宗教だのでカテゴリー分けしたがるのです。

 

その点、南アフリカは逆になった。

アファーマティブアクションに関する論争が常にある。

アファーマティブアクション及び反アファーマティブアクションだ。

こっちもややこしいなあ。

 

アパルトヘイト時代は白人が優遇され、黒人は学校へ行けないとか就職が出来ないとか、黒人不利の社会だった。

アパルトヘイト終了後は、南アフリカ社会が変わった。

会社役員のうち、一人は必ず黒人を入れなければならないとか、黒人を優先的に雇用すべしとか、国民の大多数である黒人に配慮した制度になった。

そうすると、今度は既得権を失った、少数派の白人に不満がつのる。

 

南アの職場では、高卒の白人スタッフと大卒の黒人スタッフの間の板挟みになったことが何度もあった。

(いや、『何度も』というより、『毎日板挟みだった』が正しいかも?)

 

白人スタッフは、

「黒人と一緒に机を並べるなんて、絶対いやだ」

「私たちは白人としてのプライドがある」

とか、色々私に文句を言う。

 

そう言われてもねえ。

仕事をしてくれれば、肌の色なんて緑だってストライプだって何だっていいんだが。

 

黒人スタッフは被差別の立場なので、雇用してもらったらありがたい、という立場。

白人スタッフは、自分たちの職場に黒人を入れたくない、という態度だ。

彼ら曰く、運転手や掃除婦なら黒人雇用はOKだが、事務職に黒人を入れるのはやめてほしい、と言う。

 

私としては丁寧に説明したつもりだが、どうしても黒人と同僚になりたくない、という白人スタッフは退職した。

仕方ないですよね。

全員を満足させるのは不可能なんだろうな。

でも、なるべく多くの人がハッピーになれるように、少しずつ職場や制度を変えていくしかないんだと思います。

 

ポリコレといえば、こんなのも気になっている。

特定の国を使った揶揄の表現がある。

例えばスペイン語

cuento chinoという表現がある。

 

これはそのまま翻訳すれば「中国のお話」だが、意味は「でたらめ」だ。

マルコポーロの時代に、中国へ行った商人たちが中国の素晴らしさを誇張して伝えていたので出来た言葉だ、と聞いたが、真実は分かりません。

スペインにいたときから、この単語を聞くたびに抵抗を覚えてました。

 

他にもdespedirse a la francesa「フランス風に帰る」という表現なんかもある。

意味は「挨拶なしに無断で帰る」。

フランス人が挨拶なしに帰る民族なのか分かりませんが、スペイン人はフランスが好きじゃないのかなあ、と思ったりする。

 

こういった表現は、ほかの言語にもたくさんあると思う。

こういう表現もそのうち「特定の国に失礼だ」とか「PCじゃない」ということで、すたれていくのかもですね。

 

アメリカではかなり前から言われていた、politically correctness。

偏見や差別的表現、ステレオタイプや不平等が改まるのは歓迎だが、ちょっと行きすぎなものもある。

たまに、主旨を見失った言葉狩り的PCもありますしね。

 

個人的に、今までの人生でちょいとショックだったステレオタイプは、「日本人なのに」です。

 

「君は日本人なのに雑だなあ」

「日本人のくせに繊細さがない」

「日本人なのに、マシンガンのように(英語で)よくしゃべる」

 

今までさんざん言われてきました。

海外の方が想像する日本人とは、「手先が器用で繊細、静かで控えめで謙虚」なんですね。

スミマセン…日本人なのに、大ざっぱでズボラなんです。                       

こういうステレオタイプも、そのうち消滅してほしいものでございます。