オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

若者の心

 

子どもの頃、学校に「不良」と呼ばれる同級生たちがいた。

想定されるような悪いことをやってイキがっているわけなのだが、私には彼らの美学が全く理解できなかった。

 

「人のバイクを盗んで『俺って悪いでしょ?ウヒヒ』なんて言ってるけど、何がカッコいいのだろう?」

なんて思っていた。

他人に迷惑をかける行為をして、それをカッコいいと思える感覚が理解不能だった。

 

「カッコいい」とは、(例えばだが)誰にも知られず善徳を積み、そのおかげで誰かが助かる、とかなんじゃないの?

車にひかれそうになった子犬を助ける、とかさあ。

そんなことを中学生時代に考えるということは、さめた子だったのだろうか?

 

なんでこんなことを思い出しているのかというと、最近こんなことがあったからだ。

先日、友人の息子が家出した。

彼には私も会ったことがあり、「そっちへ行くかも」という話になった。

 

その後しばらくして、彼は無事に帰宅し事なきを得た。

彼は家出の理由について、こんなことを言っていたらしい。

 

「オンライン授業で友達を作ることが難しい。人間関係を構築するのに疲れて、大学が嫌になった」

 

まあ、今の社会状況では、そういう人は多いんだろう。

しかし、私が言いたいのはそこではない。

「家出によって、君は何か得るものがあったか」

である。

 

ほんの数日、家出をしたからと言って、オンライン授業が対面授業に変わるわけではない。

人間関係が改善される、わけでもない。

大学を中退できるわけでもない。

しかも数日後には、ちゃんと自宅に戻っているわけだ。(それは親からすると良いことなんだが)

じゃあなんのために家出をしたわけ?

 

こんなことを言ったら、家族から「冷たい人間だ」みたいに言われたので、反省した。

(まあ、私の本質は冷たいヤツなんだろう)

 

しかし、理解できないものは理解できない。

どうせ出奔するなら、メリットのある出奔にしなければ。(←せこすぎ?)

だから、「家出という行為をしたことによって、君は得るものがあったか?」なのである。

 

でも、息が詰まりそうな毎日から逃れ、居場所を変えてみるだけでも、少しは息抜きになったのかな。

それなら、家出をした甲斐があったのかもしれない。

(ってか、その程度でも良かったのか…。)

 

つらつら考えるに、私にはもはや若者の心は理解しがたくなっているのかも。

いや、自分が中学生だった時のことを考えると、その時からすでに若者に寄り添えない自分を感じていたのかもしれない。

多分、人と感覚がずれているんだろう。(しょうがないや)

 

友人の息子は、我が家までやってこなくて良かったのかもしれない。

こんな冷たいおばさんにビシビシ厳しい言葉をかけられたら、気の弱い子ならますます落ち込んでしまうに違いない。

 

今の若者はそれなりに大変なのだろうし、私だって当時は大変だった(今も大変だが)。

それに、困難を受け止めるキャパは人それぞれ。

なので、「今の若いもんは」は禁句なのである。

 

大人になると、世の中のたいていの大人はろくでもない(私の偏見だが)というのが分かって来て、少し屈折した目で世界を見ることが出来るようになる。

でも、そこに至るまでは経験と時間が必要なわけで、それの無い若者は傷ついたり悩んだりするんでしょうね。

それは若者の良さなんだが。

 

万が一、彼が我が家へ来たら、優しくしようと思っていた。

だって家出の理由が分からないですからね。

自分が若かったときは不良の子の行動が理解できなかったが、今になると「若者の心が分からないな」ということが分かるようになった。

こうやって若者に気遣いできるようになったとは、私も大人になったなあ。

 

実は、我が家も弟がプチ家出をしたことがある。

もちろん、子どもの頃だ。

家出は男子の通過儀礼なんだろうか?

 

私はどうかって?

昔も今も、家出なんてやるわけない。

今から私が家を出るとしたら、仕事でアフリカへ3年ほど飛ばされるくらいしか思いつかない。

 

それにこの年齢になってきたら、友達作りに悩むより金繰りに悩むことの方が多い。

自分探しに家出なんて、柔らかい心の持ち主でないと出来ないだろう。

 

ロマンを求める男性と違い?女性は冷たくて現実的だ、ってことなんだろうか。

いや、ロマンを求める若者と違い、大人は冷たくて現実的だ、ということにしておこう。