オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

スペインでロシア語を習う

 

スペインへ行った時、最初はスペイン語が分からず苦戦した。

もちろん留学前に1年間、スペイン語を大学で履修した。

しかし、大学の授業と実際にスペイン語を使って生活するのとでは、だいぶ違う。

 

スペインで生活し始めた最初のうちは、英語が分かる友達と付き合っていた。

同じ大学にはアメリカ人学生が結構いたので、その点は助かった。

 

アメリカ人学生の何人かは、スペイン語が達者だった。

曰く「母親がエクアドル人」「高校時代にスペイン語クラスを履修した」とか。

 

私の両親はスペイン語どころか、英語すら話せない。

当然ながら私も、アメリカではスペイン語どころか、まず英語で四苦八苦していた。

親が南米出身というアメリカ人学生が「スペインの授業は楽すぎる」というのを横目に、スペインでも語学に苦しんでいた自分。

ハンデありすぎでしょ。

 

母親がペルー人というアメリカ人の学生、ジーナと知り合った。

彼女はスペインに留学する必要が無いくらい、スペイン語が堪能だった。

大学の授業が楽勝なので暇を持て余し、ロシア語のレッスンに通っていた。

 

「私、アメリカでもロシア語を勉強していたんだよ。どう、私と一緒にロシア語をやってみない?」

 

ジーナから誘われた。

やるわけがない。

スペイン語でさえ手を焼いているのに、どうしてロシア語を勉強せにゃいかんのだ。

 

何度も断ったのだが、ジーナは

「自分が使っていた教科書を無料であげる」だの、

「ロシア語の体験レッスンは無料だ」だの、

無料という甘い言葉で?私を誘い続けた。

 

結局、「1度だけよ」という約束で、私はジーナの通うロシア語学校へ行くことになった。

語学学校で受付を済ませると、体験レッスンの教室に案内された。

先生は銀髪の美しい、年配のロシア人女性だった。

彼女は流ちょうなスペイン語を話した。

 

ジーナからもらった教科書は、どえらい古い教科書だった。

挿絵のイラストがクラシックで?私が描いた方が上手かも…(笑)。

 

受講していた学生は、皆、私と同年代のスペイン人学生たちだった。

ロシア人の先生はとても優しく、分かりやすいスペイン語でロシア語文法を説明してくれる。

雰囲気が和やかで、私はスペイン人学生たちとすぐに仲良くなった。

 

体験レッスンが終了。

「次回も来てくれるわよね?」

と先生に聞かれる。

 

いや、1回だけのつもりで…。

と言うと、スペイン人学生たちが「え~せっかくだから一緒に勉強しようよ!」と口々に言う。

授業料は1か月約1,000円だった。

私も彼らと知り合って楽しかったので、じゃあ1か月だけやろうかな、と決めた。

 

「どうだった?」

教室から出てきた私に、ジーナが聞いた。

私はもごもご言いながら、あと1か月だけやってみることにした、と告げた。

私がロシア語を勉強することになったと知ったジーナは大喜び。

「一緒に勉強しようよ!」と大興奮。

いや、そんなにロシアに思い入れはないんですけど…。

 

で、スペインの大学に通いながら(って、こっちがメインだし)、ロシア語レッスンにも行き始めた。

講師はあの体験レッスンを教えていた、年配の美しいロシア人の先生だった。

この先生は長年ロシア語を教えていて、教え方が上手だった。

 

そして2か月目。

1か月でやめるはずだったのに、2か月目もズルズルと通っていた。

ジーナには「スペイン語の方が忙しいので、ロシア語は本当に今月でやめるよ」

と言っておいた。

 

ある日、教室に行くと、ロシア人の先生のかたわらに見知らぬ若い黒人男性がいた。

皆が着席すると、ロシア人の先生はその若い男性を紹介した。

「みなさん、こちらはラウール先生です。今日から会話レッスンを担当します。よろしくね」

 

どうやら、ロシア人の先生は文法を担当し、新しく来たラウール先生はロシア語会話を担当することになったらしかった。

このラウール先生が、くせものだった。

ラウール先生は、ロシアに長年留学していたキューバ人だった。

(ロシアとキューバの関係については、本ブログの読者の方には説明不要と思いますので割愛)。

 

この先生は、ものすごくロシア語が堪能だった。

ロシア人の先生が教室を去ると、ラウール先生は突然ロシア語を話し始めた。

我々学生はきょとんとしている。

 

先生は立て板に水のロシア語で、次々に生徒の名前を呼び、何やらロシア語で質問を始めた。

あわわ…。

その単語、聞いたことがあるぞ。

って、先生のロシア語が早口過ぎて、耳がついていかない…。

 

