インドネシアで地方出張するときは、たいてい飛行機で移動していた。
ジャワ島なら電車という手段もあるが、とにかく大きな国。
他の島へ行くなら国内線に搭乗せざるを得ない。
私はジャカルタ在勤だったが、スラウェシ島のマカッサルにわが社のインドネシア人スタッフがいた。
彼女の名前はライラさん。
メガネをかけ、ヒジャブをすっぽりかぶった小柄な女性だった。
長年日本人と一緒に働いているとかで、良くも悪くも日本人の操縦法?を熟知していた。
「今度いつマカッサルへ来ますか?」
とライラさんに電話で聞かれる。
「あれとこれをやらないといけないので、〇月×日から1、2泊で出張しようかな」
とライラさんに返事する。
すると、彼女はすぐに必要なところへアポを取り、私の出張日程を送付してくれる。
さすがだなあ~、と最初は思っていた。
しかし。
ライラさんの作る出張日程の通りに動くと、疲労困憊してしまうことがだんだんわかってきた。
ジャカルタからマカッサルまで飛行機で4時間かかる。
おまけに、インドネシアは東西に長い国なので、ジャワ島とスラウェシ島では時差があるわけだ。
「マカッサルで朝10時から〇〇さんとアポが取れました。」
朝10時かい!
ジャカルタから空路4時間。
しかもマカッサルの方が時差のせいで1時間進んでいる。
となると。
マカッサルで朝10時のミーティングに出席するには、ジャカルタ始発に乗らにゃあ間に合わん。
始発に乗るには、朝2時に起床。
着替えて朝食(時間があれば、だが…)、タクシーを呼ぶ。
(早朝は渋滞が無いので、もう少し短い時間で到着しますが)
チェックインして飛行機に搭乗し、機内で軽食を食べてマカッサルへ到着。
そうすれば、午前中のアポに間に合う。
というわけで、毎回マカッサル出張の時は朝2時起きだったのだ。
マカッサルでは、ライラさんがアポ取りをしてくれた日程に従い、てんこ盛りなスケジュールをこなす。
もちろん、無駄がないように場所や時間を計算して日程を組んでくれるのだが、これがまたハード。
「じゃ、今日の業務は終了です。お疲れ様でした」
と彼女が私をホテルに戻してくれるのは夜10時過ぎ。
ホント、今日は疲れたよ…。
と何度思ったことか。
ホテルの部屋に戻り、これからご飯を食べようか、それともビールを飲んで寝ようか考える。
疲れ切っている時は、部屋の床に大の字になってのびてしまう。
ああ、疲れた。
目をつぶったが、色々考えて思い出す。
今日は朝の2時起床だった。
ってことは、今が夜の22時だから…。
もしかして、一日20時間労働じゃないか!(←気づくと目が覚める)
くそお。どんだけこき使うんだ。
くたくたになって布団へGO。
しかし、イスラム教徒の朝は早い。
翌朝。
7時半にはホテルにお迎えが来る。
一体、インドネシア人はいつ寝ているんだろう?(仕事中に寝るのかな?)
