オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

馬乳酒

 

モンゴルと言えば、思い出すことがある。

 

日本人は、モンゴルというと青い空と草原を思い浮かべる人が多いかもしれない。

しかしモンゴルだって、若者は日本の若者と変わりない。

髪を染め、スマホやネットを操り、日本のどこにでもいる若者と同じだ。

英語が堪能な若者もいれば、高校で日本語を勉強した、という子もいる。

 

ある時、モンゴル人研修員20名ほどが来日した。

団員のほとんどは若者だったが、リーダーは中年のおじさんだった。

このおじさんは、まったく英語が分からなかった(日本語もだ)。

 

受け入れる日本側としては、集団を管理するためにはリーダーに頑張ってもらわなければいかん。

リーダーにこちらからの伝達事項を伝え、それを団員全員に周知してもらいたいわけだ。

しかし、このおじさんのように英語が話せず、日本人スタッフと意思疎通が出来ないパターンもある。

そういう場合は団員の中から気の利いた若者を選び、その子にリーダーへ伝えるよう、伝達事項を言い含めるのだ。

 

語学が出来ない以外にも、リーダー自身が頼りない時もある。

以前、インドネシアの研修員20名が来日したとき、リーダーを選ぶよう伝えた。

選ばれたリーダーは性格は良さそうだが、なんとも頼りなさそうな男性だった。

 

「どうして彼がリーダーになったの?」

と聞くと、「体が大きいから」とインドネシア人たちは口々に言う。

先が思いやられるな、と思ったら、案の定、リーダーがパスポートをなくして大騒ぎになった。

バス車内に落ちていたので事なきを得たが、彼に対する信頼は失われた。

 

で、モンゴル人研修員たち。

リーダーのおじさんは私を見るとニコニコしているが、いかんせん彼とは全くコミュニケーションが取れない。

困ったもんだ。

でも、さすがにリーダーに選ばれるんだから、彼はモンゴル人の中ではしっかりしているに違いない。

と思っていた(希望的観測)。

 

彼らの日本での研修が終わり、明日はモンゴルへ帰国する日。

明日の出発時間を確認させ、忘れ物をしないよう前日から荷物をまとめておきなさいと、指示を出しておいた。

英語の分かる若い研修員は、ニヤニヤ笑いながら言った。

「心配しなくても大丈夫ですよ。みんな、明日モンゴルに帰国するって知ってますから。」

 

そりゃそうだよね。

そこまでうっかりじゃないよね。

リーダーに言っといてね、明日の出発時間と、忘れ物に気を付けることを。

と彼にリマインドして、私はすっかり安心しきっていた。

 

翌朝。

モンゴル人研修員は時間通り出発していった。

寝坊した人もいないし、さすがだ。

あの若者研修員がきっちりみんなに伝達してくれたんだろう。

 

彼らが出発すると、早速清掃スタッフが部屋に掃除に入った。

今日の午後には次の研修員がやってくるので、その前に部屋を清掃しなければならないのだ。

 

研修員を乗せたバスが出発したのを確認し、私は自分のオフィスに戻った。

すると、しばらくして清掃スタッフがやってきた。

戸惑ったような表情をしている。

ん?何かあったのかな。

 

「あの…お部屋に、食べ物と飲み物がありますが、どうしましょうか?」

食べ物と飲み物?

 

不思議に思って、私は清掃スタッフについて行った。

彼女に案内された部屋は、例の中年リーダーの部屋だった。

 

「これなんですけど」

清掃スタッフは、机の上に山積みになった食品を示した。

日本で買ったらしい酒のおつまみやお菓子が、部屋のテーブルの上に大量に置かれている。

食べきれなかったのだろうか?

それにしても、今晩また宿泊するかのように、一切何も片付いていないではないか。

 

見渡すと本人のスーツケースだけがない。

ということは、やっぱりあのモンゴル人のおっちゃんは団員たちと帰国したわけだ。

 

まさか、冷蔵庫には何もないよね。

と思って冷蔵庫を開ける。

すると、冷蔵庫には缶ビールや飲みかけのペットボトルなど、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

ハムとか食料品もふんだんに冷蔵庫にあふれ、まさに酒池肉林といった状態だ。

先ほどヤツは出発したんだが、一体どうしたわけだ、この酒の量は。

 

(あれだけ、前日にまとめておけよ…と言ったのに)

私は内心あきれた。

どうやら、買い込み過ぎて飲み切れず、食べきれなかったのだろう。

食い過ぎなんだよ…。

私は再度、山積みになった食料品を見てため息をついた。

 

「このお酒や食品はどうしましょうか?」

清掃の方が再度私に尋ねる。

そりゃ、処分するしかないでしょう。

もう帰ってこないわけだし。

 

すると、タイミングよく私の携帯電話が鳴った。

出てみると、同僚の山崎さんだった。

彼は慌てた様子で私に聞いた。

「も、もしかして、〇〇さん(モンゴルのリーダー)の部屋、もう片付けちゃった?」

 

私は不審に思いながら答えた。

「いえ、今から片づけるところです。」

すると山崎さんは、安堵のため息をもらしながら言った。

 

「よかった、間に合った!

