オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

助けを求める

 

先日、こんなことがあった。

 

とある病院の前。

自転車で通りかかった私。

白い乗用車が、駐車スペースから道へ出てきたところだった。

病院の前に、ふたの無い側溝があった。

 

その乗用車の動きからすると、運転者は高齢者らしかった。(って、私もあまり運転が上手じゃないが)。

軽乗用車ではあるが、すごく小さい軽ではない(スミマセン、車種に詳しくないもんで)。

 

運転が下手なら、もっと小さな車を買えば良さそうなものだが。

と思いながら、私は前方の車の動きを注視していた。

そのまま、それが大きな道路へ走り去ってくれれば問題ない。

 

前方の車は方向転換をしたいらしいが、狭い道路で大ざっぱなハンドルさばき。

こまめに切り替えればいいのに…。

なーんか嫌な予感。

 

と思っているうちに、あっという間にその軽の車輪が側溝に落ちた。

あーあ、やっぱりやると思ったよ。

 

動きを止めた軽。

前のめり気味に落ちたので、右の後輪は宙に浮いている。

 

止まった車の運転席から、白髪の高齢男性が出てきた。

(やっぱりお年寄りだ)

けがはなさそう。

まあ、あんな緩慢な動きでけがをするわけもないか…。

男性は、ぶつぶつ文句を言っている。

 

私は周囲を見渡したが、目撃者もいないようだ。

ってことは、私がこのおじいさんを助けなければならないのか。

 

どうしてこういう時に限って、私が通りかかる設定になっているんだ?

腹立たしいが、仕方ない。

一応、良き?社会人なので、知らんぷりして通り過ぎるわけにもいくまい。

私は自転車を止めて、降りた。

 

車から出てきたそのおじいさんに、私は声をかけた。

「大丈夫ですか?」

 

ジジイは(←すでに悪意のある書き方)、私を全無視して独り言を言っている。

 

「車が落ちちゃった。やっちゃったよ。」

 

そしてウロウロと側溝側へ回り、車輪がはまった様子を確認している。

 

そのジジイの後ろに、私は仁王立ちで立った。

せっかく助け舟を出そうとしているのに、ジジイに無視されて私はちょっとムッとしていたのだ。

(あ、大人げない)。

言いたいことがたくさんある。(↓心の声)

 

あんたの目の前に、病院があるじゃないか。

誰かそこにいるでしょ。(病院というものは、廃業していない限り誰かいる)

そこへ行って助けを求めてこい。(上から目線でジジイ指導中)

 

だってさ。

腰痛に悩まされている私が、ジジイの車を押せるわけがない。

病院で、誰かを呼ぶのが手っ取り早いでしょ(ジジイを助ける気ゼロ)。

 

しかし、ジジイは事態が分かってるのか分かってないのか。

 

「車が落ちちゃったよ。」

 

私「そこに病院がありますから、誰か助けを呼びましょうか?」

ジジイ「やっちゃった。落ちちゃったよ。やっちゃった。」(マイペース)

 

見りゃ分かるっつうの。

会話が成り立たない相手とどうやってコミュニケーションを取るのか、私も良く分からない。

私がジジイの代わりに運転席に入るのもなあ。

やっぱり誰かを呼んでこよう。

 

後でトラブルになるのが嫌なので、助けが必要なのか要らないのか、念のため確認しておこうと思った。

私は再度尋ねた。

「助けを呼びますか?どうしますか?」

 

ジジイは車の周囲をウロウロしながら言う。

「いやあ、車が落ちちゃったよ。」

 

お前なあ…。

(この時の自分の形相は想像できません 笑)。

 

『自分で対応できないので誰か呼んでください』とか。

『自分と一緒に車を押してもらえますか?』とか。

『いや、自分一人でどうにかできますから助けはいりません』か。

3択だ、どれかを選べ!

 

これら↑をそのまま言葉に出すと、「キツイおばさんだ」と思われるのでぐっとこらえなければ…。

しかし、うっかり?心の叫びがそのまま口調に現れてしまった。

 

「どうするんですか?助けがいるんですか、いらないんですか?!

