最近、いろいろ嫌なことがあった。(のっけからすいません、ネガティブで)
いや、厳密に言うと一昨年からだ。
つまりコロナが流行し始めてから、何かと思うようにならないことが増えた。
自分が想定していたことや計画していたことがうまく行かず、落ち込むこともいまだに多い。
おまけに!
一昨年は、自分の人生でかなり大きな出来事が出来した。
人生における大事件ベスト3に入るくらいの出来事だった(悪いことって”ベスト3“に入るんだろうか?)。
自分の努力でどうにかなるものであればどうにか努力するんだが、そうではなかった。
自分の努力が及ばない、となると、もはや神の範疇(?)。
最初は衝撃。
次は落ち込み。
その次は開き直り。
そんな受け止め方をして、2年近くが過ぎた。
人生どーんと奈落の底(ってほどでもないですが 笑)に突き落とされると、人間なかなか立ち直れないものだ。
なんてったって、ベスト3なのである(悪いことだが)。
簡単に受け止めきれるわけがない。
でもまあ、さすがに2年近くも経てば、ある程度居直れますよね。
だって、しょうがないもん。
努力でどうにもできないことは、どうしようもないのだ。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」って感じ?
ここんところ、気を取り直し、また先行きを考えて落ち込み、また気を取り直し…の連続だった。
しかし、自分の努力でどうにもならないことを悩んでも、当然ながら解決しない。
ここで、「自分の努力で変えられないことを悩んでも、時間の無駄だ」ということを学んだ。
しかし。
やはり人間だから、暇さえあればああだこうだ、ああすればよかった、とあれこれ悩むのだ。
で、また落ち込みのスパイラルに突入~。
そこで登場するのが、頼もしき友人たちだ。
今私が直面している体験を、すでに経験済みの友人たちがいるのである。
実はこういう事態が発生した、と友人たちに告げた。
すると。
「この時は〇〇をした方が良い」
「自分の時はこうだった」
など、彼らは様々な体験談と対応法、グッドプラクティスを惜しげもなく共有してくれたのである。
ありがたい…。
こうやって助言や失敗談を語ってくれる友人たちがいなければ、私は今頃笑ってブログを書いている余裕はなかったと思う。
大変なのは自分一人じゃない、と思えると、かなり気持ちが楽になった。
ホント、持つべきものは良き友人ですよ!!
このブログにも何度か登場した日本人の友人たち。
ドイツのマルちゃん、インドネシアのルルちゃん。
様々な人が私の苦境に際し面白いジョークを言ってくれ(もちろん私の気持ちを癒すためです)、家族や友人の体験談を開陳してくれ、毎度毎度「大丈夫か?」と気遣ってくれた。
そうやって心配してくれる友人がいるというのは、ものすごーく精神的に助かったのだ。
人生は山あり谷あり。
禍福は糾える縄の如し。
しかし、話を聞いてくれる友人がいるとつらさがだいぶ和らぐことを、今度も痛感させられた。
私も誰かの良き友人にならねば!と思っている。
最近、孤独をつのらせた上の犯罪と思える事件が相次いでいる。
各ケースを細かく知らないのでコメントは難しいのだが、人生は楽ではない。
でも、つらい時期を励ましてくれる友人が何人かいれば、その人は精神的に楽になる。
私だって良き友人たちがいなければ、絶望にかられて?おかしな事件を犯していたかもしれん。
先日、ちょっとしたものに応募した。
しかし期日を過ぎても合否通知が来ない。
一体どうしたんだ?
ちょっと心配になり、友人Mにその話をした。
すると、Mからは能天気な返事が来た。
「大丈夫大丈夫!月曜日になったら連絡があるんじゃない?」
そうか。ちょっと気が楽になる。
週が明け、月曜日になった。
しかし、未だに連絡なし。
「連絡がまだないんだよね。〇〇の試験も心配だし」
というと、Mからまた明るいレスが。
「〇〇は、私なんておまけしてもらったこともあるよ!大丈夫、どうにかなる!」
ありがとう。
Mの主張は根拠が無いのだが、それでも心配がほぐれた。
そして、ようやく来た結果は不合格。
さすがに笑ってしまった。
でも、Mのおかげで不安にならずに済んだ。
なんてこともあった。
「大丈夫心配しないで!」と言ってくれる友人がいるだけで、だいぶ落ち込みが緩和されるみたいですね。
今年は2022年。
2020年から2年が過ぎ、天中殺気味?の自分もそろそろ外れていい頃ではないか?(←勝手な願望)
占いを見ると、今年は良くないみたい。
いやいや。
2020年、2021年と「どん底」だったんですよ、私。
これ以上悪くなってどうする。
そろそろ運勢を上向きにしてくれ!
コロナも終息の予測が出ているし、今年はホント、どん底から這い上がって?良い年になりますように!と何度も願っている。
何度も言うが、人生は楽ではない。
その困難を乗り越えられるかどうかは、友人がいるかどうかにかかっている、のかもしれない。