「××で〇〇をする」というタイトルを、また付けてしまった。
とはいっても、シリーズ化できるほど、こういう体験をしているわけでもない。
コートジボアールは、読者の皆さんもご存じの通りフランス語圏だ。
フランス語は、私はいまだに得意ではない。
得意ではないので、アビジャンに住み始めてからフランス語レッスンを探した。
個人で教えている人が見つからなかったので、アビジャン大学(現在のココディ大学)のフランス語コースを履修することにした。
生徒は、日本人駐在員の奥様もいたし、国連職員もいた。
シエラレオネから逃げてきた難民の方もいた。
今も西アフリカの政情は安定していないのだが、当時もコートジボアールには隣国リベリア(英語圏)や、その隣シエラレオネ(英語圏)から逃げてくる人が多かった。
西アフリカは、英語圏と仏語圏の国が入り混じっている。
英語圏から難民としてコートジボアールに逃げてきた人は、仏語圏コートジボアールで生活に支障をきたす。
そういう人たちがフランス語講座を履修していたのだ。
このフランス語講座で友人が増えた。
かなり前の記事に書いたナイジェリア人の尼さんも、私のクラスメートだった。
シエラレオネ難民の女性は、陸路が危ないと聞いたので船でコートジへ逃げたという武勇伝?を聞かせてくれた。
同じクラスを取っていた日本人駐在員の奥様は、アフリカ生活に興味津々なのだが、他の駐在員の奥様たちと話が合わないようだった。
「アビジャン大学でフランス語を勉強する、と周りの人に言ったら、笑われました。」
どうして?
「そんなの勉強する必要ないって言われました。」
彼女の話を総合すると、駐在員の奥様方は、現地人運転手や家政婦とコミュニケーションするときは、夫に頼んで現地人へ伝えてもらうのだとか。
なので、わざわざフランス語を勉強する必要はないのだそう。
「買い物に困るんじゃないの?」
と聞くと、買い物はコートジボアール人家政婦がやるので、フランス語を学ぶ必要はゼロだという。
「タクシーに乗るとき困るでしょ?」
いや、現地のタクシーやバスに乗ることは絶対にない。
だってお抱え運転手がいるわけだから。
なるほど…。
う、うらやましい生活じゃ。
そういやあ、インドネシアの駐在員妻も「インドネシア語を勉強する必要はない」と言っていた。
家政婦と運転手がいれば大体の用事は足りるし、ほかの現地人と接する必要はないからね。
アラビア語の話に戻る。
フランス人の言語学者と知り合ったのだが、私も言語オタクなので意気投合した。
彼は世界中、言語を求めて放浪しているのだが、今までに勉強した言語で一番難しかったのはアルメニア語だという。
「へえ~そうなんですか!」
よく分からんので、適当に相槌を打っておいた。
アルメニアは興味のある地域の一つであるが、アルメニア語なんて勉強しようとは思わないぞ。
彼は長々とアルメニア語の魅力と難しさについて語ってくれたのだが、どこかの遠い話。
今の私にとってはフランス語習得が急務だ。
適当に話を合わせていたら、彼は『僕はアルジェリアにしばらく住んでいた』と言いはじめた。
でも、驚くことではない。
アルジェリアはフランスの植民地だったし、かつてのフランスは3Kの仕事に就く人がおらず、大量に北アフリカの移民を受け入れた。
日本にイランとかパキスタンの労働者があふれたのと同じような感じだ。
フランスと北アフリカの関係はさておき。
「だから僕はアラビア語が堪能なんだ」
とその言語学者は言い始めた。
さようですか。
適当に聞き流していた私だが、周りの人たちが「すごいですねえ!」と騒ぎ始めた。
アラビア語は文字が書けるだけでも大したものらしい。
日本語も、ひらがなが読み書きできるだけでも大したもんだ(ひらがなだけじゃ日本で生活できないけどね…)。
なぜそうなったのか、経緯を覚えていないのだが。
周りの学生たちとの話の流れで、彼はアラビア語レッスンを開講することになった。
「わ、面白そう!じゃあ私も勉強しますよ!」
「僕もぜひ!」
と周囲がわいわい騒ぐ。
私は(アラビア語なんて絶対に勉強しないぞ)と思った。
何度も言っているが、フランス語だけで手いっぱいなのだ。
アラビア語なんて勉強する余裕があるわけがない。
だいたい、そんなに頭が良くないんだから、あれもこれも頭に入りませんよ。
「あなたも来ますよね?」
とその言語学者に言われ、私は首をふった。
「え?どうして来ないんですか?」
と相手は不思議そうに聞いてくる。
「ごめんなさいね、私は遠慮しときます」
と言ったのだが、周囲の学生たちがわいわいと騒ぐ。
「せっかくだから、みんなで勉強しましょうよ!」
「あなたが来ないとつまんないですよ!」
あのなあ。
頭のキャパ小さいんだから、パンクするっちゅうの。
頼むから、私抜きでやってくれ…。
何度も断ったのだが、周囲に説得されて結局アラビア語レッスンへ参加するはめになった。
「絶対勉強しない!」と意地を張り続けるのも大人げないかな、とも思ったのだ。
しかし、「周囲に押されて新しい言語を勉強するはめになる」って?
