オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

コートジのアジア人

 

コートジボアールにはアジア人が比較的多く住んでいた。

彼らに(というか、彼らの料理に)私は大変助けられた。

西アフリカ料理はおいしくて大好きなのだが、胃が疲れたときにアジア料理はありがたい。

 

アビジャン市内には、ベトナム料理の店(レストランというよりも、軽く食べられテイクアウトも出来る店)があった。

コートジボアールベトナムはフランス植民地だったつながりから、ベトナム系住民が住んでいたようだ。

 

ベトナム料理と言うと生春巻きを思い出す方も多かろうと思うが、そこはアフリカ。

停電が頻発するので生ものは難しく、揚げ春巻きが主流だった。

これがまた、おいしかった。

ベトナム人店員のお姉さんとも仲良くなり、アフリカに疲れたときは?安いベトナム料理を食べながら、愚痴を聞いてもらっていた。

 

私の家から少し歩くと、住宅街の中に韓国料理の店があった。

店、と言っても看板は出ていない。

ある韓国マダムが、アパートの一階に住んでいた。

彼女の自宅の一角を開放して、店にしていたのだ。

 

外から呼び鈴を押すと、マダムが鉄格子の門を開いて中に入れてくれる。

中にテーブルが2つ3つあるので、数人なら入れた。

キムチのテイクアウトも出来た。

当時は和食レストランが無かったので、日本人はかなりのヘビロテでその店でご飯を食べていた。

 

ある日、友人と私はその韓国マダム宅へキムチを取りに行った。

すると、店内で2,3人の韓国人ビジネスマンたちが食事をしていた。

見ていると、彼らもキムチをテイクアウトしていた。

韓国人たちが先にキムチ代金を支払った。

 

帰り支度を始めた韓国人客の脇で、我々日本人もキムチを受け取り、代金を支払おうとした。

すると、韓国人と私たちのキムチの量は同じなのに、マダムは小声で安い金額を言ってきた。

 

「えっ?金額が違いますよ」

驚いた友人が言った。

すると、韓国マダムは笑顔で首を横に振った。

 

再度、友人が「金額が違う」と言った。

マダムは韓国人客たちに背を向け、私たちに小声で言った。

「いいからいいから。あなたたちは、いつもうちに食べに来てくれるからね。」

 

そして、「騒がないように」とジェスチャーをして、静かに私たちを店から押し出した。

まだ韓国人ビジネスマンたちが店内にいたので、日本人に安くキムチを売ったことが韓国人たちにばれないよう、静かに店内から出したのだ。

 

日本人がいつも大量にキムチを買い、頻繁に彼女の店で食事をするので、どうやらサービスしてくれたらしい。

ありがたいと思うと同時に、我々は年がら年中彼女の店に通っていて日本人のたまり場みたいになってしまい、申し訳ない気もした。

しかし、その後も韓国マダム宅でいつも飲み食いしていた我々…。

 

中国人や台湾人住民もたくさんいた。

台湾人のマダムが経営しているレストランは私の自宅から遠いのが難点だったが、とても美味しかった。

中国の方も、やはり中華料理店を経営している人が多かったように思う。

 

ある日、私は友人たちと中国料理店へ行った。

この店は初めて行く店だったのだが、料理はおいしかった。

数人で食事に行ったのだが、お酒が入り盛り上がってしまった。

食事を終えたら、夜もとっぷり暮れていた。

店の裏は自宅になっており、中国人の経営者ご夫婦は、我々が食事を終えるまで辛抱強く?待っていてくださった。

すまんのう…。

 

すっかり暗くなった店内(もう誰もお客さんはいませんでした)で代金を支払った。

ふと、私は店の壁に書いてあった立派な書に目を止めた。

素晴らしい書だ。

書の下には、牡丹なのか華やかな絵まで描いてある。

なんとまあ、上手な絵だなあ。

 

ん?

気になって、私は目をこらして見た。

ん?

 

よく見ると、その書は、掛け軸など紙に書いたものを壁に掲示しているのではなかった。

壁に直接、その文字が書いてあったのだ。

 

私は近寄ってまじまじ見た。

達筆な書だなあ、と思っていたが、まさか、壁にじかに書いてあるとは!

ペンキで書いた?わけないよね…すごい。

 

友人の一人が寄ってきたので、私は壁に書いてある書を指さした。

「ねえねえ、これ、壁に直接書いてあるよ。すごいね。」

 

すると、友人たちが全員そこに寄ってきた。

「ホントだ!紙に書いて貼ったんじゃなくて、壁に直接、字が書いてある!!」

日本人がわいわい騒ぎ始めたので、中国人奥様が驚いてやって来た。

 

私たちは、店の壁に直接書いてある書を指さして、達筆ぶりをほめた。

すると、中国人の奥様は大変喜んでくれた。

「これはねえ、うちの夫が書いたんですのよ!」

 

奥様に呼ばれて、店の裏から顔を出した旦那さん。

奥様と違い、全くフランス語が話せないらしい。

「日本人があなたの達筆をほめている」と奥様に言われ、相好を崩している。

奥様は、「うちの夫は本当に芸術家で…」と旦那をほめちぎっている。

いい奥様だ。

 

旦那さん曰く(奥様の通訳を通してだが)、壁に直接、書を書くのは相当難しいそうです。

ペンキ(墨?)がたれそうだし、紙の上に書くのと90度の垂直面に書くのとでは、えらい違いだ。

そのうえでの、流麗な書。

やるのお。

 

「この書の内容は、中国の有名な詩で…」

と、中国人旦那が言い始めた。

すると、酔いが回っている友人の一人が、

李白、知ってます!国語の授業で覚えさせられましたよ!」

と言って、高校時代に覚えたという漢詩を、頼みもしないのに勝手に暗唱し始めた。

 

酔っ払い日本人が、大声を張り上げて李白の詩(日本語だが)をわめくのを、ニコニコ聞いてくれる中国人ご夫婦。

夜遅くまでご迷惑をおかけし、すみません…。

 

アビジャン到着時は、うわ~黒人ばっかりだ、と思った。

しかし、長く住んでいると、アフリカにもアジア系住民が結構いることに気づく。

 

こんなこともあった。

アビジャンから離れ、地方へ行った。

長距離バス発着場から、さらに奥地に入った、電気も水道もないジャングルの村へ立ち寄った。

 

村人は、私がアジア人なので気を利かしたらしい。

「お前はベトナム人か?ベトナム人か?」

と聞く。

違う、と言うのだが、どうもベトナム人ということにしておきたいらしい。

 

ベトナム人じゃない、とずっと抵抗していると、あるおじいさんの家に連れて行かれた。

出てきた高齢の老人。

「俺はベトナムへ行ったことがある」

という。

 

またまた…ウソばっかり。

こんな無医村の、ジャングルの奥地に住んでいるような老人が、アフリカから遠く離れたアジアへ行くわけがない。

そんな遠くまで行くお金は、どうやって工面したんだ?

 

と思っていたら、

「フランス兵として徴兵され、ベトナム戦争へ行かされた」

ということだった。

つまり、コートジボアールがフランス植民地だった時(相当昔ですよ)に、「フランス人」として徴兵され、インドシナ半島へ連れて行かれ、従軍させられたわけです。

 

政治(というか植民地政策)は、1人の村人の人生まで変えてしまうわけですね。

アフリカとアジアのつながりは、意外にもあるのです。

 

和食レストランの無い国で生活すると、アジア系レストランに畢竟お世話になる。

それは現地に住むアジア人の生活を垣間見るチャンスだし、それも楽しいかもなあ、と思っています。