2004年の12月。
東南アジアで大きな津波被害があった。
スマトラ島沖地震だ。
インド、タイ、マレーシア、モルディブなど多くの国が被災した。
覚えている方はいらっしゃるだろうか。
その年の暮に、私は何をやっていたか覚えていない。(だって十数年前のことですよ)
普通に会社へ行って仕事をして帰宅したんだろうと思う。
津波が発生して、最初に日本政府に緊急援助を要請したのは、スリランカだった。
なぜそんなことを覚えているかというと、同僚Tさんが年末年始に急遽スリランカへ派遣されたからだ。
Tさんはスリランカ出発前に、別の同僚Wさんに連絡をくれたという。
どうやら、Tさんは夜に上司から電話をもらい、よく事情が分かっていないままにスリランカへ年末に派遣されたようだった。
以下、Wさんが面白おかしく?私たちに語った、Tさんと上司の会話。
上司「夜分すいません。テレビ見ましたか」
Tさん「(上司がこの時間に電話してきたことを不審に思いながら)いいえ。」
上司「テレビ、見てないんですか?」
Tさん「自宅にテレビが無いもんで…」
上司「…。」
こんな感じで、Tさんは上司から『24時間以内に空港に集合するように』と言い渡された。
空港集合ってことは、どこかへ行かされるわけだよね?(嫌な予感)
年末なのに?しかも俺が?
って、どこへ行かされるの?
Tさんは、テレビを持っていなかった。
まあ、ふだんテレビを見ないなら、持ってなくてもいいんだけどね。
上司としては、東南アジアの津波被害をニュースで見たでしょ?と言いたかったんでしょう。
テレビを持ってないし、ニュースも見てないTさん。(それもどうなんだ)
何が起きてるかよく分からないままに空港へ行ったら、日本政府の緊急援助チームの一員として出発する羽目になった。
そしてそのまま2週間をスリランカで過ごす…。
年末年始休暇は突然吹っ飛び、なぜかふってわいた仕事、しかも海外。
しかも肉体労働?。
笑ってはいけないが、突然言われてビックリしただろうなあ。
恐ろしい職場だ。
年が明けて出社してから、我々はTさんの(突然の)出張?を知った。
テレビの報道番組で津波の映像が流れる。
スリランカからの報道では、被災地をうろつくTさんがちらっと画面を横切ったりした。
Tさんの悲劇?は同僚から同僚へと口コミで伝わった。(みんな笑ってたけど)
正月明けまでには、さすがに私たちも報道で大きな津波が発生したことを知っていた。
そして、Tさんに続いて、他の被災国へも次々に同僚たちが派遣されていった。
でも、気持ちの準備が出来ているのと、寝耳に水で派遣されるのではだいぶ違いますよね。
最初に日本政府へ緊急援助チームの派遣を要請したのがスリランカだったので、私もてっきりスリランカが最大の被災国かと思っていた。
でも、違っていた。
被害が一番大きかったのがどこか、読者の皆さんはご存じでしょうか?
だから、「スマトラ島沖」地震という名前が付いているわけです。
当時、アチェ州はイスラム原理主義に基づく独立を求めていたので、インドネシア中央政府の不興を買っていた。なので、大きな津波がアチェを襲った後も、インドネシア国内ではアチェの被害はなかなか報道されなかったようです。
インドネシアの国内報道も遅れたり、情報が不十分だったりして、海外からの救援チームが被災地入りするのが遅れたらしい。
ところで、緊急援助チームとは、相手国の要請があって初めて派遣されるわけです。
当然ですが、生存者を救出するチームが先に派遣されるのです。
その後、けがをした被災者を治療する医療チームの出番だそうです。
タイに派遣された同僚は、全然活躍の場がなかったと言ってました。
なぜかと言うと、派遣が遅すぎて生存者がいなかったから。
派遣されたお医者さんや看護師さんも、生存者がいないので暇そうだったそうです。
やはり緊急支援とは、文字通り緊急に派遣しないと意味が無いのだなあと思いますよね。
Tさんの年末年始休暇がふっ飛んだのも、仕方ないのかも。
話は脱線するが、コロナ感染が爆発的に拡大してから、ワクチンが必要になった。
金持ち先進国はワクチンが買えるが、途上国はなかなか買えないわけですよね。
日本が台湾に(政治的配慮等で)ワクチンを供与したら、スリランカ政府が「自分にもちょうだい」と要請してきた、という報道を読んだ。
ワクチンくれ!と日本へ頼んできたのもスリランカ。
もしや、スリランカには日本への太い政治的パイプでもあるんかいな?と思ってしまった。
さらに脱線して恐縮ですが、しかもスリランカの話題が続いて申し訳ない。
イランから石油を買ってお金が払えなくなったスリランカ。
どうやって石油代金を支払うお金を工面するのかというと。
なんとスリランカ特産の紅茶を石油代金に充てる、と聞いて笑ってしまった。
イランはイスラム教だから、お酒を飲まない代わりにお茶を飲む。
ちょうど良い?物々交換じゃないですか。
こんな手もあったか。
ところで、私も一応、緊急援助の研修を受けたのだが、まったく出番がない。
まあ、出番がないってことは災害が無いってことなので、むしろいいことなんだろうけど。
今年もなんとか、平穏に年が越せそうですね。
読者の皆様、本ブログのご愛読ありがとうございました。
今年の2月からブログを開始して、何とか今まで記事を書いてこられました。
温かいものを食べて、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ!
コロナだし、「じゃあ24時間以内に空港集合ね」なんて年末にならないのがありがたいですね。
来年は平和な世界でありますように。