昨日、ネットサーフィンをしていたら「人生で一番勇気を出したとき」というタイトルの動画があった。
5歳から75歳までの男性が、自分の「人生で一番勇気を出した」瞬間について答えるものだ。
適当に視聴するつもりが、思わず見入ってしまった。
(見た人はいますでしょうか?)
内容は、若い順から次々に男の子(あるいは男性)が出てきて、いつどんな状況で「人生で一番勇気を出したのか」を答える、というもの。
アメリカ人の回答なのだが、日本人の自分が見ても面白かった。
あなたが「人生で一番勇気を出したとき」はいつか?
多くの人の回答はいくつかのパターンに分かれた。
「ニューヨークへ思い切って移住した時」と回答した人もいた。
日本だと「思い切って上京した時」って感じでしょうか。
この「〇〇へ移住した時」と回答した人は多かった。
自分の知っている町や居心地の良い環境を飛びだすのは、本当に勇気が要るものだ。
「見知らぬ人を助けたとき」という回答も多かった。
おぼれている人を助けようと水に飛び込んだ、とか、そりゃあ勇気がいるよね。
私には出来ないなあ。
面白かったのは、年齢が上がるに従い、「勇敢であったことがあったか分からない」と回答する人がいたことだ。
年齢が上がれば人生経験も長い。
「勇気を出して〇〇をした」経験は、一度や二度はあるはずだ。
でも、彼らは「思い切って勇気を出したかどうか」という点については自信が無い、というわけだ。
謙遜でしょ。
と思うが、真面目な人ほどこういう質問には悩むのかもなあ~。
「結婚をしたとき」なんて回答もあった(これには激しく同意したい)。
皆さんの人生が垣間見えて面白い。
この画像は回答者が男性のみ。
女性はどんな時に「人生でもっとも勇気を出して〇〇をやった」のか、知りたいですね。
ちなみに私は、「人生で勇気を出した」瞬間は、結構たくさんある。
たくさんある、ということは、年がら年中勇気を出しているのかも?!。
まあ、気が小さい人間ですから、勇気を奮い立たせないと何も出来んのです。
「勇気を出して〇〇をやった」で思い出すのは、国連の面接かなあ。
書類選考で合格し、面接に呼ばれた。
書類選考で合格したのは奇跡的でうれしいが、面接に行かなくちゃいけないの?(そりゃそうだ)
と思うと、恐怖?不安?を感じた。
書類選考だけで合格させてくれればいいのに…。
あれは、本当に面接に行くのがプレッシャーだった。
じゃあ応募するなよ、と思うでしょうが、どうせ合格するわけないと思ったからこそ、気軽に応募書類を送付できたのだ。
意地悪な質問をされたらどうやって返答しよう(←意地悪されると決めつけている)。
「あーあ、やっぱりアホだなこいつ」と思われたらどうしよう(わはは不合格だった、で終わりにすればいいんだが)。
そんな恐怖がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
あの時は本当に面接へ行きたくなかった。
が、行かなければ合格はしない。
前日まで「行きたくない行きたくない、うわー」と頭をかきむしる感じだった。
かといって面接をぶっちぎるわけにも行かないので、勇気を出して国際連合本部へ出向いたのだ。
たぶん、「自分の第一希望の企業で面接」に行った人は、私と同じような状況になった経験があると思う。
その「人生で一番勇気を出したとき」に登場した人たちの回答を聞いて思ったこと。
勇気を出して〇〇をやった、という記憶は自信につながるのかもしれないな、ということ。
「勇気を出してアメリカへ移住した」という人もいた。
その人が勇気を出して移住しなければ、そんなに英語がペラペラになっていませんよね。
「おぼれた人を助けた」っていう人は、その後もそのエピソードを人生における自分の武勇伝として思い出すだろう。
皆さんは「人生で一番勇気を出したとき」はいつですか。
私は「かなり勇気を出した」「ちょっと勇気を出した」は、思い出せば相当数ありそうな気がします。
でもその中で「一番勇気を出したとき」か…。
これからの人生で「一番勇気を出す」瞬間が来るのかもしれないなあ。
「人生で一番勇気を出したとき」が、「人を助けたとき」という人は幸せですよね。
「勇気を出して友達を助けた」「会社で疎外されている人を助けるため〇〇をした」なんて答えた人を見たら、ちょっとじーんときた。
私もそういう人生を送れるように頑張ろう!なーんて。