病院で誰かに声をかけて良いんですか?」

 

するとジジイは、そこに誰かがいることにようやく気づいたような顔をしてこちらを見る。

 

「あ、はあ。」

 

『はあ』じゃねえだろ。

 

私「じゃあ、誰かに助けてもらってもいいんですねっ?!」

ジジイ「え、ああ。」

私「…」

 

言いたいことはたくさんあったが、私は自転車をそこに置いて病院へ向かった。

受付のお姉さんに事情を説明する間も、ジジイに腹が立って仕方がない。

なんで通りすがりの私が、ここまでやってやらにゃいかんのだ。

 

受付から中をチラ見すると、看護師さんなど数名の職員が見えた。

これだけ人がいたら、誰か助けてくれるだろう。

受付の女性は、私の説明を聞いて様子がわかったようだった。

 

「分かりました。少々お待ちくださいね。」

 

その言葉を聞いてホッとしたのもつかの間。

私の後ろから、しわがれ声が聞こえた。

 

「いや、車が落ちちゃってねえ。ほら、そこにさ。車がね。」

 

振り向くと、さっきのジジイだった。

ジジイは病院へ入っていく私にピッタリくっついて、影のように院内へ入ってきたらしかった。

そして、受付で説明する私の後ろにスタンバイしていたようだった。

 

クソっ!

自分でやれ、自分で!

 

私は自分の人の良さに腹立たしくなった。

そのままジジイは待合室に入り込み、大声で自分の悲劇を吹聴して回り始めた。

 

「車がさ、落ちちゃったんだよ。やっちゃった!」

 

どうやら、病院仲間が待合室にいるらしかった。

待合室にいる人々がジジイに注目する。

私は閉口した。

ジジイめ。

そこまでペラペラしゃべれるなら、自分で助けを依頼しろ。

 

私が病院を出ると、男性患者さんや看護師さんなど何人かが一緒に出てきてくれた。

そして病院の前の側溝に落ちた車を見て、改めて状況を確認したようだった。

 

まあ、数人の人が出てきてくれたから、どうにかなるだろう。

路上に出てきた人たちがワイワイと騒ぎ始めるのを見ると、私は地面に倒して置いた自転車を起こし、ひっそりとその場を離れた。

 

それにしても。

あの年齢になるとマイペースも度が過ぎる。

 

だいたいねえ。

人にものを頼むときは「お願いします」「すみません」「お手数おかけします」だろ?

と、言いがかりをつけたくなってしまう。(←もはやヤクザ)

 

ところで、老人ホームで虐待事件とか、電車内で老人とトラブルとか、ニュースで聞くことがある。

これは私の推測だが、年を取ると「ごめんなさい」とか「すみません」という言葉が出てこなくなるんじゃないだろうか。

 

それらは人間関係を円滑にする挨拶言葉だ。

「すみません」の一言があるかどうかで、相手の対応もだいぶ変わってくるものだ。

たぶん、お年寄りたちは自分が失礼なヤツと思われている、とは全く思っていない。

むしろ「自分は困ってるんだよ」くらいのノリなんだろう。

 

しかし、あんたが困ってるのを知っているのはあんただけだよ。

自分の思っていることを言語化しないと、なかなか相手には伝わらない。

そういう基本的なことが、社会から離れて何十年もたつと頭から抜け落ちてしまうんだろう。

 

年齢を重ねると、どの場所へ行ってもたいてい最年長になる。

そうすると、周囲の人が気遣いをしてくれる。

その結果、本人は周囲に対する気遣いを忘れてしまうのかもしれない。

 

老人ホームで虐待が発生する一因を推察してみたつもりだ。

ホーム職員は、「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない高齢者たちに腹を立てることもあるのではないだろうか。

だからと言って、虐待や暴力が容認されるわけではないけどね。

 

この記事を書いている今の時点で思うこと。

それは、知らんぷりして通り過ぎることも出来た、ということだ。

高齢者が困っているだろうと思って立ち止まってしまったのだが、おせっかいだったのかな。

 

私の反省点。

ジジイも動転していて、「よろしくお願いします」とか「すみませんね」という言葉を忘れていたのかもしれないし。

あの時は腹が立ったが、高齢者に腹を立てても仕方ないですよね。

 

私もあと何十年かすると、あのジジイの年齢になる。

その時に、ちゃんと「助けてください」と言える高齢者になるよう、頑張ろう。

それに、自分の気短さも改めねばなるまい…。

愛される高齢者になるには、まだまだ道のりが遠いなあ。