年が明けると、異動のシーズンだ。
お世話になっている方が今年の3月いっぱいで、宮崎県へ異動することになった。
4月から会わなくなるとは妙な感じだが、所属先があれば異動はつきもの。
そういう季節になったんですね。
ところで宮崎県だ。
私は一度も行ったことが無い。(行ってみたいが)
マンゴーや日南海岸、チキン南蛮など観光地や名物は思い出す。
しかしながら、行ったことが無いので思い入れもない。
タンザニア人の友人で、宮崎県に勤務していた人がいた。
その人は宮崎県の大ファンだった。
話は長くなるので割愛するが、とにかく彼ら一家は宮崎県で楽しい生活を送ることが出来たのだという。
最初は「アフリカの人が住んでいる」と遠巻きに見ていた住民たちも、彼ら一家が日本語が話せると分かると、自宅へ遊びに来てくれるようになったのだそうだ。
(もちろん、『日本語を話せるようになろう』という彼らの努力の成果でもあるが)
「野菜を分けてくれる人もいたし、一升瓶を下げて持ってきてくれる人もいました。
自宅で日本人たちと宴会をしたりして、とても楽しかったです。
日本人が自宅に来てくれるのはとても嬉しかったですよ。」
と、流ちょうな日本語で彼は語った。
子どもたちも英語やスワヒリ語より日本語が得意になったようだ。
そのあと彼らは神奈川県某市へ異動することになった。
宮崎県で非常に良い印象を持ったので、日本人は皆フレンドリーなのかと思っていた。
しかし、神奈川県はそうではなかったのだという。
にこやかに日本語で挨拶をしても、挨拶を返してくれる人はおらず。
大都会の冷たさを?身をもって知ったようだった。
だから、ますます宮崎県民の人懐こさがなつかしく、ますます好印象として残ったわけだ。
インドネシアでも同じような人に会った。
その方は、ご夫婦で宮崎大学へ留学されていた。
ご夫婦とも、口をそろえて言った。
「宮崎県の人は、とても優しくてフレンドリーなんですよ!
だからうわさを聞いて、インドネシア人が九州にたくさん留学してるんですよ!」
異国で不安だった彼ら夫婦も、宮崎県民に助けられて日本での留学生活を首尾よく終えることが出来たのだそう。
あまりに宮崎生活が良かったので、いまだにいろいろ良い思い出があるようである。
というわけで、ご夫婦とも宮崎県の話になると熱弁をふるう。
前述の通り、私は宮崎県へ行ったことが無いので、彼らの熱い思いに圧倒されるだけだった。
地方の人は(といったら失礼ですが)やっぱり外国人に対しても優しいんですかね。
彼ら二人は日本式の教育に感動したのだという。
そして、インドネシアに帰国したら日本式教育が受けられる学校を建設しよう!と思ったのだとか。
彼らは自分たちが夫婦で創立した学校に「宮崎」という名前を付けたのである。
そこまで愛される宮崎県は、県冥利につきる?だろう。
宮崎県民が聞いたら、泣いて喜ぶ?に違いない。
『県民がフレンドリーなので宮崎県は住みやすい』という噂はあっという間に広がる。
そういうわけで、宮崎県(及び九州)を留学先へ選ぶインドネシア人が増えたのだそう。
南スラウェシ州では、日本留学経験者の圧倒的多数が九州へ留学している。
まあ、同郷の人が九州に留学しているなら安心だというのもあるんだろう。
宮崎県が特別良いのかというと、行ったことのない私には分かりません。
東北だって山陰だって、田舎であれば人は優しいんじゃないかと思っている。
(田舎の方が閉鎖的で、外国人を受け入れてくれない、というイメージもありますけど…)
ジャカルタで「東京の大学へ留学した」という人に会ったことがある。
その人はさほど日本が好きではないらしかった。
まあ、なんとなく分かりますよね。
東京は、日本人にとっても冷たい印象のある街ですもんね。
東京もパリもロンドンもジャカルタも、似たようなものなんでしょうね。
でも、東京に留学して頑張って日本語を習得し、日本人に話しかけて楽しく日本生活を過ごす人もいる。
なので、海外生活が楽しめるかどうかは自分次第なんだと思う。
長らく「九州へ行ってみたいなあ」と思っていたが、仕事で何度か鹿児島県へ行く機会があった。
「出張ではなく、プライベートで行ってみよう」と思い、長崎県、福岡県、佐賀県は制覇した。
しかし、宮崎県である。
高千穂とか行きたいのだが、なんせ旅行代金が高い。
出張する予定もない。
外食でチキン南蛮を食べると、いつも思い出す。
「あ、そうだ、まだ宮崎県へ行ってないや。」
そんな遠くへ旅行できるのは、いつになるんだろう。
しかし、タンザニア人とインドネシア人がおススメの県なのである。
悪くはないんだろう。と想像している。