スペイン人の学生(及び私)は、内心ひやひやしながら、必死に頭を回転させ始めた。

なんとか先生の質問をロシア語で返し、緊張の一時間が終わった。

 

会話の授業が終わると、ラウール先生は突然スペイン語を話し始めた。

キューバ人なので、当然スペイン語が話せるわけです)

スペイン人学生の一人が、挙手して文句を言った。

「先生のロシア語が早すぎて分かりません。」

 

すると、他の学生も口々に文句を言い始めた。

「ロシア人の先生は、スペイン語でロシア語の文法を解説してくれるのに!」

スペイン語を使って授業をやってください!」

 

ラウール先生はニヤニヤしながら答えた。

「君たち、スペイン語を使ってロシア語を勉強していたら、いつまで経ってもロシア語が上達しないよ。」

教室はしんとした。

 

先生は続けた。

曰く、ロシア人の赤ちゃんだって最初から文法を学ぶわけではない。

赤ちゃんは耳から単語や文法を覚えていくものだ。

君たちも、じゃんじゃんロシア語に耳を慣らした方がいい。

だから、会話レッスンではスペイン語を使わない。

 

ラウール先生は、教科書を広げて指し示しながら言った。

 

「だってさ。マーマ・ドーマ(お母さんは家にいる、という意味)なんて文章、一体どこで使うの?

いいかい、君たちに必要なのはロシア語のシャワーだ!

分からなくてもいい。

どんどん耳を慣れさせて、ロシア語に慣れることが肝要なのだ!」

 

ラウール先生の長広舌を聞きながら、私はやれやれと思った。

スペイン語でロシア語文法を説明されたって、そっちの方が私には分からんのだ。

むしろ、スペイン人の分からないロシア語で説明してもらった方が、私もどうせ分からんのだから平等だ。

 

というわけで、私はラウール先生の教授方法(直接法)には大賛成。

しかし。

 

このキューバ人、まあよくしゃべるしゃべる。

スペイン語を話しても機関銃を乱射しているような感じなのだが、ロシア語も同じく。

多分、先生自身が早口&おしゃべりなんだろう。

ロシア語のシャワーは十分浴びたが、それがアウトプットになるのには相当時間がかかりそうだ。

 

私をロシア語の世界に引き込んだジーナは、スペインの大学をやめてロシアに留学することになった。

まあ、彼女にとっては母国語とそん色なくスペイン語が話せるわけだから、スペインにいる意味はあまりなかったんだろう。

 

ジーナがロシアに去ってからは、私もロシア語レッスンへ行く意味があまり見いだせなくなった。

そもそも、スペインにいる理由はスペイン語を勉強するためなわけだし。

 

そんなわけで、2か月終了した後に私はすっぱりロシア語をやめた。

ラウール先生は面白かったが…。

 

短期間ではあったがロシア語を勉強したおかげで、キリル文字を読むことくらいはできる。

東欧関係の仕事をしたときに多少役立った。

 

ところで私が一番面白いと思ったものは、ジーナのくれたロシア語テキストに描かれていたイラストである。

どえらい古いテキストで、教科書の挿絵がまた古臭いイラスト。

しかし、私の下宿先の小学5年生の息子が、このイラスト(マンガ?)にドはまりした。

 

彼はもともとマンガが大好き。

当時のスペインでは、マンガやマンガ作家さんをほとんど見かけなかった。

だからなのか、マンガ好きのスペインの子どもはマンガに飢えていた。

彼はお小遣いでフランスのAsterixとかタンタンのマンガ本をそろえていた。

 

私がロシア語の宿題をやっているのを目撃した彼は、「dibujo!(ディブホ、絵、イラストのこと)」と叫んで駆け寄ってきた。

何が珍しいのかと思いきや、ロシア語の教科書に描かれていたそのイラストがうれしかったらしい。

「ねえ、この本見せて見せて!」

と言って、ロシア語テキストをパラパラめくり、イラストのあるページを探していた。

 

その後、たまに私の部屋へやって来て、

「Dibujoを見せてくれ」という。

こんなクオリティの低い?イラストの何が面白いんだろう…と思ったが、マンガが大好きな彼にとっては貴重な絵だったらしい。

 

ジーナが使い込んでボロボロになったロシア語の教科書を手に取ると、イラストのあるページをうれしそうに見ていた。

今は、日本アニメやマンガを見て成長したかつての子どもたちが、もっとクオリティの高いマンガを描くようになっているんだろうなあ。(スペインのマンガ事情、気になりますね)

 

私はそれ以来、ロシア語を勉強していない。

しかしラウール先生が強烈だったせいか、キューバ人のイメージはいまだに変わらず「おしゃべり」だ。

 

ジーナには感謝している。

違うことをやってみると、また違う世界を知って新しい友達が出来るものだ。