スペインには古い建物がたくさんある。
ホテルや安宿も、古い建物に入っていることがある。
スペインにはパラドールと呼ばれる、高級な宿泊施設がある。
それらはたいていお城を改造したとか、そんな感じだ。
まかり間違っても私はそんなところに宿泊する予定はない。
予算が少なくても泊まれるところはというと。
スペインには「オスタル」と呼ばれる、ホテルより少しランクが下がる宿泊施設がある。
私は旅行するたびに、ガイドブックを見ながら安いオスタルを探して泊まっていた。
オスタルは、普通の民家を改造して作った施設もある。
セゴビアだかトレドだかに宿泊した際に、安いオスタルに泊まった。
石造りの建物は古く、1階のドアを開けると上階への階段がある。
その薄暗い階段を上へ登っていく。
たいてい、安い宿泊施設は2階以上にあったりする。
安物のドアを開けると長細い廊下が続き、そこに小さなテーブルを置いて食事をしている人がいる。
奥へ進むと、部屋がいくつか現れるという間取りだった。
オスタルの自分の部屋へ旅行の荷物を置くと、ホッとした。
まずは大きなリュックを部屋に置いて、財布とパスポートという軽装になってから街歩きをしたかったのだ。
小さなカバン一つでオスタルを出て、身軽になって町に繰り出した。
「あれ?忘れ物をしたかも」
私は地図を部屋に置いてきてしまったことに気づき、オスタルに戻った。
建物の狭い階段を上がって…そうそう。
何階だったっけ?
私は階段を駆け上がり、緑のドアをバンと開けて中に入り、細長い廊下を進んだ。
細長い廊下に小さいテーブルを出し、そこで食事をしているおばちゃんとおじさんがいた。
彼らはあんぐり口を開けて、無言で私を見た。
「だって、しょうがないじゃないの!忘れ物をしちゃったんだから!」
私は笑いながら廊下を進み、食事中のおばさんたちに話しかけた。
ん?
廊下の突き当りまで行って、私は自分の部屋を二度見した。
あれ?
ドアの色が違う…。
ようやく、私は気づいた。
ここ、自分のオスタルじゃない。
慌てて私はその長細い廊下を逆に戻った。
おじさんとおばさんは、細い廊下に置かれたテーブルで食事を続けている。
間取りは全く同じで、細長い廊下に置かれた小さなテーブルも似ている。
しかし、このテーブルクロス、この内装、このおじさんとおばさん…。
全てが違う。
ヤバい、間違えた。
私はどうやら2階と3階を間違え、別のオスタルへ侵入してしまったのだ。
上下全く同じ間取りで、似たようなオスタルを経営しているらしい。
自分のオスタルは青いドアだった。
だって、ドアを開けたらすぐに開くからさ。
自分のオスタルだと思っちゃったんだよ…。
しかし、あのおじさんとおばさんも、見知らぬ侵入者が来てもワインを飲んでいるわけか。
まあ、たくさんのぶしつけな外国人旅行者がいるから、気にしないのかな。
こうやって、「間違って妙なところに入り込んでしまった」という経験が、なぜかスペインでは何度かある。
多分、石造りの古い建物は部屋がたくさんあるからなんだろう。
アメリカみたいに近代的な建築物が多い国では、こういう失敗はほぼない。
私はスペイン人家庭に下宿していた。
私のホストファミリーは古い石造りの建物の1階に住んでいた。
パティオ(中庭)があって、そこで洗濯物を干したり、日光浴を楽しんだり。
なかなか居心地のいい家だった。
2階にはホストファミリーの両親が住んでいた。
子どもたちが独立して部屋が余っていたので、留学生何名かに部屋を貸していた。
と、ここまでは私も知っているつもりだった。
1階と2階に同じ家族が住み、余っている部屋を留学生に間貸ししていたことを。
ある日。
2階に住んでいるおじいさんが、第3のテナントの存在を知らせてきた。
そのテナントは留学生ではなく、スペイン人アーティストの男性だった。
そのテナント氏の名前をイニャーキさん(仮)としよう。
「そんな男性、いつの間に住んでいたの?」
と聞いたら、数か月前に「空き部屋は無いか」と言って尋ねてきたスペイン人男性がいたので、中二階を貸したのだという。
中二階?
そんな部屋があったのか!
うーむ。
一年間ここに住んでいた私でも、中二階があるとは知らなかったぞ。
と玄関で話していたら、当該イニャーキ氏が現れた。
頭は葉加瀬太郎みたいな感じで、小太りだ。
おじいさんと退去日について話しているので、私はそっとそこを離れた。
退去時には部屋を片付けるように等、色々おじいさんに注意されていたが、イニャーキ氏はへらへら笑っていた。
その日からほどなくして、イニャーキ氏は退去していった。
アーティストだからなのか、夜に騒音を立てたり男性を連れ込んだりして、2階の老夫婦は困っていたらしかった。
「イニャーキさんが退去したんだけど、鍵を返してくれただけなんだよね。
本当に掃除してくれたのかね」
と言いながら、2階の老夫婦は例の中二階の部屋へ入った。
私たちもぞろぞろと、初めて見る「中二階」の部屋に入った。
なんだこりゃ。
部屋に入ってみると、正面に置かれていたもの。
老夫婦が貸した木製の椅子に、ミロよろしく赤と青の二重丸がペンキで描かれていた。
なんだこりゃ…と私たちは、数回同じ言葉を口にした。
さすがアーティスト、部屋がだいぶ汚らしい…というか、勝手にペイントしている。
人の好い老夫婦は「やっぱり汚いねえ」だの、「まあ、退去してくれたからいいか」などと言っている。
私は中二階の部屋を見渡して、素敵な窓辺を見つけた。
いい部屋じゃないの!
