オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ホットウォーター

 

坂井さん(仮名)という同僚がいた。

彼は途上国が好きで、学生時代は世界を放浪していたらしかった。

 

坂井さんは私の近くの部署で、ある業務を担当していた。

ある時、彼はラオスに出張へ行くことになった。

出張には某省庁の課長さんが同行するという。

 

ラオス?行ったことないけど、行きます行きます!」

 

途上国大好きの坂井さんは、ラオスに出張できると聞いて大喜びだった。

 

「某省の課長さんも連れて行かなきゃいけないんでしょ?」

私たちが憐れむと、彼は首を振った。

「昼間は同行しますけど、視察が終わったら夜は一人でラオスを楽しみますよ!」

 

しかし。

事態はそんなに甘くなかった。

坂井さんの出張先は、首都ビエンチャンではなかった。

ラオスの片田舎にある村に出来た、学校か何かの施設を視察に行くことになっていたのだ。

 

坂井さんは、その村の名前を地図で調べた。

無い。

無いのだ。

地図に載っていない。

 

某省の課長さん(仮に山田花子さんとしておく)が、出張日程について坂井さんに電話してきた。

課長さんに押され気味の坂井さん。

 

「ホテルですか?手配しておきます。はい、はい…。」

坂井さんはため息をついて受話器を置いた。

 

「大丈夫?」

声をかけると、坂井さんは顔を上げて笑顔を作ってみせた。

「頑張りますよ!花子ちゃんを喜ばせなきゃ!」

 

いや、その巨大省庁で課長を務めてるくらいなんだから、山田課長は相当ベテランだと思うよ…。

 

ここから彼は頑張りを見せた。

坂井さんは同僚や友人をフル活用し、ラオスに行ったことのある人やラオス関係者を紹介してもらい、その村の情報を集めてきた。

 

そんな村にホテルなんてあるのか?

と思ったら、なんと1軒だけ宿があるという。

 

「問題は、『外国人が泊まれるレベルなのか』ってとこですよ」

 

坂井さんは頭を抱えた。

村で唯一のホテル。

電気や水道があるかどうかも怪しい村。

 

彼の懸念は、その村唯一のホテルにシャワーがあるかどうか、だった。

さらに水シャワーではなく、お湯が出るかどうか。

 

「俺は水でもいいけど、山田課長がねえ。」

 

自分は男だからどうでもいいが、山田課長は女性なので、お湯シャワーが出ないとかわいそうだ。

というのが坂井さんの悩みらしかった。

お湯シャワーが出ないなら、その村ではなく、近隣の町に宿を取ることも検討するという。

さすが途上国慣れした男。

 

坂井さんは意を決して、そのホテルに電話で確認することにした。

ラオスの田舎で英語が通じるかどうか分からないのだが、悩んでいるよりは行動を起こした方がいい。

 

私の向かい側の島から、坂井さんの声が聞こえ始めた。

「ハロー。ハロー?は、ハロー??」

 

周りの同僚たちはそれぞれ自分の仕事に打ち込んでいる。

しかし、何かあったら坂井さんを助けようと、皆が心の中で思っていた。

 

どうやら、ラオスの片田舎の村のホテル従業員は、カタコトの英語を話すらしかった。

(良かった、英語が通じるんだ)

聞き耳を立てていた同僚たち(私も含め)は、胸をなでおろした。

 

「…アンド、〇〇?」

坂井さんの声がひきつっている。

さっきから、同じ質問をしている。

会話の雲行きが怪しい。

どうやら、「お湯があるか?」という文章が先方に伝わらないようだ。

 

彼は簡単な文章を繰り返す作戦に出た。

「ドゥーユーハブ、えっと、ホットウォーター?ああん?」

先方のラオス人が何か返答したようだ。

 

声が遠いのか、坂井さんは受話器を耳に押し当てながら必死に尋ねる。

「ドゥーユーハブ、ホットウォーター?ホットウォーター?」

 

ラオスのホテル担当者が、何やら返答しているようだ。

しかし坂井さんは納得していない顔だ。

 

「ホットウォーター?ホット、ウォーター?あ?」

「ホット~?ホット~?」

 

すでに職場内は静まり返っていた。

坂井さんの珍妙な英語だけが職場内に響いた。

坂井さんは必死なのだが、周りの私たちも笑いを押さえるのに必死だった。

 

しばらくして、坂井さんは受話器を静かに置いた。

周りの同僚が彼を見る。

坂井さんは大きなため息をついたあと、笑顔になった。

「お湯が出るらしいですよ!!」

 

その後。

ラオス出張から帰国した坂井さんに話を聞いた。

その村のホテルには、ちゃんとお湯が出るシャワーがあったという。

やれやれ。

 

しかも、あれだけ坂井さんが「女性だから気を遣うよね」と心配した山田課長。

彼女は若いころから途上国へ旅行していて、坂井さん以上にサバイバル力が高かった。

 

「山田課長、意外にもたくましくってさ。

俺が同行しなくても、ラオスに一人で行けたんじゃないかな。」

 

なーんだ。

まあ、ロンドンやパリへ出張に行くわけじゃなくラオスの片田舎なんだから、高級なホテルなんて期待しないですよね。

 

しかし、地図に載っていないような村への業務出張を実現させた坂井さんの馬力にも、ちょっと感心したなあ。

彼は粘り強く?日本人やラオス人から情報を引き出した。

私だったら「英語通じないや」であきらめちゃうかもしれない。