オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ネイティブアメリカン

 

アメリカの大学へ入ったばかりの頃のことだ。

コロラド州にはネイティブアメリカンの学生が多くいた。

 

普通に生活をしていれば、そういう学生とも知り合うし、親しくもなる。

彼らは「自分はネイティブアメリカンの〇〇族だ」と誇りをもって名乗る。

1年次に、日本人の先輩学生から「〇〇族って怖いんだって」「××族も」などと聞かされていた。

そういう噂を聞いていた私は、〇〇族出身の学生と知り合うと、内心かなりびくびくしていた。

 

親しくなったアメリカ人学生が、ほかの学生を連れて学生寮の私の部屋に遊びに来ることがあった。

2,3人で押しかけてくるのだが、その中にちょいちょい〇〇族や××族の学生がいた。

先入観を持ち過ぎているせいか、そういう学生は何となく目つきが怖そうに見えたり、むすっとしているように見えたりした。

 

でも、当たり前ながら、彼らも普通の人間だ。

話をしたり一緒にご飯を食べたりしているうちに、

「〇〇族は怖い、って聞くけど、普通の若者じゃないか」

と思うようになった。

今になって振り返ると、「〇〇族は狂暴だ」というのは、ネイティブアメリカン自身が言っていることではないんですよね。

 

こんなことがあった。

大学2年生の時、コミュニケーションの授業を履修した。

自分の関心のあることについて、一人一人がみんなの前でプレゼンをすることになった。

 

同じクラスに、マヤという社会人の女性がいた。

彼女の選んだテーマは、『ネイティブアメリカン』だった。

(マヤ自身は、白人のアメリカ人だった)。

 

マヤは、父親がそういう仕事をしていた関係で、幼少時代をネイティブアメリカン居留地で過ごした。

テーマがネイティブアメリカンと聞いて、私は少なからず興味をそそられた。

 

マヤの話はとても悲しかった。

ネイティブアメリカンたちは、野菜や果物が実る肥沃な土地を白人たちに取り上げられた。

代わりに、砂漠や荒れ地など農業に適さない土地を、白人たちから「インディアン居留地」として与えられた。

いや、マヤ曰く、「与えられた」というより、白人によって不毛の地へ「押し込められた」のだ。

 

なぜそんな悲劇が起きたかと言うと、ネイティブアメリカンの文化は、「山も川も土地も空もみんなのもの」というもの。

豊かな土地を私有地にしようとする白人とは、相いれないものだった。

彼らは白人にだまされたり、武力で脅されたり殺されたりして、豊かな土地を奪われていった。

そして、白人社会でネイティブアメリカンたちは教育を受けさせてもらえなかったり、就職で差別されたりして、あっという間に困窮していった。

 

白人はネイティブアメリカンを「怠け者」「無能」「文明化されていない人たち」として扱った。

未来の無い生活の中で、自殺や犯罪に走ったり、アルコール依存症になったりするネイティブアメリカンも多かったという。

 

現在は、ネイティブアメリカンを支援するために、州政府がネイティブアメリカンの若者を大学へ入学させたり奨学金を与えたりしている。

コロラド州ネイティブアメリカン人口の多い州だ。

なので、大学には多くのネイティブアメリカンの学生が入学していたのだ。

 

「彼らは怠け者ではない。

根本の問題は、私たち白人が彼らを差別していることなのよ」

とマヤは訴えた。

 

マヤのプレゼンは、ネイティブアメリカンに対する深い愛情と、彼らへの偏見を是正したいという強い情熱にあふれていた。

彼らがアメリカ社会でそこまで差別されていたことを知らず、私は心を動かされた。

「インディアンは怖い」と思い込んでいた自分が恥ずかしくなった。

インディアンは怖い、と言っているのは白人側なのだ。

 

アメリカの大学と大学院で学んで、今になって思うこと。

教授も学生も、かなりリベラルだなあと感じる。

でも多分大学とはそうあるべきだし、学究の場が保守的では学問は発展しない。

 

こうやって、問題意識を持つ学生がみんなの前で自分の意見を発表し、聞いた学生(私とか)が今まで知らなかった社会問題に気づいて考えるようになるのは、社会が前に進む良いきっかけなんだろう。

大学の一つの役割は、様々なバックグラウンドを持った学生が交わること(そして新しい化学反応が起きること)、でもあるのかもしれない。

 

――

最近、カナダで多くの人骨が発掘されたという新聞記事を読んだ。

カナダにも、多くのネイティブカナディアンがいる。

私はネイティブアメリカンの悲劇しか知らなかったのだが、ネイティブカナディアンの人たちもアメリカ同様、長年、二級市民として扱われてきたのだ。

 

カナダでも、ネイティブカナディアン住民に対し、英語(フランス語)教育を行ったり、キリスト教徒に改宗するように強要したりする同化政策が行われたようだ。

発見された大量の人骨は、就学年齢のネイティブカナディアンの子どもたちのものらしい。

カナダはアメリカほど差別がひどくないだろうと、私は勝手に思い込んでいた。

しかし、過去にはカナダでもそういうことが行われていたのを知って、本当に驚いた。

 

アジアから北米へと海を渡った人類が、ネイティブアメリカン・カナディアンたちの祖先だと言われている。

当然、ネイティブアメリカンの中には、日本人に非常に似ている顔だちの人もいる。

 

私も町でネイティブアメリカンの方を見かけ、

「名前を思い出せないが、日本で会ったことあるよね?」

「中学時代の同級生だったっけ?」

としばらく考え、「いや、知り合いに酷似しているがアメリカ人だ」と気づくこともあった。

 

日本人とルーツを同じにするからなのか、ネイティブアメリカンについては、他人事とは思えない気持ちもある。

向こうもそう思うのか、ネイティブアメリカンの人たちは「日本人は自分たちに似てるよね」とよく言う。

 

ところで、アメリカ人はよく自分のルーツを自慢する。

誰しも自分のルーツには、強い思い入れがあるからだろう。

 

サイラス君という後輩学生がいた。

彼は身長194センチ、顔立ちもどう見ても白人。

しかし、自分のルーツにスウェーデンネイティブアメリカンのシャイアン族が混じっているのが自慢だった。

 

「シャイアン族?」

私が聞き直すと、サイラスは得意げな顔になった。

「シャイアン族はアメリカ西部では高貴な部族なんだよ!

うちの母親がそっち系のルーツがあってさ」

 

自称高貴な出…というのは、誰の口からきいてもあまり信頼してはいけない。

高貴な人には、たいてい多くの子孫がいるものだ。

しかしどこで仕入れた情報か分からないが、サイラス君によれば、シャイアン族はネイティブアメリカンの中で「もっとも高貴、もっとも勇敢、もっとも美しい」のだそうだ…。

 

見た感じまるっきり白人のサイラス君だが、ネイティブアメリカンの学生にも堂々と「自分はシャイアン族だ」と自慢していた。

いや、どう見てもネイティブアメリカンの特徴はほとんど消失しているが…。

ま、本人が誇りに思っているならいいのかも。