オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ドイツの友人

 

先日、最近撮影した写真をドイツ人の友人に久しぶりに送った。

送付前によくよく見たが、「何となくお腹が出ている気がする」「老けたなあ」と思う。

まあ、他に適当な写真もないので、「最近太ったんだよね」と言い訳をして送っておいた。

 

すると彼から返事が来た。

「誰しも20代の時より1キロくらい太っているさ!」

1キロなんてなま易しい太り方ではないんだが…。

お気遣いありがとうございます。

 

この彼は以前の記事にも登場した人物なのだが、「休暇命」である。

ワクチン接種がドイツでも進み、彼を含む2度の接種終了者はウキウキして、さっそく休暇のプランを練り始めているそうである。

日本と同じですね。

 

で、聞いてもいないのに、

「この前の旅行ではトリエステまで行った」だの

「自転車旅行もいいもので、ヨーロッパのどこそこを制覇した」だの、

旅行の話となると長い。(さすがおっさんだ)

 

なんでそんなに旅行ばっかりしてるの?と尋ねると、

「そりゃあ、心を空っぽにするためだよ!」

 

曰く、仕事で日々忙しいし(と言いながら、仕事が終わってから湖で泳いだりしてるくせに)、毎日の生活から離れることが必要なんだと力説する。(離れすぎじゃねえか)

なかなか休暇の取れない日本人からすると、それだけ長い休暇をエンジョイしているヨーロッパ人がうらやましい。

 

で、「君は一体今は何をしてるんだ」

と聞かれた。

 

日本もドイツ同様、コロナで自宅にいる時間が増えた。

なのでブログを始めたり(このブログのことです)、フランス語やスペイン語の勉強をしたりしている、と答えた。

 

すると。

「なんで日本人はそんなに真面目なんだ!」

と来る。

 

真面目ですかね?

 

「真面目だよ!

大体ねえ、2つの言語を同時進行して試験を受けるだって?

なんてambitiousなんだ!」

 

叱咤?なのか説教なのか?分からん。

「日本人の真面目さはよろしくない」というヤツの持論が始まった。

 

だって海外に行けないヒマ時間に語学の勉強、悪くないだろう?

とこっちは思うが、向こうはそういう思考回路ではない。

 

「ストリートに出て、フランス語(もしくはスペイン語)をしゃべりまくる。

それこそが生きた語学の習得だ!」

 

から始まった。

コートジボアールに君が住んでいた時だって、現地の人と会話してフランス語を覚えたんでしょ?」

「スペインだって同じだったじゃないか!」

(彼はスペインの大学の同級生なのです)

 

面倒くさいなあ…。

ドイツがヨーロッパでは一番まじめな国だと私は思っている。

ヤツがこんな感じだと、不まじめの評判高いギリシャ人(失礼)とかイタリア人(失礼)とかは、どんな人生を送ってるんだ…と想像すらできない。

 

私が耳をふさいでいると、最後には、

スペイン語もフランス語もラテン系言語でしょ?

じゃあラテン系みたいに、いい加減に勉強すればいいんだよ!

どうせ奴らだって適当に語学を身につけてるんだからさあ」

 

(ラテン系=いい加減、って偏見ですよ)

(奴らはどうせ適当に語学を身につけてる、ってどうやって分かるんだよ)

 

いや、適当にやってフランス語が頭に入るほど、私の頭は良くないのだよ。

第一、「ストリートに出て」ってさ。

 

日本でストリートに出て、誰が私にフランス語を話しかけてくれるのさ?

NYと違って、「西アフリカ人街」なんて日本には無いのだよ。

(こういう時はNYが懐かしいですね)

 

と、こっちも言いたいことは沢山ある。

しかし。

 

こうやって、たまに私を違うベクトルに引き戻してくれる友人の存在は大きいんだろうな、と思う。

日本だと、「コロナで自宅にいる時間が増えたので、その時間を活用しないともったいない」

と考える人が多いと想像する。

 

周りの日本人の友人たちとも、色々な話をする。

コロナで息が詰まりそうだとか、早くみんなで会いたいねとか、そんなことだ。

そういう友人たちの存在も、私にとってはとても癒されるものだ。

 

みんなだって大変な時間を過ごしている。

だから私もコツコツと語学を勉強して、コロナ明けに備えよう。

なんて思う日々が続いている。

 