ライラさんに、一度だけ愚痴ったことがある。
「ねえ、いつも思うんだけどさ。
ちょっと予定が盛りだくさん過ぎじゃない?」
すると、彼女は深くうなずいて言った。
「ジャカルタからせっかくマカッサルへ来るのだから、思い残すことが無いように多くの予定を入れているのです。」
いやいや。
仕事で思い残すことはないよ、こんなに詰め詰めの日程なんだからさ。
まるで死ぬ前に仕事をやっているみたいじゃないか。
おまけに一日20時間労働って、どういうことなんだよ。
と口まで出かかったが、彼女もいろいろ考えて日程を作ってくれているに違いない。
そう思い、ぐっとこらえて彼女の言う通りに私は仕事をこなしていた。
マカッサル市外から市内へ戻ってくるルートの途中に、大きなレストランがある。
ミー・ティティというあんかけのかた焼きそばが有名だ。
かた焼きそば、というものの、日本のかた焼きそばほど固くはない。
少ししんなり目になった麺の上に、青菜と卵を具材にした、とろみをつけた熱いあんが載っている。
ライラさんはお昼ごろにその道を通ると、必ずその店へ私を連れて行く。
「以前も連れてきましたよね?」
と最初にその店へ行った時に聞かれた。
いいえ、初めてですよ。
彼女は多くの日本人と一緒に働いてきたので、誰かと間違えているんだろう。
「〇〇さんはミー・ティティが好きだったんですよ。安くておいしいし」
と、私の前々任者の名前を出したりする。
そりゃ、好きでしょうね。
これはまったく日本人好みの味だ。
というか、インドネシア料理は日本人には食べやすいんだよね。
チョット・マカッサルというスープも有名だ。
これは市内どこへ行っても食べられる。
米で出来た団子をちぎりながら、スープに浸して食べる。
スープは小さなお椀に入っていて、臓物や野菜を煮込んだ濃厚なもの。
一食17,000ルピア(約134円)くらいなのだが、これもおいしくてお腹いっぱいになる。
あれだけライラさんに仕事の予定をぎっしり詰められていて消耗気味なのだが、食事はハズレが無い。
いや、食事でごまかされている気もする。
おいしい現地料理をいただくと、そっちに気を取られて、疲れていることを忘れてしまうのだ。
彼女は日本人の操縦がうまいなあ、と思うゆえんだ。
長年我々と働いてくれたライラさんだが、その後契約期間が終了したとかで、彼女は転職した。
「転職先が決まったら教えてね!」
と頼んでおいたのだが、彼女の転職先はまた日本企業だった。
彼女が転職する直前に、私は最後のマカッサル出張へ行った。
ライラさんに、「マカッサルはシーフードが有名でしょ?魚介類が食べたいな」と言ったら、シーフードレストランのリストをくれた。
我々のホテルの近くに、1軒のレストランがあった。
そこで、ライラさんと私、そして別のインドネシア人スタッフの3人で食事へ出かけた。
ライラさんは、「これは名物料理。これもおいしいの」と言いながら、じゃんじゃん料理を頼んだ。
中には魚卵の酢漬けというのもあった。
魚卵が苦手な私は(まあ、注文しなくてもいいかな)と思った。
しかし、ライラさんいわく、「これはこの店のスペシャリティですよ」とイチオシ。
同行したスタッフに聞いたら、「じゃあ食べようかな」という。
仕方なく?魚卵の酢漬けを頼んだが、ほかの料理もたくさん頼んでしまったので食べきれなくなった。
残すのはもったいないので、私は頑張ってその酢漬けを平らげた。
そしてジャカルタへ帰宅した。
その日の夜から、腹痛が始まった。
翌日は土曜日だったのだが、日曜日も下痢が止まらず七転八倒。
月曜日に出勤して聞くと、同行したスタッフも下痢になったという。
やっぱりねえ。
午後に、ライラさんに連絡する用事があったので電話した。
仕事の話の後、「ライラさんは魚卵でおなか痛くならなかった?」と聞いた。
彼女の返事はシンプルだった。
「いいえ、腹痛にはなりませんでしたよ。」
な、なんでだよ…。
アメリカ人がメキシコへ旅行して、現地の物を食べてお腹を下すと「メキシコの呪いだ」とか、「アメリカ人を嫌いなメキシコが天罰を与えたんだ」と言われる。
もしかして、ジャカルタがいつもマカッサルを田舎扱いしてバカにしているので、マカッサルの呪いだったのだろうか。
転職後のライラさんとも、何度か話をした。
転職先でも元気に仕事をしているらしかった。
私は知らなかったのだが、実はライラさんは日本語がペラペラだったのだ。
今は日本語を使って仕事をしているらしい。
インドネシア人にはそういう人が多い気がする。
日本留学経験者で、あふれる日本愛があるのだが、なぜか「日本人は疲れるまで働きたがる」と勘違いしている人が。
それは大きな間違いだ。
仕事を怠けたい日本人もいる。(私だ)
ライラさんからも日本大好きオーラを感じる。
しかし、彼女も
「日本人は仕事をしたがる。だから出張日程は、日本人の心残りがないようにぎっしり詰めた方がいい」
と勘違いしているように思う。
おかげさまで、仕事については心残りは無い。
おまけに最後の魚卵の酢漬けは、マカッサルの最後の思い出として一生忘れないだろう。