日本語を外国人に教えたことがある。
日本語を学ぶ生徒の国籍は常に様々。
ある時、ネパール人ばかりを担当したことがあった。
ネパール人に毎日囲まれていると、いやがおうにでもネパールのことが少しずつ理解できるものだ。
それまでは、ネパールと言えばインドの影響が強い(つまりヒンドゥ教&カレー王国)ヒマラヤの小国、くらいの情報しか知らなかった。
たとえば。
私はネパールでは英語が話されている、とずっと思っていた。
ネパールにはネパール語というものがある。
それは知っていた。
それでも私は、ネパール人なら誰でも英語が分かると思いこんでいたのだ。
これは全くの勘違い。
英語が全然できない学生もとても多かった。
ちなみにお隣のブータンは、英語教育が徹底している。
そのため、ブータン人はかなり英語が話せる。
なので、私も「ネパールも多分英語が流通しているんだろう」と勘違いしていたのかもしれなかった。
で、肝心のネパールだ。
留学生が来日すると、我々は彼らの日本語レベルチェックをする。
相当勉強してきた者もいれば、自分の名前(カタカナ)さえ書けない者もいる。
彼らと簡単な日本語で会話してみて、「あ、相当できるな」という子はレベルの高いクラスに入れる。
初級レベルにも満たない子は、下のレベルのクラスに入るわけだ。
その後、試験等を重ねてクラスをシャッフルしていく。
日本語ができる学生にとっても、海外(つまり日本)で生活するのは簡単ではない。
まだ勉強していない漢字もたくさんあるし、日本人のしゃべるスピードは速い。
住居はどうやって見つけるのか、授業が分からなかったらどうするか、携帯電話はどうするか。
生活のすべてを、日本語でどうにか解決しなければならない(って、どの国へ留学しても同じですが)。
ある日、ネパール人学生の一人がおずおずと私に言った。
「駅で定期券を買いたいのだが、どうやって買っていいか分からないので教えてほしい」
いいよ。
教えてあげましょう。
彼女と駅に行ってみると。
券売機の前に大量の学生が群がっている。
ん?
よく見ると全員ネパール人学生だ。
私がやってきたので、学生たちはササっと道を開けた。
「日本人が、定期券の買い方を教えてくれるぞ!」
私はネパール人たちに取り囲まれ、どうやって定期券を買うのか教えるはめになった。
こういう場合は1人にきっちり教え、その学生が残りの学生に教える、というのが一番楽だ。
こんな感じで、彼らは初めて生活する外国・日本で、分からないことに毎日ぶちあたる。
日本語で解決する能力があるならいいのだが、そこまで語学力の無い学生は大変だ。
ま、本人が頑張って日本語を勉強し、何とかするしかないのだけど。
「一体、どうやったらこんなに日本語が出来ない子が日本へ留学できたのだろう?」
と思うような、日本語レベルが下の下の学生がいた。
仮にバハドゥル君としておく。
彼は毎日笑顔でニコニコしているのだが、まったくもって日本語レベルが低すぎる。
宿題も間違いだらけ、文字もきちんと覚えていない。
ネパールで勉強してきたのは分かるのだが、いやはや。
英語が少し分かれば日本人と会話ができるのだが、バハドゥル君は全く英語が出来なかった。
彼のように、ネパール人学生の中にはまったく英語を解さない者も少なくなかった。
これは、私にとっては衝撃だった。
こうなると、「簡単な日本語」以外に彼らとコミュニケーションを取るツールが無い。
バハドゥル君の話(カタコト日本語だが)を聞いていると、どうやらいいところのお坊ちゃんらしかった。
母親に大変可愛がられて育ったらしく、日本へ行くのも留学というよりは「遊学」らしかった。
親のビジネスを日本人顧客相手に拡大するべく、息子に日本語能力を身に着けさせたい、というのが彼の親の願い。
そんなお金持ちのネパール人もいるわけですね…。
親の期待に応えて、もっと勉強を頑張れよ…と思っていた。
ある日。
バハドゥル君が意気揚々と日本人スタッフのもとにやってきた。
ほぼほぼ日本語が話せない(?)彼が、一体どうしたのだろう?
彼の後ろには、2人のネパール人学生がおどおどしながらついてきていた。
私の同僚はすぐに気づいて、嘆息の声を上げた。
「まさか、君が通訳とはね!」
そうなのだ。
昨日来日したばかりの2名の新しい留学生を引き連れたバハドゥル君。
(ちなみにヤツは来日して3週間くらい経っていた)
自分は日本に来て、すでに3週間だ。
だから「日本生活の先輩」というわけ。
昨日来日したばかりのネパール人学生たちは、日本で知りたいこと、日本人に聞きたいことがあるらしかった。
でも、自分たちは日本語も英語も出来ない。
だから、バハドゥル君を頼りに3人でやってきたのだ。
「先輩」バハドゥル君を通訳として、日本人とコミュニケーションを取ろうという算段らしかった。
なるほどねえ。
私は、後輩を引き連れて得意満面のバハドゥル君の顔を眺めた。
君が彼らの通訳かい。
よりによって、日本語レベルが一番下のCクラスの、君がねえ…。
通訳なら、もっとレベルの高いクラスの学生に頼めばいいものを…。
(と、Aクラスの優秀な学生数人の顔が思い浮かぶ)。
笑ってはいけない。
バハドゥル君だって、同国人の前でカッコいいところを見せようと必死なのだ。
質問は、大した質問じゃなかった。
バハドゥル君は、こちらの回答をうんうんとうなずきながら聞いた。
後ろで不安そうに見守る後輩学生2人へ振り向き、彼らを見渡しておごそかにうなずいた。
そしてどうやらネパール語(もしくはネパールの部族語)で、「日本人はこんなことを言っているぞ」という説明を始めた。
へーえ。
私はバハドゥル君の意外な一面を見たように思った。
お坊ちゃんだが、案外面倒見のいい子なのかもしれない。
後ろで神妙な顔をしてバハドゥル君の説明を聞く学生たち。
今後は、バハドゥル君を介して彼らと意思疎通ができるかもしれないなあ。
それに。
「人に何かを教える」と自分の勉強にもなる、と言うではないか。
私の観察によれば、「頭のいい子」よりも、「頭はさほど良くなくても、積極的にしゃべる子」の方が語学の上達は早い。
その後、バハドゥル君はマイペースで日本生活に慣れていき、若いのに老成した感じ?に出来上がっていった。
日本語能力は、相変わらず優秀には程遠いのだが、本人なりに留学生活が充実しているらしかった。
まあ、それでもいいのかも。
全員が全員、「優秀」でなくてもいいんだと思う。
それにしても、あの時のバハドゥル君の得意げな顔は、いまだに思い出して笑ってしまう。
私の説明を彼は理解できたのかすら、怪しいものだ。
でも、誰かに頼りにされるという感情は、人を成長させるものですしね。
コロナが収まって来て、どの国も(日本以外は)留学生の受け入れを再開しているようだ。
外国人が日本で勉強するのは大変だと思うが、頑張って自国と日本の懸け橋になってほしいものだ。