たった今、モンゴルのリーダーから連絡があってね。

どうも、馬乳酒を冷蔵庫に置いてきちゃったんだって。」

「馬乳酒?」

 

私はおうむ返しに聞いた。

山崎さんによれば、ほかの物品(飲みかけの水のペットボトルとか、スナックとか)は捨ててもいいが、馬乳酒だけは救ってほしい、とリーダーが懇願しているのだという。

馬乳酒を部屋に置き忘れたことに気づいたリーダーが、空港へ向かうバスの中から、慌てて山崎さんに連絡してきたらしい。

 

どうでもいいが、山崎さんとリーダーはどうやって意思の疎通をしているのだろう?

あのおやじ、モンゴル語しか話せなかったはずだ。

英語の分かる若者が通訳しているのだろうか?

それにしても、馬乳酒はモンゴルに帰ったら飲めるだろうが!

捨ててやる!

 

私は山崎さんへ反論した。

「でもですねえ。

もう彼らは空港へ行ってしまったんですよね。誰が馬乳酒を空港へ持っていくんですか?」

 

研修団の若者B君がUターンしてこちらへ向かっているので、彼に馬乳酒を渡してほしい、と山崎さんは言う。

山崎さんと私のやり取りを、清掃スタッフの方が心配そうに見守っている。

私の表情が険しくなったので、何か面倒くさいことが発生したと分かったのだろう。

 

あの、へらへらしているおっさんリーダーの顔が、忌々しく浮かんだ。

(お前なあ…(後は言葉にならない))。

 

山崎さんの声が、受話器の向こうで遠くむなしく響いた。

「頼む、馬乳酒だけは救ってくれ!って言われてるんだよ~

馬乳酒だけは!お願い!

馬乳酒は捨てないで!」

 

私は冷静になろうと努めたつもりだった。

山崎さんの電話の内容を、清掃スタッフに伝えた。

状況が分かった清掃スタッフは、B君が来るまでは馬乳酒以外の物品もとりあえず保管しておこう、と配慮してくださった。

 

そうこうしているうちに、B君がさっそうと帰ってきた。

「馬乳酒、ありましたか?」

捨ててないから、まだあるよ。

でも、昨日、私は君たちに何と言ったかね?

 

険しい表情をしている私を横目に、B君はニヤニヤしながら馬乳酒を受け取った。

B君も、私が言いたいことは察しているのだろう。

「これか~。確かに受け取りました。」

 

B君は馬乳酒を受け取ると、あわただしく空港へ戻った。

まあ、馬乳酒を忘れたのは彼の責任じゃない(そもそもB君の馬乳酒ではない)。

彼だってリーダーの指示で馬乳酒を取りに帰るはめになり、帰国前に空港でお土産を買う時間が無くなって、可哀そうなんだが。

 

リーダーの名誉のために付け加えるが、このリーダーが特別に酒好きなわけではない。

何度かモンゴル人研修員を受け入れて分かったのだが、どうやら中年モンゴルおじさんたちは、こっそり馬乳酒を持参するらしい。

私の知っている限り、来日したモンゴルおじさんたち全員が馬乳酒を持参していた。

 

そういやあ、韓国人研修員も、持参したキムチを冷蔵庫に置き忘れたことがある。

(しかしキムチくらいなら可愛いものだ)。

 

多分、韓国人はキムチなしで生きられないのだろうし、モンゴル人は馬乳酒なしで生きられないのだろう。

取りに帰るほど馬乳酒が大事なら、スーツケースに一番先に詰めておくべきだが、どうなんだろう。

 

私は馬乳酒を味見したことが無いのだが、モンゴル中年おじさんたちがわざわざ取りに帰るくらいなら、相当おいしいんだろうか?と気になっている。

誰か味見させてくれないかな~。

 

f:id:kayumanis:20210926091153j:plain

謎のヤギチャーハン