オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

ゲルマン民族

 

最近やっぱり環境のことが気になる。

また同じような話題で恐縮です。

 

私は毎晩、「明日の天気予報」をチェックする。

明日の服装を考えるためだ。

 

昨晩、「小笠原諸島付近に台風21号が接近している」と聞いて驚いた。

台風?

12月ですよ?

 

台風と言えば秋か夏に発生するもの、と相場が決まっていたはず?。

いつの間に発生する季節がずれ、冬でも台風が発生するようになったんだ?

 

台風に関係ないが、フランスのファッション誌エルが、動物由来の毛皮写真を雑誌に掲載しないことにしたという。(フェイクファーはOKなんでしょうね)

理由はエコなのだが、私は別の意味でも個人的に賛成。

だって地球がこれだけ温暖化しているんだから、ビーバーから毛皮をはぐ必要ないでしょ。

 

私は昔、1月だか2月だかの早朝に外勤することが多々あった。

厳冬の早朝はかなり寒いんですよ!

だから、丈の長いキャメルのコートを買って持っていた。

 

が、このしばらく、このコートの出番がない。

冬でもそこまで寒くならなくなったからだ。

思い切って処分した。

 

こんな感じで、冬物を毎年衣装ケースから出すのだが、

「あーあ、今年も着なかった」

「これを着るほど寒くならなかったな」

という年が続き、今までに結構な量の冬のコートを手放したのだ。

この10年、20年でも温暖化が急速に進んでいるのが分かる。

ちょっとこわい。

 

そう言えば、今読んでいる本で知ったのだが、2,000年くらい前のドイツ。

当時のゲルマン民族は「野蛮人」と思われていたらしい。(何が野蛮なのか分かりませんが…)

でも、彼らが「野蛮」ではなかった、と思われる社会システムがあったそうです。

 

彼らは地域共同体を作って生活していたのだそうです。

そこには入会地があり、みんなの共有の土地だったとか。

キノコが欲しい人はそこへ行って取り、果物が食べたい人はそこへ行って取る。

もちろん、土地はみんなの共有財産なので、草刈とか管理もみんなでやる。

しかし、この共有地があることで、食べる物が無いほどの貧困に陥る人は少なかったという。

 

入会地以外の共同体の土地は、いくつかに区分けされ、それもやはり共同体の共有財産となっていたらしい。

各自がそれぞれ土地を割り当てられ、そこで農業や酪農などをやって生活する。

 

ここでも、もう一つ面白い取り組みがあった。

土地によって、肥沃な土地か荒れた土地か、という条件が違いますよね。

たまたま豊かな土地を使わせてもらったAさんは、食料の収穫はじゃんじゃん期待できる。

チーズやワインなんかもじゃんじゃん作れただろう。

 

でも、たまたま貧しい土地をあてがわれたBさんの場合。

いくら働いても土地の条件が悪く、生活は向上しない。

 

で、どうするかというと、何年かに一度、この土地をシャッフルするのである。

Aさんは今まで楽して生活できたが、今度はBさんが苦労していた土地へ行く。

Bさんは豊かな土地へ移って生活が出来る。

なぜゲルマン人がこういうことをやったのかというと、貧富の差を作らないためだったのだそう。

貧富の差が出来ると、上下関係が出来てしまう。

そうやってできる格差を避けるためだったという。

 

なーるーほーど。

2,000年前の共同体システムだが、考えたのう。

ゲルマン民族を見直してしまった。

ただ、私が一番感銘を受けたのは格差をなくすシステムではない。

「こえだめ」だ。

 

ゲルマン民族の共同体では、自分たちが作った食料は他の共同体に販売しないことになっていた。

つまり、共同体内で消費するのだ。

ワインでもチーズでもパンでも、地産地消というか、その土地で取れた物を食べていた。

そして(ここがポイント)、地域で取れた食品を消費して出た人間の糞尿(食事中の皆さんスミマセン)を肥料として畑に使用する。

 

つまり、2,000年前のゲルマン民族の共同体は、現代社会が目指しているリサイクル?サステナブル社会だったのだ。(日本と同様にたい肥を使用していたのだ)

現代は水洗トイレが発達し、私たちの排泄物は海へ流れて行ってしまう。

畑の役に立つことはない。

 

私は幼少期、畑で「こえだめ」を見たことがある。

柵がなかったので「あの中へ落ちたらヤバい」とかなり恐怖だった。

しかし、あれのおかげでおいしい野菜が作られていたんだよなあ。

 

「こえだめ」がなくなった代わりに、農家は化学肥料を購入して畑に使用することになった。

私たちの食生活がどう変わってしまったか、読者の皆さんはお分かりだろう。

 

というわけで、ゲルマン民族の共同体で行われていた、

地産地消→人間や家畜の排せつ物を農業へ使用→収穫→地域で取れた食品を消費する→排泄物が出る…」

というサイクルは、現代社会では途切れてしまっている。

人間の排泄物は無料だしサステナブルだし(だって人間がいる限り永遠に手に入る肥料ですよ)、人間に害を与えることもないのだ。(扱いや管理に注意が必要ですけどね)

ゲルマン人も「こえだめ」を使っていたのか~と思うと親近感がわく。

 

じゃあ「こえだめ」復活か?というところだ。

しかしあの、静かに鎮座する「こえだめ」の恐怖…昔は畑に堂々と存在していた「こえだめ」を復活させるのか悩みますね。

 

先日、新聞を読んでいたら80代の農家の方が記事を投稿していた。

こんな内容だった。

 

昨今は農業をやめる方が増え(農家が高齢化しているからですね)、畑をつぶして宅地にするケースが目立つ。

すると、畑のぎりぎりまで民家が建設されてしまう。

農家は伝統的にオーガニック(といえば耳ざわりはいいが、つまりアレです)な農法で野菜を作りたい。

しかし、畑に隣接した民家からは「臭いから農業をやめろ」とクレームがつく。

 

環境ってつきつめれば農業へ行きつくような感じがしますね。

環境のことを真剣に考えた人が、「自分で野菜を育てよう」と思う気持ちも分かる。

土がついているから汚いとか、肥料の臭いがするから野菜を作るな、とクレームをつける人は、水耕栽培の野菜を食べるしかないですね。

(あるいは肉だけを食べるとか?)

 

その農家の方は、「どうか肥料を使うことをお許しください」としめくくっていた。

私は今までに何度か引っ越しを経験している。

以前住んでいた家は、ちょっと先に養豚場があった。

風向きによっては、結構なにおいが漂ってくる。

 

一度、その養豚場にお邪魔して、赤ちゃんブタを何匹か抱っこさせてもらった。

あまりに可愛くて気絶しそうになった。

それ以後、臭いのはあまり気にならなくなった。

そんなもんだろう。

まあ、子どもの頃に「こえだめ」のあるような田舎に住んでいたので、畑の臭いは気にならないってのもある。

 

そんな素晴らしいシステムを持っていたドイツも、今や他の国同様、貨幣社会になってしまった。

ドイツにだって貧富の差があるんでしょ?

「こえだめ」復権は難しいかもしれないが、少しでも環境破壊を食い止めないと、台風が一年中発生するような暑い地球になってしまう。

 

なんか、いい社会のシステムはないんでしょうかね。

最近、変わり果てた地球を見るにつけ、貧困に苦しむ人を見るにつけ、今の社会システムは間違った方向へ行ってしまったんだなと思うようになった。

2,000年前に帰れ、とは言わないが、昔の人類がやっていたことで良いことは、現代の生活に取り入れたり復活させたりしてもいいんじゃないですかね。