小さいがキッチンやシャワーもあり、小さなリビングと小さな寝室。
中二階なので、その窓辺からパティオも見下ろせるわけだ。
一人暮らしなら十分だ。
こんな素敵な小部屋(というか、中二階の部屋)があったとは。
だったら、ここに住みたかったなあ(一年間、知らずに過ごしてしまった!)。
私の住んでいた町には、大きなカテドラルがあった。
(スペインは『学校は無くても教会やカテドラルはある』と言われる国なので、どこの町にでもカテドラルはあると思います)
そのカテドラルは中世に建築された古い石造りの大聖堂で、観光名所になっていた。
ある日、日本人の友人とそのカテドラルへ行った。
「僕はここの神父さんと友達になった」と言って、彼は参拝料金を支払わずに、するりとカテドラルの中へ入った。
(本来は観光名所なので、入館料を支払わないと入れないのです)。
え?無料で入るの?
どうしよう…と思っていると、入り口で料金を集める、黒い服を着たおばあさんが私を見て、無言でうなずいた。
どうやら、彼に続いて私が入館料を支払わずに入ることを黙認してくれるらしい。
ありがとうございます…。
私はこそっとカテドラルの中へ入った。
カテドラル内部へ入った彼は、観光客が入らない薄暗いカーテンの奥へと進んで行った。
私も慌ててついて行く。
そこからは階段が始まっていた。
どうやらこの階段は、カテドラルの上へ続いているらしかった。
石造りの階段を、彼はどんどん上に上がっていく。
へえ、こうやって上に登れるわけだ…。
私もその階段を登っていった。
思ったより狭くもないし、急傾斜でもない。
ステンドガラスがあちこちにはめられ、午後の美しい光が赤茶けた室内の石段によく映える。
なかなか雰囲気のある、素敵な階段だ。
登っていくと、少し開けた踊り場のようなところへ出た。
そこに小部屋があり、部屋のドアが開いていた。
「オラ!」
友人が声をかけると、ドアの奥から若い神父さんが顔を出した。
「お!よく来たね。コーヒー飲んでく?」
中をのぞくと部屋は意外と広く、2名の神父さんがキッチンでコーヒーを沸かしていた。
さすがにカテドラルの中なので派手派手しい部屋ではなく、かなり落ち着いた印象の部屋だ。
しかも、石造りのはずなのに暖房がとても効いていて温かい。
「これって住居なの?」
と私が尋ねると、友人はうなずいた。
「彼らはここで生活してるんだ。こんな部屋が結構あるみたいなんだよね。」
なるほど。
彼によれば高級な部屋ではないが、シャワーやトイレ、キッチン等、必要最低限の設備はあるし、賃料は安いらしい。
「カテドラルの中に住むのが我慢出来れば、学生さんには安い部屋だよね~」
こんな部屋(しかも一般人が借りられる)がまさか、観光名所のカテドラルの上にあったとは知らなかった!
神父さんの1人は、私にもコーヒーを勧めてくれた。
「ねえ、こっちで飲まない?こちらの方が眺めがいいよ」
神父さんは踊り場の途中にある、小さな出口を示した。
こんなところに出口が?
神父さんがその小さなドアを押して開けると、午後の明るい日差しが踊り場一杯に広がった。
そのドアから、神父さんは外へ出て行った。
我々もコーヒーカップを手にしながら、神父さんに続く。
出口から外に出ると、そこからカテドラルの屋根が始まっていた。
思ったより広く安定感のある場所で、オレンジ色の瓦が美しい。
神父さんは、その屋根の上に座った。
私たちも神父さんの近くに座った。
おお!
こんなに高いところまで登ってきたんだ。
その階はカテドラルのすでに上の方らしく、屋根の上に座ると町全体が見渡せた。
「いいねえ!」
と私が言うと、神父さんもにこっとした。
「いいでしょ?」
我々3人はそのカテドラルの屋根の上でコーヒーをすすりながら、しばらく町全体を眺めていた。
なんだ~。
もっと早くこの物件?を知っていたら、ここに住んだのに!
しかしこういう特殊?物件は、しばらくスペインに住んでいないと分からない物件なんだろうなあ。
こういう古いスペインの建物には、人が住める小部屋が隠し部屋のようにある。
それをもっと早く知っていたら、こんな面白いところに住みたかったんだけどなあ。
と今も思っています。