しかし、こうやって海外の友人と連絡を取ると、今のうつうつとした気持ちがぶっ飛ばされるような気持になることがある。

つっこみどころが満載だからなんだと思うが、こういう人間関係があると案外気がまぎれるのかもしれない。

まあ、「ストリートに出ろ」を意訳すれば、「海外に行ってフランス語(またはスペイン語)を話せ」ということなんだろう。

 

そこで思い出した。

2021年のノーベル物理学賞は、米プリンストン大学の真鍋先生が受賞者の1人だった。

真鍋氏が米国籍を取得した理由が、「日本に帰りたくない」だった。

 

日本では、互いに相手に気を遣い、調和の中で生活している。

でも、自分は他人に気を遣うのが得意でなく、自分の好きな研究をやりたかった。

だから、米国の方が性に合っている。

 

みたいな内容の話を、冗談に紛らわせながら話された。

 

米国の方が研究費がふんだんに付いていて、好きな研究に集中できる環境が整っていた、という意味も含まれると思う。

でも、この談話を聞いた海外在住経験者は、「うんうん、分かる!」と思った人も多いんじゃないだろうか。

 

私の周囲の帰国子女からも、

「海外生活経験者というだけで『どうせ生意気なんだろう』と言われた」

という話をよく聞く。

そういう先入観を持っている人は多い。

 

海外在住者が全員、英語が堪能なわけじゃないんだけどね…。

それに海外大学出身者が全員、優秀なわけでは全く、ない。(←自信をもって言える)

今は海外生活経験者に冷たい時代じゃなくなっているようで、良かったです。

 

真鍋先生は、こういうのがだんだん煩わしくなってきたのだろう。

(当時はもっと日本社会は冷たかっただろうし)

彼は一度、米国から日本へ帰り、日本で働いたのに再び米国へ戻っている。

真鍋先生のコメントを聞いて、私の周囲にもああいう人が結構いるなあ、と思った(自分もかな?)。

 

しかし、どうしても性に合わない日本を離れ、本格的に米国へ移住となると別問題だ。

何が自分には重要で、そのために些末なこと?を捨てる、という優先順位をつけなければならない。

真鍋先生は他人に気を遣わずに自分の研究に集中したい、という自由を取ったんでしょうね。

(料理上手な奥様がいらっしゃるので、米国の食事は気にせずに済むのかも)

 

さて、米国へ移住するほど引く手あまたではない、凡人の場合。

 

一応、私だって日本で浮かないように努力はしている(つもりだ)。

でも、やりたくないことは出来ない性分なのだ。

一般的日本人は私の2,000倍は周囲への配慮を欠かさず、やりたくないことも笑顔でやっている(偉すぎる…)。

自慢じゃないが、私は職場のお局様から呼び出され、「飲み会に出席しないなんてありえない」と説教を受けたこともある。

 

では、完全に浮いている環境で、どうやって適応しているかのように見せかけるか。

これが問題。

 

よく、「はっきりしている」と言われるので、どうやら冷たいとかキツイとか思われているらしい。

(これは、私のことをよく知らない人から言われる。親しくなった人からは真逆のことを言われるんだが…)

ま、そんなんで初対面の雰囲気を和らげるために、ピンクや黄色などのパステルカラーの服を選んだ方がいい、と物の本に書いてあった。

 

というわけで、さほど好きじゃないピンクのブラウスを持っている。

好きじゃないので、あまり着ない。

自分としては異端児にならないよう、日本社会に寄せる努力を日々続けているつもりなんだが、やはり性に合わないことは長続きしない。

 

ピンクの服も、今ではタンスの肥やしになっている。

だんだん自分を偽るのが面倒になってきたようだ。

 

まあ、最低限のところを押さえていれば(仕事をしてお金を稼ぐとか)、後は自分を偽る必要もないのかも。

友人は少ないが、「良い友人が少しいればいいや」と思うようになってきたし。

 

友人の数は少なくても、みんな気楽に話せる友人たちだ。

じゃあ、良い友人に恵まれ、いい人生を過ごしているということになる。

(なんだ、じゃ文句言えないじゃん)

 

あのぶっ飛んだドイツの友人も、私の人生を楽しく彩ってくれる貴重な存在なのかも。

ヤツもどうせ真面目なドイツでは浮いているんだろう。(勝手な想像)

おっしゃる通り、早く「ストリートに」出られるようになりたいものです。

海外が好きな人は、相手が自分に対して偏見の目で見ないことに対して、自由を感じているのかもですね。