以前もこんなことがあったような気がするなあ…。
で、アラビア語レッスン初日。
当然なんだが、フランス人言語学者はフランス語でアラビア語を教える。
コートジボアール人たちはフランス語が分かるからいいけどさ。
フランス語で説明されたアラビア語文法が理解できるほど、私のフランス語のレベルは高くないのだよ!!
アラビア語は、まあまあ面白かった。
フランス語やスペイン語は文字がアルファベットなので、文字の学習をする必要はほとんどない。
(例えばスペイン語ならNの上にティルデと呼ばれる、ニョロっとした記号(̃)が付いたりするが、覚えるのは簡単だ)
『数字が分かれば大したもんだ』と言われるのも分かる。
それにしても、アラビア語習得以前にどうでもいい難問が立ちはだかる。
アラビア語の授業が全部フランス語で進行していく、ってのがねえ。
しばらくはコートジボアール人同級生?たちの力を借りて勉強していたが、私はついに音を上げた。
「じゃあ、また気が向いたら来てくださいよ。」
フランス人言語学者は、快く理解してくれた。
そうさせていただきます…。
やっぱり、自分が希望して勉強するのでなければ、なかなか長続きするものではない。
しかし、アラビア語が出来たら中東で楽しく生活できるかも?という夢を一時見ることが出来た。
アラビア語を真面目にやらざるを得ない状況になったら、一生懸命勉強するのかもしれないなあ。
人間というものは、『やらにゃいかん』という状況に追い込まれないと、本気を出さないのかも。
余談だが、アビジャン大学フランス語コース終了後に、修了証の贈呈式があった。
その後、生徒や講師を交えて小さなパーティーがあった。
このパーティーでは、参加者の持ち寄り料理ウェルカムということになっていた(というか、料理を出す予算がないんだろう)。
各参加者がスナックやおつまみを持参し、パーティーは和やかな雰囲気で進行した。
私は、スペインオムレツ(tortilla española)を持参した。
なにせ、ジャガイモと卵、玉ねぎ、にんにくと塩、油さえあれば作れる。
食材の少ないアフリカでも十分作れる料理なのだ。
これを自宅の小さいフライパンで作り、ピザのごとく切り分け、アルミホイルに包んで持参した。
パーティーのテーブルに置き、まずは他の参加者が持参した料理をいただきました。
その後、自分のトルティージャを食べようとしたところ…。
コートジボアール人の男性講師Aが、私のトルティージャをほおばっていた。
別の講師に、「これ、うまいよ」と言いながら、次の一切れに手を伸ばす。
お前…それ以上食うんじゃない。
製作者の私だって、一切れくらい食べたい。
私の観察によれば、海外慣れしている人や高学歴者、知的好奇心の強い人ほど、食に対してはチャレンジングな人が多い。(日本人にも当てはまる)
そうでない人は、自分が普段食べている物の範疇を死守し、他国料理は拒絶する。
そういう経験則があったので、どうせ?コートジボアール人たちは「アフリカ料理しか食べない」んだろう、と予想していた。
だからこそ、ひねった料理ではなく、誰もが食べられそうな?卵とジャガイモで料理を作ってきたのだ。
私はおじさん2人の行動をじっと見守っていた。
食べてくれるのはいいが、一人占めしろとは言っていない。
やつらがテーブルから離れたチャンスを狙って、ササっとオムレツの前に移動した。
アルミホイルの上に残っているのは、オムレツのカスしかなかった。
くっそお~~~!やられた。
あいつらめ…。
この時のパーティーの写真は今も残っている。
私はコートジの民族衣装に身を包んで、女性講師と共に笑顔を向けている。
しかしこの写真を見るたびに、トルティージャエスパニョーラのことを思い出す。
(結局、食べ物の恨みはいまだに思い出すわけだなあ…。)
またまた話が脱線してしまいました…。
皆さま、おいしい物を食べて、良い週末をお過ごしください!